第32話 悪役令嬢と地下水路
ジョン神父が街に来てから数か月。
私は日課の合間に購入した聖書の原典の続巻を買って読んでいる。うん、やっぱりなかなか面白い。最初に読んだ聖書のようなおかしな改編の形跡もなく、物語としてきちんと巻毎にまとまっているし、続きを読みたくなるような伏線もありでなかなか楽しい。
まだ全巻読破まではいっていないけれど、この中二病全開のラノベは読みごたえがあるので続きも買い続ける予定だ。
私が『新しい聖書が面白かった』と話をしたり、布教のため子供たちに読み聞かせたことで領内で新しい聖書がちょっとしたブームにもなっている。ジョン神父はそれらを『旧約聖書』と名付けたようだ。新しいから新約ではないかと思ったが、作られたのは旧約聖書の方が先だったらしいからそれで正しいのかな。
そのおかげか結構な数の注文が入って、ジョン神父はほくほく顔をしていた。もう神父とかやめて本屋さんをやればいいと思う。それにしてもただの神父がなんであんなにたくさん本を持っているのかとか、どこから仕入れているのかとかは謎なままなのよね。
あと領内で寄付金の不正利用をしていた教会はジョン神父の血みどろの鉄拳制裁で制圧されたらしい。ジョン神父がやらなかったら私がやっていただろうから手間が省けてありがたい。
そんな感じで平和なデズモンドではある。そんな私はいつもはサラと一緒に行動しているのだけれど、その日は珍しく一人で道を走っていた。
最近の私はとても忙しい。
朝のランニングから始まり、貴族教育に格闘や剣術のけいこ、治療所での治癒活動から畑仕事、料理、害鳥の駆除から治療費の取り立てなどなどやることが多すぎるので移動はすべてダッシュである。
魔力が残っていれば身体強化の魔法も使うところだけれど、今はこの後揚げパンを作ったり、怪我人の治癒をしたりする予定があるのでAPを温存するために普通に走っている。
ちなみにサラがいない理由は単純には別の用事を頼んでいからだ。
最近は畑も広くなってきたし、従業員もたくさん増えた。そのためには従業員用の家もたくさん建てたし、井戸もたくさん掘った。でもこれからもっと増やさなければいけない。やっぱり水は大切だからね。
まだまだそのあたりの手配が大変なのでサラに手伝ってもらっているのだ。
しかしそんなある日……。
「ぎゃっ!?」
それは突然の出来事だった。
地面が割れた!?なにこれ落とし穴!?
そう思い、とっさに地面の淵に手をかけるも手をかけたその部分も崩れてしまい私は穴へと落ちていく。
ジャボーン!
そんな音とともに私は水の中へと落下した。しかも深い!足がつかない!
「ちょっとおおおおおおおおおおおおおおお!」
しかもこの水流れている!
ものすごい勢いで私が落ちた場所だったところにあった日の光が遠ざかっていく。いや、ほんとすごい勢いで流されてる!なにこれ、用水路!?そんなもの作った覚えがないんだけど……。
「がぼぼぼぼ」
駄目だ、いつの間にか水位が上がってきている。流される……流される……流される……。うわっ!
ちょっとした浮遊感とともに下に落ちていく感覚があるけど、まだ水の中だ。息がやばい。
必死に手足を動かして水の中を上へと向かうと、岩に頭をぶつけた。天井に岩がある。水位は天上付近まで上がっていて額の先くらいしか空気のある場所に触れていない。
せめて口を天井付近に口を近づければ息ができるかも……無理だ。ああ!もう!こうなったら!
(大口!!!)
私は魔法を発動した。発動したのは空間魔法『大口』だ。異次元へのギザギザの扉を私が無理やりに手で押し広げるとそこの中は無限に収納可能な次元の狭間、そこへものすごい勢いで水が流れ込んでいく。
中には異次元空間は無限に広がっている!いくらでも水が入るはず!しかも中への出し入れは普段はサラに手づだってもらわないと無理だが、今は水圧で水が勝手に流れ込んでいく!これでどうだ!?
私の狙い通りしばらくすると水位が少しずつ下がって来て……。
「ぷはぁ!!やったわ!」
空気が美味しい!死ぬかと思った!
革命が起きる前に私がこんなピンチに陥るとは思わなかった。一体どういうことなんだろう。普通に道を歩いていたら地下水路に落ちてしまったということ?
「真っ暗ね……」
あらためて周りを見回すも一寸先も見えないって言うのはこういうことなのかしら。こういう時はあの魔法で……。
「熱量感知!」
オーブンの温度確認の魔法を唱えてみる。うーん……深い青と薄い青くらいしか見分けられないわね……。温度差はほとんどないみたい。洞窟っぽいようには見えるけれどよく分からない。
仕方がない。私の元々の属性魔法の反対で苦手な魔法だけど使うしかないだろう。
「光よ!」
光魔法……正確には光属性魔法ではなく、『思いを力に変える』魔法である。
暗い中でも料理が出来るようにと開発した魔法だ。悪役令嬢の私らしくない魔法だからなのかちょっと苦手だしAP消費も多いのがネックだ。
「ここってなんなのかしら……」
『大口』のおかげで腰くらいまで水位が下がったけれどそれでも周りは水でいっぱいだ。もしかして地底湖?地下水が貯まった地底湖ってやつなのかしら。そこに通じる水の道を私が踏み抜いたとか?
「……もしかして最近井戸いっぱい掘ったから?」
確かに最近うちの畑の周辺に家をたくさん建てて井戸もたくさん掘った。住人が増えたから地下から水を汲む量も増えただろう。人が飲むだけじゃなくて野菜を育てるのにはたくさん水がいるからね。
言わば前世の経済成長期の頃みたいに地盤沈下が発生したのかもしれない。とにかくあの穴の付近は危ないので看板を立てるか、柵で囲うかしておかないと私の大事な革命勢力の命が危ないわね。
「……と言ってもここから脱出してからなんだけどね」
周囲をあらためて見回した後、上を見る。
天井を魔法でぶち抜いて帰るというのはどうかしら。いえ、どのくらい地下に落ちてきたのかも分からないから無理ね……。そもそもそんな威力ないし。
来た道から戻るのは……流れてくる水量は少なくなったけれど、それでもまだ水がじゃぶじゃぶ流れ落ちてくるから無理よね。
「これは前に進むしかないわね!」
私は地下へと続く地下水路を見る。
全面が水没しているわけではないし、通れそうな箇所もある。ここを進めばどこかの井戸か何かに繋がるかもしれない。そもそもここにずっといても仕方がない。悪役令嬢である私を助けに来るような人がいるとは思えないのだから。
私はまず一歩前に進んでみた。そのとたん周りが暗くなる。
「あ、そうだ。光も一緒に動かさないといけなかった」
この魔法だけれど初期状態だと『空間に固定』されているから一緒に動いてくれないのを忘れていた。
私は光の固定位置を『私のおでこ』する。これなら私の視線の向いた方向に光が向いてくれるから歩きやすい。ヘッドライトってのと同じね。
私は暗い洞窟の中をザブザブと足を動かしながら進んでいく。腰のあたりまで沈んでいるせいで水の抵抗が大きくてなかなか進まない。
「はぁー……広いわね。これってどこまで続いているのかしら」
かれこれ30分くらいは歩いていると思う。代り映えしない景色に飽きてきた。天井からピシャンピシャンと水滴が落ちる音以外なにも聞こえないし、人工的なものは見えない……と思っていたところ、見慣れないものが現れた。
「石壁……?」
鍾乳洞のような自然の洞窟の中に人工的な石で組まれた壁のようなものが見え始めた。新しいものではないようでところどころ泥に埋まったり崩れて周りの洞窟と変わらないような状態になっていたりする。
さらにそのまましばらく歩くと石壁の割合が増えていき、道が通路と水路のようなものに分かれ始めた。
「これは昔の下水道かしら?それとも昔の水道?どっちでもいいけれど地上に繋がっているといいわね」
人が十分通れるくらい広いので体が詰まるようなことはなさそうだけれど結構長い通路のように見える。さらに歩いていくが曲り道や交差点のような場所まであってどっちを向いているのかも分からなくなってきた。
「うわ……」
しかもすごい臭いだ。私も全身泥だらけのベタベタなのでそんな臭いのことを言えないかもしれないけど悪臭がすごくて逆に鼻が麻痺してきた。
「今度はこっちに行ってみようかしら」
右に曲がったり左に曲がったりしながら歩いているが、まるで迷路のようでもうよく方向が分からないので片方の壁沿いに進んでみることにする。
迷路攻略の方法だ。片方だけを辿っていけば平面の迷路であればゴールまでつながっているはずである。ただし、ゴールまでこの道は出口につながっている保証もなければ、平面だけで攻略できるとも限らないのだけれどね。
そんな感じで壁沿いに歩いていくと……。
「うっ……ううっ……」
なんかうめき声がした!動物?人?人だったら道を聞けるのだけれど動物だったら戦闘になるかもしれない。
「誰かいるの?」
私は顔をうめき声のした方向に声をかけた。するとそこで黒っぽい何かが蠢いた。黒っぽい何かはムクリと起き上がると私に顔を向けた。
「なんだ?ブス」
しゃべった!男の子の声だ!黒っぽいのは服なのかな?すごく汚れているように見える。ズルズルと体を引きずりながら私の目の前にその子供は現れた。
「ごきげんよう!私はメアリ・アン・デズモンドよ!」
「ごきげんようってなんだ?ブス」
おっと、挨拶に質問を返されてしまった。ごきげんようの意味が分からないのかしら。どうにも文化的な生活を送っているようにも見えないし、あまり言葉を知らないのかもしれない。
「『ごきげんよう』ってのは挨拶よ。特に意味はないわ」
語源は意味があるかもしれないけれど、『ご機嫌がいいですか?』と聞くのがなぜ挨拶になるのか謎だし、形骸化しているから意味がないって言っても過言ではないと私が思うから特に意味がないと言ってもいいだろう。うん、私がそう言うんだから間違いない。すべての言語は私に優先されるのだから。
「メアリってなんだ?ブス」
「メアリというのは私の名前よ」
とりあえず会話は成立するようだから質問に答えつつここの出口を聞いてみることにしよう。それにしても口の悪い子供ね。
「名前ってなんだ?ブス」
「あのね、さっきからブスブスってなんでわざわざそんなことを言うの?」
まぁ私は意地悪そうな顔をしているので否定するようなことではないけれど、言葉の端々に言い続けられるといい気分はしない。
「髪が長い。細い。それブスじゃないのか?」
「えーっと……」
どうやら一筋縄には会話が成立しないようなので一つ一つ解決するべく彼に詳しく話を聞いてみることにした。
そして分かった事実として『髪が長くて細い人間』を彼は女性と認識していて、その女性のことを彼はブスと呼んでいたらしい。理由は女性に対してそういう罵声を浴びる場面を見たから『女性』=『ブス』という名称だと思っていたとのこと。あまり言葉を知らないところを見るにほとんど人と接することのない生活を送っているのだろう。
おそらく酔っ払いか何かが女性に声をかけてあしらわれた際に『お高く留まってんじゃね!このブス!』とか言われるのを聞いて女性=ブスと思ってしまったのだろうか。
こんな場所で一人で生きていて誰も教えてくれる人や仲間なんかもいなかったのかな。
「私の名前はブスじゃないわ。私はメアリ。名前っていうのは相手を区別する呼び方よ。あなたの名前は?」
「名前……?」
「あなたはなんて呼ばれていたの?」
「なんて……?俺?呼び方?えーっと……スティンク」
「スティンクって呼ばれていたの?あなたの他に誰かいるの?」
「フケツ、キタナイ、アッチイケがいた。今は見てない」
ん?……んん?それって名前なの??罵声じゃないの?
それにスティンク?その名前ってどこかで聞いたような言葉だけど……どこたっけ。えーっとなんかゲームのプリレボに出てきたような……えーっと……そうだ!!暗黒剣士スティン……に似てる!でも『ク』が余計だ。
年齢的にはスティンの年齢に合っているような気もするけど、実際はスティンクの年齢は不肖だった。ゲームでは若そうな声だったけど黒い全身鎧で顔が出てこなかったのよね。声も似ているような似てないような……。
でももし彼が暗黒剣士スティンならこんなところで死んでもらっては困るわね。革命における最強戦力と言っても過言ではない剣の腕を持っているはずなのよ。
もしスティンじゃなかったとしてもこんな環境で生きていたのなら革命勢力に加わるに違いないんだから助けることに変わりはないよね。
「よし!任せなさい!『癒しを』!」
私は癒しの魔法をスティンクに発動する。
意外なほど大量のAPが消費されていく。通常は20APくらいですむ治療が200APくらい消費されてしまった。
よく話を聞くと足の1本が腐ってしまい動けなくなっていたらしい。動けず食べるものもなく、体もボロボロになっていたみたい。
でも不思議だ。
もし彼が暗黒剣士スティンならこんな状態からあの最強の剣士になれるかしら。あのままじゃ足もなくなってしまっていたし、放っておいたらこのままここで死んでいたでしょう、この子。
死んでしまったのにこの後主人公に会う?そんなことある?よく分からない。それに名前も微妙に違うし、あれ?名前……?スティンクって……英語でStink?
「んん?スティンク?……悪臭!?」
分かったわ。さっきの知り合いたちの名前もそうだけど、彼らの名前は浴びせられた罵声からそう呼んでいるだけだったんだわ。酷い臭いだから悪臭と呼ばれていたと。
もしかしたプリレボでは主人公に会ったときは『ク』を除いてスティンになったのかしら。裏ストーリの可能性はあるし、私がイベントを見逃したのか忘れてしまったという可能性もある。
でもさすがにスティンクとは呼びたくないし、それなら彼は『スティン』と呼ぶか……。
うーん……何となく頭お花畑の主人公と同じって言うのは嫌ね。だからと言ってスティンクはないわ、スティンクは。だったら私が考えてあげよう。
「えーっと……よし!今日からあなたは『スティング』と名乗りなさい!敵対する者を突き刺す刺突剣!スティングよ!」
「スティング?俺剣?スティング?」
「そうよ」
「俺。スティング!足が動く!」
「魔法で治したからね。それから私のことはメアリお姉ちゃんって呼びなさい」
本当に彼が暗黒剣士だったら尋常ではない強さのはずだし、前世のゲームではスティンと戦って私は負けてしまったのよね。だったら彼とは義理の姉弟関係になってしまおう。
「メアリお姉ちゃん?」
「そうよ。よろしくスティング」
なぜなら姉に勝る弟などいないのだから!これできっとこの子にも勝てるはず!
「魔法ってなんだ?」
おっと、また『なんでなんで攻撃』がはじまってしまった。子供特有の『なんでなんで』と質問するあれだ。どうやら精神的にスティングはまだ幼いようで知らない言葉をずっとあれは何、これは何と聞いてくる。
「魔法のことはあとで教えてあげるからまずこれでも食べなさい」
ポケットから揚げパンのパン屑を取り出す。
かなりベタベタになってしまっているけれど大丈夫かしら。私は心配しつつ治癒魔法を発動させた。いけた!ベタベタだったパン屑がムクムクと膨れ上がって私のAPを糧に出来立ての揚げパンへと変化する。
出来上がった揚げパンをスティングに渡すと貪るように食べ始めた。
「私は出口を探さないといけないのだけれど、あなた立つことはできるの?」
私の言葉に揚げパンを食べきったスティングが立ち上がろうとするが、どうにも力が入らないようだ。足は治ったけど体力は回復していないということだろう。
「仕方ないわね。おぶってあげるから私の背なかに捕まりなさい」
「背中ってなんだ?」
「背中って言うのはここよ」
「捕まればいいのか?」
「首に手を回して捕まりなさい」
私は背中から捕まってきたスティングのお尻の下に両手を回してを背負うと歩き出した。思っていたよりずっと軽い。これなら大丈夫そうだ。
「さっきあなたが言ったブスのいた場所って案内できる?」
「上に行く?気を付けろ。殴られる」
「殴られる前に私がぶん殴るから安心しなさい」
「……分かった。あっちだ」
私はスティングの指さす方向に歩き出す。
私は『魔法ってなんだ』『さっきの食べ物なんだ』などと色々と質問してくるスティングに答えながら地上を目指すのだった。
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