第2話 悪役令嬢と毒舌メイド
「Kiss my as● でございます」
部屋に入って開口一番毒舌を放ってきたのは私の専属メイドのサラだった。スラリと背が高くモデルのような体型で艶やかな黒髪はホワイトプリムの下で丸く結ばれている。
そんな彼女に笑顔を向けられれば男性の内10人中10人が振り向くような美人だと私は思っているけれど、残念ながらその顔は鉄仮面と言っていいほど無表情。
私の専属になってから1年になるのにそんな私でさえサラの笑顔は見たことがないのよね……。
「廊下までお嬢様のやかましい声が響き渡っておりましたよ。控えめに言って豚小屋の前ようでございました」
時計を見ると午前10時。
お茶の時間になったため、準備するために来たサラは流れるような仕草でお茶とお菓子をトレイからテーブルへと配膳しながら、私に毒舌をぶつけてくる。これが私の専属メイド『サラ』である。
こんなメイドがなぜ私の専属になっているのか不思議に思うかもしれないけれど、これには2つ理由がある。
1つ目。
私の専属メイドになりたがる人間が皆無だから。
幼児にも関わらずとんでもない自己中心的で傲慢。気に入らないことがあれば誰はばかることなく喚き散らし、暴れ、物を投げ、罵詈雑言を投げかける。
その頻度は1日に1度や2度ではなく、時間を問わず24時間であり、自分の気に入らないものは何一つ許さない徹底ぶり。
そんな令嬢の専属だから敬遠されて人が集まらない。つまり原因は……。
私だよ!!
そう、私が私らしく傲慢に振舞っていたため、屋敷にもともといたメイドたちは誰一人私の専属を望まず、仕方なく外から人を雇い入れたが1か月と持たずに1人辞め、2人辞め……その後募集しても決まらないので給金を倍にするがそれでも決まらず、給金は3倍になり、5倍になってもすぐに辞められ、通常の10倍という破格の条件にしてやっと現れたのがサラという流れ。
つまり、彼女をクビにするということは私の面倒を見る人間がいなくなるということ。なのでお父様やお母様、他の家人たちもサラの毒舌は見逃している。
二つ目の理由。それは……。
「Kiss my As●ってどういう意味なの?」
「『私のケ●にキスをしろ』……つまり『その汚い口を閉じろ』という意味でございます」
「なるほど……素敵な言葉ね!」
いつか誰かにその言葉を使って泣かせてやろう。そう、これが二つ目の理由にして最大の理由。サラはね……語学が非常に堪能なの!
サラは貴族としての宮廷マナーや言葉遣いだけでなく、庶民の話し言葉からスラムの住人でさえ使われたら顔をしかめるようなスラングまでありとあらゆる言葉に精通している。
遠回しな貴族的な毒舌から下町でさえ敬遠される最低の毒舌まで教えてくれる悪役令嬢の言語教師なのだ。
日々浴びせられる聞いたこともない毒舌の数々をメモ帳に書き写してはいつか使う時を楽しみに待っている。
そして一番大事なことだが……悪役令嬢の私的にはそんなサラがその言動のすべてを含めて大好きなのよね。
個人的には歳の離れた姉のように思っている。
「それより聞いてよサラ!私は思い出したの!」
「その話は今聞かないといけませんか?」
テキパキとお茶の準備を進めていくサラは手を一切留めず、振り向きしない。この私に対してまったく興味があるそぶりを見せないとはさすがね!
だけど無視されているからといってこの私が話をやめるはずもない。勝手に話を進めさせてもらおう。
「なんと!私は前世の記憶を思い出したのよ!」
「……前世?」
サラのその手は止まらなかったけれど言葉に少し動揺が現れたわね。ふふん。まだまだね、サラ。鉄仮面メイドを名乗りたければ明鏡止水の心を手に入れなさい。
「そうなの。私の前世は料理人の見習いで……」
私は思い出したことを一つ一つサラに伝える。
今後私が目的のために活動していくためには私のことはみんなに知っておいてもらったほうがいいし、隠しておく理由は何一つないからね。
前世は日本という国に生まれたこと。
そこは科学の発展した世界であったこと。
世界一を目ざす料理人見習いの女性であったこと。
この世界でも料理人になるつもりであること。
この世界が前世でやっていたゲームの世界に酷似していること。
「……頭は大丈夫でございますか?」
私の話を一通り聞いたサラの第一声がこれである。
『頭大丈夫』って中身のことじゃないわよね?この頭脳明晰にして神算鬼謀の持ち主である私の頭の中を心配?うん、そんなことはないわよね。もしかして怪我でもしていると思っているのかしら。
まぁ別に無理に信じてもらおうとは思わないから構わないわ。
そんなことよりも……目の前のちょっと見慣れない光景のほうが気になった。
「……話は変わるけれどサラ、何をしようとしているの?」
「見てお判りになりませんか?ティータイムの準備でございます」
うん、それは分かるわ。お茶のポットとカップやカトラリーが目の前にあるからね。でも見逃せない物体がそこに加わっているのだけれど。
「その茶色い物体はなんなのと聞いているのよ」
「見てお判りになりませんか?おそらくパンを油で揚げたものかと思われます」
うん、そうだね。揚げパンだね。どこからどう見ても揚げパンだよね。パンに白い粉や茶色っぽい粉がかかっているのは砂糖とシナモンかしら?
サラの用意したおやつのセッティングが終わり、そこに用意されたものはまごうことなき揚げパン。昨日までのお茶の時間では用意されていた豪華なスイーツ……果物やクリームで飾り付けられた公爵家にふさわしい見栄えのもの……ではない。
ただの揚げパン。
今まで見たことが無いほど素朴で見栄えがせず、前世では何度も見たことがあるが、この世界で生まれて初めて見る貴族のお茶に似合わない物体。揚げパン。
「なんでこれをおやつに選んだのかしら……」
「それはお嬢様が昨日命じたからでございます」
「あー……」
そういえばそんなことがあったようななかったような……。
「お嬢様はこうおっしゃました。『毎日違うお菓子を用意しなきゃいや!やだやだやだやだ!もっと見たことのないお菓子用意しなさいよ!クリームも果物も使ってないのを用意して!お父様もお母様も食べたことのないおいしくて見たことのないのを食べたい食べたい食べたい。ぎゃーぎゃーぎゃー』とまるで虫のように手足をバタつかせて涎と鼻水を飛び散らせながら料理長の前でおっしゃっておられました」
昨日のことだから覚えているわよ。確かに言った、言いました。認めましょう。
「ぐうの音も出ないわ。一字一句再現してくれてありがとうサラ。でも涎と鼻水は出していないと思うの、たぶん」
「ではそういうことにしておきましょう。さぁ、冷めないうちにお召し上がりください」
そういって椅子を引いてくれるサラ。
うん、料理人としての自我が芽生えた今ならわかる。料理長……怒るわよね、普通。
はっきり言って当家の料理人の腕は半端な腕ではない。これまで朝昼夜に加えて午前午後のお茶に時間に食べた料理や菓子の数々。はっきり言って今のところ前世の私より彼の腕は上だと思う。
もしかしたら前世で働いていた店のシェフよりも上かもしれない。もし私が私でなければ異世界での転生後に料理無双など諦めなければならないほどの腕なのだ。
食材の新鮮さ、処理、工夫。前世を思い出した今だから分かる。どれを取っても一流以上であり、調理法が想像もつかないような料理さえ多数あった。
そんな相手に……だ。
私は不満をぶつけまくりもっとおいしく作れと、見たこともない料理を作れと言ったのだ。それは怒っておやつが揚げパン一つになってしまうと言う事態にもなろうというものなのかもしれない。
うんうん、原因は……。
私だよ!!……ということで。
「仕方ないわね、いただくわ」
原因が私であるなら本当に仕方がないので大人しくサラが引いてくれた席に座ることにする。
「意外ですね。料理長に怒鳴り込みに行くかと思っておりました」
「暖かいお茶や料理を冷めさせてしまうなんて料理人失格でしょう?たとえ不味くても食べてから相手をぶん殴るわ」
出された以上は毒でも入ってない限りは食べる。不味かったり料金に見合わないようなものをだされたらぶん殴る。これは当たり前よね。
「もぐもぐ……」
「いかがですか?」
「……」
これは……言葉が出てこない……。たかが揚げパンと馬鹿にしていた私が……馬鹿みたい。あの料理長を舐めていたわ……。
まず、口に運んだ瞬間、小麦特有の香ばしい香りとともにシナモンと砂糖の甘い香りが鼻孔をくすぐる。砂糖、小麦、シナモン、そして焼き加減、どれか一つでも悪ければこのような食べる前から食欲を誘うような香りは作り出せないだろう。
さらに口にした瞬間、パリパリとした固まった砂糖とパンの割れる感触。砂糖もパンもカリカリに焼きあがっている。
表面の心地よい感触の後に感じるのはふかふかとした小麦の感触だ。イースト菌により膨らんだもっちりふかふかとした感触とともに、油を含んだ砂糖が口の中でパンと一体となる。
噛みしめるたびに甘さが小麦と溶け合って甘みの濃度が嚙むたびに変わって心地よい。単一の味だけでなく何度も噛むたびに楽しめる深い味わいだ。
表面は解けて固まった砂糖と粉上にして後からかけた砂糖、小麦も表面と中間と中心部では触感が違うので少なくとも2種類以上の小麦粉を使っているはずだ。
そして何よりそれらを計算しつくして混ぜ合わせ、完璧な焼き上がりとしたその技術。……私に今これを作ることが可能だろうか。想像できない。これは……。
「今まで食べたおやつの中で一番おいしいわ!今すぐ料理長をぶっ飛ばしたくなるくらいに!」
「『ぶっ飛ばす』でございますか?料理を褒めて出てくる言葉ではございませんね」
はっきり言って前世でもこんなにおいしいパンは食べたことがないと思う。前世の知識で料理無双を!とかちょっとだけ考えてたけど、前世の記憶を思い出した途端これとは……。
「すっごい悔しいわ!私より美味しい料理を作れるなんて!悔しい悔しい悔しい!」
なんでこんなおいしいものを作ることが出来るの!?私にはまだできないのに!そもそも前世より美味しいものを作れるってどういうことよ!
「行くわよ!サラ!」
「どちらに行かれるのですか?」
「料理長のところへよ!」
私は廊下を走りだす。行先はもちろん屋敷の厨房だ。
♦
「はぁ……はぁ……」
そして私は廊下を走りだして30歩も行かないところで両ひざをついて倒れていた。
「お嬢様、いかがなさいましたか?そんな風に丸まってしまって。控えめに言って死にかけの芋虫のようございます」
「……はぁ……はぁ」
サラの毒舌に言い返す元気もない。たったこれだけ走ったのみで息切れして心臓がドクドク言っている。わき腹が痛い……。
これは……運動不足ね。
それはそうよね。今まで私って屋敷の中からほとんど出たこともなければ、歩くのも面倒だと言って運んでもらったりしていたのだから。
よく考えると走ったのもこれが生まれて初めてなのかもしれない。
「い……行くのよ……料理長のところへ……。はぁ……はぁ……」
「ぶん殴りにですか?殴り返されるんじゃないですか?あの料理長のことですから」
「殴らないわよ、ただ揚げパンが美味しかったって言いに行くだけだから」
「……頭大丈夫ですか?」
「感謝していたらお礼を言うのなんてあたりまえじゃない」
「……」
俗にいう『料理長を呼べ!』というやつだ。褒めたい場合のやつね。
今回は呼ぶのじゃなくて自分から行くのだけれど、美味しい料理を食べたら作った相手に感謝の言葉を伝えたいというのは万国共通だろう。
私の『感謝』という言葉にサラは数度瞬きをすると私を持ち上げた。
「どうしたの!?」
「お嬢様の足では日が暮れてしまいます」
サラが私を抱えて歩き出す。
うん、私が歩くよりはるかに早い。実に快適だわ。
……こんなことをしていたから筋力が付かなかったのだけれどね。でもどうしたのかしら。普段のサラならこんなことをしないと思うのだけれど。
♦
「料理長を出しなさい!」
サラに運ばれた私は調理場のドアを叩いていた。両手を使った連打でドンドンと乱暴に叩きまくっていると中から料理長が出てきた。
長身、短髪、三白眼に筋肉質な体。どう見てもヤクザかギャングにしか見えない強面、これがうちの料理長のアレクシスだ。デズモンド家の料理の一切を取り仕切っており、部下は二人のみ。
たった3人でこの屋敷の料理を作り切る速さもさることながら、その腕はこの私が認めるほどである。
「なんでい、お嬢じゃねえか。また俺の料理に文句でもいいに来たのか?いいじゃねえか、聞いてやるよ」
「この揚げパンを作ったのは誰!?」
「「「俺だ!」」」
3人の声が重なった。
料理長に加えて声を上げたのは副料理長のホースト、見習い料理人のジェイミーだ。この3人は基本仲が悪い。いや、仲が悪いというか常に自分の方が料理の腕は上だと思っているようで、ことある毎に言い争っている気がする。実に私好みの3人である。
「材料調達して下ごしらえしたのは俺っすよ!」
「パンを焼き上げたのは俺です」
「仕上げをしたのは料理長の俺だ。文句があるなら俺が聞こうじゃねえか」
いつも私に料理を批判されているというのに3人とも自分が作ったと譲らないらしい。私としては別に誰が作ったかは重要ではない。こんなおいしい料理が出来上がったという結果が重要なのだ。3人で作ったなら3人ともに感謝するのみである。
「文句なんてないわ!私はお礼を言いに来たの!こんなおいしい揚げパンは初めて食べたわ!作ってくれてありがとうね!」
「……!?」
言った瞬間3人の目が点になった。
信じられない生物を見るような目で私を見つめてる。うん、それはそうだろう。今まで文句しか言ってこなかった私がお礼を言っているのだから。でもまだ言い足りないのでさらに続ける。
「下ごしらえも仕上げも素晴らしかったわ。まずはこの材料ね、砂糖も小麦粉も複数使ってると思うのだけど、どうやってこんな風に層毎に仕上げたのかさっぱり分からなかったわ!」
「お、おう……」
「それに食べたときの感触!よく考えられているわね、パリっとした表面はハードウィート種の小麦粉……いえ、このクリーミーな風味はスペルト小麦かしら。さらに中のふわっとした小麦はソフトウィート種ね。対比が素晴らしいわね。パンの焼き加減を揚げること前提にして作ってるのね。パン自体も素材の味が引き出されていて甘みとの対比が最高よ」
「え、ええ……」
私のマシンガントークに3人が戸惑っているが、そんなことは私には関係ない。私は言いたいことを言い、やりたいことをやるだけなのだから。
「これは私が今まで食べて一番美味しかったパンだった。だからあなたたちにはこれを進呈するわ!」
私は『★マーク』の入った紙を3人に差し出した。差し出されたそれを3人がまじまじと見つめる。
「なんだこりゃ?」
料理長がこれに不思議がっているということは、これはこの世界にはないものなのかしら。前世との共通点があったりなかったりするわね。
「それはね、前世で私がどうしても欲しかったものなのよ」
「は?前世がなんだって?」
『なにいってんだこいつ』というような目で見つめられるので、私は前世を思い出したことをかいつまんで3人に説明する。
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「……それで★が1つで一流料理人の証、★2が2つで上級料理人の証、そして★3つは世界で最高の料理を作る料理人の証なのよ」
前世での夢。世界一に料理人の指標の一つ。それは三ツ星レストランの料理長となること。それを3人に説明する。
「……それを」
「俺たちにくれんのか?」
「あたりまえじゃない!でも覚悟しておきなさい!いつかこれ以上の料理を作ってその三ツ星は私が取り返してあげるからね!おーほっほ……けふんけふんっ」
「お嬢様、お水です」
「ありがとう、サラ」」
高笑いをしようとしたらむせてしまった。悪役令嬢と言えば高笑いだと思うのだけれど幼いからだろうか、なぜか高笑いが上手くできなかった。私は悪役令嬢なのに残念だわ。
「じゃあ次はお父様たちのところへ行くわよ!」
ここでの用事は終わった。純粋にお礼を言いたかったというのもあるけど、このお礼には理由がある。そのため、まだまだ私はお礼回りをして回らないといけないのだ。
そう思って私は走り出したのだが……また数歩で息切れしてしまったのでサラが抱え上げてくれた。
「御館様のお部屋でございますね?かしこまりました」
サラに抱え上げられながらその場を離れると……。後ろから何か騒がしい音が聞こえてきた。なんなんだろう?いえ、そんなことより今まで私は私のために感謝をしている人たちにお礼を言いに行かなければね。
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