去って行く貴方を見つめて
零雨の中一人ぽつりとバス停に佇んでいた。ただ、バスがやって来るのを待っているというよりも子どもの様にぼんやりと空想をしていたいだけだった。しかしこんな天気では静かに耽けるのは難しそうに見えた。すると右手側から女性がやって来た。こんな天気になるとは思っていなかったのか傘もなく、半袖で、スカートの裾がかなり濡れていた。しかし花束を大事そうに胸に抱えていた。
予期せず二人になってしまった訳だが、そこから何か非日常的な展開が待ち受けるという事もなく、先程までと同じように唯降り続いているだけである。参ったな、と心の中でぽつりと呟いた。それから帰ってしまおうかとも、もう少しここでのんびりして居ようとも思えた。牛が家に帰るぐらい長くあれこれと考えている中で丁度、やはり帰ろうかと思い立った時分に雨足が激しくなってしまった。
そんな事を綴っていては私の放肆で優柔不断な性格はよく伝わった事だろう。私は五黄の寅年生れの女性ではないし、平凡な男で頑固者でもないのだ。兎にも角にもこの女性は無事帰れるのだろうか、ただそこが気になった。見るからに寒そうに身を縮めている彼女を哀れむような目で眺めるだけ。居ても立っても居られず、私は彼女の横の席にそっと腰掛けた。軽い会釈をし、「寒いですね」「いつ頃止むんでしょうか」などと話をするも、やはり会ったばかりの我々には距離があり、どの会話ももほんの短い時間で完結してしまい最後にはお互い黙りしてしまった。まだバスは来ない。いつ来るだろうと空想しながら私は待つことにした。すると突然肩にぽつりと何かが落ちるのを感じた。
驚いた私は思わず声を上げてしまった。見ると水滴が付いている。この停留所には屋根があるが、もう古くなっていたのかぽつりと小さく穴が空いてしまっていた。折角屋根がある所に居たのに全く陸なことが起きやしない。ふと右の方を向くと雨に濡れて、漆を塗った様に艶やかな長髪の彼女が笑っていた。きっと先程の自分の変な声に思わず込み上げて来てしまったんだろう。今日は彼女にとって吉辰になったのかも知れないが私としてはどこか少し不服だった。だが彼女の無邪気な笑みを見るとそうは思えなくなってくる気がした。
私は雨で冷たい筈なのに不思議と体が熱いように感じられた。そしてこの場を捌こうと
「あの、全然バス来ないので、この間に家に帰って傘取って来ますね。余分にあれば貴方の分も」と話を切り出した。そう提案すると彼女は間髪を容れず
「いえ大丈夫です。家が、バスを降りたすぐの所なので走ればそこまで濡れないと思いますし」
「でももう結構濡れてるんじゃないですか」
「話してる間にも乾きますよ」と言う具合に、今までより遥かに長く会話が続いた。私たちはそれから最近の流行や、彼女の周りで起こった事に両親の事、更には彼女の露の様な恋愛に就いて語っていた。その中で私が幾分か世間知らずな事に彼女は笑っていた。個人的な事まで話していたのだから、きっとこの会話の中で何かしらの糸がぽつりと切れていたのだろう。短い時間で積み上げた九仭の功を奏すことができたのだから、私の口角も小高い丘からの景色を知ったことだろう。と、遠くから水の勢い良く跳ね上がる音と共に別れの合図がやって来た。
突然彼女が大事そうにしていた花束を真剣な目で丁寧に地面に置いた。「やっぱり花は地面に咲いている方が綺麗ですよね」と放った。私は言っている意味が判らずただ呆然とたっていた。間も無くしてバスが停まると、彼女は段に足を掛けながら此方を向いて「ありがとうございました」と小声で漏らし、何やら含みのある笑みを残して後方の座席に腰を掛けた。思い出たちがゆっくりと小さな影になって行ってしまうのを見送りながら、これで十分だったんだと私は微笑んだ。足元にぽつりと置かれた花束が無性に美しく感じられた雨上がりだった。
慈悲心鳥という鳥がありまして、鳴き声が「ジュウイチ」に聞こえることから「十一」とも言うんですよ。夏の季語にもなっているんですって。姿は見たことないんですけどきっと可愛いんでしょうね。