37th lap 最高の竜と最低の竜騎士
いや、まったく。
自分がいかに未熟な存在かというのを思い知る。カナードの日常において、そんなことはしょっちゅうだ。
僅差で及ばず、クルスに一着を許したカナードは、泣きに泣いた。何につけても、自分の甘さだ。最初からレジエッタの翼を舵取りする度量さえあれば、勝てていたのだろうか?
たらればを言っているうちは、弱者だが。
カナードは弱かった。その弱いカナードを、クルスとレジエッタは承知の上で騎手に選んだのだ。
そしてその結果が、アレだった。
事実だけを述べるなら、そういうことになる。
王城に戻ったカナードを、家族たちはひとしきり慰めてくれ、そしてその後、レイラインポータルの無断使用の件でしっかり叱りつけてきた。
法務卿の仕事をしていた姉は、カナードを呼び出し、白竜財団にまつわる書類整理を手伝わせた。白竜財団は、その役員に多くの有力貴族、商会を擁しており、これだけで政治と経済に与える影響はちょっとしたものだ。国王の仕事は、しばらく、そこから生じる混乱をおさめることに終始していくのだろう。
「そうして、オレの日常も元に戻るわけだな。コンスタンツェ」
王城の庭に出て、カナードは侍従に茶を注いでもらう。
しばらくは、ぼーっとして過ごしたい。なにせいろんなことがありすぎた。ティーカップを口元に近づけながら、カナードはコンスタンツェに尋ねる。
「そういえば珍しいなコンスタンツェ。外で茶をしようなどと、おまえから言い出すのは」
「私ではなく、ご客人の提案です」
「客人の?」
カナードは訝しげに眉を顰めた。そんな人物がどこにいるというのか。カナードが周囲をきょろきょろと見渡すと、不意に、日が陰り風が吹いた。
少し離れたところで、庭師がハサミを取り落とす。貴族の茶会が中断される。廊下でくっちゃべっていたメイドたちが、テレパを取り出して写真を撮り始める。
吹き荒れる風が、庭に出ているティーテーブルと日傘を吹き飛ばし、カップの中に入っていたお茶の中身さえカラにしてしまった。
「レジエッタ……。王城まで来るのは初めてか……?」
「GYAU」
レジエッタは軽く吠え、翼爪を庭にたたきつける。あっけない音がして、高価なティーテーブルが粉々に粉砕された。
「もういまさら何があっても驚かん。今度はなんだ。オレに用事か? すまんが、オレはひどく気落ちしているのだ。オレがあなたを負かせたなどと傲慢を言うつもりはないが、もう少しやりようはあったのではないか、とな……」
カラのティーカップを、コンスタンツェに差し出すカナード。コンスタンツェは、何も言わず、そのカップに紅茶を注いだ。
「そういえばレジエッタ、クルス殿のサインをもらい忘れ続けているのだ。オレから頼んでも返事がない。あなたから言ってはくれないか?」
「Gyaow」
「ん? なんだ」
レジエッタは、それまで自分の顎に加えていたものを、ぽいと、カナードの前に放る。
それは一本の剣だ。カナードは、それに見覚えがあった。
「銀翼剣ではないか。負けた腹いせに持ってきたのか? クルス殿も困る……ぞ……?」
剣を手に取り、検めていたカナードは、そこに以前はなかった模様があるのを見て、目を見開く。
彼の手からティーカップが落ち、庭にその中身をぶちまけて、砕ける。
模様、ではない。文字だ。癖は強いが、読むことはできる。剣の鞘に書かれたその文字を眺め、呆けたように口をあけるカナードを、レジエッタは、ずいぶん満足気に笑っていた。
そこに書かれていた文字は、こうだ。
――それはもう、あなたのものだ “クルス・バンディーナ・ロッソ”
カナードは、剣を鞘ごとぎゅっと抱きしめ、空を見上げると、かろうじてこうつぶやく。
「もっと段階を、段階を……ッ!」
ぽつりと漏れ出た言葉が、やがて快哉へと変わるまで、そんなに時間はかからなかった。
「良かったんですか? クルスさん」
ものすごい勢いで流れていく外の景色を、窓から眺めているクルス。
そのクルスに、アルマは隣からそう尋ねてきた。
「銀翼剣の話か? それともレジエッタの話か?」
「どっちもですけど」
「良いんだよ。ひとまず、俺とレジエッタの中では決着がついた話だからさ」
あのレースで勝ったのは、クルスとアルマの方だ。
終わったあと、クルスが改めてレジエッタに近づくと、彼女は翼爪を平手のようにクルスに見舞った。クルスの身体は軽くぽーんと飛んでいき、そのままリュートシティサーキットの壁にたたきつけられた。
それですべて手打ちにするということだろう。
後日、クルスとアルマは、カナードの伯父である内務卿の案内で王立公園を訪れている。クルスは、その時にレジエッタとしっかり話をし、そして彼女に銀翼剣を“返却”した。
レジエッタは、最後に自分から喧嘩を吹っ掛けて、そしてクルスとアルマに敗北した。
だからもう、クルスと飛ぶつもりはないらしい。
特別悲しむことでもないのだと、レジエッタは言った。
鉄凱竜のギグルガン、風桜竜のサヤバシリ、天紅竜のジオラス。かつて共に鞍を並べた竜たちは、みな、友との別れを経験した。500年経った今、ようやくそれが、銀翼竜のレジエッタにも回ってきたというだけのこと。
他の竜と同様、これでようやく、レジエッタは自身の生を進むことができる。
クルスが自身をふがいないと思ったのは、レジエッタにそんなことを言わせるほど情けない顔をしていたらしいということだ。だがまぁ、彼女がそうだと言うのなら、“それ”は、もう自分が持つべきではない。
銀翼剣を返却したのはそういう意図だ。
銀翼剣に自らのサインと言葉を刻んだのは、レジエッタがレースに出るつもり満々だったからだ。今度こそクルスとアルマに勝つつもりでいるらしい。ならば、この剣を次に誰に手渡すのかも想像がついた。
彼はクルス・バンディーナ・ロッソのサインを欲しがっていた。だからまぁ、サインを書いたのはほんの親切心だ。
ちなみにレジエッタはアルマのことがだいぶ気に入った様子で、いろいろと吹き込んでいる様子だった。
「そういやアルマ、おまえレジエッタになんて言われたの?」
「え? まぁクルスさんのことをよろしく、と……」
余計なことを。クルスは仏頂面で視線を窓の外に戻す。
「クルスさんは、これからどうするんですか?」
「俺かぁ……」
クルスとアルマは、王立公園を後にし、今は王都へと向かっている。
この時代の主要な交通機関は、竜車や飛竜などだが、長距離移動には鉄道と呼ばれる輸送手段が適しているらしく、クルス達がいま乗っているのがそれだ。魔導機関を搭載した先頭車両が、客車を牽引する形で線路の上を高速で走っている。
得体の知れない乗り物は不気味だったが、案外快適な旅になった。
移動手段ひとつ見ても、500年の歳月を改めて実感する。
今後どうするか、か。あまり考えていなかった。
レースに参加したのは、レジエッタと会うため。そしてアルマの手助けをするためだ。レース自体は楽しかったが、クルス本人の望みだったわけではない。
「まぁ、すぐじゃなくても良いから、他の――なんだっけ? 伝説の――」
「伝説の八騎竜、ですか?」
「そう。ほかの八騎竜にも会いたいな。あとは、竜騎士仲間の墓参りとかか。それくらいはしたいな。アルマは?」
「わたしは……やっぱりレース、出たいですね」
目を輝かせて、アルマは言った。
「レジエッタさんと競ってわかりました。やっぱりわたし、飛ぶのが好きです。それも、クルスさんと一緒に飛ぶのが。もっと速く、遠くに飛びたい。だから、レースしたいです」
「なるほど。じゃあまあ、続けるか」
アルマの言葉に、クルスは少しだけ笑う。
「良いんですか?」
「良いよ。俺のしたいことは当分時間がかかりそうだし、なんにしてもこっちで生活しなくちゃいけないし。アルマがレースに乗り気なら手伝うつもりだったし、そうじゃないなら、一緒に別の仕事するかって思ってた」
クルスの竜知識は、ずいぶんと内務卿の関心を引いたようで、こちらがそのつもりなら手伝ってほしい仕事は幾らでもあると言われた。が、この様子だと、そのお誘いは丁重にお断りすることになりそうだ。
「だからアルマ、これからもよろしく頼む。きっと長い付き合いになるからな」
そう言って、クルスはアルマのほうに向きなおり、手を差し出す。
アルマは少しだけ驚いた表情を作ったが、すぐに笑顔に戻った。
「はい。末永くお供させていただきます。あなたに言われた通りの、最高の竜として」
ここまで読んでいただいてありがとうございました
楽しんでいただけたのなら、何よりの幸いです




