36th lap ウィニング・ラン!!(後編)
《疑似祝福》の発動時間はわずかに5秒。レースの勝敗を決するには短すぎる時間だ。
経験の浅いアルマでも、それはわかっていた。
与えられた課題はふたつ。
ひとつは、その5秒で最大限のパフォーマンスを発揮する逆転の方法を考えること。
もうひとつは、その手段で逆転が可能な距離を保って飛ぶこと。
《疑似祝福》の発動によって、アルマはその5秒間だけは、取得しているすべてのスキルを使用可能になる。スロット数に関係なくだ。だが、アルマが取得済みの、あるいは当日までに取得可能なスキルを考えれば、手段はおのずと限られる。
急降下による加速に、取得済みのスキル全てを載せる。
そのために、事前にセットするスキルは、レジエッタの背後にぴたりと張り付くための<スリップストリーム>と<魔力噴射>、そして高度を稼ぐための<急上昇>に限る。
レジエッタの<魔力噴射>に合わせて上昇、コースアウト判定を3連続で喰らわないギリギリを見極め、《疑似祝福》の発動からの急降下。
この時点で、タイミングはすべて完璧にとらえられている。
クルスを信じ、翼をゆだねる。ここまで来たら、もう一気に突っ込むだけだ。アルマは、すべての風を翼に集め、地上めがけてのダイビングを決める。
負けるわけにはいかない。
―――この勝負、勝つのはわたし達だ!
眼前へ飛び込んできた白影と共に、強烈な風圧が襲い掛かる。それは、レジエッタの力強い羽ばたきを阻害するものでは一切なかったが――アルマファブロスの加速は驚異的だった。
レジエッタを追い抜き、ゴールへめがけてまっすぐに翔け抜けていく、純白の飛翔。その後ろ姿を見るにつけ、カナードは近づいていたゴールラインが、みるみるうちに遠ざかっていくような感覚を覚える。
《魔力噴射》を使用した直後だ。これを使用した再加速は不可能。
負ける。レジエッタが、負ける。
騎手たる自分の采配ミスだ。カナードはまたしても、誰かの期待を裏切った―――。
そう思いかけたとき、カナードはハッと顔をあげた。
すべて騎手たる自分の采配ミス? 本当にそうか? このレースの間、飛び方も、スキルの使用タイミングも、すべてはレジエッタの判断で行われた。素人である自分がレジエッタに指示することなど何もないと、無意識にそう認めていた。
このレースはレジエッタのレースだ。
だから、レジエッタ自身が、彼女の飛び方をするべきなのだと。
「オレは――馬鹿かッ!?」
カナードは叫んでいた。
なぜ、このレースがレジエッタのレースだと思っていた?
なぜ、判断をすべて彼女に委ねていた?
なぜ、それで勝てると思い込んでいた?
――竜は騎手のことを信じて飛ぶしかない
クルスの言葉が、カナードの心に甦る。
騎手。そう、騎手だ。カナード・バンディーナ・レイセオンは今、竜騎手だったのではなかったか!? 子供の頃に憧れ、夢見た伝説の竜騎士は、大人になってもなおも憧れ、手を伸ばそうとした竜騎手たちは、一度でもその責任を放棄し、翼を竜任せにしたことがあったか!?
レジエッタのタイミングなど、クルスはお見通しだ。だからこそ、あそこはカナードが指示をするべきだった。
クルスはそれすらも読み切っただろう。だが、それでもわずかに、前か後ろに、タイミングはずらせたかもしれないのに!
「Gr……?」
レジエッタが反応し、わずかに首を上げる。
彼女は懸命に翼を動かし、目の前のアルマに追いすがろうとしている。レジエッタはまだ、勝負を諦めてはいない。拳を握り、カナードは正面を睨む。
レジエッタを勝たせたい? 傲慢も甚だしい。
いつからこのレースは、彼女だけのレースになったのだ?
このレースを出るにあたり、レジエッタがその背を許したのは誰だ?
ともに空を翔けることを許したのは誰だ?
レジエッタはクルスの竜だ。だからと、ずっと遠慮をしていた。あの人よりも彼女のことが理解できるはずがないと。あの人よりも彼女が自分を信頼をしてくれるはずがないと。だが、一番彼女のことを、そしてカナードのことを信頼していなかったのは、この大馬鹿者に他ならないのではないか!
「くそ、くそ、くそ、くそ、くそ! だからお前は未熟なんだ、カナード!」
頭を振り、身をかがめる。ゴールまでの距離はあとわずか。だが、まだだ。まだ、手遅れではない。
「すまないレジエッタ! あなたの信じてくれたオレを、オレは信じようとしなかった。だが、まだ、あなたが勝利を諦めていないのなら――! あなたの翼を、この馬鹿者に貸してくれ!」
「Grrr……!!」
レジエッタが低い唸り声と共に、頷くのがわかる。
アルマファブロスの背中は遠い。だが、まだ勝てる! クルスが知っているのは、クルスの駆るレジエッタだ。だからこそ、定石を外して仕込んだ秘策のことなど、彼は知る由もない。
「レジエッタ! <全力噴射>オン!!」
子供の頃から、ずっと憧れていた。
クルス・バンディーナ・ロッソの竜騎士伝説に。彼を背に乗せて飛んだ伝説の銀翼竜に。
その伝説の竜騎士と競っているのだ。自分の敵はあのクルスなのだ!
それでも絶対に負けられない。その背を預けてくれた竜に、誰より誇れる自分であるために!
『加速だぁぁっ! レジエッタ、ここで再加速だッ! これまでとは比べものにならないスピード! 全身を纏う炎は、<魔力噴射>の比ではないぞ!? あれはいったいなんだーッ!?』
「あれは……<全力噴射>!!」
辺境伯が、思わず車椅子から立ち上がる。肥えた身体がよろけるのを、コンスタンツェが支えた。
王族たちは、食い入るようにレースの顛末を見届けている。
「魔力だけではなく、竜の持つすべてのリソースを加速力に回す、<魔力噴射>のオプションスキル! レジエッタの三つ目のスキルはそれだったのか!」
だが、<魔力噴射>とは異なり、使用後、レジエッタには運動の為のあらゆるエネルギーが残らない。《魔力反応炉》の適用外でもあるため、効果が切れれば、その時点でレジエッタは、自動的にレースから脱落する。
このスキルを最後っ屁に仕込むレーサーがいないわけではないが、<高速飛行>を抜いてまで入れるとは。
「カナード、がんばれー!」
「カナちゃーん!」
「負けんじゃねぇぞーっ!」
「それでこそ、ワシの息子じゃ!」
「まさか<全力噴射>とはな! やるじゃないか、カナード王子!」
「<古代竜の直系><大戦経験>を有するレジエッタは、<高速飛行>がなくても十分なパフォーマンスを発揮できる! むしろ恐れていたのは、クルス・バンディーナ・ロッソ! 終盤にあなたが持ち込んでくるであろう奇策だった!」
アルマファブロスに追いすがるレジエッタの背で、カナードが叫ぶ。
「どのような奇策で来ようと、それを力でねじ伏せるための手段! オレなりに考えたあなたへの対抗策が、これだッ!」
レジエッタは、ついにアルマの横に並んだ。ため込んだ加速力はアルマのほうが上、だが、この瞬間、レジエッタはさらに速度を増していく。
「抜かせるな、アルマ!」
「ぎゃおう!」
「追い抜け、レジエッタ!」
「GYSHAOH!」
ついに、レースは最後の直線を終える。両者は翼を広げ、急カーブを曲がる為、翼を垂直に立てる。この瞬間、レジエッタの翼の先端部が、わずかに地面をこすった。
「くっ、レジエッタ……!」
「今だ、アルマ!」
レジエッタの翼開長は20メートル、サーキットチューブの半径も20メートル。地上からチューブの頂点まで、レジエッタの翼はギリギリ収まる長さだ。コースアウトを意識しすぎると、レジエッタの翼は地面に接触するリスクがある。
このわずかな接触の隙、アルマはレジエッタの頭上を旋回、一度は並んだ彼女を再度引き離す。
『アルマファブロス、抜かせなぁーいっ! ゴール直前の攻防! 小柄な体格を活かし、アルマファブロスがコーナーでトップをキープ! そのままゴールまで―――』
――ああ、結局あなたは、いつもそうやって
鼻の先を飛んでいく背中を追いかけて、彼女は笑った。
――その背に、私を追いつかせてはくれないのだ
何よりも純粋な一瞬。刹那が永遠へと引き延ばされる。
音さえも置き去りにした世界の中で、彼らはゴールラインを飛び越えた。
『―――届いたァァァーッ! 白い超新星アルマファブロス! 必殺技ファルコンダイブを引っ提げて、いま、ゴォォォ――――ルインッ!!』
次回、最終話です




