35th lap ウィニング・ラン!!(中編)
アルマの身体が無色の、レジエッタの身体が赤色の魔力に包まれる。
最初の600メートル直線は、どちらも急加速からの最高速勝負に出た。レジエッタの強みがこれだ。本来、連射が効かないはずの<魔力噴射>を、レジエッタの持つ豊富な魔力量をそのままに、レース中何度も使用することができる。
竜自体の地力差もあり、レジエッタの巨影はアルマを悠々と抜き去った。
「見て、陛下! カナードがやったわ!」
「カナちゃんかっこいい~!」
「そのままぶっちぎれー!」
「それでこそ、ワシの息子じゃ!」
レジエッタの最高速に、アルマファブロスがついていける道理はない。このまま距離が開くのは明白かと思われた。
しかし、アルマの矮躯は銀翼竜の背後にぴたりと張り付く。長く伸びた尾の直上。白い竜は、レジエッタの速度に食らいついた。
「<スリップストリーム>……!」
車椅子に座ったグリスバーグ辺境伯が、膝を叩く。
観客席の王族が一斉に、辺境伯のほうを向いた。
「どういうことですか!?」
「カナちゃんは勝てるの!?」
「辺境伯、解説をしろ解説を!」
王族から向けられる圧に冷や汗をたらす辺境伯だが、すぐに汗をぬぐって説明をする。
「高速で移動する物体は、常に空気の抵抗を受けます。ですが例外的に、その抵抗の薄い場所がある。それが、その『高速で移動する物体』の真後ろなのです。その位置で余力を溜めたり、相手の加速についていく技法のことをスリップストリームと言い、その技法を強化する同名のスキルが存在するのです」
グリスバーグ辺境伯は、極光映晶に映し出された両者を見て、目を細めた。
「<スリップストリーム>スキルを有しているからこそ、アルマファブロスはレジエッタに食らいついていけている。ですが両者のスペック差を考えれば、抜き去るにはまだ工夫がいるでしょうな……」
『さぁ! 最初の直線を制したのはレジエッタだ! だが、アルマファブロスもスリップストリームで懸命に食らいついていくぞ!』
ドラグナーレースでのスリップストリームを実現するには、いくつかの条件を必要とする。
まずは、体格差だ。竜は個体差の大きな生物であり、その体格も千差万別である。自分より小さな相手の背後についても、こちらの身体がスリップストリームの範囲からはみ出してしまう。
くわえて、竜種のタイプ。翼開長が広く、また低空飛行に適さない飛竜は、横に細く地上を走る走竜や牙竜の背後をとることは難しい。
だが逆に、その条件を満たせば、スリップストリームを使うことはできる。レジエッタはアルマにとって、それを試すのに絶好の相手であった。
「まさか、俺の人生でレジエッタのケツに張り付くことがあるとはな!」
「ぎゃう!」
「下品だったか? そりゃ悪い!」
レジエッタの巨影は、アルマにとっては絶好の防風壁だ。空気抵抗を受けない分、体力の消耗も少ない。
「問題はここからの追い上げだが……」
それに対しても算段はある。しかし、まだ勝負をかけられるタイミングではない。
コーナリング自体は、体格の小柄なアルマに若干の分があるが、レジエッタが得意とする<曲芸飛行>は、この先に控える連続カーブに強い。そこで引きはがされないよう、食らいついていく必要がある。
「あとの課題は、最後の直線1800m……! おそらく、レジエッタはそこまでに<魔力噴射>の再充填を終える!」
<魔力噴射>は、後方に向けて自身の魔力を高出力で噴射し、加速を行うスキルだ。
すなわち、このとき後ろに張り付いている竜は、正面から魔力流の直撃をもろに食らうことになる。そう、<魔力噴射>を使用した瞬間だけは、スリップストリームが無効化されるのだ。
レジエッタが<魔力噴射>を使用するタイミングを見極め、その直前にスリップストリームから抜ける。
「勝負をしかけるのはそこだ! わかってるな、アルマ!」
「ぎゃおう!」
「オーケー! 今は我慢だ、いくぞ!」
「この勝負、勝てる……!」
レジエッタの背で手綱を握りながら、カナードはそう確信した。
事前に幾らかの作戦は考えていたが、レジエッタの地力はそんなものを必要としないほどにすさまじかった。<魔力噴射>の加速に始まり、その後のコーナーでも危なげなく機動力を発揮する。
背後にアルマファブロスがスリップストリームでついて来ているが、これは最後の直線、<魔力噴射>を使うことで引きはがせる。
「さすがだ、レジエッタ! あなたの望むままに飛ぶと良い!」
「Grrr……!」
カナードの声に、低いうなり声で応じるレジエッタ。
子供の頃に憧れた銀翼竜の背は、カナードの手には余るほどに広い。広げた翼の思うままに風を感じるだけで、カナードは無限の高揚感を覚えていた。
この勝負はレジエッタの勝負だ。彼女をクルスに勝たせる。その為に、カナードは今ここにいる。それを忘れるつもりはない。
アルマファブロスの食らいつきは激しく、連続コーナーにおいても距離はさほど開かない。勝負はそのまま、最後の直線へと持ち越された。
「レジエッタ、<魔力噴射>を使うタイミングはあなたに任せる。最適だと思う場所で加速してくれ」
「Gyshaohh!!」
返事をするレジエッタ。彼女はそのままコーナーを曲がり、目の前には2キロ近くに及ぶ、最後の直線コースが開けた。
『レジエッタ、トップを維持したまま、ついに最終直線へと突入だぁ! 背後で不気味な沈黙を保っているアルマファブロス! どこで一体勝負に出るのかぁっ!?』
レジエッタが、ちらりと赤い瞳を背後に配る。アルマファブロスは真後ろを飛んでいる。ゴールまでの距離は近づいている。
銀色の甲殻を、真っ赤な魔力が覆い隠す。加速による衝撃が、カナードに襲い掛からんとした。銀翼竜が、<魔力噴射>を切り、勝負に出る。
「甘いな、レジエッタ!!」
背後から、クルスの力強い叫びが届く。
「アルマ、<急上昇>!」
「なっ……!」
レジエッタの身体から放たれた魔力流を避けるように、アルマファブロスの白い身体が急上昇する。蒼穹めがけて駆け上がるアルマ。コースチューブの頂点をぶち破り。勢いよくコースの外へと飛び出す。
<急上昇>だと。<魔力噴射><スリップストリーム>に加え、3つ目のスキルが<急上昇>!?
カナードは困惑と共に、空を駆けあがるアルマファブロスを見上げた。
『アルマファブロス、コースアウトだぁぁっ! これは何かの作戦かぁぁっ!? 10秒以内に戻らなければ、3連続コースアウトの判定を食らって失格になるぞっ!!』
速度と高度が頂点に達し、アルマファブロスの身体が遥か上空で静止する。
そのタイミングを見計らったかのように、クルスは右腕を掲げた。“鍵”をアルマの手に当て、叫ぶ。
「《疑似祝福》、起動!」




