34th lap ウィニング・ラン!!(前編)
翌日、リュートシティサーキット。
そこに現れた人物を見て、クルスとアルマは、あんぐりと口をあけた。
「絶好のレース日和ですな。本日は貸し切りです。思う存分、飛ばれるとよろしい」
でっぷりと肥えた腹、たるみ切った顎、好々爺然とした、人の好さそうな笑み。
「ぐっ、ぐぐ、グリスバーグ辺境伯!」
「お身体は大丈夫なんですか!?」
辺境伯は車椅子に座り、にこにこと笑ったまま答える。
「アルマさんとレジエッタ、クルスさんとカナード殿下のレースですぞ? 棺桶の中でおちおち寝てもいられますまい。冥府の王に全財産を支払っても見に来るべきでは?」
この人、マジモンのレースキチだな……。
自分で車椅子を動かしながら、グリスバーグ辺境伯は観客席へと向かっていく。今回はVIPルームではなく、一般観覧席からの観戦をするようだ。
どうもあの様子だと、辺境伯はアルマの事情についておおよそ知ったようだ。まぁ、辺境伯は巻き込まれて生死の境をさまよった立場である。事情をつまびらかにするくらいの誠意は必要だろう。
辺境伯の言葉通り、サーキットは貸し切り。観客席はがらんとしたものだ。今回のレースはあくまでも個人的に行われるもので、オフィシャルなものではない。まあ、それは良いのだが。
「なんであの人までいるんだ……?」
「さあ……」
クルスは首を傾げる。アルマもそれに倣った。
視線の先には、燕尾服に身を包み、アイマスクをつけたショートヘアの女性。ドラグナーレースの名実況者であるウォーカーだ。彼女はクルス達の視線に気づくと、振り向き、片手をあげて言った。
「レースと聞いて飛んできたとも! 実況は任せてくれたまえ!」
「だからなんであんたがいるんだ!」
それに対する答えは、意外な方向から飛んでくる。
「あいつは、うちの宮廷道化師でな」
「カナード王子」
サーキットに姿を見せたのは、本日の対戦相手。すなわち、カナード・バンディーナ・レイセオン。彼はサーキットの芝生を踏みしめ、ゆっくりとクルス達のほうへと歩いてくる。いつも後ろをついてくる侍従の姿はここにはなく、観客席に確認することができた。
「竜への造詣が深いので、この仕事をやらせているのだ。道化ゆえに道化のような言動をすることもあるが、おおよそなんでもお見通しという、まあ食えん女だな。どこからか聞きつけて飛んできたのだろうよ」
「なるほど」
クルスは腕を組んで、これまで積極的に視界に入れないようにしていた、観客席の一角をちらりと見る。
「じゃあ王子、アレは?」
「多分、その“どこか”がアレだな……」
そう言って、カナード王子は自らの額を押さえていた。
クルスの見た観客席の一角。そこには、数人の男女が固まって座っており、『カナちゃん頑張れ』と書かれた横断幕を掲げている。ラフな装いだが身に着けているものの質はそれなりに高そうだ。
「左から、国王、第一王妃、第二王妃、財務卿、内務卿だ。法務卿をしている方の姉上は、白竜財団の事後処理が忙しくて来れなかったようだな」
「楽しそうなご家族ですね」
アルマがにこにこしながら言うが、カナード王子は頭痛がやまなそうだ。
「オレがレースに出ると言ったら、止めるどころか応援に来ると言ってな……。あんな横断幕まで……いつの間に……」
「大丈夫ですよ、王子!」
拳をぐっと握って、アルマが言う。
「レースが始まれば、何も聞こえなくなります! パートナーの吐息と鼓動、風を切る音。耳に入るのはそれだけです! 視界に入るのはコースと、それを競る相手。どこよりも純粋な世界です!」
「アルマ殿……」
彼女の言葉に、虚を突かれたような表情を見せるカナード王子。クルスは、そんなことを言うアルマの頭をぽんぽんと叩きながら、苦笑いを浮かべた。
「まぁ、最初はそれでいいかもしれないが、王子」
クルスは、カナードの顔を正面から見る。
「一度レースが始まればそういう状態になるんだ。何も見えない、何も聞こえない。そんな中で、竜は騎手のことを信じて飛ぶしかない。そのことだけは、忘れないでくれ」
「………」
表情を引き締め、静かにうなずくカナード。
「わかった、クルス殿。全力でぶつかろう」
「ああ。まあ、どっちかというと、こっちがチャレンジャーなんだけどな……」
そう言って、クルスは空を見上げた。
日が陰り、蒼穹を巨影が覆いつくす。誰もが空を見上げ、そこに悠然と翼を広げる、白銀色の飛竜を見た。火の精霊に愛されし空の王者。それは、巻き起こる風圧で地面を叩きながら、サーキットの芝生に降り立つ。
レジエッタ。
クルスの知る限り、誰よりも強く、誰よりも速く、誰よりも美しい飛竜。
そいつと、これから競う。レジエッタは本気だ。本気で、このレースでクルスを無様に負かす気だ。そういう感情表現しかできない女なのだということを、クルスはよく知っている。
ここまでくれば、言葉はいらない。
クルスとレジエッタは互いに視線を交錯させ、それで十分だった。
『さあ、始まるぞ! カナード・バンディーナ・レイセオンvsクルス・ファブロス! 銀翼竜のレジエッタvs白い超新星アルマファブロス! 王国でもっとも古き竜と、もっとも新しき竜! ずぶの素人vs期待の超新星! 誰もが実現すると思わなかった、夢のカードがここにある! 全国のレースファンのみんな! この光景を独占する我々を許してくれぇっ!』
悔しいが、ウォーカーの実況が始まると、もうすぐレースが始まるのだと実感できてしまう。この対戦カードをこれでもかと盛り立ててくれる。
「ずぶの素人vs期待の超新星だと?」
だが、それを聞いて、カナード王子はずいぶんと苦々しい顔を作っていた。
「それならどれほど良かったかな! まったく、実態はもっと酷いものだ! オレは今から伝説の竜騎士にレースを挑もうとしているのだぞ!」
「お手柔らかに頼むよ、王子」
「こっちのセリフなのだが!?」
リュートシティサーキットのスタートラインに、アルマとレジエッタが並ぶ。
「カナード、頑張って~!」
「カナちゃーん!」
「ファイトだぞー!」
「それでこそ、ワシの息子じゃ!」
観客席の一角がやたらとうるさい。こういうのもアウェーと言うのだろうか。カナードはレジエッタの背で頭を抱えていた。
レギュレーションは、このリュートシティサーキットを1周。24000メートルのレース。パブリックレースと同じだが、初めて飛ぶ王子にはやや厳しいだろう。だが、そこを遠慮して勝てるレースでないのも確かだ。
「レジエッタ、よろしく頼む」
「Grrrr……」
銀翼竜の背に乗ったカナードが、どこか緊張した声で言い、レジエッタはそれに対して低いうなり声で応じた。
「訓練通りに飛べばいい。アルマ、おまえの翼を信じている」
「ぎゃう!」
首の後ろあたりを軽く叩くクルスの言葉に、アルマは元気よく返事をした。
『それではみんな、準備はいいかっ!? レーススタート10秒前!』
ウォーカーのカウントダウンが始まる。アルマもレジエッタも姿勢を低くし、体勢を整えた。
『ドラグナーレース! レディイイイイイイイ、ゴオオオォォォ――――――ッ!!』
翼を広げる二頭の飛竜。
片や翼開長20メートル、片や8メートル。全長にして14メートルと6メートル。2倍以上の体格差でありながら、その出だしにおいて、両者に一切の差はなかった。二人の騎手は、正面を向き、どちらも相棒に呼びかける。
「アルマ!」「レジエッタ!」
「「<魔力噴射>だ!!」」




