33rd lap 決戦前夜
「殿下、あまり遅くまで根を詰められると、お身体に障ります」
カナードは机にかじりついて必死に勉強をしている最中、コンスタンツェは彼のもとに夜食を運んできた。
リュートシティホテルの最上フロア。彼が一年中リザーブしているその部屋だ。天井が高く、大型飛竜も格納できるこの部屋だが、レジエッタは室内には入り込んでいない。彼女はホテルの屋上で翼を休め、夜風に当たっている。
「そうは言ってもなコンスタンツェ、なにぶんレースに出るのは初めてなのだ。ましてあのレジエッタの騎手だぞ? 無様は晒せん」
「では、ご無理はなさらぬ程度に」
そう言って、夜食のサンドイッチを、カナードの机に置く。
カナードは腕を組んだまま、憮然とした表情でコンスタンツェを見上げた。
「その言葉、どこまで本気だ? おまえがあんなことを言ったから、オレはこうしているのだが?」
――そろそろ、やりたいことをやってみては、いかがですか?
あの言葉は、それまでずっと王室の一員として正しくあろうと努めてきたカナードの矜持を粉砕するに、十分足るものだった。
いちど矜持が砕ければ、堰を切って溢れ出す想い。
コンスタンツェの言葉が、最後の一押しをしたと言っても過言ではない。
「殿下が無理をなさらぬようにお手伝いいたしますのが、私の仕事でございます」
「あの場で断る方がオレにとっては無理であったと? それはまあ、そうであろうな……」
子供の頃から憧れていた竜に乗り、子供の頃から憧れていたレースで自分と競えと、子供の頃から憧れていた竜騎士に言われた。もう、首を横に振れるわけがない。
だが同時に、不安もカナードに襲い掛かってくる。
彼らの期待に、自分は答えられるのか?
王族としてのカナードは、家族の期待を裏切り続けてきた。短慮ゆえ政治家には向かぬと、家の誰からも太鼓判を押された。クルスとレジエッタの期待を裏切るかもしれないという恐怖は、家族に対するそれよりも、はるかに強い。
「ならば、オレができることとはなんだ……?」
クルスはレジエッタのことを100%理解している。
彼女の強みも、弱みも。その強みを封じるだけの策を講じて、勝負に挑んでくるだろう。たとえレース中であっても奇策を講じ、それを竜に伝えて実行に移す。その強さと恐ろしさは、カナードもサーキットで目の当たりにしている。
そのクルスに勝つために、カナードができること。
コンスタンツェの運んできたサンドイッチをほおばりながら、カナードは新品のコンソールを起動した。
「ずいぶん大変な一日だったな……」
机に向かってコンソールをいじくりながら、クルスは呟く。
レジエッタとの再会から、アルマの救出。そしてそのままレースの約束まで。イベントが多すぎていささか疲れてしまった。
が、だからといって、調整を怠る理由にはならない。
レース自体はけじめをつけるためのものだとして、だからこそクルスとアルマは負けるつもりはない。全力で勝つために戦うべきだ。
レジエッタは強敵だ。基礎スペックで劣るアルマは圧倒的に不利である。
両者が飛竜であるからこそ、その対比は如実なものになる。
「それを打開するために、今の俺に必要なのは……」
アルマのことを、より深く理解することだ。
白竜財団の一件が片付いたことで、コンソール上に表示されたアルマの最後のマスクデータが開示された。
《疑似祝福:完全兵器》。
人造竜種であり、精霊による祝福を与えられなかったアルマに付与された祝福の代替品。起動が不完全であったそれは、『鍵』の魔法刻印を持つクルスとの接触によって、意図せず覚醒を果たした。
「因果を感じるよなぁ、まったく……」
結局、500年前からの因縁に繋ぎ止められて、今ここにいるわけだ。
本来のペルフェクティオは、自己修復機能・自己進化機能を備えた“帝国”の完全兵器だ。アルマに搭載されている疑似祝福は、それを再現するもの。だが、後世に歪められた伝承を参考にしているためか、アルマのペルフェクティオは最終的に暴走形態へと移行するようになっている。
こんなものをアルマに使わせるわけにはいかない。
クルスはテーブルの上にコンソールを置き、天井を眺めていた時だ。
「クルスさん、自主練、おわりました!」
首にタオルをひっかけたアルマが、屋外から戻ってくる。
「おぉ、おかえり」
戻ってきてすぐ、アルマは家の外に飛び出し、自分で飛行訓練を始めた。あのときはレジエッタに気おされていたように見えたのだが、今はずいぶんと気合が入っている。
「それ、わたしの“祝福”ですか?」
後ろから、机の上のコンソールを覗き込んで、アルマが言う。
「ああ、うん。祝福って言って良いのかはわかんないけど」
「それを使えば、レジエッタさんと競り合えますか?」
「アルマ」
彼女の言葉に、クルスは振り返る。アルマははっとして両手を突き出して左右に振った。
「あ、ち、違うんです! あの、自棄になって言ってるとかじゃないんですけど! でも、やっぱりその、気になって」
「俺はこれ使うの反対だ。危険だし、そもそも竜を兵器扱いしてるもんだぞ。気分が良くない」
仏頂面を作るクルスとは対照的に、アルマは穏やかな笑みを作った。彼女は、テーブルの上に放られたコンソールを拾い上げる。
「わたしはそんなことはないです。だって、わたしは兵器じゃないし、ペルフェクティオでもない。わたしは竜ですよ。クルスさんがそう言ってくれたんです」
彼女の言葉に、クルスはしばし、黙り込む。その代わり、視線をじっとアルマに向けた。
「わたしを造った人の思惑がどうであれ、もうそんなことどうでもいいんです。わたしにとっては、クルスさんがわたしを助けにきてくれて、わたしを最高の竜だと言ってくれたって時点で、そんな話終わってるんです。だったら、わたしは、わたしに与えられた力をすべて乗りこなして飛びたいじゃないですか」
「アルマ」
「それをしないで勝てる竜じゃないんです。レジエッタさんは」
ぐっ、と拳を握るアルマ。クルスは頭を掻いた。
「与えられた力、か……」
そんなポジティブに捉えることはできない。
だが、そう思うクルスの顔を、アルマは横から覗き込んだ。
「……クルスさん。今の私の姿だって、竜のときの姿だって、全部、作られたものなんですよ?」
「アルマ」
「それとも……」
そう言いかける彼女の額を、クルスは苦笑いしながら押さえ込む。
「わかった」
そこから先を言わせてしまうようなら、クルスは彼女の竜騎手としては失格だ。
確かに、アルマの言う通りだ。
彼女がどんな力を持っていようと、それがどのような意図によって創造されたものであろうと、それらすべてをひっくるめて、アルマファブロスというひとりの竜なのだ。それを否定することも、隠すこともできはしない。増して、彼女が自身がそう認めているのなら、なおさらのことだ。
竜騎手として、いま、クルスがすべきこと。
それは、彼女のすべてを乗りこなして、銀翼竜のレジエッタ相手に、勝利をもぎ取ることだけである。
「でも、くどいようだが、危険だぞ?」
「え、ええと、それはまぁ、はい! でも、ジョニーさんとファイヤーボールさんに勝った時だってメチャクチャ危険でしたし!」
「ま、それもそうか」
ずいぶんと勝利に対して貪欲になったものだ。公衆の面前で劇的な勝利を飾っても、きょとんとしていたあのアルマが。
きっと、この子なりの、意地の張り方なのだ。と、クルスは思った。
「わかった。簡単に説明するところから始める」
「はい!」
「《疑似祝福:完全兵器》は、任意発動型の自己強化能力だ。でもリスクを考えると1日1回、5秒の発動が限度だな。それを超えるようなら、俺が『鍵』で強制停止する」
自己修復による継続的なリジェネ。自己進化によるスロットの無限拡張。拡張されたスロットには、取得しているスキルが自動でセットされる。つまり、アルマは疑似祝福の発動中は、取得しているスキルをすべて使用することができる。
強化能力としては破格だが、継続時間を考えればトントンだ。必ずしも無敵の祝福たりえるものではない。まして相手があのレジエッタともなれば。
「と、いうわけで、勝ち筋を掴むためにどうすればいいかを考える」




