31st lap わたしはとびたい
空間が歪む。地下の壁や床、天井がきしみ、ひしゃげていく。
歪んだ金属片が集まり、ひとつの竜の姿を形成していくのがわかった。だが、それが完成するよりも早く、レジエッタの吐き出した火球が、金属片の竜を粉々に打ち砕く。
あの時とはあまりにも状況が違う。この狭い地下施設の中では、クルスは不格好に走ることしかできない。だが今は、横を共にレジエッタが走っている。
「Grrr……?」
「あぁ!? このタイミングで何をふざけたこと言ってんだ!」
並走しながら軽口をたたくレジエッタに、クルスは叫び返す。
さよならを言ったあとに、おめおめ再会する気分はどうだ、と来たものだ。マジで今言うことではない。
「悪かったと思ってるよマジで! でもさ、ああいうタイミングで恰好つけたがるのが男なんだ! ああわかってる、おまえを500年も独りにするなんて思ってなかったし、こうやって生きて再会しちまうんだからマジで最悪だ!」
「Gyashaoh……?」
「ああ、そうだよ! 俺はアルマを取り返すために必死になってるよ! 悪いか!? おまえのパートナーはそういう男だったんだ!」
ふっと笑うレジエッタ。
白い渦に囚われたアルマの身体は、もはや目前に迫る。クルスとレジエッタは互いに目配せをし、レジエッタがその身を低く掲げた。クルスは、前肢から彼女の身体を駆けあがり、背中、首筋、額、そして鼻先へと駆けていく。
右手には赤く脈動する魔術刻印。それを掲げ、渦の中心へと飛び込んでいく。
「アルマァァァァァァァッ!!」
クルスの叫び。渦の中心で痛みに耐えていた少女が、うっすらと目を見開く。
「クルス……さ……」
渦に飛び込んだクルスの両腕が、アルマの身体を抱きすくめる。赤い魔術刻印が施された腕が、その小さな肩へと触れる。クルスの腕には、懐かしい激痛が走った。真っ白になりそうな頭で、必死に意識を保つ。
「GUAOW!!」
渦に飲み込まれそうになるクルスの身体を、レジエッタの足が鷲掴む。彼女はもう片方の足で研究施設の天井を掴み、さらに前肢の翼爪と牙を食いこませ、その場に踏みとどまった。
「どうして……」
アルマが呟く。
「レジエッタさんにはもう会えたじゃないですか……」
「その答え、どうしても言わなきゃダメか!?」
か細いアルマの言葉に、クルスは大声で尋ね返した。
薄々、彼女はそう言うだろう、という予感がクルスにはあった。
思えばあのパブリックレースが終わった時からずっとそうだ。アルマは一度として、自身の勝利を喜んだりはしなかった。クルスが勝ったことを喜んでいた。クルスがレジエッタに会えることを喜んでいた。
ずっと、クルスの役に立てることを喜んでいた。
立派だよ、本当にそいつは立派な志だ。
だがそれだけか? おまえの価値は俺の役に立つことだけか?
辺境伯のお屋敷で急にお茶に興味を示したのだって、レース以外の方法で、クルスを喜ばせる手段を探していたからじゃないのか。クルスがレジエッタに会えたあと、自分にできることは何もなくなると思っていたからじゃないのか。
ふざけるんじゃないよ。
それを知らずに消えるつもりか?
ここで『どうして』と尋ねるのはそういうことだろう。
ふざけるんじゃない。
「俺言ったよな!?」
クルスは声を張り上げる。
「おまえとレースするの楽しかったって! おまえは楽しくなかったのか!? おまえはもう俺が嫌か!? ろくな男じゃないから二度と会いたくないって!?」
「GyaoGyao」
「レジエッタは黙ってて!」
アルマの細い腕が、クルスの背中に回る。クルスが抱きしめるよりもずっと弱々しい力が、しかししっかりと彼の身体を捕まえて放さない。
「そんなわけ、ないじゃないですか……!」
「レジエッタには会えたよ! だからなんだ! 俺はまだ約束を果たしてねぇ!」
「そん……」
言いかけたアルマの言葉を、クルスが遮る。
「おまえ言っただろ! ”勝たせてくれませんか?”って!」
それが、クルスとアルマが最初にした約束だった。
「一緒に勝とうって言っただろ! まだ俺しか勝ってねぇんだよ!」
叫び続けるのもそろそろ限界だ。正直、身体が辛いので大声を出して誤魔化している面もあるが。
弱々しかったアルマの腕に、少しだけ、力が入るのがわかった。
「良いんですか……わたしがそんなことを望んで……レジエッタさんの前じゃないですか……」
彼女の声は、涙に震えている。
この間にも、クルスは魔術刻印を通して、解除キーの情報を白い渦に流し込み続けている。このままいけば、完全兵器の暴走を収束させることは可能だ。だが、その本体であるアルマが強く意識を保たねば、白い渦と共に彼女だって消えかねない。
「なんだ? これも前言ったぞ。レジエッタに遠慮してんのか? 良いんだよ望みを言え。レジエッタは怖い女だが空気は読む」
「ッ……!」
息を呑むアルマ。次の言葉が出てくるまでには、まだ迷いがあった。クルスが肩を抱く指に力を籠める。
「わたし、また飛びたいです……!」
やがてアルマは、絞り出すように叫んだ。
「わたしは、また飛びたい! クルスさんと一緒に! だってわたし、言ってもらったから! 最高の竜だって! クルスさんに!」
「そうだ、おまえは最高の……いや断言する! おまえは最高の竜だ! いたっ、いたたたたっ! 爪が! 腹に! 食い込んでいる!」
レジエッタの握力に内臓が飛び出る思いだったが、それでもクルスは答える。
「おまえがそう言ってくれるなら、俺はいくらでも、おまえの助けになってやる。だから待ってろ、アルマ!」
「はいっ……!」
あとはアルマの中の、聞き分けのない完全兵器を黙らせるだけだ。
白い渦に突っ込んだ腕の痛みは焼けるほど。その魔術刻印に、アルマがそっと手を重ねる。
「Grrrr……」
クルスの腹を掴んでいたレジエッタも、鋭い爪のついた指を、器用に伸ばして重ねてきた。
「これで……終わりッ……!」
永遠にも思える長い時間だったのか、それともほんの一瞬のことだったのか。ついに白い渦は収束を始める。その瞬間、周囲のものを吸い込む渦の力が増した。
レジエッタがクルスとアルマの身体を、無理やり渦から引きはがし、そしてついに、渦は消滅した。
「うおおっと……!」
勢いあまって、レジエッタはクルス達の身体を宙へと放る。クルスはアルマの身体を抱きかかえたまま、金属製の硬い床の上を転がった。腕の中で、アルマが身をすくめている。
「く、クルスさん、大丈夫ですか……?」
「大丈夫だ。身体は頑丈にできてるんだよ。なあ、レジエッタ」
クルスが見上げると、レジエッタは巨大な翼を広げてゆっくりと着地した。
「Gyaoh」
「だから悪かったって」
レジエッタの弁は憎まれ口だ。
的確にクルスの言われたくないことを言ってくるあたり、500年経っても性格の悪さは相変わらずと言える。しかしクルスは自分に非があることを理解しているので、それ以上は言わない。
「すてきな竜ですね、レジエッタさん」
アルマが笑って、レジエッタを見上げる。レジエッタはふっと笑って、胸を張るように身体をそらせた。
レジエッタはアルマを見下ろすと、目を細めてからクルスを見、そしてまたアルマを見る。
「Grrr……Grauguoh」
レジエッタからアルマに向けられた言葉は、忠告。あるいは、覚悟を問う何かだ。アルマはレジエッタをまっすぐ見据えて、頷く。
「でも、わたしは、そんなクルスさんに助けてもらったんです。そんなクルスさんと一緒に飛びたいんです。レジエッタさんも……そうじゃないんですか?」
「………」
レジエッタは、アルマの言葉に、明確な返事をしなかった。ぷい、と視線をそらし、遠くを見る。
問題はここからだな、とクルスは思った。
レジエッタは、過去をうやむやにして水に流すような女ではない。クルスを喜んで背に乗せ、500年ぶりに空を飛んでくれた。アルマを助けるために力を貸してくれた。だが、それはそれだ。これで、クルスがレジエッタのした仕打ちが、消え去るわけではない。
けじめは、つけないといけない。レジエッタの、望む方法で。




