29th lap キャットファイト(ただし竜の)
白竜財団役員にして、タラスクス商会会長マティアス・タラスクス。
彼は、自慢の片眼鏡が外れていることすら気づかず、その光景を茫然と見送っていた。
曾祖父の代より、タラスクス商会と共にあり、その躍進を影で支えてきた巨竜、蛇竜ティターニア。巨人の娘という名前にこれ以上なくふさわしい巨躯に成長した彼女は、商会の繁栄の象徴であり、そしてまた、商会に仇なす敵を人知れず始末する暗殺者でもあった。
地の精霊の加護を受け、《無音潜航》の祝福を持つティターニアは、音もなく相手に忍び寄り、飲み込み、そして痕跡をほとんど残さずに消えることができる。だからこそ、辺境伯の屋敷に預け、必要があれば呼び出すこともできていた。
竜齢100を超え、なおもタラスクス商会に尽くしてきたティターニア。
「――やめろ」
その巨躯と経験は、そこらの竜で到底太刀打ちできるようなものではない。
「――やめろ」
マティアスは、いやマティアスだけでなく商会の誰もが、ティターニアに全幅の信頼を置いていた。
「頼む……! やめてくれぇっ!」
そのティターニアが、いま、目の前でなすすべもなく蹂躙されている――!
「Gyshaaaaaaaaaaaaaaooooooooohhhhhhhhhhhhhhhh!!」
「Shuuuuuuuwwwwwww……!」
胴直径2メートル近いティターニアの巨躯に巻き付かれてなお、銀翼竜のレジエッタは微動だにしない。後脚の片方でその胴部をわしづかみにし、極めて強引に、かつ乱暴に、ティターニアの身体を引きはがしにかかる。
ティターニアが大きく牙を剥き、その毒腺より猛毒を滴らせると、しかしレジエッタはその口腔に目掛け、無遠慮な火球をぶちかました。
ティターニアの擁するあらゆる攻撃手段が、この飛竜の前では意味を為さない。
銀翼竜のレジエッタの戦い方は、豪快であり、強引であり、しかしそれでありながら老獪だった。
「(これが……<大戦経験>スキル……!)」
多くの学者の研究によって、レジエッタをはじめとする竜たち――白竜大戦を生き延びた伝説の竜には、<大戦経験>という固定スキルが発生していることが判明している。状況を的確に理解する戦術眼、相手の弱点を見抜き、容赦なく攻撃を加える苛烈さなどが内包されたスキルだ。
それを前にすれば、ティターニアの持つ100年の実戦経験など、児戯に等しい。
倒れこんだティターニアに対し、レジエッタは執拗に蹴撃を加えていく。走竜もかくやという、後脚による打撃。クサリヘビを前にしたヘビクイワシを思わせる連続攻撃を前に、ティターニアはみるみるうちに弱っていく。
ぐったりしたティターニアの胴体を、今度は両足で掴むレジエッタ。そのまま翼を大きく広げ、後ろ宙返りをしながら、再度ティターニアを地面に強く叩きつけた。
「Shuu……」
全長30メートルにも及ぶ巨体が、どうと倒れこみ、大地を大きく揺らす。
「てぃ、ティターニア……!」
駆け寄ろうとしたマティアスの前に、地響きと共にレジエッタの翼肢が叩きつけられた。
「ひっ……」
「Gyshaaoooooooohhhh!!」
牙を剥きだしにし、長い尾で何度も地面を叩く。口腔部が赤々と燃えるように輝き、顔にかかる吐息は身を焦がさんばかりに熱い。
食い殺すも、焼き殺すも、叩き殺すも思いのまま。権謀術数を操り、数々の政敵を打ち破ってきたマティアスの前で敵意をあらわにするのは、そんなものが何の役にも立たない、圧倒的な暴力装置だ。
レジエッタが、ひときわ息を強く吸い込んだ時だ。
「そこまでにしておいてくれ、レジエッタ」
よく通るはっきりとした声が響き、銀翼竜はぴたりと止まる。
「今は戦争の時代ではない。敵をより多く殺せばいい、というものでもないのだ。クルス殿もそう思っているだろう」
マティアスとレジエッタが、同時に視線を向けた先。動きやすそうな甲冑を着たひとりの青年が、重装に身を包んだ騎士団とひとりの侍従を従え、こちらに歩いてくるところだった。
レイセオン王国第一王子、カナード・バンディーナ・レイセオン。
カナードはレジエッタのほうを見て、さらに続ける。
「あなたはクルス殿を追った方が良い。この男の処遇は、我々に任せてはくれないか」
「Grrr……」
「この国は法治国家なのでな。それに事後処理のためにも、アルマ殿救出のためにも、事情というやつは聞かねばならん」
レジエッタは、しばし低いうなり声をあげていたが、やがてすぐに踵を返した。翼を広げ、崩れた屋根の上に飛び乗ると、そこに空いた大穴に首を突っ込んで、無理やり中へと侵入していく。
「か、カナード王子殿下!」
九死に一生を得たマティアスは、カナードへと飛びつく。
「ありがとうございます! ありがとうございます! おかげさまで……」
「礼など良い。どうせ貴様は、いずれひと思いに殺させなかったオレを恨むようになるのだ」
「は……?」
カナード王子は、底冷えするような鋭い目を、マティアスへと向けていた。このお人好しの王子に、このような目ができるのか、と思ったマティアスは、すぐにその考えを改める。
この王子に、このような目をさせたのが、自分たちであるのだと。
「オレの友、グリスバーグ辺境伯を死の淵へと追いやった罪は重い。最終的に貴様の処遇を決めるのはオレではなく法務卿なのだろうが……冥府の王ですら生ぬるいと言われた姉上の沙汰を、せいぜい震えて待つのだな」
それだけ言うと、カナード王子はもう、マティアスに一瞥もくれることはなかった。
アルマは、地下の研究施設へと連れていかれている。
怯えていた白服に、剣を突きつけて引き出した情報だ。
時間的には、カナード王子たちが到着していてもおかしくはない頃か。だが、この建物の中で彼らを待つだけの余裕はない。レジエッタが作ってくれた時間であることを思えば、なおさらだ。
白竜財団は、森の奥にこんな建物をたてて何を研究していたのか。
単なる人造竜種の研究なのか。あるいは、それ以上の何かか。
どちらにせよ、これ以上その研究とやらに、アルマを突き合せられるものか。
クルスが廊下を突き進んでいくと、ようやく、地下へとつながる金属製の扉に出くわした。クルスの時代にはなかった技術での施錠がされており、開けられない。クルスは、銀翼剣を抜いて、その扉を正面からたたき切った。
「でやぁっ!」
剣の刃はまだ、レジエッタの炎を宿している。この程度の扉では障害にもならない。
「アルマ、どこだ!」
階段を下りながら、クルスは叫ぶ。
ブーツが硬い廊下を叩く音が響き、クルスは並んだ扉のひとつに手をかける。そのとき、激しい痛みが、クルスの右腕を襲った。
「ぐっ……!?」
トラップか、と思い飛びのくが、ドアには何の仕掛けも見られない。
だが、視界にうつった自身の右腕を確認し、クルスは目を見開いた。薄暗闇の中で、ぼんやりとした赤い光が、あざのように腕に浮かび上がっている。クルスには見覚えのあるものだった。
以前の戦いで消えたはずの、魔術刻印。
呆気にとられるクルスだが、すぐに懐に忍ばせたテレパへの着信に気づく。
腕のあざから視線をそらさないまま、テレパを手に取り、耳にあてる。
「俺だ。カナード王子か?」
『クルス殿。あなたとレジエッタの大暴れのおかげで、構成員の投降が早くて助かる』
通信の向こうから聞こえてきたのは、カナード王子の声だ。案の定、もう到着していたらしい。
『財団の役員幹部を何人か捕まえて事情を聴いた。連中の目的についてもだ。あなたには無関係な話でもないと思うので、話しておく。アルマ殿は――』
カナード王子から告げられる言葉。クルスにはその先がわかっていた。
クルスの右腕に“これ”が宿るということは、すなわち、そう遠くない距離に“それ”があるということ。だからクルスは、カナードの語るその言葉の続きを、自分自身の口で引き継いだ。
つまり、アルマは――、
「アルマは、完全兵器か」




