25th lap 急転直下
「ほう、では御存知ない!? あの名レースを!?」
「は、はい……不勉強ですみません」
「それはいけない! ささ、こちらを……さささ!」
先ほどまでは、『カナード王子もお忙しい方ですからなぁ』と、のんびり紅茶を淹れていたグリスバーグ辺境伯は、いま、鼻息を荒くしてクルスに詰め寄っている。
きっかけは、クルスの『あまりレースには詳しくなくて』という発言だ。
それまで、『今まで見てきた中で一番熱かったレース』について語り続けていた辺境伯は、顎が外れるほど驚いてみせ、それから、クルスに詰め寄った。あとはだいたい、上の通りの会話だ。
クルスとアルマは、辺境伯の私室でふかふかのソファに腰を下ろしている。辺境伯自身に紅茶を注がせているこの状況は、冷静に考えると異常なのだが、昨日まで王子と話をしていたばかりだし、だいぶ感覚も麻痺していた。
「こちらを、こちらをご覧になってください!」
辺境伯が机の上の端末を操作すると、天井から大きな映晶鏡が降りてくる。そこには、リュートシティではないどこかのレースサーキットが映し出されており、ウォーカーの実況と共に会場の盛り上がりが伝わってくる。
「ははぁ、これが……」
「そうです。これが、去年のレイセオン・チャンピオン・グランプリ……。すなわちRCGPの映像です。王都覇竜賞がRCGPと名を変えて久しいですが、その長い歴史の中でもこのレースは格別……これっ、これです! この竜! “不動の山嶺”バスターファング! このバスターファングが終盤見せたのは、レースファンの間ではすでに幻と呼ばれる――」
早口で熱弁するグリスバーグ辺境伯。何を言っているのか半分以上はわからないが、熱意だけは伝わってくる。
なお、辺境伯はアルマの正体を知らない。
カナード王子からは、クルスとアルマを護衛するようにだけ言われ、飛竜アルマファブロスは王子がいったん王都で保護するということになっている。
レースの映像自体には興味があったのでクルスも見ていたが、確かに、辺境伯が大興奮するのもおかしくはない名勝負だった。
「なるほど……。すごい竜ですね、バスターファングは」
「でしょう!?」
「あの巨体で繊細なコーナリング。竜の仕上がりも相当ですが、騎手の腕も良い」
「そうです! さすが! さすがはクルスさん! 詳しくはないとおっしゃってもやはりおわかりになる!」
辺境伯のテンションはとても高い。
最初は、人の好さそうなこの老人を騙すことに少しばかり良心が痛んでいたが、そんなものが吹き飛ぶくらいには元気だった。
「辺境伯は、レースが本当にお好きなんですね」
アルマが言うと、辺境伯もうなずいた。
「ええ、お恥ずかしい話ですが。しかしだからこそ、クルスさんのレースには興奮しましたよ。あのアルマファブロスという竜も、実に素晴らしい竜だった」
「いやあ、えへへへ……」
「なぜアルマさんが照れるのです……?」
辺境伯がいれてくれたのは、このあたりの森に生える薬草を煎じたハーブティーだった。
グリスバーグ辺境伯の領地は広大だが、人口密集地は限られている。いくつかの大きな街で市長をしている息子たちの活躍もあり、辺境伯自身は領地の広大さに比して多忙でもないらしい。だからこうして、ささやかな趣味も増えるのだと語っていた。
「あ、おいしい……! どんな薬草使ってるんですか!?」
「お気に召したようで何よりです。このあたりで採れた薬草を干して煎じたものになりますな」
ハンカチで汗を拭きながら言う辺境伯。アルマは、飛び跳ねるようにして食いついた。
「あ、あのあの! 良かったら見せてもらうことってできますか!?」
ドレスの裾から伸びた尻尾が左右に揺れている。辺境伯の目につかないようにするのが大変だった。
「お、良いですな。御覧になりますか」
「やったっ! クルスさ……お兄ちゃんはどうします?」
「俺は庭で剣でも振ってようかな。慣れておきたいし」
そういうクルスの手には、辺境伯から許可を受けて借り受けた長剣がある。
私設騎士の装備だ。クルスのよく知らない合金が使われており、扱いやすい重量と強度を両立している。500年後の鍛造技術も大したものだ。
この剣に限らず、辺境伯の私設騎士は、練度も装備も質が高い。
彼の話では、どうあら私設騎士の創設にあたって、地元の有力商会から出資があったらしく、人員もその商会が揃えてくれたらしい。
「アルマ、辺境伯にあまり迷惑かけるなよ」
「え、だ、大丈夫ですよ……たぶん」
「お気になさらず。クルスさんも、また後ほど、レースについて語り合いましょう」
穏やかな微笑みのあと、辺境伯は拳をグッと握って言う。
「えっ、あ、はい。ぜ、ぜひ……」
この人ほんとにレースが好きなんだな、とクルスは思った。
「こちらの部屋に採取した薬草を保管しておりましてな」
辺境伯はそう言って、アルマを屋敷の一室へと案内する。そこでは、乾燥させた薬草が束状に袋へ入れられており、それぞれの番号や名前が振られている。辺境伯の、ずいぶん凝り性なところを思わせる部屋だった。
「うわあ……。すごいですね」
「なに、退屈しのぎが高じてできた部屋です。先ほど出したお茶は、こちらですが……」
そう言って、グリスバーグ辺境伯は袋のうちのひとつをアルマに見せる。
「ふんふん」
「アルマさんは、お茶がお好きなのですか?」
「えっ? あっ、あの、お茶も好きです。ただ、わたしの家も森の中にあるんですけど、薬草にはあんまり詳しくなくて」
「なるほど。リュートシティ周辺の森は薬草が豊富ですから、何種類か覚えておくと楽しみも増えますよ」
辺境伯は、棚のひとつに入った古ぼけた本を手に取った。
「この本を差し上げましょう。本は古いですが、書いてあることは確かだ」
「良いんですか!?」
本を受け取り、アルマは目を輝かせる。
まず彼女が考えるのは、どんなお茶を出せばクルスが喜ぶだろうかということだ。一緒に暮らして思ったのは、彼の生活能力があまり高くはないこと。500年も昔、戦争に明け暮れていたのだから仕方がないかもしれないが。
彼に竜として認めてもらったアルマだが、同時に、人間らしい生活をクルスに送らせてあげたいとも思っている。
白竜財団の件が片付き、あの家に戻れるタイミングが来れば、こうしてお茶を出してみよう。
アルマが夢中で本をめくっていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「辺境伯、お取込み中申し訳ありません」
「ふむ、どうしたのかね」
屋敷の使用人か、私設騎士のどちらかだろう。辺境伯が顔をあげ、扉のほうへと向かう。
「至急お耳に入れておきたいことが。扉を開けていただけますか?」
「わかった。少し待ちなさい」
グリスバーグ辺境伯が、ドアノブに手をかける。
その時、アルマの持つ、人間より遥かに優れた聴覚が、金属のこすれ合う音をとらえた。はっと顔をあげる。アルマは叫んだ。
「辺境伯、ダメですっ!!」
「ん? な――」
アルマの頬に、飛び散った赤い雫がかかる。心地よい薬草の香りが、鼻孔を突き崩すような鉄の臭いで覆いつくされた。
扉を開けた直後、辺境伯の背中から、長く伸びた金属の刃が生えるのが見えた。クルスが手にしたものと全く同じ形状のそれは、室内の薄明かりのもと、赤くぬらぬらとした、不気味な照り返しを見せている。
「辺境伯! グリスバーグ辺境伯っ!!」
アルマが叫んだ直後、私設騎士は仕える主人の胸元から剣を引き抜き、その大きな身体を横に倒す。身体の支えを失った辺境伯の肉体が、床の上にどさっと倒れこんだ。
「あなた達は……!」
「アルマファブロス。我々と一緒に来てもらおう」
返り血を浴びてなお、男は冷たく言い放つ。
敵だ、と認識したアルマの行動は早かった。両手を床につき、武装した男たちを睨む。金色の瞳は竜眼へと変化した。全身の膨張に伴いドレスがちぎれ飛び、白い素肌は甲殻へと覆われていく。
男は辺境伯が首から下げていたペンダントのようなものを引きちぎると、そのペンダントに向けてこう囁いた。
「やれ、ティターニア」
直後、竜の姿に戻りきる直前のアルマを、強い衝撃が襲った。地下から突き上げてくるような感覚。周辺の木板がはじけ飛び、アルマの身体を、何かがくわえ込む。その一撃で、アルマは完全に意識を失った。




