24th lap 辺境伯の屋敷
「<人造竜種>、<完全擬態:人間>、白竜財団……。くそ、まだ頭が混乱しているぞ。オレは悪い夢でも見ているのか?」
アルマの着替えが終わり、再びソファに並んで座る。カナード王子はため息をつき、言った。
「王子、現実です」
「わかっている」
クルスの言葉に、カナード王子は目頭を揉みながら答える。その声は、少しばかり疲れている。
「しかし<人造竜種>とはな……。クルス殿は驚かなかったのか?」
それを指摘されて、クルスは頭を掻いた。
「いやぁ……。あまりピンと来なくて。人造竜種であることそのものよりも、アルマの語った出生時の記憶の方が嫌な感じしましたし」
「そうか。器が大きいと考えておこう」
人の手で竜を造るということなど、クルスにとってはあまりにも荒唐無稽すぎる話だ。
だが、カナード王子の反応を見るに、『ありえなくはないが、まさかやる者がいるとは思わなかった』という技術レベルの話らしい。『胚の段階でコンソールでアクセスし、情報を書き換えることができれば可能』とのことだが、そもそもそれがどういう状況なのかも、クルスにはわからない。
アルマが属性を持たない理由は、おそらく、彼女が人造竜種であるからだろう。
その見解は、クルスとカナードの間で一致した。アルマに尋ねても、そうだろうと言う。
彼女の生まれた環境は、精霊からの接触を意図的に廃されていた。連中がそうした理由は不明だ。だが少なくとも放逐されるまでの間、アルマは精霊と一切接触せずに育った。
「……あとはアルマ殿、オレがさっき首の後ろを触ったが大丈夫だったか?」
「あ、はい。人間の時と竜の時では触られた時の感じが違うんで……」
「そうか……」
カナードは腕を組み、天井を見上げる。
「どうしました? 王子」
「オレは生まれてから19年、竜と言葉を交わすことを夢みていた」
「夢がかなって感動してるんですね」
「困惑してるんだよ」
しみじみ頷くクルスに対し、カナードはぴしゃりと否定した。
「オレが夢みていたのはこういう状況では断じてない……」
「な、なんかすみません。夢をぶち壊しちゃって……」
「アルマ殿の責任ではない。夢ならまだいくつも持っているので心配するな」
さて、とカナード王子は言った。
「しかし白竜財団か……。意外なところで繋がったな」
「確証はないんですが、俺たちを尾行けていた連中もおそらくそうです」
「なるほどな」
ホテルからこちらに向かう際は、尾行の影はなかったように思う。街道は平原上にあり、身を隠せるような場所はない。加えて、こちらは移動中、紋章の入った旗を掲げていた。カナード王子か辺境伯の紋章だろう。とすると、連中もうかつに手出しはできなかったのだと思う。
「アルマを連れ戻そうと思っているのかまでは、わかりませんが」
「難しいところだな。オレは市井の悪事に対して騎士団を動かす権限を持つが、法務卿の発行した令状が必要だ」
「白竜財団が悪事をしている証拠はない、ということですか」
「人造竜種を生み出したのが事実であれば胸糞の悪い話だが、令状を出すに足る法的根拠がない。我が国の法では今のところ、人の手で竜を造ることを悪と定めてはおらんのだ」
やはりか。
王子に白竜財団への対処を頼めればと思っていたが、少なくともこの時代は、500年前よりもはるかに法整備がしっかりしている。平和を持続させるためには必要なものだったのだろうが、この状況では少し動きづらい。
これが500年前であれば、カナード王子が声をあげるだけで、白竜財団を潰すことができたはずだ。
クルスはアルマをちらりと見て、王子に尋ねる。
「でも、アルマが連中のところにいたころの話は……」
「わかっている。引っ張るならそこだとオレも思う」
そう言って、カナードはソファに預けていた身を起こした。
「生まれたての竜を、精霊にも触れさせぬ状態で監禁し、齢3にも満たぬ時点で放逐。これは立派な虐待だ。令状を出すならこっちだな。アルマ殿が竜だと法的に認める流れも作れる。人造竜種の件を悪とすると、アルマ殿の存在を国として認めるのが難しくなるからな」
「な、なるほど……」
つくづく、抜け目のない人物であると、クルスは思った。
さすがにクルスも自分が頭が悪いと思っているわけではないが、こういう政治だの法だのが絡んだやり取りには無頓着だ。法の強制力が強いこの時代では、カナード王子のような味方がいるのは、実に心強い。
これでまだ『政治家向きではない』というのだから、王室に住まうのはよほど海千山千を乗り越えた猛者たちなのだろう。
「オレも今日の午後には、辺境伯領を発ってしまう。明日の午後には王立公園の視察。そこから王都に戻る。法務卿に直談判できるのはそのあとだ。早くても、今日から数えて3日はかかると思え」
「な、なんかすみません。お忙しいのに、何から何まで」
アルマがおずおずと手を挙げて言った。しかし、カナード王子は薄く微笑み、立ち上がる。
「オレは出来ることが多いからな。忙しくなるのは当然だ。だがそれでこうして、あなた達を助けられるのだから、悪い気分でもない」
「しばらくはここで世話になれ。グリスバーグ辺境伯にはオレから話をしてある」
屋敷の敷地内には、カナードを迎えに来た飛竜の編隊が到着している。
見送りにきたクルスとアルマに、カナードはそう言った。
「ホテルの支配人から、不審な連中がうろついていたという話を聞いている。ここらで場所は移しておくのが良いだろう。辺境伯は抜けているが善良な男だ。心配はしなくていい」
「わかりました。辺境伯にはあとでご挨拶に行きます」
「うむ。オレも慌ただしくてすまんと伝えておいてくれ」
飛竜のうちの一頭――騎士団長の竜が、カナード王子に対して頭を低くしている。これは、人に慣れた大型飛竜が相手を背に乗せる際、乗りやすいように姿勢をさげる仕草だ。どうやら、王子を乗せ慣れているのは本当らしい。
王子の侍従もかなり小型の飛竜に乗り、隊列の先頭に回っている。
「そういえば、アルマ殿のことで忙しくて、レジエッタに会わせる話がずいぶん先延ばしになっているな」
「ああ……」
カナードの言葉に、クルスは苦笑いを浮かべた。
「そういえば、このあと王立公園の視察でしたっけ。レジエッタはまだ俺に会いたがりませんか」
「そう、だな……。オレも、彼女の言葉をすべて理解できるわけではない、が」
レジエッタは人に心を開かない竜だ。それでも言葉の一部は理解できるというのなら、カナードが彼女に割いた時間は、相当なものだろうということが伺える。
「会いたくない、というよりは、自信がない、そのような態度に見えたな」
「自信がない?」
「確証がない、と言い換えても良い。心の中に浮かんだわずかな疑念に対し、自分で答えを出しきれないといった様子だ」
その言葉を聞いて、クルスはもしやと思う。
レジエッタは、クルスがクルスであるかどうかを迷っているということだろうか。
クルスからすれば一ヶ月以内のことであっても、レジエッタからすれば500年も昔の別れだ。クルスは、500年の歳月を経てなお、かつての相棒を完全に思い出すことができるだろうか。
時間の重みは、容赦なく記憶を押し流すものだろう。
なぜ、そんなことに気づけずにいたのか。
「クルス殿、どうした?」
「いえ……」
クルスは少し考えると、腰に吊り下げておいた銀色の剣を、鞘ごと外した。
「王子、よろしければ、こちらをレジエッタに」
「ふむ、美しい剣だな。これは?」
「それは彼女からお聞きください。彼女がこれを受け取らないのなら――まぁ、俺から話しますよ」
「なるほど、良かろう」
銀翼剣は、本来は儀礼用の剣であり、優れた業物というわけではない。
幸い、ここは近くに私設騎士の詰め所もある。身を護る得物はそこで調達させてもらおう。
「ではクルス殿、話がうまく進めば3日、まぁ実際に騎士を動かすのだからもう少しかかるだろうが、1週間もせぬうちにあなた達の憂いはなくなるはずだ」
「わかりました、王子」
「ではな、また会おう!」
鞍にまたがったカナードが手綱を引き、竜たちはいっせいに空へと舞い上がる。叩きつける風圧に、暴れる髪を押さえながら、クルスとアルマはそれを見送った。
1週間。
カナード王子の語った収束までの期日がそれだ。
だがこの翌日、事態は急転直下の展開を迎える。




