1st lap 目が覚めたら500年経ってた
「う……?」
再び目を覚ましたとき、クルスの身体を包んでいたのは土と茂みではなく、布団と毛布だった。
身に着けていたポイントアーマーとマントは外され、上体を起こすと、床に丁寧に並べられているのが見える。レジエッタの古い甲殻を切り出して作った、竜騎士用の儀礼剣も同様だ。
「誰かが、運んでくれたのか……?」
察するに、先ほど聞こえた声の主と、その縁者あたりか。
見回してみると、真新しい木目の床と壁。家具の類はあまりない。家の作りは簡素だが、しっかりしている。扉だけがやけに大きく作られているのは、気になったが。
「あっ、目が覚めましたか!」
その大きな扉を開けて、ひとりの少女が部屋の中に入ってきた。ティーポットとカップが並んだお盆を手にしている。
「いきなり森の中に倒れていてびっくりしました! あの、お身体、大丈夫ですか?」
「あぁ、うん。世話になったみたいだ、ありがとう」
「いえいえ、大したことはしておりませんがー」
少女はそう言って、テーブルの上にお盆を置く。
クルスは周囲を見回しながら、少女に尋ねた。
「ご家族にもご挨拶したいな。俺を運んでくれたのは、お父さんかお兄さんあたりだろうか」
「あ、いえ。ここにはわたしひとりなんです」
「えっ」
思わず聞き返していた。
クルスは巨体ではないにせよ、それなりに背も高く筋肉もついている。装備の重さも加味すれば、少女の細腕で運べるとは、とても思えないのだが。
「わたし、これでも力持ちなんですよー。あ、お茶いれますね」
「あ、ああ、ありがとう……」
少女の歳の頃は、14、5歳といったところか。
たっぷりとした銀のくせ毛に、金色の瞳。どこかエキゾチックなビジュアルで、柄のないワンピースの服を着ている。クルスの周囲ではあまり見ないタイプの服だったが、それ以上に、気になっているものがある。
少女の頭部には、二本一対の角のようなものが見えるのだ。
さらに、ワンピースの裾には、臀部あたりから伸びた尻尾のようなものが覗いている。
珍しいファッションか、と思いきや、尻尾に関しては完全に自由に動いているようだった。
「あ、わたし、アルマです。アルマファブロス。はじめまして」
礼儀正しく頭を下げる少女。クルスはそこで、自分がまだ自己紹介もしていないことを思い出し、小さく咳ばらいをする。
「俺はクルス・バンディーナ・ロッソだ。ファルドリッツ聖竜王国で竜騎士をしている」
「くるす・ばんでぃーな・ろっそ……?」
少女アルマは首を傾げた。聞きなじみのないタイプの名前だったのだろうか。
だとすると、やはりここは自分のいたところとは違う?
だが、アルマはお茶をクルスに差し出しながら、次にこう尋ねてくる。
「クルス・バンディーナ・ロッソって、あのクルス……ですか?」
「どのクルスはわからないけど、たぶん違うと思うよ。お茶ありがとね」
ティーカップからは、嗅いだことのない素敵な香りがした。かなり良い茶葉だろう。
にしても、同姓同名がいたのか。それはそれで珍しい話だ。
それでもアルマはまだ首を傾げているので、クルスは続きを促してみた。
「ちなみにそのクルスって人はどんな人なの?」
「あ、はい。500年前の白竜大戦に参加していた最強の竜騎士で」
ほう、歴史上の人物だったのか。しかも竜騎士とはさらに奇遇だ。
「戦場では誰よりも早く先陣を切り、誰よりも速く戦場を駆け抜け」
技量もあり勇敢だったらしい。尊敬に値する人物だ。そんな竜騎士と同姓同名とは光栄だ。
「大戦の最終局面、帝国の残した最終兵器の暴走を止めるべく、愛竜と共に突撃」
そんなところまで一緒だとは。ますます偶然とは恐ろしい。
「最期には、愛竜である銀翼竜のレジエッタを助けるため、単身特攻して命を絶ったと聞いています」
……あれ?
それ俺じゃね?
百歩譲ってクルス・バンディーナ・ロッソに同姓同名がいたとして、帝国の兵器の暴走を止めるために銀翼竜のレジエッタと共に突撃し、最終的にはそのレジエッタを助けるために単身特攻したクルス・バンディーナ・ロッソは、さすがに二人といないんじゃね?
「あの、どうしました? クルスさん……」
アルマは、呆けたように口をあけるクルスを見て、心配そうに尋ねてくる。
「いや、アルマ、その話って誰から聞いたの?」
「え? 誰でしょう。すごく有名なおとぎ話なので……」
「おとぎ話!?」
「わっ、あぶないっ!」
思わず手からティーカップを取り落とす。アルマはしゅばっと駆け寄って、中身がこぼれる前に、それを見事にキャッチした。角がクルスの顎に当たって痛かった。
だがそんなことを気にかけている場合ではない。
おとぎ話? 有名な? っていうか、さっき500年前の白竜大戦と言っていたか!?
「ちょっと待って。今って神竜歴何年!?」
「あ、はい。1619年です」
「ッ……!!」
ことここに至り、クルスはいてもたってもいられなくなる。ベッドの上から飛び降りて、家の外に走り出す。
「クルスさん!?」
ペルフェクティオの渦に飛び込み、死んだと思っていた。
生きていたと知り、どこか遠くへ飛ばされたのだと思っていた。
だが、もしかすると。いまクルスの脳裏を掠めたのは、そのどちらでもない可能性だ。
小屋を飛び出すと、緑が豊かに生い茂る、深い森がある。上向きの傾斜を駆けあがっていくと、苔蒸した金属の残骸が、そこかしこに転がっているのがわかった。初めて走る坂ではないような感覚があった。
急に木々が途切れ、視界が開ける。切り立った崖。眼下には色鮮やかな草原が広がる。
草原には川が流れ、そして、その川に沿うように、大きな城塞都市の姿があった。
ああ、やはり。
クルスは確信を得た。地形は多少変わっているが、それで間違いはない。
エッサントゥマ平原。ここは、帝国との最後の会戦があった場所だ。アルマの言葉を信じるならば、それも500年前に。
いま、クルスが立っているのは、レジエッタと共に空へ駆け上がった崖。
この少し後ろに、戦友アルミリアと彼の牙竜、鉄凱竜のギグルガンが待機していた。
あの、草木も枯れおおせた死の平原は、いま生命の緑で溢れ、ひとつの都市さえ擁するに至っている。
その光景は、何よりも雄弁に、500年という歳月をクルスに突きつけた。
「クルスさんっ……!」
後ろから、アルマが息を切らせて追いかけてきた。
「ど、どうしたんですか、いきなり走り出したりして……」
「ああ……」
クルスは、眼下の平原を眺めながら、返事をする。
「アルマ、改めてお礼を言わせてほしい。助けてくれてありがとう」
「あ、は、はい」
「それから自己紹介も。俺はクルス・バンディーナ・ロッソ。ファルドリッツ聖竜王国で竜騎士をしていた」
振り返り、クルスはアルマを見る。
「たぶん、そのクルス・バンディーナ・ロッソだ」
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