18th lap 遅れた凱旋
「――えっ?」
朝食の最中、アルマは驚いた声をあげて、クルスを見た。
「つ、つまり、どういうことですか?」
「いや、だからさ」
クルスは、皿によそわれたポリッジを木匙でかき混ぜながら、もう一度言う。
「レースで今後活躍を重ねていったら、アルマを捨てたやつが、気づくんじゃないかって話だよ。捨てたことを後悔するかもしれないよな。だったら良い気味だよなって、そういう話」
「性格の悪いこと言いますね!」
「そうかなぁ? そうかも」
アルマを捨てたやつ。それが人間であることは、ほぼ確実だ。
竜は人間に比べて社会性に乏しく、そもそも同族を見放す、見捨てるという概念が希薄である。それに、竜はもともと個体名を持たない。彼らは自分が呼ぶ意思に対しては本能的に反応できる能力を持っているため、名前が必要ないのだ。
アルマは、最初からアルマファブロスという名前を持っていた。これは人間に与えられた名前であることを示す。
500年前も今の時代も、勘違いする声は多いようだが、竜と人間の関係は、原則として主従関係足り得ない。
人間が竜を扶養することはあり得ても、特別な事情がない限り、そこに『飼い主』などという概念は発生しない。両者の関係は常に対等だ。なので、クルスは竜と関係を築いた人間をパートナーと呼ぶし、竜が人間の所有物であるかのような言動は決してしない。
ただ、
このアルマのことを捨てた人間のことは、絶対に元パートナーという呼び方をしたくない。
なので、クルスはそいつのことを、一生『アルマのことを捨てたやつ』と呼び続けるだろうと思っている。
「それに、あの人たちは、いまさらわたしがどこで何してようと、気にしないんじゃないですか」
「あの人たち」
複数形なのか。それは初めて知った。
サーカス団か何かだったりしたんだろうか。人間に化けられる竜であれば人は呼べるだろう。
だが、それならそれで、彼女を思わせる情報がどこかに転がっていて良さそうだし、そもそも『弱い竜はいらない』と放逐する理由にはならない。
自分を捨てたものを『あの人たち』と呼称するアルマの目は、ひどく冷めていて、そこには自らへの嘲りめいたものも滲んでいる。
アルマにとって愉快な話題ではないだろうと思っていたが、普段の彼女とはずいぶん違う振る舞いをするので驚いた。
「アルマ、今日の訓練が終わったら、また街に行こうか」
クルスは話題を変えることにした。アルマの目つきはすぐにいつものものに戻り、首を傾げる。
「また買い物ですか?」
「いや、竜の姿で行こう。パブリックレースの優勝者なんだ。きっと人気者だぞ」
「えぇっ? いやぁ、そ、そうですかねぇ、えへへ……」
嬉しそうに顔を緩めるアルマ。
その彼女を眺めながら、クルスは考える。
アルマが持つ二つの固有スキルと、彼女が属性を持たない理由。おそらくそれらは無関係ではない。アルマが『あの人たち』と呼ぶ連中のことも。
スキル<????>の正体こそが、アルマの秘密を解明する何か、あるいは秘密そのものであることも明確だ。
「(ここでアルマに、『おまえ、なんか俺に黙ってることない?』って聞ければ、楽なんだけどなー)」
今はまだ、それをしたくない。
もしアルマ自身が意図的に秘密にしているのであれば、できれば彼女の方から話してくれるのを待ちたい。
もしアルマ自身もそれに気づいていないのであれば、余計な不安を抱かせるだけになる。
もう少しアルマには、良い空気を吸わせていてやりたいというのが、クルスの本音だ。彼女はずっと独りで暮らしてきたし、そうなる前も、きっと幸せな生活を送ってはいなかった。先日、アルマはレースで優勝し、自らの手で何かを勝ち得た。生まれて初めての経験だったはずだ。
アルマは、勝者の特権にもう少し浸っていても、ばちは当たらない。クルスはそう考えている。
「お、おい。見ろよあれ……!」
「!? あれって、こないだのレースの優勝者じゃないか……!?」
「そうだよ、あのファイヤーボールゴッドスピードと競り合った……」
「白い超新星!」
「あの終盤のレース展開、熱かったな!」
クルスの耳にすら、そういった声が届くのだ。アルマの聴覚なら、より多くの賛美を拾えるだろう。
「どうだアルマ、気持ちが良いだろう」
「が、がう、ぎゅあ……?」
「良いんだよ。胸張っとけ」
アルマにはやはり戸惑いがあるようだ。しかし、これでいい。
クルスとしても、アルマの頑張りが認められるのは心地が良い。
500年前も、似たようなことはあった。作戦が終わり、本国に帰還する際、竜騎士たちは愛竜の背にまたがり聖都を凱旋した。子供たちは喜び、クルス達は人々の称賛を浴びた。
が、まぁ、常に晴れやかな気持ちであったかというとそんなこともない。友を失った日もあるし、後味の悪い作戦に手を染めた日もある。
そういった思いを何一つせず、ただ、“勝ち”を誇れることの、なんと素晴らしいことか。
「よっ、おっさん!」
クルスが気持ちよく歩いていると、唐突に冷や水を浴びせられた。
振り返ると、そこには、いつぞやの少年が立っている。記念公園の小さなレース場で竜を走らせていた子供。牙竜ブロッケンを連れた、タカシくんだ。彼は、目をキラキラさせてアルマを見ている。
「よう、タカシくん。ブロッケンは無事だったみたいで何よりだ」
「ああ、怪我はなかったぜ。あれからコーナリングの練習を始めたんだ!」
少年が、ブロッケンの肩をぽんぽんと叩くと、愛竜も嬉しそうに吠える。
「でもコーナリングはパピーの方が強くてよ、なかなかうまくいかねぇぜ」
「ブロッケンは足が長くて爪が短い分、パピーよりもコーナーでのグリップ力が弱いからね。個体の個性としてはどうしてもコーナーが苦手になる。でも練習すること自体に意味はあると思うよ。走り方である程度カバーできるしね」
「なるほどな……って、そうじゃねぇ!」
タカシ少年は顔をぶんぶんと振って、クルスとアルマを交互に見る。
「すげぇよ! 見てたぜ、あのレース! あのファイヤーボールゴッドスピードを負かすなんてよ! サインくれよサイン!」
「え、えぇ……いや参ったな。ペン持ってたかなぁ……」
「おっさんのは良いや。アルマファブロスのサインが欲しいんだ」
「あ、そう……」
ちょっぴり傷つきながらも、アルマを見るクルス。アルマは少し戸惑った様子だ。
「が、がう……」
「なぁアルマファブロス、歯形と足形、どっちが良い? 一応、両方持ってきたぜ!」
クルスもあまりなじみがないが、どうやらレースで人気の高い竜にもサインをねだる文化があるらしい。粘土に歯形をつけてレプリカを取ったり、大判の色紙に足形をつけたりだ。アルマは少しためらった結果、タカシ少年に足形をプレゼントしていた。
「やったー、ありがとな! プロレース出たら応援するぜ!」
タカシ少年はそう叫んで、ブロッケンと一緒にストリートを駆け抜けていく。
「が、がうあ……ぎゃう……」
「……ああいうの、恥ずかしい?」
「ぎゅあ……」
「まぁ、足形はともかく歯形はな……」
なまじアルマには人間態があるだけに、とてもマニアックな光景に見えてしまう。
クルスとアルマは、そのあとしばらくリュートシティをぶらついた。日が傾きかけたころ、クルスはアルマに声をかける。
「ちょっと用事があるんだ。サーキットに寄っていいか?」
「ぎゃう!」
肯定の意を示すアルマ。
クルス達がリュートシティサーキットに向かうと、レースがない日であってもそれなりのひと気があった。レース好き達は遠巻きにアルマを見て、浮足立った様子を見せている。
クルスは受付のお姉さんに尋ねる。
「クルス・ファブロスですが、俺宛てに通信来てないですか?」
この時代、魔導通信士による通信代行のサービスがあるらしい。便利な時代になったものだ。
その質問に、受付のお姉さんは少しだけ慌てふためき、声を潜めて答える。
「あ、はい、ええと、あの……か、カナード・バンディーナ・レイセオン様から……お預かりしてます」




