11th lap 24000mの覇者(中編)
ファイヤーボールゴッドスピードは、おそらく5つあるスキルスロットの全てを、直線加速用のスキルに割り当てている。
これにより、いかなる走竜であれ、直線距離において飛竜の高速飛行を遥かに凌駕する速度をたたき出すことができる。まぁ、あくまでも理屈の上では、という但し書きがつくが。
これは、クルスが竜騎士時代、仲間たちと語り合ったバカ話での定番トークだった。
――クルス、あたしはこれを、『ラプトル最速理論』と名付けるわ!
竜騎士仲間のナツカゼが、愛竜サヤバシリの首筋を撫でながらそう言った。
――あたし、戦いが終わったら、この理論を広めることに生涯を尽くすわ!
何が『ラプトル最速理論』だ。だいたい方向転換はどうする。障害物にだって弱い。直線距離の加速は確かに最速だが、結局それだけで実用性に欠ける。
そんなもの、机上の空論でしかない。クルス達はそう言って笑ったものだ。
それが、この時代では、どうだ。
『速い! 速いぞ! ファイヤーボールゴッドスピード! これが、ジョニー・ザ・デッドヒートの語る『ラプトル最速理論』の神髄なのかァーッ!?』
ナツカゼ、マジでこのバカ理論を広めるために生涯を尽くしたのか!?
バカの遺伝子は500年の時を経て開花し、そして今、クルスの目の前で砂煙をあげて爆走している。すごいぞナツカゼ。あいつがクルスが渦に呑まれた後、どれだけ悲しんでくれたかはわからないが、もうそんなのどうでもいいわ。
『最初のコーナーが近づいているゥ! だが、ファイヤーボールゴッドスピード、減速しなァァァァァ―――いッ!!』
「あいつ……!?」
果たして、ウォーカーの実況通りである。最初の直線が終わろうかというあたり、それでなお赤い走竜は減速しない。
あのスピードではコーナーを曲がり切るのは難しい。確実にコースアウトだ。
「いや、まさか……」
クルスがそうつぶやいたとき、ファイヤーボールゴッドスピードは、サーキットチューブの光の壁を突き破った。
『コースアウトだああああぁぁぁぁっ! ファイヤーボールゴッドスピードといえばこれ! コースアウトがさっそく1回目だぁぁぁぁっ!』
そのまま、大回りで旋回し、ファイヤーボールゴッドスピードはサーキット内に戻ってくる。この時点で、ようやく減速に入っていた。
「わざとだ」
「ぎゃう?」
「今のコースアウトはわざとだ!」
レースの規定では、コースアウト3回で失格。逆に言えば、2回まではコースアウトが許される。
厳密に言えば、コースアウトの判定がなされてから5秒以内にサーキットに戻らなければ、次のコースアウト判定が取られる。つまり、ファイヤーボールゴッドスピードは、あと5秒間だけ、コースの外に出ていても失格にならない。
ラストの直線1800m、そしてその直後に待ち構える最終コーナー。
そこで、いまと同じことをやるつもりなのだ。
あの直線速度であれば、コースアウトからの大旋回をする方が、減速してコーナーを曲がるよりも明らかにタイムを稼げる。
「多少は荒くいく! 中盤のコーナーで引きはがさないと追いつけなくなるぞ!」
「ぎゃう!」
意図的なコースアウトは、おそらくルールでは黙認されている。
レースのレギュレーションでは、明確に失格となるのはコースアウトを3回した場合と、コース中腹にあるハーフラップラインを通過せず、ゴールラインを通った場合。おそらく、サーキット自体を無視したコースアウトによるショートカットを抑制するためのルールだ。
だが、コースアウトそのものを戦略に組み込むことは許されている。
このルールの考案者は、かなりの曲者だな。
「コーナーでは高度を少し下げろ。他の飛竜との接触は気にしなくていい」
「ぎゃうお!」
最初の<魔力噴射>による加速が効いたか、後方とはまだ距離が取れている。
ラストのコーナーでのコースアウト旋回を狙う以上、ファイヤーボールゴッドスピードは中盤、慎重にならざるを得ない。距離を詰めるなら今なのだ。
セットしておいた<慣性制御>のスキルが生きる。ジグザグコースからヘアピンカーブ、癖のあるコーナーを、アルマは軽やかに曲がっていく。
そしてやがて、前方を走る赤い走竜の姿が少しずつ大きくなっていく。
「やるな、あんた!」
それも間近に迫った時、ファイヤーボールゴッドスピードの背で、ジョニーが笑うのがわかった。
「最初の加速、あれは見事だったぜ! ああいうかっ飛びが俺好みだ!」
「そりゃどうも!」
クルスは応じる。
「あんたもすごいよ。コースアウトからの大旋回なんて大技」
「なるほど、気づいているか」
ジョニーはハットを片手で押さえ、ちらりと目線をこちらに向けた。
「なら、ここで抜いたところで、安心はできないとわかっているだろうな」
「もちろん。でも抜いちゃっていいのか?」
「いつもなら、ここで抜かせまいと相棒を走らせるのが俺だった」
だが、とジョニーは言う。
「それは逃げだ。ファイヤーボールゴッドスピードは、抜かれないからすごいんじゃない。どんな奴でも追い抜くからすごいんだ。俺はこのレースで、そいつを証明する!」
「ジョニー・ザ・デッドヒート……」
「浪漫を実現するのは情熱じゃない。綿密な計算に裏打ちされた忍耐力だ。さぁ、抜いてみろ、77番!」
「ああ、遠慮はしないさ!」
クルスはアルマの手綱を強く引く。アルマは翼をひときわ大きくはためかせ、風を掴んだ。身体を大きく傾け、目前に迫っていたコーナーを曲がる。
『抜いたァァァ―――――ッ! “白い超新星”アルマファブロス、ファイヤーボールゴッドスピードの最速神話に待ったをかけたーっ!!』
「舐めるなよ! こいつの最速神話は終わっちゃいねぇ! このレースから始まるんだよ!」
後方で、ジョニーが叫んでいるのがわかった。
ジョニーの相棒に対する気持ちが、クルスには痛いほど理解できる。竜騎士はいつだって、『自分の相棒が一番すごい』と信じているものだ。だが、それは、ここで手を抜く理由にはならない。
なぜか。答えは簡単だ。
いま、このとき、クルスの相棒は間違いなく、この変わり者の、最弱飛竜だからだ。
「今はお前が一番すごいぞ! アルマ!」
「ぎゅあ!?」
「いやすまん、感情が高ぶった!」
クルスは後ろを振り返る。ファイヤーボールゴッドスピードとは、思いのほか距離が開いていない。このままでは、最後の直線で抜かれる。
だが、それは、最後の直線で最大加速をしなかった場合。旋回を考慮して、減速を視野に入れた場合。ファイヤーボールゴッドスピードと同じ、コースアウトからの旋回を考えれば、ギリギリ同じ土俵で勝負ができる。
同じ土俵で勝負するということは、勝ちがかなり危ういということでも、あるが。
それに上空は、当然、コース幅が狭い。コースアウトからの大旋回を狙うには適していない。あれを狙うには、コース幅をめいいっぱい使って、袈裟懸けに移動するのが理想的だ。
つまり、
「アルマ、危険な賭けをする気はあるか」
クルスが、白い甲殻に覆われた首筋を撫でて尋ねる。
「はっきり言うぞ。ここで無茶をせずに次のレースを狙う手もある。今は、思った以上に良いレースができてる。たぶん、次に出れば普通に優勝が狙える」
少なくともアルマは、現状、スペックの低さをものともしていない。竜の強さを決めるのはスペックではなく、戦術とスキル構築というのがクルスの持論だが、それにしたって大健闘だ。運用さえ間違えなければ、パブリックレースは、おそらく問題にならない。
「俺かお前がトチればクラッシュする。無事じゃ済まない。翼骨は華奢で、一度大きく骨折すると二度と飛べなくなるかもしれない。それでも……」
「……ぎゃう!」
「やれやれ」
みなまで言わせず吠えるアルマに、クルスは苦笑いする。
「まぁ、俺もそう思ってたとこだよ」
そうして首筋の甲殻をぽんぽんとたたき、姿勢を低くした。
先ほどのジョニーの言葉を思い出す。浪漫を実現するのは情熱じゃない。綿密な計算に裏打ちされた忍耐力。
良い言葉だ。なら、『最弱として捨てられた変わり者の竜が、初出場のレースで勝つ』という浪漫だって、同じであるべきだ。そうだろう?
「高度をギリギリまで下げる。翼長を考慮して地上3メートル半。直線に入ったら、できるだけ左に寄るぞ!」
「ぎゅあ!」




