10th lap 24000mの覇者(前編)
第1レースから第7レースまで、順調に消化されていく。クルスとアルマは、選手控え室から、その様子を見つめていた。
記念参加の選手が大半を占めるこのパブリックレースだ。多少、稚拙なレースではあるかもしれない。それでも、会場の白熱具合は本物だ。クルスも、思わず手に汗を握る場面が何度かあった。
控え室に設置されている映晶鏡は、離れた場所の光景をそのまま映し出す魔道具である。500年前にはなかったものだが、今は割と一般に普及しているものらしく、クルスも最初は違和感があったものの、すぐに気にならなくなった。それほどまでに、レースを見ているのが楽しかったのだ。
「いやぁー、なるほど。これは盛り上がるなぁ、アルマ!」
「ぎゃおう!」
だが、控え室でレースを見て楽しんでいるのは、クルスとアルマだけであるようだ。
クルス達の参加する第8レースは、記念参加の選手はおらず、みな優勝を目指している竜騎手だけで行われるらしい。1日の締めくくり、いわば大トリであるから、見ごたえのあるレースにしたいという主催者側の思いも込みでの意図的な構成だろう。
選手たちはみな、コンソールと睨めっこしたり、愛竜に言葉をかけたりしている。
「ぎゃ、ぎゃうお? ぐるるう……」
「あんまり気にするなって。意識しすぎて緊張してもダメになるだろ、お前の場合」
不安げな表情をするアルマに、クルスは答える。
作戦は、アルマに対しては既に伝えてある。アルマの今回のスキル構築は<高速飛行><慣性制御><魔力噴射>の3つ。飛竜での高速飛行を目指す場合における、もっともスタンダードな組み合わせだ。おそらく変に捻るよりはこれがベストである。
最初の直線600mを<魔力噴射>による加速で稼ぐ。本来は再充填に時間のかかるアクティブスキルだが、魔力数値の低いアルマは<魔力噴射>の効果が低い分、リキャストが早い。彼女の低めの基礎スペックを逆手に取る。
アルマのスペックなら5分程度でのリキャスト。順調に進めば、コースの後半ではもう再使用が可能になる。
本来なら、そこにサブプラン用のスキルを盛り込むが、アルマの場合は固定スキルが二つあるため、それができない。
最終コーナー手前の直線1800mが勝負だ。ここで再び<魔力噴射>を使う。
直線は小手先の技が通用しない分、竜種のスペックやスキルによる影響が一番出やすい。中盤、騎手の技量を活かせるコーナー多めのコースでどれだけ距離を稼げるかも、重要なところになる。
「(ま、作戦通りにいくわけないけどな)」
クルスはそう言って、控え室にいる他の選手たちを見た。
この短期間でアルマを仕上げるには、限界があった。ある程度は飛び道具に頼らざるを得ず、それは正面からの競り合いが不利であることを表す。単純な速さ勝負に持ち込まれれば勝ち目はない。
特に、あの、ジョニー・ザ・デッドヒート。
レザージャケットにマントを羽織ったその男は、相棒である赤い走竜の首筋を撫で、試合前の興奮を落ち着かせている。
最速のレーサーという称号は伊達ではないだろう。厳しい戦いにはなる。
だが、それは勝負を投げる理由にはならない。アルマが努力をしてきたのは勝つためだ。竜騎士にできるのは、竜を信じ、その力を最大限に引き出すことだ。
120%の力を引き出す、なんてのは嘘だ。いつだって、1+1は2でしかない。
だが、クルス・バンディーナ・ロッソであれば、その竜の100%の力を引き出せる。つまり全力だ。それができれば、いつだって十分だ。
『さぁ、白熱した第7レースもついに終了! まもなく本日のラストレース、第8レースがスタートするぞ! みんな、しばらく待っていてくれ!』
映晶鏡から、“ウォーカー”の実況アナウンスが、会場の空気を伝えてくる。
「第8レース出場選手のみなさん、準備お願いしまーす!」
同時に、控え室の扉を開き、係員が姿を見せた。選手たちは立ち上がり、それぞれの愛竜を引き連れ、ぞろぞろと会場へと向かっていく。
「よし、じゃあアルマ」
クルスも立ち上がり、パートナーであるアルマファブロスの瞳を、正面から見据える。
「勝つぞ」
「ぐぁう!」
『みんな、お待たせ! ついに本日のラストレースだ! 私は断言しよう、こいつは今日の締めくくりにふさわしい、最高のレースになる!』
ウォーカーのアナウンスに合わせ、観客席の熱気が会場全体を包み込む。やはり、彼女は盛り上げ上手のようだ。
クルス達は指示された通りにスタートラインに並び、レース開始の時を待つ。鞍にまたがり、手綱を握り、それからクルスはアルマを落ち着けるため、彼女の首筋あたりを撫でる。
コースに並ぶ竜種は様々だ。牙竜、走竜、飛竜、蛇竜。それぞれがそれぞれの個体特徴を生かし、半径20メートルのサーキットチューブを競り合ってゴールを目指す。
勢いでここまでやってきたクルスだが、この瞬間改めて、アルマの誘いに乗って良かったと感じている。
これは竜にまたがっての戦いだ。その為にアルマを鍛えてきた。
しかし、そこに、誰かを傷つける力を求めたことは一度もない。
500年前、クルスとレジエッタに求められたのは、常に、不特定多数の誰かを効率的に殺戮するための機能だった。
だが、今はそれがない。
クルスにとっては、それが一番うれしい。
『それではレーサーのみんな、位置についてくれっ!? 泣いても笑っても、一本勝負の24000メートル! レース開始、10秒前っ!』
ウォーカーがそのアナウンスを始めた途端、会場が一気に静まり返る。
アルマが、ファイヤーボールゴッドスピードが、他の竜たちが、それぞれの骨格に合わせたスタート体勢を整える。
『ドラグナーレースッ! レディイイイイイィィィィィィ、ゴオォォォォォォォォッ!!』
サーキットチューブを包み込む光学魔法の表示が、赤から青に変わる。その瞬間、すべての竜がいっせいにスタートを切った。
『さぁ、始まったぞ本日のラストレース! リュートシティサーキット24000メートルの覇者! その栄光を手にするのは、いったい誰なんだーっ!』
アルマは、悪くないスタートの切り方をした。クルスは身をかがめ、空気の抵抗を可能な限り低減する。飛び上がったアルマは翼に風を拾うため、まずはチューブサーキットの最頂点、地上20メートル付近に到達する。他の飛竜よりも速い滑り出しだ。
「アルマ、<魔力噴射>!」
「ぐぁう!!」
アルマの全身から、色の無い魔力が後方に向けて噴射される。それは彼女の身体を空中で前へと押し出した。
『あぁぁぁ――――っと! これは意外だーっ! 真っ先に飛び出したのは、“白い超新星”アルマファブロス! アルマファブロスが前に出たぞーっ!』
「白い超新星ってなんだ!?」
勝手な異名をつけるのは、ウォーカーの趣味なのだろうか?
『だが、みんな忘れちゃいないね! スタート直後の直線600メートル、ここを誰よりも速く駆け抜けてきたアイツの存在を!』
ウォーカーが叫ぶ。そう、忘れちゃいない。それは会場にいる全員も、レースを飛ぶクルス達も一緒だ。
「抜けぇッ! ファイヤーボールゴッドスピードォォォォッ!!」
背面下方から吹き出すすさまじい気迫! 砂煙を巻き上げて猛追するその姿を、振り返らずともクルスは極光映晶の映像ではっきりと視認した。
『来たあああああああッ! “神速の火矢”! “紅蓮の光弾”! “地を駆ける彗星”! ファイヤーボールゴッドスピードだああああああッ!』
「なんか異名増えてないか!?」
「ぐぎゃうおっ!」
深紅の走竜が、アルマたちの直下20メートルを、一気に駆け抜けていく。巻き上がる砂煙で視界が不明瞭になるのも一瞬、クルスはアルマに指示を出し、あの速度から生み出される気流の影響を抜け出す。
「はええっ……!」
クルスは思わず口からそんな言葉をこぼしていた。
走竜の直線走行における加速度と最高速度は、スキル構築次第では飛竜の高速飛行をも凌駕する。理屈として、それは知っていた。
クルスも竜騎士仲間たちと、よくそんな机上の空論を議題に上げて盛り上がったものだ。
だが、それを現実に実行している奴がいる。
「これが、ドラグナーレース……!」
風を切り裂き飛行するアルマの背で、クルスは口元を緩めた。
「焦るなアルマ、コーナーで抜くぞ!」
「ぎゃおう!」
はやる心、高鳴る鼓動を押さえ、クルスは叫ぶ。
「一度も追い抜かれたことがないってんなら、その伝説は俺たちが終わらせる!」




