EPISODE 08
苦しい。もう飲めねえ。吐きそう…。
もう少しで倒れるとこだった。通り過ぎるヤツらが,俺のことジロジロ見ていく。なんとか電柱で身体を支えて,見てんじゃねえよ,って叫びたかったが,出てくるのは,苦しげな息だけ。ほんと情けねえ姿だ。
1か月くらい前。母親の兄貴,つまり俺のおじさんが亡くなった。おじさんは,歳とってから,じいさんから受け継いだ小さな家に一人で住んでた。東京の23区外にある築何十年っていうボロ家だ。
おじさんは,一生独身だった。理由は知らない。女嫌いとか,子供がダメとか,そういう感じでもなかった。よく派手なカッコして家に来て,俺をかわいがってくれたけど,子供ながらに「女の影」ってヤツを感じてた。俺には,優しいおじさんだったが,マジメだけが取り柄みたいな母親にとっちゃ,ダメな兄貴に見えたんだろう。よく親父にグチってたみたいだ。
あれは,おじさんの遺品を整理してた時だ。母親が吐き捨てるように言った。
「まったく情けない人生だよ。」
タンスの引き出しから,メイド喫茶の会員証が見つかった。それだけなら,まあ,あれだが,メイドのカードみたいなもん,それとチェキっていう写真が天井一面に貼られてて…。それで,母親はキレたわけだ。
「まったく,なんてザマだい。こんなもん片づけるこっちの身にもなってほしいよ。ほんと最後まで迷惑かけっぱなしで。よく見ておくんだよ。あんたもいつまでも結婚もしないでダラダラやってると,こうなっちまうんだよ。」
今度は,こっちにとばっちりかよ?なんで手伝ってて怒られなきゃいけねえんだ?俺もキレ気味に返した。
「何言ってんだ?こうなったのは,そっちにも責任あるんだからな。」
「…誰のせいとか,そんなことじゃないだろ。将来困るのは,あんたなんだよ。」
わかってた。俺だって,不安はある。
高校卒業まで地元で無難にやって,東京にあるそこそこの大学に入った。で,実家に戻らず,それなりの企業に就職。そこまではよかった。でも,無理は続かないもんだ。たまったストレスで精神的にまいって,リタイア。小さい頃から,厳しかった親の顔色うかがって,ガラにもないことやってきたツケが回ったってことか。
俺は,東京にいたかったが,母親の言ったひとことが心に引っかかった。
「悪いこと言わないから,こっちに戻ってきなさい。東京で暮らすなんて,高い家賃を大家に払うために働いてるみたいなもんだよ。」
まあ,働けなけりゃ,家賃も払えないわけで,しぶしぶ俺は実家に戻った。それから,しばらくして気持ちが落ち着いて,仕事を探し始めた。でも…。かなりいろいろ当たってみたけど,結局見つかったのは派遣の仕事くらい。それもすぐイヤになって,あっけなく泥沼に落ちていった。ちょっと話題になった「貧困スパイラル」ってヤツだ。
「親の言うとおりにしてれば間違いないんだから。」
そんな言葉は信じるもんじゃない。この移り変わりの激しい世の中で,親の世代はろくな「情報」を持っちゃいない。まあ,そんなのちょっと考えればわかることだから,単純に俺がバカだったわけだが。
で,今までの人生が無意味に思えて,いい歳してやさぐれて…。うん。確かに,情けない人生だ。って,納得しててもしょうがない。その場にある物を蹴りつけて帰りたい気分だったけど,それはそれ,かわいがってもらった恩返し,ってことで別の部屋を片づけることにした。
その時以来,母親との折り合いはますます悪くなってた。そして,今朝。また口論になった。何言っても分かり合えないことは,わかってたのに,お互いムシャクシャしてたんだろう。それで,家にいたくなくて飛び出して,気づくと,東京行きの電車に乗っていた。財布以外持ってなくて,手持ちぶさたでポケットをさぐると,メイド喫茶の会員証が入ってた。おじさんの家から何気なく持ってきたんだった。「形見みたいなもんだし。」そんなことだったのかもしれない。
ちょうどいい。行くあてもなかった俺は,その店に行ってみることにした。前からおじさんの生き方には,ちょっと興味があった。確かに,あの時は俺もちょっとひいたけど。部屋中に好きなアイドルのポスター貼るみたいな,昔の中学生じゃあるまいし。でも,家族,親戚のなかで,おじさんが自分といちばん「近い」と感じてきたのは事実だ。
秋葉原駅で降りた俺は,会員証にある雑な地図を頼りに,その店を探した。学生の頃何度か来ただけで,あまりなじみのない街だったのが,ますますわけの分からないことになってた。ウワサには聞いてたけど,ほんとすごい変わり様だ。俺は,さんざん迷った後で,それらしき場所にたどり着いた。
「ここらへんのはずだけどな…。」
どうしても見つからず,俺は,テレビの「アキバ特集」とかでコメント求められるような濃い人を避けて,当たり障りのなさそうな男に声をかけた。
「すいません。この店を探してるんですが…。」
立ち止まった男は,俺が手にした会員証を見て,けげんそうな顔になった。
「もうありませんよ,その店。1年近く前に閉店したんです。」
そう言って,男が指さした先には,新しいビルが建っていた。俺は,戸惑いながら,カードにあった名前を思い出して訊いた。
「じゃあ,そこにいたミライさんって子,どこにいるかわかります?」
「ああ。人気のあったメイドさんですから,みんな探してますよ。でも,少なくとも,この街にはいないと思いますよ。」
「そうですか…。」
なんだよ。無駄足か。がっかりした俺を見て,男は気の毒そうな表情になった。たぶん,ひどくブームに乗り遅れたヤツに見えたんだろう。なんか恥ずかしくなって,急いで男に礼を言って立ち去った。でも,そのまま帰るのも,くやしい気がして,とりあえず歩き回ってみることにした。俺は,革ジャンのファスナーを閉めて,雪でも降りそうな空の下ををぶらついた。
それにしても,人が多い。「ブームは去った」とか雑誌かなんかに出てたが,日曜だからか,そんな感じじゃなかった。おじさんは,しょっちゅうこんなゴタゴタした場所を歩いてたのか。ふと,そう思った俺は,別の店でもいいから,とにかくメイド喫茶に入ろうと決めた。
席に通された時には,かなり疲れてた。満席のため何軒か入れなくてさまよい歩いたから,身体も冷え切っていた。たまたま席の空いてる店を見つけられたのは,ラッキーだったみたいだ。
俺は,少し落ち着いてから店内を見回した。レジの辺りに,それらしきグッズ売場がある以外は,普通の喫茶店とそれほど変わらない。ただ,受付してくれた子をはじめ,そこにいた女の子たちは,かなりかわいい部類だろう。確かに,これなら悪い気はしない。
注文したコーヒーを待ちながら,俺は何気なくとなりの席を見た。じいさんが一人でコーヒーを飲んでいた。歳は,たぶん,俺のおじさんと同じくらいか,むしろ少し上,ってところか。じいさんの正面の椅子を見ると,高そうなコートと,ブランド物のマフラーがかかってた。ちょっと前,『チョイ悪』とかそんな言葉が話題になったけど,そのじいさんは,ちょっと微妙だった。なんていうか,人の良さそうな感じがにじみ出てて,それがなんか痛い感じだった。
「お待たせしました。ご主人さま。ホットコーヒーになります。」
コーヒーが運ばれてきた。微笑みながらミルクを入れるメイドを見て思った。やっぱり,悪くない。それだけで,おじさんの気持ちがちょっとわかった気がした。男ってバカなもんだ。
「これ,もう一杯ね。」
メイドを呼び止めて,じいさんはカップを指差して言った。伝票に書き加えるのを見てたら,俺が来る前に,他にもいろいろ注文してたことがわかった。まだ感覚が戻りきってない手をカップで暖めながら,俺は,コーヒーをすすった。
意外とやることねえな。コーヒーを飲み干すと,すっかり手持ちぶさたになった。メイドと話してみたいとも思ったけど,どう話しかけていいものか,さっぱりわかんなかった。少し離れた席で,常連らしき男が,楽しそうにメイドと話してるのが,なんだか腹立たしかった。
「お待たせしました。はい,どうぞ。」
メイドの声がして,視線を戻した。じいさんのテーブルにコーヒーが置かれていて,メイドが何か差し出していた。じいさんは,それを受け取って,うれしそうに封を切った。
カードだった。おじさんが集めてたのと同じようなヤツだ。
「かぶりませんでしたか?かぶっちゃうと申し訳なくて…。」
「大丈夫ですよ。おかげさまでね。」
そう言って,二人は笑いあった。じいさんは,大事そうにカードを定期入れにしまった。
カードは,飲み物をおかわりをするともらえて,どのメイドのものかわからないように袋に入っている,ということがわかった。
メイドが店の奥に消えると,じいさんは席を立ち,雑誌が置いてある棚のところに行って,ノートを1冊持って戻ってきた。そして,ペンを取り出し,熱心に書き始めた。はじめに文を,それから絵を。見ていると,視線を感じたのか,顔を上げたじいさんと目があった。
「これ,使いますか?」
じいさんは,少しすまなそうに笑って言った。
ノートは,誰でも書き込める「落書き帳」のようなものだった。俺は,軽く頭を下げて答えた。
「いいえ。続けてください。」
「お待たせしました。はい,どうぞ。」
さっきと同じメイドが,じいさんに飲み物とカードを運んできた。今度は,カプチーノだった。一度に2杯注文していたらしい。袋を開けた時,じいさんに,一瞬落胆が見えた。でも,今まで出てなかったモノなのか,納得したようにうなずいた。
「あっ。かわいいですね。」
ノートを見たメイドが言った。描いてあったのは,何かのアニメのキャラのようだったが…。動物?ロボット?俺には,未知の領域だった。じいさんは,照れたのか,赤くなった。そして,メイドの視線を避けるように,カップを手にして,一気に飲み干した。
「こ,これ,もう一杯。」
店に入ってから,2時間近く経っていた。俺の手元にも,カードが1枚あった。店内にいないメイドのものだった。1時間につき1品注文するという決まりがあったからだが,会ったこともない子から『いつも,ありがとう?』なんて,メッセージもらうのは,おかしなものだ。
気づくと,じいさんは,5枚目をゲットしたところだった。この頃には,じいさんが何杯飲むのか気になっていた。他にすることもなかったから,じいさんの観察は,ちょうどいい退屈しのぎになった。
「おっ。これは…。」
「あっ。わたしだ!」
その場にいたメイドのカードが出てきた。じいさんは,しばらく写真を見てから,うれしそうに言った。
「ミミちゃん。これは,当たりだね。」
「何言ってるんですか。当たりとかないですから。そんなこと言っても何も出ませんよ。」
ミミが,じゃれるように,じいさんの肩に触れた。じいさんは,慌ててカップに手を伸ばし,コーヒーを喉に流し込んだ。
「こ,これ,もう一杯。」
「はい。少々お待ちくださーい。」
ちょっとおどけた調子で言って,ミミが戻っていった。じいさんを見ると,そのカードだけはしまわず,幸せそうに見つめていた。
じいさんは,お目当てのメイドのカードが出るまで,おかわりを続けたわけだ。俺は,ふと思った。おじさんも,『ミライ』のカードを手に入れるために,何杯もコーヒーをおかわりしたんだろうか。その時,どんなことを考えてたんだろう。とりあえず,もう少しじいさんにつきあうことに決めた俺は,手を挙げて言った。
「すいません。これを,もう一杯。」
苦しい。吐きそう…。
それから,さらに2時間過ぎて,俺は,今店の外にいる。
会社にいた頃,俺は,胃を悪くしてた。それも,ストレスのせいだった。コーヒーは好きなんだが,やっぱり4杯はつらい。胃のことは,忘れてたわけじゃなかった。じいさんの頑張りを見てたら,なんか思ってしまったんだ。ずっと年下の俺が負けるわけにいかねえ,なんて。我ながら,バカじゃねえの,って感じだけど。
で,吐き気がしてきて,店を出たわけだ。人が飲み食いしてるとこで,ゲホゲホするわけにいかないし。ほんと,バカなうえに,ふがいない。
俺は,電柱にもたれて,酔っぱらいみたいな姿で,じいさんが出てくるのを待っていた。
そうしてると,おじさんのことが心に浮かんできた。
おじさんは,一人で死んでいった。家を片づける,と言ったが,驚くほど持ち物は少なかった。貯金もほとんどなかった。そうだろう。風俗とかに比べりゃ,ずっと安いけど,メイド喫茶に入り浸ってれば,年金暮らしの身にはきつい。
ほとんど何も残さなかった人生。それは,不幸なことだったんだろうか。
じいさんとミミ。二人のやりとりを思い出して,おじさんと『ミライ』に置き換えてみた。あんな感じだったのかもしれない。いや,おじさんのことだから,もっと馴れ馴れしかったのかな。そんなことが,心に浮かんでくる。
これまでだったら,年寄りの恋心なんて笑い飛ばしてただろう。でも,こみ上げる吐き気の中でも,なぜか微笑ましい気分になってるから不思議だ。俺も,この街の空気にやられ始めてるってことか。
天井に貼られたカードや写真。あれは,『冥途の土産』かもしれない。いや,シャレとかじゃなくて。さすがに,この状況でオヤジギャグをかます余裕はない。
おじさんは,何らかの理由で,一人の人を生涯愛し続けることはできなかった。だから,きっと「愛のある」瞬間を積み重ねることで,その代わりにしようとしてたんだろう。孤独死を迎える瞬間に,少しでも楽しいことが心に浮かぶように,って。それで,『ミライ』の微笑みを閉じこめたカードを1枚でも多く…。
それは…。
俺には,わからない。俺も,このままだと母親に言われたように,おじさんと同じような最期になるかもしれない。家族もない。貯金もない。客観的に見れば,そういうことになるだろう。不安も焦りもあるわけで,満足にはほど遠い生活をしてるんだから,不幸と言えないこともない。でも,人に決めつけられると腹が立つ。そんなもんだろ。
そしたら,今度は,母親の顔が浮かんできた。
おじさんを,そして未来の俺を不幸だと決めつけた母。彼女は幸せなんだろうか。
そういう俺も,不必要なくらい真面目な母の人生を,つまらないと決めつけていた。母は,ずっと真面目にやってきた。でも,それは,自由奔放なおじさんを見て,違うポジションを選ばなきゃならなかった,ってだけかもしれない。心のどこかで,先に選択権をもらったおじさんをうらやんでたとしたら…。
わかんねえや。でも,帰ったら,母親と話してみようか,なんて思い始める。とりあえず,おじさんの「名誉回復」でもやってみようか。母親は,間違いなくメイド喫茶と風俗の違いさえわかってない。だから,その説明から始めたら…。でも,頭の固い人だから,実際に店の様子を見てみないと納得しないだろう。え?母親と一緒にアキバ?思わず,想像しちまった。
「ありえねえ。」
つぶやいてみたら,笑えた。少し気分もマシになってきた。俺は,電柱から離れて,通り過ぎる人たちを見る。
何かを求めて,この街に集まってくる人たち。周りが理解しようがしまいが,間違いなくそれぞれに理由がある。
ドアが開く音がした。コートを着たじいさんが店から出てくるのが見える。俺は,近づいて行って,ポケットに入れていた右手をじいさんのほうに伸ばす。
「よかったら,これ,どうぞ。」
「あ…。」
店でもらった3枚のカード。そのうちの1枚で,チアガールのコスプレをしたミミが笑ってる。じいさんが引いたものとは,絵柄違いみたいだ。
「でも…。いいんですか?」
「ええ。どうぞ。」
戸惑っているじいさんに,俺は,カードを握らせ,笑顔を作る。
「いつか必要になるかもしれないけど,俺の場合,まだ先ですから。それまでに胃を鍛えておきますよ。」
〜オムライス・クレイジー EPISODE08 『微笑貯金』 〜