EPISODE 07
「あいつほんとムカつく!」
沙也加が,カバンを机に叩きつけて言った。
「あいつ?」
「生徒指導の戸田にきまってるでしょ!」
あまりのキレ方にひき気味なあたしたちを,沙也加はすごい目でにらんだ。
「ちょっとぉ。その顔,シャレになんないんですけど。」
「そう,そう。ヒロ君が見たら,破局決定だね。」
みんな好き勝手にフォローにならないことを言った。その時だった。沙也加の目から,涙がこぼれ落ちた。
「ちょ,ちょっと。あんた,どうしたの?」
あたしは,思わず沙也加の肩を抱いてた。過呼吸になるんじゃないか,ってくらい,荒く息を吸い込んでから,やっと聞き取れるくらいの声で,沙也加が言った。
「…ペンダント…とられた…。」
「えっ?ペンダント,って,誕生日にヒロ君からもらったアレ?」
まったくひどい話だよ。沙也加が学校に着くと,校門のところに戸田が立ってたらしい。抜き打ちの服装検査ってヤツ。ほんと陰険だ。戸田は,沙也加の襟元からのぞいてたペンダントを見て,強引に没収したんだって。
あのペンダントが,沙也加にとってどんな意味があるか,戸田なんかにわかるはずない。好きなことズバズバ言うくせに,恋愛ってなると,自分に自信のない沙也加は,やっとのことでヒロ君にコクったんだ。それで,二人がつきあい始めて最初の誕生日に,ヒロ君がバイト料はたいて買ったのが,あのペンダントってわけ。だから,戸田みたいな,恋なんて大昔の話っていうオヤジに,あの大切さはわかんない。いや,あいつは絶対見合いだ。あんな無神経な男,好きになる物好きいないでしょ。
結局,沙也加は,ショックが大きくて,1校時が終わると早退した。無理もないよね。あたしたちは,うまく慰められなくて,ぎこちなく見送っただけ。ふがいないな,あたしら。みんな,そういう顔してた。
放課後になった。あたしは,バイト先の店で,ケータイを気にしてる。何度かメール送ったのに,ずっと返信なし。やっぱり,重症だな。
「りのちゃん。これ,お願い。」
「はい。」
あたしは,テーブルにコーヒーを運ぶ。
「おまたせ。お兄ちゃん。」
そう言って,あたしは精一杯笑顔をつくる。
バイト先は,いわゆる「妹系メイド・カフェ」っていう,なんというか,まあ,そういうお店。お客さんは,お兄ちゃん。あたしたちは,かわいい妹。って,冷静に考えたら,ヘンだけど,この仕事は嫌いじゃない。ちょこっとだけど,ファーストフードより時給高いし,それに,制服かわいいからね。
「りのちゃん。あそこのお兄ちゃんと,これ。」
先輩から,ゲームを手渡されたあたしは,別のテーブルに向かう。プラスチックの剣を樽に刺すと,人形が飛び出る,あの古典的なヤツだ。
ここには,女の子とゲームするのが目当てで来る人が多い。こんなんで商売になるんだから,世の中おかしいっていうか,おもしろいっていうか…。まあ,社会勉強にもなりますよ。
「おまたせ。お兄ちゃん。わたし…。」
えええっ!?名前を言おうとしたあたしの心臓が,ドキンっていった。
戸田ぁ?そこに座ってるのは,間違いない,戸田だ。もしかして,無断でバイトしてるって,誰かがチクって,それで…。いや,違う。あたしに気づいた戸田も,顔が引きつってる。これって,ふつうに客ってこと?どうしよう。偶然見つかったにしても,同じだよな。あたし,謹慎?あ,でも,戸田も気まずそう。別に,こういうとこに来るの悪くないけど,やっぱり見られたくないよね,教師は。ってことは,五分五分?
「り,りのです。よろしく,ね。お兄ちゃん。」
とにかく,やるべきことをやるしかない。他に何も思いつかないから。あたしは開き直った。
「黒ひげ,10分,だよね?」
でも,口の中が乾いて,うまくしゃべれてない。
「あ。う,うん。よろしく。」
え?…戸田が合わせてくれた。あの戸田が?いつもムスッとして,あたしたちのあら探しばっかりしてるオヤジが?
「じゃ,わたし先攻!」
なんでもいいから,さっさと終わらせよう。戸田があたしを注意するつもりじゃないなら,あとは気まずさに耐えるだけだ。
「つ,次は,僕が…。」
剣を持つ戸田の指先がふるえてる。調子狂うなあ。生徒の大部分が恐がってる『生徒指導の鬼』なんてとても思えない。でも,そういうあたしだって,手のひらに汗をかいて,何度も床に剣が落ちる。
「あっ。す,すいません。」
「いや。だ,大丈夫。」
その度に,こんなやりとりになる。すでに兄妹じゃないって。あー。マヌケだ。
そんなことを除くと,無言でゲームが進んでく。
『うーん。なかなか勝負つかないね。』
『そろそろだから,こわいなあ。』
ふつうだったら,そんなことでも言い合って,笑ったりするのに。二人とも,剣を刺すことに集中するふりしてる。まったく。まわりから見たら…。
「あっ!」
あたしの剣で,ひげの人形が飛び出した。何回かはずんで,床を転がってく。あたしたちは,人形が止まるまで目で追う。
「出たね…。」
「うん。出た…。」
ほんとマヌケだ。
とにかく終わった。戸田は,すぐに伝票を手にとって,会計に向かう。見ると,レジには誰もいない。仕方なく,あたしも後についてく。
「1,200円になります。」
財布を取り出しながら,戸田があたしに顔を寄せる。あー。やっぱり謹慎?あたしは,ちょっと身体をかたくする。戸田は,言いにくそうな顔して口を開いた。
「あ,あのな,お前に頼みがあるんだが。明日,吉田に…その,ペンダントをな…返してやってくれないか?」
えっ?どういうこと?
「ほら。取り返してやったよ。」
ペンダントを差し出すと,沙也加は目を丸くした。
「え?な,なんで?どうやって?」
「あいつの机の上にあったの持ってきちゃったんだ。あれだけいろんな子からアクセとか没収してんだから,一個くらいなくなっても,わかんないっしょ。」
あたしは,『打ち合わせ』した通りテキトーなことを言う。
「あっ!」
沙也加が,声を上げて,あたしの後ろにかくれるようにする。廊下の向こうから,戸田が近づいてくる。あたしは,どんな顔していいかわかんなくて,ちょっと目をそらす。
「おはよう。」
戸田は,そう言って,足早に去っていく。
「よかったあ。バレてないみたい。ほんとありがとね。」
沙也加が,あたしの手を握る。戸田の背中を見送りながら,あたしは思う。戸田,少し笑ってたような…。気のせい?でも,とにかく,まあ,オトナもいろいろあるってことかな。やっぱり,バイトって社会勉強になるね。
〜 オムライス・クレイジー EPISODE 07『勉強』 〜