EPISODE 06
どうしちゃったんだろう。
「これ,お願い。カウンター右端のご主人さまにね。」
ららちゃんにそう言って,わたしは,ホールに背を向けた。
子供の頃から,バランス感覚がなかった。だから,自転車の二人乗りができない。それに,貧血気
味だから,立ちくらみとかは,いつものことだ。でも,これはちょっと…。
遠のく意識のなかで,わたしの耳に,悲鳴だけが聞こえてた。
気づいた時,わたしは,ベッドに横になってた。真っ白な天井から視線を移すと,そこには,らら
ちゃんの顔があった。
「あっ。フラウ姉さん。」
「ららちゃん,わたし…。」
仕事中めまいがして,倒れたわたしは,病院に運ばれていた。
「大丈夫ですよ。ただの過労だって,お医者さんが言ってたから。ほんとよかった…。」
ららちゃんは,泣きそうな顔で笑ってた。わたしは,何日か寝不足が続いてたことを思い出した。
「あ,イベント…。」
わたしは,上半身を起こして,ベッドから出ようとした。ららちゃんが,わたしの肩を押さえて言
った。
「ダメですよぉ。まだ寝てなきゃ。イベント,みんなで頑張って,うまくいきましたよ。だから,姉
さんは,ゆっくり休んで…。」
「最悪だね。わたし…。」
わたしは,頭を抱えた。その日は,店で,クリスマス・イベントをやっていた。1年でいちばん大
きなイベントのひとつ。その忙しい時に,わたしは,みんなの足を引っ張ってしまった。
「ごめんね。ごめん…。」
なんとか,泣くのをこらえた。もう泣かない,って約束してたから。
ららちゃんが,わたしの身体を優しくベッドに横にした。
「姉さん,毎日夜遅くまでイベントの準備してたでしょ。メニュー書いたり,カード作ったり。頑張
り過ぎたんだよ。」
「でも,大事な時にこれじゃ,全然意味ないよね。」
確かに,自分なりに頑張ってたと思う。新しい店に移って初めてのクリスマスだったから。わたし
の心に,他のメイドの顔が浮かんできた。
「あーあ。また,セリナちゃんたちに嫌味言われちゃうな…。」
「えっ?イヤミって…?」
わたしは,以前,今のお店のライバル店と言われたカフェで働いてた。そのことをよく思ってない
女の子たちがいることには,うすうす気づいていたけど…。
少し前のことだった。わたしは,シフトの入ってない日に,忘れ物があったのを思い出して,お店
に行った。ロッカーから取り出して,控え室を出ようとすると,セリナちゃんの声が聞こえてきた。
『まったく,他の店から来たくせに,はりきり過ぎてウザイっての。なんか最近,メイド長気取りじ
ゃない?ルリカさんがいたら…。』
わたしに気づいたセリナちゃんは,それ以上言わなかった。わたしは,ぎこちなくあいさつして,
店を出た。
「あれはキツかったなあ。」
「気にすることないですよ。姉さんのほうが,かわいくて仕事できるのをひがんでるだけですから。
今度,そんなこと言ったら,わたしが…。」
「ううん。わたしも思うよ,時々。ルリカさんがいてくれたらって…。」
ルリカさんは,わたしの先輩・ミライさんと並び称された『カリスマ・メイド』だった。何でもで
きる優等生タイプのミライさんと,華があって開放的な性格のルリカさんは,ほんとに好対照だっ
た。でも,ネットに書かれてたように仲が悪かったわけじゃない。ミライさんに連れられて合同イベ
ントに行った時,二人が話してるのを見たことがある。ちょっとした会話だったけど,お互いを認め
あってるってことが伝わってきたのを覚えてる。
お店には,わたし以外にも他の店から来た子たちがいて,店の中が,ピリピリした雰囲気になるこ
とがあった。だから,ルリカさんがいてくれたら,きっとうまくまとめてくれるって思ってた。
「たいへんですよね。環境が変わるのは。あの,姉さん…。」
ららちゃんは,言いにくそうな顔してた。わたしは,笑みを見せて,うなずいた。
「いいよ。何でも言って。」
「前から訊きたかったんですけど…。わたしバカでガサツだし,セリナさんがそこまで言うなんて知
らなかったけど,気づいてました。やっぱり,ライバル店に移るのって,いろいろあるんだなって。
だから,思ってたんです。なぜ,『カスタムめいど』に来たのか,って。なぜ,イヤな思いしてま
で,うちで働くのか,って。姉さんなら,他の店では圧倒的な看板メイドさんになれるのに。」
「ミライさん。ほんとにメイドやめちゃうんですか?」
わたしは,最後にミライさんに会った時のことを思い出した。
去年の今頃。閉店したお店の片づけが終わった日のことだ。一緒に駅まで歩いて,改札を通ったと
ころで,二人立ち止まった。
最後になるかもしれない。そう思ったわたしは,訊かずにはいられなかった。
ミライさんは,ちょっとさみしそうに笑って,うなずいた。それを見たら,涙がこみ上げてきた。
わたしは,かすれ始めた声で言った。
「また一緒に働きましょうよ。みんなで同じ店に移って,『へぶん』の雰囲気を作ればいいじゃない
ですか。ミライさんがいれば,どこだって…。」
ミライさんは,首を横に振った。
「無理だよ。いつまでも変わらないなんて。」
「そんなこと,やってみないと…。」
わたしの目から涙があふれ出した。ミライさんは,ハンカチを取り出して,優しく涙を拭ってく
れた。
「ダメ。泣いたりしちゃ。もうあなたは新人じゃないんだから。次の店では,即戦力として期待され
る立場なの。だから,元『へぶん』のメイドとして,プライドを持って,しっかりやらなきゃね。」
「約束したんだ,ミライさんと。しっかりする,って。だから,どこかで見ててもらいたくて,でき
るだけ有名な店に移ることにしたんだよ。雑誌の取材がたくさん来るような。」
わたしは,ららちゃんの視線を避けるように,天井を見つめながら続けた。
「でも,全然ダメ。ほんといつまでも『ダメイド』のままで。ミライさん,きっとがっかりして
るね…。」
「そんなことないですよ。姉さんが来てから,店がうまく回るようになったって,店長が話してるの
聞いたことあるし。」
わたしは,枕がこすれる音がするくらい,強く首を振った。
「ダメなの。わたしなんか,ダメ。ちょっと困ったことがあると,いつだって,ミライさんのこと思
い出してる。こんな時,ミライさんなら,どうするだろう,なんて言うんだろう,って。わたしな
んか,一人じゃ何もできない。一人じゃ…。」
もう我慢できなかった。涙が溢れ始めた。ため込んでたものを吐き出すように,わたしは声を上げ
て泣きじゃくった。
わたしが泣いているあいだ,ららちゃんは,何も言わず,止めどなく頬を伝う涙をずっと拭い続け
てくれた。
わたしが少し落ち着いた頃,ららちゃんが照れくさそうに言った。
「姉さん。今まで黙ってたけど,わたし,店で働き始める前,一度姉さんに会ってるんですよ。」
「ああ。うん。『お嬢さま』として来てくれたんだよね。」
「ええっ!どうして…。」
ららちゃんは,飛び上がるくらいに驚いた。わたしは,はっきり覚えていた。時々,その時のこと
を思い出して,笑ったことがあるくらいだ。
「よくも『どうして?』なんて言えたもんだなあ。『メイドなんて,この世から消えちゃえばいい
のに。』って顔してたよ。」
わたしが,ちょっと意地悪く言うと,ららちゃんは真っ赤になった。
「ほんと,ごめんなさい。あの頃,彼とうまくいってなくて。わたし,彼にロリ系の服が好きな子と
フタマタかけられてる,って勘違いして。だから,あんなこと…。」
「あっ!ららちゃんっ!」
わたしは,跳ね起きて叫んだ。またひとつまずいことをした,と気づいたからだ。
「もうっ。姉さん。まだ寝てなきゃ…。」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。今日はクリスマスだよ。早く,彼のところに…。あ…。」
枕元の時計を見て,わたしは,ため息をつき,うなだれた。もう午前2時を過ぎていた。
「ごめんね。わたしのせいで…。ほんと,わたし…。」
「大丈夫ですよ。彼もわかってくれてるから。」
ららちゃんは,わたしの横に座って,肩を抱いてくれた。
「自信持ってください。姉さんは,すごいんですよ。」
わたしの身体を揺さぶって,ららちゃんは,勢い込んでしゃべり続けた。
「ふつうできないですよ。あそこまで失礼なこと言ったわたしに,あんなふうに笑えるなんて。あ
の時,思ったんです。この人と一緒に働きたい,って。姉さんは,メイド嫌いな子をメイドにしたん
ですよ。これって,すごくないですか?ほら,『ミイラ取りがミイラになる』って言うじゃないで
すか。え?それじゃ,わたしたちはミイラ?それはやだな。じゃ,これはどうです?前に,テレビで
見たんですけど,坂本りょうまは,カツカイシュウ?を斬りに行ったんです。でも,『この人す
ごい!』って思って,尊敬しちゃったんです。あ。でも,わたしなんかを坂本りょうまにたとえた
ら,金八先生に怒られちゃいますよね。」
わたしは,思わず吹き出して,ららちゃんの肩を叩きながら言った。
「いいっ!やっぱり,おもしろいよ。ららちゃんって。」
「よかったぁ。姉さんが笑ってくれて。わたしでも役に立つことあるんですね。」
「何言ってんの。ららちゃんこそ,すごいんだよ。初めて会ったときね,思ったの。何となくルリカ
さんに似てる,って。」
そう言うと,ららちゃんは,また顔を赤くして,首を横に振った。
「そんなわけないですよ。わたしが,伝説のメイドさんに似てるなんて。それに,冷静に見たら,ヘ
ンですよ,わたしたち。こんな時間に,お互いほめあったりして。あの,姉さん…。」
ららちゃんは,真顔になって,わたしを抱きしめて言った。
「一緒に頑張りましょうよ。いつかミライさんやルリカさんが戻ってきてもいいように。」
それから,2日後の朝。
わたしは,誰もいない店の控え室で,一人掃除をしていた。みんなに迷惑をかけたお詫びだった。
いろいろ考えてみたけど,それくらいしか思いつかなかったから。
「あーあ。何やってんだか。病み上がりのくせに。」
気づくと,ドアのところに,セリナちゃんが腕組みして立っていた。わたしは,モップを壁に立て
かけて,彼女のほうに踏み出した。
「おはよう。ごめんね。でも,もう大丈夫だから。」
「あのさ,あたし…。」
セリナちゃんは,わたしに背を向けて,自分のロッカーの扉を開いた。
わたしは,彼女の横顔が見えるところに行き,頭を下げた。
「ほんとにごめんね。わたしのせいで,いちばん忙しい時に…。」
「あーあ。もうっ。」
セリナちゃんは,わたしに向き直って,じれったそうに首を振った。
「いつも謝ってばっかり。あんた,ほんとムカつく。謝るのはわたしのほうなんだから。」
〜 オムライス・クレイジー EPISODE 06 『後輩』 〜