EPISODE 04
「もう無理だ。」
わたしは,先輩たちに手を振って,駅とは反対の方向に歩いた。自販機でビールを買って,公園のベンチに腰掛ける。夜風もなく,湿った空気のせいで,Tシャツが肌に張りついて,イライラしてきた。
わたしは,缶ビールを開けて,一気に飲み干した。そして,2本目。
それを半分くらい飲んだ時だった。ロリータ・ファッションの女の子が,公園に駆け込んできた。
えっ?なに,なに?
あっけにとられてるうちに,彼女は,わたしが座ってたベンチの背もたれの後ろに隠れた。
誰かに追われてる?そう思ったわたしは,振り返らないようにして,さりげなく周囲を見た。でも,それらしい人はいないようだった。
彼女が息を整えるのを待って,わたしは声をかけた。
「どうしたの?追われてたなら,もう大丈夫だと思うけど。」
「す,すいません。追われてたわけじゃないんですけど…。」
背もたれにつかまって,彼女が立ち上がった。スカートの裾についた砂が気になるようで,何度も手で払いながら,つけ加えた。
「地元の知り合いを見かけて,パニックになっちゃって…。」
年は,たぶんわたしと同じくらい。縦ロールの髪が乱れて,前髪が,汗でおでこに張りついてた。どこかで見かけた顔だった。
「あの,よかったら,どうぞ。」
立ち話もなんだったから,となりに座るように勧めると,彼女が叫んだ。
「ああっ!『カスタムめいど』のららさんですよね?」
「…ええ。まあ。」
驚いた。でも,それで思い出した。彼女は,何度か店に来てくれてたお客さんだった。
「地元の人に会うと,まずい,ですか?」
とりあえず,何か言おうとしたら,敬語になってた。それがちょっとヤだった。いきなり仕事モードになったりして。それに,彼女も,なんか現金,とか思ってるかも,なんて…。
「すいません。じゃあ…。」
彼女は,気にしてない様子で,腰を下ろして答えた。
「突然現れてすいません。あの…私の地元って,すごい田舎なんです。だから,なんていうか,こういう服に理解がないというか。普段は地味な服着てるんです。当たり障りがないと思われるような。週末東京に来た時だけ,好きなお洋服が着られるんですよね。でも,こんなところで地元の知り合いに会うなんて…。」
「まあ,少し下火って言われてますけど,観光地みたいなものですからね。」
確か映画でそんなエピソードがあったっけ。田舎ってたいへんなんだな。他人事に思いながら,わたしは,缶ビールを口に運ぼうとした。すると,彼女が訊いた。
「こんなところで何してるんですか。一人でお酒なんか…。」
なんだかとがめるような目つきだった。面倒な子かも。わたしは,となりに座らせたことを後悔しながら,言った。
「未成年じゃないですよ。どう見えるか知らないけど,一応ハタチだから。」
「そういうことじゃないんです。」
「じゃあ,なに?」
彼女の強い口調に,思わずわたしは,けんか腰になってた。突然バイト先の名前で呼ばれて忘れてたけど,ムシャクシャした気分が戻ってきた。彼女は,さみしそうな表情になって答えた。
「『カスタムめいど』のメイドさんが,そんな…。」
「メイドは,酒飲んじゃいけないってこと?」
「いけない,ってことはないですけど…。あの…特撮ヒーローの役をする俳優さんは,番組が放映されてるあいだは,街でお酒を飲んだりしないように言われることがあるそうです。だから…。」
わたしは,見せつけるようにビールを喉に流し込んで,投げやりに言った。
「いいよ。別に。ネットとかに書けば?『公園のベンチで一人で飲んだくれてました。メイド失格。』とかさ。」
「そうじゃなくて,でも…。」
うまく言えないのを,もどかしく思ってるみたいだったけど,彼女の言いたいことは間違ってない。誰よりわたし自身,自分がダメなことわかってたし。でも,人に言われると,ひどく意地悪な気持ちになった。
「そうだよ。メイド失格だよ。お客さんに,こんな情けない姿見せてさ。でも,人のこと言えるの?あなただって自分の格好を恥ずかしいと思ってるわけでしょ。知り合いから逃げたりして。」
「恥ずかしい,っていうか…。わかってるんです。こんな服,ちっとも似合ってないって。でも,好きだから…やめられないんです。ただ,地元では…。そんなに強くなれないんです。だから,なんていうか,あなたにはプライドを持ってほしいっていうか…。」
「プライド?『カスタムめいど』で働いてることに?」
わたしが訊くと,彼女は無言でうなずいた。わたしは,彼女の真剣なまなざしを避けるようにして言った。
「わたしは,たまたま面接に受かっただけだから…。」
「理由なんか,どうでもいいですよ。でも,あなたが,あのお店のメイドさんだってことは事実なんです。だから,そのことを…大事にしてほしいんです。…選ばれた人なんだから。だって,わたしなんか,どうやったって『カスタムめいど』のメイドさんには…なれないんですよ。」
『やってみないとわかんないでしょ。面接受けてみれば?』
とは言えなかった。あまり他人の見た目のこと言うのは好きじゃないけど,確かに…。わるいけど,フォローできなかった。
「わたしなんか,どんなに…なりたくても…。」
彼女は,ポロポロと涙を流し始めた。
おい,おい。泣きたいのは,こっちだっての。わたしは,そんな気分になってた。
「わたしに期待なんてしないでよ。他のメイドさんはともかく,わたしはダメ。言われなくてもわかってるの。それに,あなたが『カスタムめいど』を好きなこともよくわかった。大丈夫だよ。わたし,お店やめるつもりだから。」
「えっ?」
彼女は,赤い目を大きく見開いてた。わたしは,ポケットからハンカチを取り出し,手渡して言った。
「ごめんね。ヘンなこと言い出して。でも,よかったら聞いてくれないかな。他に話せる人いないし…。」
『よく知らない人だから,かえって大事なことを話しやすい。』
時々そう言われるのを聞くけど,そんなことありえない,って思ってた。それまでは。でも,そういうことってあるんだ,って今はわかる。不思議と自然に,心の中にあったものが,わたしの口からこぼれて出た。
「わたしね,同じ大学の彼がいるんだけど,彼,今でも元カノと会ってるみたいなんだ。その元カノって,ガサツなわたしと違って,ほんと女の子らしいっていうか。服とかも,あなたみたいなかわいい服が好きで。かなわない,なんて思って。『カスタムめいど』の面接は,成りゆきで受けたんだけど,なぜか受かっちゃって。でも,ちょうどよかったんだ。だって,急に服の感じ変えるわけにいかないけど,メイドになれば,堂々とかわいい服着れるからね。そしたら,彼も,少しは…なんてね。それに,すてきな先輩がいて,憧れたのもあったし。」
彼女は,やっぱり驚きを隠せないみたいだった。でも,黙って私の話を聞いてくれてた。わたしは,大きく息を吐いてから,続けた。
「でも,そんな不純な動機でやっていけるもんじゃないよね。彼とは,ますます距離ができた感じで…。今日だって,久しぶりに,大学以外で会ったのに,言いたいこと何も言えなかったし。きっとバチが当たったんだよ。お店でも,いつも失敗ばっかり。何度同じことやってんの,って感じのミス連発しちゃって。でも,先輩たちは優しいし,ろくに接客もできないのに,テーブルに行くと,お客さんは『ありがとう』って言ってくれるんだ。こんなわたしにね。みんなが,お店を大切に思ってるのが,すごくよくわかって…それが,もうつらくて…。」
わたしの目からも涙が流れ始めた。彼女は,慌てて自分のハンカチを取り出して,わたしの頬に当ててくれた。レースで縁取られた花柄の,すごく肌触りのいいハンカチだった。
「あなたにも,ヘンなこと言って,迷惑かけちゃって,ごめんね。こんなこと聞かされても,ほんと困るよね。でも,これでいいんだ。」
わたしは,ハンカチをたたんで,彼女に返して,ベンチから立ち上がった。そして,精一杯の笑顔を作った。
「だって,こんなメイドに不向きな子が,人気メイド・カフェにいるなんて,ちょっと前に話題になった『偽装』ってことになっちゃうでしょ。聞いてくれて,ありがとう。よかったよ。このままだと誰にもほんとの理由を話せないままで,やめることになってたと思うから。ハンカチ洗って返せなくて,ごめんね。」
「待って。」
彼女も立ち上がって,わたしの手をつかんだ。とても強い力だった。
「ららさん。わたし…あの…うまく言えないけど…。」
「うん…?」
戸惑ってるわたしを気遣うように,彼女は,言葉を選びながら,ゆっくりと話した。
「最近,アキバのカフェ,女性のお客さん増えてますよね。もちろん,友達同士や家族連れで,気軽に観光で来てる人は多いです。でも,地元にはメイド・カフェがなくて,そのままの自分を受け入れてもらえない人もいるんだと思います。そういう人たちのなかには,『いつか上京して,こういうお店で働きたい。』って,夢ができる人もいるんですよ。私みたいに,メイドさんになりたくてもなれない人だって,自分が好きな世界の一部になれるって感じられるんです。それから,中年の女性も見かけますよね。若い頃,好きな格好ができなかったからなのか,メイドさんみたいな娘さんがほしいからなのか,理由はよくわかりません。でも,自分の日常の生活にはないことを求めて,お店に来てるんです。みんな,それぞれ理由があるんです。ああいう場所が必要なんです。だから…。」
彼女は,わたしの目をまっすぐに見つめて,微笑んだ。
「だから,こう考えたらどうですか?ららさんが『嘘』をついてくれるおかげで,わたしたちは本当の自分になれるんです。それでも,嘘をつくのはいけないことですか?」
〜 オムライス・クレイジー EPISODE 04 『ヒロイン』 〜