EPISODE 12+
「よろしくお願いしま…。あっ。」
通行人にビラを配っていた私は,知っている顔を見つけて,思わず声を上げた。
「ららさん!」
「ええと…あの…。」
彼女は,戸惑いを隠せないようだった。突然声をかけられたことと,私を「識別」できないこと,理由はその両方だったと思う。
私は,エプロンにつけていたネームプレートを示して,言った。
「今は,なつき,っていいます。」
「メイドさんになったんだ。あの…。」
わたしのことを思い出したみたいだった。でも,その表情には,まだ戸惑いが残っていた。私は,笑みを見せて言った。
「言いたいことは,わかります。私,ずいぶん変わりましたよね?」
日曜日の昼下がり。歩行者天国になった中央通りを,絶え間なく人が行き交う。私たちは,道端の金属製の柵に並んで腰掛けた。
「仕事中でしょ。大丈夫なの?」
「平気です。元々,ビラ配りした後は,休憩時間になってますから。ららさんこそ仕事は?」
「今日はオフ。先輩のメイドさんたちが出るイベント見に行くんだけど,それまでは買い物。」
半年ほど前まで,地方都市の小さな工場で働いていた。周囲から見たら何の取り柄もない地味な存在だった私は,週末だけアキバで,好きな服を着て過ごすことにしていた。もちろん,地元の人は,そんなことは知らなかった。ある日,アキバで,高校の時の同級生を見かけて,慌てて近くにあった公園に逃げ込んだ。そこで,偶然ららさんに会った。彼女は,アキバで一番人気のあるカフェのメイドさんで,私も客として何度かその店に行ったことがあった。
「でも,ほんとびっくりしたよ。声かけられた時,誰だかわからなかったもん。」
彼女は,改めて驚いたような表情をして言った。私は,お腹のあたりをさすりながら,ちょっと照れながら応える。
「頑張ったんですよ。ダイエット。」
「そうかあ。しばらくお店に来てくれないと思ってたら…。」
彼女と出会った後,私は,やせようと決心した。それまでも,何回となく『ダイエット宣言』したことがあったけど,その度に挫折してきた。でも,今回は違った。自分が好きなことをするために,絶対に必要なことだったから。ロリータ・ファッションの似合う体型を手に入れる。とにかく,それなしでは,先に進めなかった。
「ららさんと公園で話した後,考えたんです。えらそうなこと言ったくせに,私は,自分のやりたいこと何もできてなかったから。」
「何言ってんの。なんとかこれまでメイド続けられてるの,なつきちゃんのおかげだよ。ほんと,あの時は,話聞いてくれて,ありがとうね。ずっとお礼言わなきゃ,って思ってたんだ。」
彼女は,真面目な顔で,頭を下げた。私は,慌てて,首を横に振った。
「やめてください,そんな…。こっちこそ,話せてよかったです。そうじゃなかったら,今も,あの町で,やりたいこともできないままだったと思うから。あの,よかったら,これ…。」
私は,渡しそびれていた店のビラを差し出した。彼女は,それを受け取って,つぶやいた。
「リフレのお店なんだね。」
「はい。わたし,人からほめられたことって,ほとんどないんです。でも,小さい頃,周りの大人によく言われたんです。肩を揉むのがうまいって。なんか,それ思い出して…。面接の後,マッサージの研修があって,最近やっとお客さんの前に出られるようになったんです。と言っても,まだそんなにシフトに入れなくて,別のバイトと掛け持ちなんです。たいへんだけど,東京で暮らしていくために,頑張らないと。」
「引っ越して来たんだね。やっぱり,生活は厳しい?」
「そうですね…。家賃が高いですね,東京は…。」
目の前を通り過ぎていく人たちを見ていたら,ここしばらく心のなかにあったことを話したくなった。唐突なのは承知で,私は話題を変えた。
「ららさん。私,こんなふうに人が多いと,安心するんです。今は,楽しいけど,ほんと言うと不安なんです。いつまで『ブーム』が続くんだろう。自分はいつまで好きなことやっていられるんだろう,って。天気のこととか,あまり気にしなかったんだけど,アキバで働くようになってから,天気予報毎朝チェックしてるんですよ。」
「学園祭か…。」
彼女は,思い出したように小声で言った。私には,まったく意味がわからなかった。
「えっ,何ですか,それ?」
「前にうちの店の常連さんが言ってたんだ。『アキバは,毎日が学園祭』だって。大学の学園祭で模擬店出したことあるんだけど,天気によって売り上げが変わるんだよね。そういうところも似てるのかなって。」
「そうか…。学祭って,楽しいけど,絶対に必要なものじゃないから,雨が降ったりすると,来ない人も多いんですよね。」
私は,そう言って,少しさみしくなった。すると,彼女が,笑みを見せて言った。
「でもね,きっと,他のことしてたり,家にいたりしても,ふと『今も,アキバは学園祭状態なんだな。』なんて考えたら,ちょっとほっとすることってあるんじゃないかな。それって,意味のあることだと思わない?」
私は,初めてお店で彼女を見た時のことを思い出した。第一印象は間違っていなかった。やっぱり,彼女はルリカさんに似ている,と思った。ルリカさんは,『伝説のメイド』と言われる人で,最近アキバに『復帰』したことが話題になっている。
彼女は,回想に浸っている私の答えを待たずに,続けた。
「なつきちゃん。わたしも,不安になるよ。いつまでここにいられるんだろうって。でも,なんの仕事してたってどうにもならないことはあるんだよね。」
彼女の顔には,まだ笑みが浮かんでいた。 私は,気が軽くなっていくのを感じた。
「そうですね。当たり前だけど,私たちは,今できることを精一杯やるしかないんですよね。あっ。ごめんなさい。私なんかと人気メイドさんを一緒にして。」
「関係ないよ。」
彼女は,強く首を振って,言った。
「店が有名だとか,そうじゃないとか。アキバって,やっぱり変わった街だって思うんだ。店同士が,ライバルと言えばそうかもしれないけど,同時に支え合ってる感じがして。お客さん,店をハシゴしたりするでしょ。行こうと思ってた店が,混んでたら別の店に行くこともあるし。それに,深夜にやってる店があるから,時間気にしないで遊べたりするんだよね。メイドだって,別の店に客として行ったりするよね。それで,お互いがよくなっていけば…。あ。」
気づくと,小学生くらいの女の子が,こちらをじっと見ていた。彼女は,柵から降りて,私の服を指差して言った。
「お嬢ちゃんも,こういう服好きなの?」
女の子は,目を伏せてしまった。それでも,小さな手を握りしめて,首をたてに動かした。すると,彼女の目が輝いた。
「いい子だねっ。」
彼女は,身をかがめて,目線を合わせ,優しく言った。
「大きくなったら,立派なメイドさんになるんだよ。待ってるからね。」
〜 オムライス・クレイジー EPISODE 12 『未来』〜
オムライス クレイジー
written by KEYーD
supported br TEAM S.K.R.
久しぶりのアキバは,あっけないくらい変わらない表情で迎えてくれた。1年が経っているとは思えなかった。
来ようと思えば,これまでも来ることができた。でも,その気になれなかった。東京から戻った時,ギャップが大きくて「現実」に戻るのが辛いというのが理由だった。俺が転勤した地方都市では,8時を過ぎると,駅前でも急激に人通りが少なくなる。電車を降りてその光景を目の当たりにすることを想像すると,何とも言えない暗い気分になった。
それが…。先週ネットをやっていて,驚いた。俺の知っている店がまたひとつなくなっていた。
俺は,今までの「引きこもり」が嘘だったように,特急の切符を手配し,土曜日の朝,東京に向かった。
『カスタムめいどcafe』の雰囲気も,変わっていなかった。壁や棚は,イベントのポスターやグッズであふれ,メイドたちが,それを背景に微笑みを振りまいていた。常連客が,彼女たちに話しかけようとタイミングを計っていて,ロリータ・ファッションの中高生たちは,憧れのまなざしを向けていた。テーブルにガイドブックを広げる観光客のグループもあった。
ため息がもれる。
今,俺は,カフェの椅子に座り,店を出るとき手渡されたカードをながめている。そこに写っているのは,俺がよく知っているメイドたちだ。
らら。俺が東京を去った頃,まだ新人だった彼女も,すっかり「一人前」になっていた。
「どうですか?久しぶりの学園祭は。」
俺のことを覚えていてくれて,茶目っ気たっぷりに,そう訊いた。
ルリカ。「新人」というプレートをつけて,愛嬌を振りまきながらも,さりげなく新人たちをサポートしていた。しばらくアキバを離れていた彼女は,俺の友人の説得で,少し前に店に復帰した。
「春田さんにだまされて,出戻りになっちゃいました。」
彼女は,悪戯っぽく笑って,そう言った。
そして,フラウ。メディアに頻繁に登場する彼女は,アキバを代表するメイドと言っていい存在になっていた。彼女に会うため,毎週関西から来ている客もいると聞く。
それぞれが時間を重ねながらも,店内は,あの頃と同じ空気で満たされていた。でも,俺にとっては,決定的に足りないものがあった。
『カスタムめいど』では,メイドたちが,それぞれのセンスでアレンジしたエプロンを着ている。フラウがつけているリボン。俺が,それを忘れるはずがない。
『めいど in へぶん』が閉店してから1ヶ月後のことだった。俺は,『カスタムめいど』で,フラウに再会した。
その頃,俺には,なんとしても彼女から聞き出したいことがあった。ちょっとしたヒントだけでもいい。彼女と話しているあいだ,俺はそれだけを考えていた。
彼女は,俺の気持ちに気づいたようだった。自分も知らない,と前置きしてから,襟元のリボンに触れながら言った。それは,ミライが『へぶん』でつけていたものだった。
「わたし,神様とか信じてないけど,出会うべき人や物には,会えるって信じてるんです。『運命』なんて大げさなものじゃなくても,『会いたい』って思い続けていれば…。だから,約束なんてしなくても,こうしてると,またミライさんに会える気がして…。」
ミライ。いい歳して,恥ずかしい話だが,彼女に夢中だった。会えなくなって,1年半以上経つが,彼女のことを思い出さない日はない。初めて会った時から,仕事以外の俺の時間は,彼女を中心に回り始めた。週末はもちろんのこと,彼女がいることを期待して,会社帰りにも『へぶん』に立ち寄ることが多かった。
『へぶん』最後の夜。俺は,地方に出張になり,ビジネスホテルの部屋で,一人過ごした。彼女に会えなくなる。そう思って,ホテルの周辺を,落ち着きなく歩き回ったりした。でも,どこかほっとしている自分がいたのも事実だ。彼女に会ったら,何が言えただろう。言葉が見つからず,固まってしまったかもしれない。そんな情けない姿を見せるくらいなら…。
だが,次の日,東京に戻って,『へぶん』の前に立つと,後悔が押し寄せてきた。何もできないまま,いつまでもそこから離れることができなかった。地方のメイド・カフェで再会した時,店長が,かける言葉がなかった,と言ったくらいだ。たいしてこだわりのある仕事でもない。リストラ覚悟で,「病欠」してもよかったのでは。そんなことさえ頭に浮かんだ。
思い出すのは,いつでも彼女の笑顔ばかりだ。
小さい頃からひねくれ者だった俺は,周囲が楽しんでいることになじもうとしなかった。他人と違うということに,密かなプライドを感じていたわけだ。だから,気づくと,若者らしいこともしないまま,いつの間にか歳をとっていた。「メイド・ブーム」に対しても,初めは同じだった。距離を置いて,観察するようにしていた。でも,ミライの笑顔を見た時,それもどうでもよくなった。
その後は,アキバに入り浸り,狂ったように『青春の補完』をしようとした。もちろん,何をしても,過ぎた時間が戻らないことなどわかってる。でも,彼女の笑顔を見ていると,それさえ忘れられた。
そんな風に笑うことができたのは,彼女だけだ。
「でさあ,そしたら,トモの彼氏がね…。」
俺の耳に甲高い声が飛び込んできた。近くの席に座った若者のグループが,大声で話している。
一人で感傷に浸ろうと,メイドのいないカフェを選んだのが,裏目に出てしまった。
俺は,立ち上がり,店内を見回す。窓際のカウンターに空席があった。トレイを手にして,わざと音を立てて歩いていく。
腰かけると,歩行者天国になった中央通りが見下ろせる。この街について,ブームが終わったと言われてから,ずいぶん経った気がする。それを笑い飛ばすような人の波だ。
「ほんと変わらないんだけどな…。」
つぶやいて,何気なくとなりの席を見る。トイレにでも行っているのだろう。テーブルの上に,飲みかけのアイスコーヒーが置いてある。女性のようだ。ピンクのケータイが…。
俺の心臓が,強く脈打つ。
俺と同じストラップだ。間違いない。『へぶん』のスタッフと,ごく一部の常連だけに配付されたものだ。
俺は,身体を乗り出すようにして,のぞき込む。滴が伝うグラスの向こうに,ボールペンとコースター。俺の口から言葉がもれる。
「ガ,ガンダム…。」
コースターの上に,ガンダムが描かれている。頭部を失いながら,頭上から迫りくるジオングに向けて,ビームライフルを…。
鼓動が激しさを増して,聴覚が奪われるような感覚に陥る。その中で,ひとつだけ,次第に大きくなる音がある。
俺の背後から,床を鳴らす聞き覚えのある音が近づいてくる。
〜 オムライス・クレイジー EPISODE ⅩⅩ 『約束』〜
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