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EPISODE 10


「ほんとどういうつもり?突然,こんな…。」

ドレスの上に毛皮のコートを羽織って,彼女は現れた。休憩時間に急いで来たらしく,白い息が乱れていた。俺は,手持ちぶさたでこいでいたブランコから降りて,彼女に近づいた。

「どういうつもり,って…。話がしたいだけだよ。でも,来てくれてよかった。このままじゃ不審者と間違われる,なんて思って,不安だったんだ。」

「不審者みたいなもんでしょ。実際,ストーカーまがいなことしてるんだから。」

そう言って,彼女は,意地悪な笑みを見せた。そんなところは,少しも変わってなかった。


彼女と初めて会ったのは,アキバの『カスタムめいどcafe』だった。

大学時代の友人に,週末になるとメイド・カフェをハシゴしてたヤツがいて,そいつに連れられて行った店に彼女がいた。それまで,俺は,そういう店に行ったこともなかったし,どちらかというと「メイド・ブーム」を冷めた目で見ていた。ところが…。

「あれが,ルリカちゃんだよ。」

店に入って,友人が示すほうを見た瞬間,すべてが変わった気がした。

人気のある店だから,かわいい子が多かったが,彼女は特別だった。どこにいてもすぐに目がいってしまうような華があった。絶えず店内を移動し,無防備に笑みを振りまく姿を見て,俺は,生まれついての『姫』だと思った。

『お前の好みのタイプがいる店があるから。』と紹介してくれた友人のおせっかいに俺は感謝した。それからは,自分でもおかしいと思うくらい,その店に通った。クリスマス,バレンタインなどイベントにも欠かさず参加した。ゲーム大会で,彼女と同じチームになった時は,年甲斐もなくはしゃぐ自分をどうにもできなかった。

俺は,彼女が参加する外部のイベントにもまめに足を運んだ。彼女が,コミケで,売り子として友達のブースを手伝ったことがあった。その時には,あまり人気のあるブースではなかったため,いろいろ話す時間があって,ラッキーだった。

その後,店に行った時,彼女は,次のコミケで自分の同人誌を売るつもりだと言った。でも,それが,彼女と話した最後になった…。


彼女はアキバから消えた。

1年ほど前のことだ。メイド・カフェによくある『卒業式』もなく,彼女は,いきなり店をやめた。他のメイドから聞いた俺は,茫然となり,その日何をしたのかまったく覚えていない。

その少し前に彼女と双璧と言われた人気メイドも姿を消していて,二人がいなくなったことは,ネットで大きな話題となった。いろいろな『目撃情報』が書き込まれたが,調べてみると,どれもガセだった。

それから…。自然と俺の足はアキバから遠のいたが,彼女の名前をネットで検索するのは,もう日課になっていた。やはり諦めきれなかった。少しでもいいから話をしたいという気持ちは,時間が経っても変わってなかった。


そして,昨日のことだ。新たな『目撃情報』がアップされた。『キャバクラで働いてる』という見飽きた内容だったが,やけに詳しく書かれていて,『自分も会ってきた』という書き込みも複数あった。

俺は,いても立ってもいられなくなり,会社を定時に出て,彼女がいるという店に向かった。ネットに書かれた彼女の『名前』が,公式サイトの出勤表にあることを確認しただけで,その他のことはまったく考えていなかった。

店の前まで来て,営業中なのを確認して,入ろうとした時だった。彼女が,中年の男と歩いてくるのが見えた。『同伴』ってヤツだ。彼女は,俺を見つけると,頬をちょっとこわばらせて,すぐに目をそらした。心の準備ができていない俺は,何も言えず,うつむいてしまった。そんな自分がふがいなくて,その場を離れたかったが,身体が動かない。逃げ出すことさえできなかった。すると,彼女が,俺に近づいてきて,耳元でささやいた。

「駅のそばの公園で待ってて。必ず行くから。」


「ネットの書き込み見てきたの?」

「うん。今までのと違って,もっともらしかったからね。はい。」

ベンチに腰掛けた彼女に,俺は,自販機で買ったコーヒーを手渡した。彼女は,両手を缶で暖めながら言った。

「ありがと。でも,みんなよく見てるんだね。もう1年も経つのにね。」

遠い昔のことを話すような言い方だった。俺は,それがさみしくて訊いた。

「俺以外にも,常連だった人来てるんじゃないの?みんなずっと気にしてるんだよ。」

「うん。でも,あの頃のことは,あんまり…ね。」

「新しい店では,話したくない?」

彼女は,少し気まずそうな顔でうなずいた。それで,この公園を指定した理由がわかった。ふつうなら,寒い夜に来たい場所じゃない。彼女は,『あの頃』と『今』をはっきり分けたくて,人目につかない場所を選んだわけだ。

「でも,俺にとっては…。」

「ねえ。春田さん。」

彼女が俺の言葉を遮った。そして,遠くを見るような目をして言った。

「春田さんも,私にアキバに戻ってほしいって言いに来たの?」

「それは,できれば,そうしてほしいって…。」

「まったく。みんな何言ってんのよ。ほんと困るなあ。」

彼女は,あきれたように,大きなため息をついた。俺は,戸惑いながら,なんとか言葉を返そうとした。

「もちろん,今すぐにとは言わないけど…。」

「終わったんだよ。」

空気が凍りついたような気がした。その言葉には,今まで聞いたことのない重い響きがあった。彼女は,ショックを隠せない俺に気づいて,少し表情をゆるめて言った。

「ネット見たんなら,わかるでしょ。わたしが何て言われてるか。」

確かに『目撃情報』に対する反応として,キャバクラで働く彼女を非難する書き込みが多かった。なかには,見ていてつらくなるような,ひどいものもあった。

「でも,あんなの一部だよ。みんな…。」

「春田さん。将来のこと不安に思ったりする?」

「えっ。将来,って…?」

唐突な質問を浴びせられて,俺は,戸惑った。彼女は,俺の答えを待たずに話し始めた。

「わたしは不安だよ。アキバは楽しいし,メイドの仕事も大好きだよ。でも,考えちゃったんだよね。いつまでやってられるんだろう,って。」

いつからか,ブームが下火になったと言われ,実際に閉店したカフェがいくつもある。このまま店が減り続けた場合,女の子たちはどうなるんだろう。俺も,そんなことをふと思ったことがあった。

考えがまとまらないままで,俺は,彼女の言葉を待つしかなかった。彼女は,間を取るように,コーヒーを一口飲んで続けた。

「今は,いいんだけど,いつまでもメイド服着られるわけないし,メイドなんて最近の仕事だから,全然先が見えないんだよ。どこかの店で店長とかになる人もいるんだろうけど,数は限られてるよね。そしたら,微妙な歳で行き場をなくした人は,『ワーキング・プア』一直線かも,なんて想像しちゃうとね。」

「そうか。そろそろそんなことも考えなきゃいけない時期なんだね。」

俺は,自分を焦れったく思った。励ますようなことを言いたいのに,意味のないことしか出てこない。彼女は,気にしていない様子で,また口を開いた。

「わたし,メイドは好きだけど,それ以前に,腐女子だからね。春田さんもわかってると思うけど,やっぱり,それなりの収入がないと,腐女子も続けられないんだ。マンガとかゲームとか,買うもの多いし。だから,あのままメイド続けて,ブームが去って…メイドと趣味を両方失うことになるより,趣味だけでも,なんて考えて逃げたんだよ。ミライとは違うんだ。」


『めいど in へぶん』のミライは,ルリカのライバルと言われた『カリスマ・メイド』だった。熱狂的なファンが多かったが,店がなくなるのと同時にアキバから姿を消した。ルリカとミライ。性格も雰囲気も対照的な二人だったが,イベントなどで一緒にいるのを見ると,強い絆のようなものが感じられた。

俺は,短い回想から戻って,訊いた。

「ミライちゃんがメイドやめた理由知ってるの?」

「本人から聞いたわけじゃないけど,わかるよ。今は,人気があっても,ビルの建て替えとか,管理の問題だけでなくなる店があるよね。ミライは,思いきり当事者だったわけだし。だから,あの子は,どこの店がなくなってもおかしくない状況で,新しいお店に移って,また大事なものを失うかもしれない,って考えるのがつらかったんじゃないかな。」

「そうか。親友のことはなんでもわかるんだな。」

「えーっ!親友?何それ?イベントで何回かしか会ってないのに。」

彼女が笑った。その笑顔で一瞬時間が戻った気がした。俺は笑みを返しながら言った。

「人間関係なんて,時間じゃないよ。」

「そうかもね。ねえ。春田さん。『ジオング事件』ってあったでしょ?」

『ジオング事件』は,『へぶん』の店内で暴れた客を,ミライが絶妙の接客で黙らせたというエピソードで,アキバでは伝説になっている。

「ああ。俺の連れが,その場に居合わせて,興奮してしつこく語ってくれたからね。」

「そう。お友達は『ミライ信者』だったものね。お元気?」

「まあ,元気と言うか…。急な転勤で,地方に移って。さみしいらしくて,毎日のように女々しいメールを送りつけてくるからね。かんべんしてほしいよ。」

「そうなんだ。」

彼女は,また軽く笑った。でも,すぐ真顔になって言った。

「ほんと言うとね,あの事件のこと聞いて,くやしかったの。なんか差をつけられた気がして。でも,しかたない,って思ったの。その場にいたのがわたしだったら,うまく収められなかったと思うし。結局,何をやっても,ミライにはかなわない,ってわかったんだよね。」

「そんなこと…。」

「ううん。あ。もちろん,ミライがいなくなって,張りあいがなくなったってこともあるけど,わたしがやめたのは,ほんとに自分のことしか考えてなかったから。収入が安定してる仕事を選んだだけ。」

俺は,以前,彼女から,専門学校で資格を取った,と聞いたことがあった。それを思い出して,訊いた。

「資格を使って就職したの?」

「うん。店やめてから,介護の仕事始めたんだ。でもね,お年寄りを背負ったりしなきゃならないでしょ。で…。」

彼女は,自分の背中を指差して,首を振った。

「腰を痛めて,仕事続けられなくなっちゃったんだ。」

「…それで,キャバクラに?」

彼女は,立ち上がって,背を向けたまま,いつもより少し低い声で言った。

「悪いことってできないもんだね。これから店がたいへんになるかもしれない時に,みんなを裏切ったんだもん。仕方ないよ,どうなったって。じゃ,そろそろ行くね。今日は話せてよかったよ。元気でね。春田さん。」

「ルリカちゃん。待って。」

俺も立ち上がって,歩き始めた彼女の背中に声をかけた。

「ほんとは戻りたいんだろ?そうじゃなきゃ,メイド関連のサイト見たりしないよ。それに,今の店で『カスタムめいど』の客と話したくないのは,あの頃のことを,今でも大事に思ってるってことじゃないのかな。戻ってきてよ。みんな待ってるから。」

「さっきも言ったでしょ。わたしにとって,アキバは,もうアウェイみたいなものなんだよ。」

そう言って振り向いた彼女は笑っていた。それは,自分を納得させようとしているような,痛々しい笑顔だった。俺は,思わず,声を荒げていた。

「アウェイ?そんなことないって。それに,そうだとしたって,そんなもん,今までも乗り越えてきたじゃないか。」


あれは,彼女とミライが,声優中心のイベントに参加した時のことだ。

二人は,ゲスト扱いで,アニメソングをカバーして歌うことになっていた。最近のアニメにほとんど興味がない俺は,彼女たちのステージだけ観るつもりだった。それで,開演後も,手持ちぶさたで会場内を歩き回っていた。

彼女たちの出番が近づき,ホールに戻ろうとすると,廊下で壁にもたれて話している二人に遭遇した。

会話に夢中になっている彼女たちは,俺に気づいていないようだった。ミライが,不安げに言うのが聞こえた。

「今日のお客さん,2次元にしか興味がない人が多そうだね。メイド目当てで来る人なんているのかな。なんかスポーツでいうとアウェイって感じだね。」

店の宣伝のため,メイドが,他ジャンルのイベントに登場することがある。そうしたイベントについてネットで検索した時,俺も,『メイドのコーナーは要らない』という内容の書き込みを見つけたことがあった。

雰囲気が重くて,話しかけるタイミングを完全に失っていた。それで,あきらめて,その場を離れようとしたら,ルリカが俺に気づいた。

彼女は,ちょっと照れたような顔をした後,いつもの華やかな笑みを見せて言った。

「気にすることないよ。よく言われるでしょ。メイドって,2.5次元みたいなものだって。これって,2次元と3次元の架け橋になるべくして生まれたような存在ってことじゃない?」


「大丈夫だよ。ミライちゃんはいないけど,セリナちゃんたちがいる。みんな,ルリカちゃんがいつ戻ってきてもいいように頑張ってるよ。」

彼女は,また俺に背を向けた。そして,空を仰ぐようにして,しばらく何も言わずその場に立っていた。沈黙に耐えられず,俺が近づこうとすると,彼女の肩越しに,白い息が見えた。大きく息を吐き出したみたいだった。

「春田さん。ちょっと待ってて。」

早口でそう言うと,彼女は,元来たほうへ駆けて行った。

思いつきで行動するのは,変わってなかった。とりあえず,俺は,ベンチに戻って腰を下ろした。そして,しばらくのあいだ,彼女が戻ってきたら何を言おうか,と考えた。だが,何も思い浮かばなかった。そのうちに,忘れていた寒さが襲ってきた。

温かい飲み物でも買おう。そう思って,立ち上がった時,駆け戻ってくる彼女が見えた。コートの前を押さえながらの全力疾走だった。

「どうしたの?」

歩み寄って訊いた俺に,彼女は,息を切らしながら言った。

「わたしが…『もういい』…って言うまで…あっち向いてて。」

有無を言わせぬ言い方だった。俺は,彼女の言うとおりに体の向きを変えた。

「唐突だなあ。ちょっとくらい説明してくれても…。」

「いいから…そのまま待ってて。振り向いたら…ストーカーって…警察に…突き出すからね。」

「そんなムチャな…。」

背後から,手のひらで何かを叩くような音が聞こえてきた。彼女の荒い呼吸音が,それに重なっていた。しばらくして,それが聞こえなくなると,風が木々の枝を揺らす音だけが,耳に届いた。

振り返りたいという誘惑にかられたが,なんとかこらえていると,彼女の声がした。

「もういいよ。」

見回すと,彼女は,砂場に立っていた。

「ほら。これ。」

彼女は,口元に笑みを浮かべながら,足下のあたりを指差した。駆け寄って,のぞき込むと,そこには,砂が盛り固められていて,ケチャップがぶちまけられていた。

「な,何,これ…?」

「え?何,って…。ふつうわかるでしょ,それくらい。」

彼女は,口をとがらせて言った。

「オムライスと…『イデオン』だよ。」

「ええっー!?」

俺は,思わず吹き出して,腰を落として笑い転げた。

「何よぉ。『イデオン』が好きだって言ってたから,描いてあげたのに。もういいよっ。」

彼女は,座り込んで,両手で砂山を叩き壊した。コートが汚れるのも気にしていないようだった。

俺は,笑いがおさまると,彼女に向き直って言った。

「やっぱり,変わってないね。うん。ミライちゃんに負けてるのは,絵だけだよ。俺は,ずっとそう思ってたけどね。」

「な、何言ってんのよ?こんなところで口説く気?今は,オムライス注文するくらいじゃ,私と話なんてできないんだからね。」

彼女は,視線をそらして,立ち上がった。俺は,彼女のコートにかかった砂を払いながら言った。

「俺は,キャバ嬢のレミさんじゃなくて,メイドのルリカちゃんと話してるんだけど。」

「あー。もうっ。」

彼女は,身をかがめて,ケチャップのチューブを拾い上げた。そして,それを見つめながら言った。

「しかたないなあ。また練習するか。」

〜 オムライス・クレイジー EPISODE10 『ホーム&アウェイ』 〜





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