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EPISODE 00

       オムライス・クレイジー  EPISODE 00

 


 『めいどin へぶん』閉店してから半年が過ぎた。アキバ屈指の人気カフェだった『へぶん』は,ビルの取り壊しを理由に,立ち退きを余儀なくされ,あっけなく姿を消した。経営不振の店がなくなるのには慣れていたアキバ住人のあいだにも衝撃が走った。

 「これをきっかけに,ブームの終焉がさらに近づいた。」

 そんなことを評論家気取りで言うヤツもいたが,俺にとっては,彼女がいなくなったこと,それがすべてだ。

 今,俺は,『へぶん』跡地に近いカフェのカウンターに座り,あの時の彼女の微笑みを思い出している。



 あれは,よく晴れた日曜日のことだ。俺は,いつものように込みあった店内で,窓際の席に座り,タバコをふかしていた。

 となりの席には,しゃれたスーツを着た初老の男がいた。何度か見かけた顔だった。確か会社の社長だと言っていたと思う。まあ,「自称」の可能性が高いが。

 男の席にオムライスとカプチーノが運ばれてきた。新人メイドのフラウが,微笑みながら男に訊いた。

 「ご主人さま。絵になさいますか,文字になさいますか。」 




 「ご主人さま…?」

 我に返った俺の前に,ケチャップのチューブを持ったメイドが立っていた。テーブルの上には,オムライス。

 「君にまかせるよ。」

 そう言って,俺は,また回想の中に戻っていく。



 

 「ガンダムを描いてくれないかな。」

 男は,優しく答えた。フラウが,チューブのふたを開けながら訊く。

 「どのガンダムになさいますか?」

 「ファーストがいいね。ゼータ以降の作品には,どうもなじめなかったクチでね。」

 「はい!やっぱり,ガンダムはファーストに限りますよね。」

 フラウが元気に言うと,男は満足そうにうなずいた。

 「ほう。君にもわかるのかね。」

 「なかなかあれは越えられませんよ。」

 二人のやりとりを,俺は笑顔で見守っていた。そして,タバコに火をつけようとして,ちょっと目を離した時だった。

 店内に妙な音が響きわたった。視線を戻すと,オムライスには,ガンダムに似ても似つかないシロモノが描かれ,あさっての方向に飛び散ったケチャップが,男のスーツを汚していた。幅の広いネクタイに,チューブのふたが張りついていて,ゆっくりと滑り落ち始めた。

 視線が一斉に男のテーブルに注がれ,店内を静寂が支配した。

 それを破ったのは,男の怒声だった。

 「何しやがるんだ,このアマ!?」

 視線をそらす客たち。男は,立ち上がり,へたりこんだフラウに罵声を浴びせ続けた。

 「なんとか言えよ!おい!謝ることもできねぇってのかよ!?」

 見ていられなくなり,席を立とうとした時だ。フラウの背後から近づいてくる彼女が見えた。

 「ミライちゃん。」

 近くの席にいたステレオタイプのオタクがつぶやいた。

 彼女は,いつものように背筋をまっすぐ伸ばし,ヒールの厚い靴で床を鳴らしながらやって来た。凛としたたたずまいの中に,どこか憂いを含んだ表情。ピンクを基調にした「メルヘンチック」なメイド服に違和感を感じた者も多く,2ちゃんねるにも「モノトーンのメイド服の店に移籍すべき」などというカキコミがあった。でも,笑うとあどけなくて,なんだかつられて笑ってしまう。そんなふうに笑える彼女が大好きだった。

 彼女は,男の正面に立ち,涙が止まらないフラウの頭をなでた。

 『もう大丈夫だからね。』

 そう言うように笑顔を見せ,うなずいた。そして,男に向き直り,静かに言った。

 「申し訳ありません。ご主人さま。新人が失礼をしました。」

 「何だ?あんた,最近じゃ,すっかりアイドル気取りだな。天狗になって,客にお説教ってわけだ。」

 男は,彼女を一瞥して,吐き捨てるように言った。彼女の落ち着き払った態度が癇にさわったようだった。

 「いいえ。お詫び申し上げているのです。」

 彼女の表情は,少しも変わっていなかった。

 「ほう。それが謝るって態度か,このアマッ!」

 男は,テーブルに転がっていたケチャップのチューブを投げつけた。それは,回転しながら彼女の肩をとらえた。

 「申し訳ありませんが,他のご主人さま,お嬢さまの迷惑になる行為は慎んでいただけませんか。」

 彼女の頬も服も紅く染まっていたが,たじろぐ様子は微塵もなかった。

 「ミ,ミ,ミ,ミライちゃんをいじめるなあっ!」

 突然,オタク青年が立ち上がり,男に飛びかかった。しかし,男が突き出した手のひらに,あっけなくはじき返された。ガンダムに喩えるなら,『ボール』のような存在だ。不謹慎にも,俺は,そんなことを考えていた。

 「邪魔するな。オタクは引きこもってりゃいいんだ。」

 男は,フラウのとなりに倒れ込んだ青年をにらみつけた。青年は,ガタガタと震えて,意味不明なことをつぶやいていた。

 彼女は,かばうように,二人と男のあいだに身体を入れた。

 「何だ?人を憐れむようなツラしやがって。」

 気がつくと,彼女の瞳は,深い悲しみを映していた。

 「ご主人さま。今は,あいにく店長が外出中です。改めてお詫びに伺いますので,今日はおひきとりください。」

 男の怒りが最高潮に達したのは,その時だった。

 「いい子ぶってんじゃねえよ!たかがメイドの分際で。新入りの前に,お前の脚へし折って,ジオングみたいにしてやる!」

 男は,テーブルの上のフォークを手に取り,投げつけた。

 「きゃああっ!」

 店内に,メイドたちや女性客の悲鳴が響きわたった。フォークは,彼女の『絶対領域』をかすめ,床の上を転がった。

 「ミライちゃん…。」

 フォークの行方から視線を戻すと,彼女の脚に血がにじんでいるのが見えた。

 「お,お前が,わ,わるいんだからな。」

 激昂していた男は,我に返ったようだった。しかし,もう引っ込みがつかないところに来ていた。

 「な,何だ?お,お前らも,ジロジロ見てんじゃねえよ!」

 男は,あたり構わず怒鳴り散らし始めた。

 もう止めなければ。俺は,そう思って,腰を浮かせた。何かいい方法を思いついたわけじゃない。それでも,立ち上がるしかなかった。

 口を開こうとした時だ,誰かが俺の肩をつかんだのは。

 『店長!』

 メイドたちが連絡したのだろう。振り向くと,そこに店長が立っていた。メイド関連の店にありがちな,ちょっとコワモテな若い雇われ店長だった。店長は,軽く笑みを見せて,首を横に振った。戸惑いながら視線を移すと,彼女もこちらを見ていた。店長は,彼女に任せるつもりだとわかった。

 『でも…。』

 店長の手を振りほどこうとした俺に,彼女が小さくうなずいた。

 「ご主人さま。わたしに少しお時間をいただけないでしょうか。」

 彼女は,男に向き直り,静かに言った。

 「な,何だと?お前に,な,何ができるっていうんだ?ふん。まあいい。か,勝手にしろ。」

 男は,強がっていたが,明らかに困惑していた。

 「ありがとうございます。失礼します。」

 彼女は,俺に背を向け,身をかがめて何かし始めた。

 男は,じっと彼女の手先を見ていた。そのうち,男が作っていた皮肉な表情が崩れ始めた。引き込まれるように顔を近づけていく。

 2,3分が過ぎた頃,彼女は背を伸ばし,男を見て言った。

 「申し訳ありません。わたしにできるのは,これが精一杯です。」

 「これは…。」

 男は,驚きの表情を隠せずに,椅子に置いてあったカバンを手に取った。

 「ふ,ふん。ま,まあまあだな。」

 伝票を叩きつけるように彼女に渡すと,男は入口に向かって歩いて行った。彼女は,店内を見回して,一度頭を下げ,男の後を追った。

 俺は,わけがわからず,二人がいなくなったテーブルをのぞき込んだ。そして,思わずつぶやいていた。

 「ガ,ガンダム…。」

 カプチーノの泡の上に,チョコレート・ソースでガンダムが描かれていた。メイン・カメラ,つまり頭部を破壊されたガンダムが,上空から迫り来るジオングに向けて,遠隔操作でビームライフルを放つ−ファースト・ガンダム最終回の印象的なシーンだ。

 「ありがとうございました。いってらっしゃいませ,ご主人さま。」

 男を見送った彼女が,テーブルを片づけるために戻って来た。彼女は,つっ立っている俺に気づくと,照れたように笑って言った。 

 「ご主人さまも,ファーストがお好きなんですか?」




 まもなく,『へぶん』は閉店した。

 俺は,仕事上のトラブルで出張することになり,最後を見届けられなかった。彼女には別れを言うことすらできなかった。

 それから,必死になって,彼女のその後に関する情報を,ネットで探した。だが,『地方のメイド・カフェで店長になってる』とか『池袋のフーゾクで働いてる』とか,デマばかりだった。

 いたずらを見つかった子供のような照れ隠し。時折見せた無邪気な笑顔とは違う,彼女のあんな笑みを見たのは,それが最初で最後になった。

 「ごゆっくりどうぞ。」

 現実に戻ると,『お絵かき』を終えたメイドが立ち去るところだった。

 ため息をついて,視線を下ろすと,オムライスの上には,ガンダム。上手くはないが,確かにガンダムだ。

  涙が溢れてきた。

  


               

                 〜 EPISODE 00   『彼女』 〜

  





            

                           

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