獅子は眠らせておけ
太陽がさんさんと照る暑い日、山の中を二人の男が進んでいました。一人は探検着をまとって、もう一人はポロシャツに短パンという格好でした。そして、二人とも手には猟銃が握られていました。
二人が歩いている森の奥に、大変珍しい獣がいると聞いて、
「そいつは一つお目にかかりたい。できるなら毛皮をひんむいて、みんなに見せびらかしてやろう」
とポロシャツの男が、もう一人を誘って来たのでした。
「人の子よ」
二人に呼びかける声が頭上から聞こえてきました。足を止め、声の方に顔を向けると、高い木の枝から一匹のミツバチが近づいてきました。
「人の子よ、どこに行くつもりだい?」
「この森の奥の獣を見物に」
ミツバチの問いかけに探検着の男は、恐る恐る答えました。ミツバチに刺されまいと腰が引けていたのです。
「それでは、なぜ銃などを持っている?」
「できるんなら、仕留めようと思ってね」
ポロシャツの男は、臆することなく銃を構えて見せました。
「人の子よ、それは叶わんこと。あやつの所になぞ行ってはならんぞ」
ミツバチが留めようとしても、ポロシャツの男は聞く耳をもたず、探検着の男を先導して森を進んで行きました。
木々が開けた所までようやくのことで歩いてきました。そこには岩が何個も転がっていて、二人には見たこともない、まるで獅子のような白い四足の獣が、一つの巨岩の前で寝そべっていました。恐らくつがいなのでしょう、二頭並んでいました。
「やーい、こいつは見たことがない。ぜひとも毛皮が欲しいものだ。それにしてもこいつは寝ているのかい?」
ポロシャツの男は足元に落ちていた長い木の棒を拾うと、たてがみが風で揺らめいている一頭の方へ後ろから近付いて、足やら胴やらを何度も小突きました。探検着の男が止めるのも一向に聞きません。
「なに大したことないさ、ほら腹ばいで目をつぶったままじゃないか」
ポロシャツの男は棒を投げ捨てると、今度は獣の背にまたがりました。
「写真を一枚でも撮ってくれよ。どうだい。勇壮に見えるだろ」
男がおどってみたり、背を叩いたりしても獣は動きません。
「なあ、もう帰ろうよ。いい加減起きるんじゃないか? それにミツバチだって行くなって言ってたじゃないか」
「何だ、怖いのか。まったくもって静かじゃないか。ハチの言うことなんか聞いていられるか。それにどうだい。この毛並。色つやも質感もどんな獣でもない。こいつは高く売れるぞ」
ポロシャツの男が獣の背から降りて、猟銃を構えました。
「人間様にありがたく狩られるんだな」
そう言った瞬間でした。二頭が目を開け、身を起こし、ゆっくりと二人に近づいて来ました。うなり声をあげて威嚇をしています。
「ほら、言わんこっちゃない」
頭上に飛んできた、あのミツバチを二人は涙目で見上げました。
「もう手遅れだね」
ハチの声が合図だったかのように、たてがみの白い獣が、ポロシャツの男にゆったりと身を揺らして一歩一歩迫ってきました。男は悲鳴を上げて逃げました。獣はそれを遊んでいるかのようにずっと男を走らせ続けました。ついには探検着の男からは見えなくなってしまいました。
「人の子よ」
それをずっと見ていた探検着の男の傍らには、もう一頭がいました。そんなことに気付かなかった男は、ビックリして銃を投げ捨てひざまずいて、両手を合わせて、
「どうかお助け下さい」
何度も何度も言いました。
「人の子よ。食ったりせんから顔を上げなさい」
獣の声の言う通りにしました。
「お前さんが、止めさせようとしたことは承知しているよ。そうかい、そのミツバチが助けてくれたのかい」
「行くなと言っただけだがな」
獣とミツバチの話に、男は耳を傾けていました。
「このミツバチは……」
震える声で質問をすると、白い獣が答えてくれました。
「ミツバチと言うのはね、調和を重んじる生き物なんだよ。だからね、私達が撃たれてしまえば、調和が狂ってしまうと考えたんだろうね」
「ミツバチがそんな働きを?」
「見ていてわかるだろ? 例えば花粉を運ぶだろ。花の声を聞いて、新しく咲くにふさわしい場所を選んで、そこに運んでいるんだよ。その場所がうるおうようにな。そうでなければ、決して運びはしないんだよ。花が咲きすぎて虫がたくさん出たり、土地が干からびてもしょうがない。花が無くてそこが生きていなくなるのも困るからな。それを見極めているのだよ。
それにだ。ミツバチの巣は六角形をしているだろ? あの形は調和そのものを意味しているのだよ。その巣から生まれてくるんだ。ミツバチみんながそういう風に振る舞うのは当たり前のことなのさ」
それを聞いて、男は頭上のミツバチを見てみました。ミツバチは偉ぶるわけでも自慢する様子でもなく、静かに羽音を立てていました。
「人の子よ、その獣は森の守り主。狩れば野獣たちが暴れ出し、森は枯れ、川は決壊し、人の住処も危うくなるところだったのだぞ」
「そうなんですか」
「それにだ。眠れる獅子という言葉があるだろ。あの通りだ。獅子は眠らせておくものだ。でないとこんなことになるのだよ。まあ、その獣は獅子ではないがな。例えだと承知してくれ」
とうとうと述べるミツバチの言葉に、男はすっかり感心しました。
「さあ、お帰り。それぞれの場所へ」
ミツバチの声がまた合図だったように、獣は岩場を越してどこかに、ミツバチは森の中に、人間は森から出ました。
それから男は、その森のある山のふもとに住んで、狩猟者が立ち入らないようにしたり、散策のツアーを組んでゴミ拾いや森や生き物とのかかわり方を話したりして過ごしました。その傍らには時折、あのミツバチが飛んできて、道に迷ったりしないよう案内をしてくれることがありました。そんな時、男はたまらないくらいにはにかんだものでした。
一方、たてがみの白い獣に追い駆けられた男の行方は、その男がいくら探しても、ついぞ分からないままでした。