10 はじめてのお茶会2
「あのルイ様と御結婚されたんですものねぇ! 私もずっとお話を伺いたかったんです」「ルイ様はほら……人気のある方ですから。あぁ、アンネ様も、ルイ様には随分ご執心のようでしたし……?」
わかってはいたけれど、いざ他人からその事実を聞かされるとどきりとした。やはり他の令嬢から見ても、アンネがルイに気持ちがあったのは明白なようだった。しかしそれを、私もアンネもいるこの場で口にするとは。気まずい思いで、私はそっとアンネの反応を伺う。
しかし私の心配をよそに、アンネは明るく笑うとマカロンを口に放り込んだ。
「そうだね〜、ローラ様もマチルダ様も、数年前しつこくルイに付き纏いすぎて、二度と近寄るなって禁止令出されてるもんねぇ。ビアンカ様は毎日のように愛を綴ったお手紙を送ってたらしいけど、お返事のこない手紙を出すなんて面白いですわ〜! いい加減新しい趣味を見つけましたの? そうそう! ニコレット様なんて、一度グラック家のお屋敷の裏手で待ち伏せしてたとか! 後はぁ、記念に握手だけでもして下さい〜とか言ってたのは、どこの誰でしたっけ……」
次々と飛び出すアンネの言葉に、令嬢たちは皆、赤くなったり青くなったり顔色を変えた。
私もまた、ぽかんとして数々の熱烈なエピソードを聞いていた。ルイの人気がここまで凄かったとは思わなかった。確かにあれだけ美しい男性なのだ。社交会で偶然目でも合おうものなら、運命を感じて夢中になってしまうのも無理はないのかもしれない。
「まぁ、そ〜んな情熱的な皆様から『ご執心』と評して頂けるなんて、アンネ超感激ですわ〜っ! あたしなんて、皆様の足もとにも及びませんものぉ」
そう言ってアンネはキャハハと笑った。令嬢たちは、悔しそうな顔や恥ずかしそうな顔でその笑い声を聞いている。誰も何も言い返さないということが、アンネの話した内容が事実なのだと語っていた。
それはつまり、この場にいるほぼ全員が、多かれ少なかれルイに恋心を抱いていたということで。
「……さて、こんなに人気者のルイ様の御心を、リアーネ様はどのようにして射止めたのでしょう?」
私の隣に座るソフィ――ルイに振り向いてもらうために呪いに従って子ウサギの生き血を飲んだらしい――が穏やかな声で尋ねてきた。
「え、えっと……」
全員の目が私に突き刺さる。怖い。先程までとは違う意味でも怖い。
「な、何ででしょうね? 私にもよくわからないです」
私は苦笑いでやり過ごそうとする。しかし彼女たちがそんなことで見逃してくれるわけもなく。
「どんな出会いでしたの?」「結婚はどちらからお話を?」「ルイ様ってどのように愛を囁くのかしら……?」とか何とか、あっという間に質問攻めにされてしまった。
言葉を濁しながら無難な返事を選んでいると、青いドレスのヘンリエッタ――昔、夜会でルイを奪い合って他の令嬢と掴み合いの喧嘩をしたらしい――が言った。
「けれどリアーネ様には確か、許嫁の男性がいらっしゃいましたよね? えぇと……、確かギャルヴァン子爵家の。私、リアーネ様はてっきりその方と御結婚されると思っていたのですけれど」
驚いて、私は小さく息を呑む。
そんなことまで知られていると思わなかった。
「ギャルヴァン家の……そう、エドワード様。9歳の時からつい最近まで、許嫁として婚約関係にあったらしいですけれど……。どうして急にルイ様と御結婚なされたのか? 私ずっと不思議で。ぜひ直接お伺いしたかったんです」
ヘンリエッタは、獲物を見るような目で私を見つめる。口元は笑っているけど、目が笑っていない。
「そう……ですね。彼とは色々あって、婚約を破棄しました」
「それに、婚約を解消してから御結婚までが、随分と早かったそうですけど?」
「……すみません、これ以上は、私と彼の問題ですので」
なるべく角が立たないよう、口調を和らげて言ったつもりだったが、ヘンリエッタはそうは感じなかったらしい。笑顔のまま固まっていた彼女の唇が震え、歪む。
「ルイ様のご実家であるグラック家の借金を、デュシェル家が全て支払ったというのも、お二人の問題なのかしら?」
ヘンリエッタの言葉に、ざわめきが起こった。
彼女がここまで詳しく知っているのは、私のことを事前に調べていたからに違いなかった。
けれど何のために? ルイを好きだから? 私が「そうです、ルイとは政略結婚です。だから貴方たちが彼を誘惑しようと恋文を送ろうと好きにして下さい」とでも言えば、彼女たちは満足してくれるのだろうか。
……いや、それはそれで新たな恨みを買いそうだし、政略結婚を言いふらすなと、ルイには釘を刺されている。それに何より、あの日ルイが、エドワードとクラリスの前で守ってくれた貴族の――デュシェル家の尊厳を、私がこんなところで無駄にするわけにはいかなかった。
「そうですね。私たちの問題です。……結婚というのは両家の繋がりを結ぶもの。相手のご実家や親族に何かあれば、助けを差し伸べるのは当然のことかと」
私の言葉に、ヘンリエッタは唇を噛んで押し黙った。皆を納得させられた、とは思わないが、何とかはぐらかすことはできたようだ。
ほっとひと息ついたのも束の間、のんびりとした声が聞こえてくる。
「それではリアーネ様は、そんな素敵な旦那様と、毎日愛を囁き合ってるんですねぇ」
突然そんなことを言ってきたのは、アイボリーのドレスを着たカミーユという男爵夫人。彼女は、アンネの暴露大会で名前が上がっていなかった数少ない女性だ。
「まだ新婚さんですし、さぞ仲睦まじいんでしょうねぇ」
「……普通ですよ」質問の意図が読めず、それでも私はなるべく笑顔を作って答える。
「あら? 普通なんですか? どうして普通なんです?」
「ど、どうして……って。まぁ、彼も仕事が忙しいので……」
「あら、旦那様はお仕事が忙しく、リアーネ様のことを放ったらかしにしてるんですかぁ?」
カミーユは両手を口元に当て、わざとらしく目を見開いて驚いてみせる。
「でもそれですと、とても健全な家庭とは言えませんよねぇ。旦那様が奥様を気に掛けないなんて。あぁ……、御立派なデュシェル辺境伯家が、機能不全家庭になってしまうなんて恐ろしいことがないか、不安ですねぇ」
は? と、口をついて出そうになる疑問符を、私はなんとか飲み込む。話が飛躍しすぎて意味がわからなかった。
恐らくこれも、彼女たちが可哀想なジュリエットにしていたのと同じ、嫌がらせの類いなのだろう。最初に標的にされて以降、ジュリエットは自分のティーカップを見つめるばかりで、口を開かなくなってしまっていた。
「ご心配頂かなくても、そのようなことにはなりませんから。ご安心を」
さすがに笑顔を保っていられなくて、私は少しムッとして返す。
「ならないって? どうして断言できるのかしらぁ? 旦那様はリアーネ様に見向きもされないんでしょう?」
「そんなことはありません」
きっぱりと答えてから、私は少しムキになっている自分に気が付いて、慌てて咳払いで誤魔化した。
相手のペースに呑まれてはダメだ。けれど何だかルイを悪く言われているような気がして、反射的に否定してまったのだ。
「あら、具体的には? 行動が伴ってないと、愛があるとは言えないですよねぇ」
うんうん、と周りの令嬢たちも頷く。
どうしてそんなことを答えなくちゃいけないのか。不快感が私の胸の中で渦巻いていた。しかしここで黙っていては、それこそルイが妻を放置する悪い夫のようにとられてしまうかもしれない。
「夫とは良好な関係を築いています。休日には中央の街へ、で、デート……に出かけましたし。今日のドレスも、夫に選んで買って貰いました」
自分で口にしながらも、恥ずかしくて頬が熱くなる。聞かれたから答えただけなのに、惚気や自慢のようだ。実際のところはデートではないし、惚気でも何でもないのだけれど……。
私の惚気(のような話)を聞いた令嬢たちは、まぁ、とうっとりしたようなため息を漏らした。
「そのドレス、素敵だと思ってたんですよ。あぁ、だからなんですねぇ」
カミーユは、相変わらずのんびりふわふわした声で言った。
「本当に素敵なドレスですから。リアーネ様には勿体ないくらいの」
くすくすと、あちこちから笑い声が聞こえてくる。
体温が、さぁっと冷めるような感覚がした。
「そうですね、ドレスは美しいですけれど、リアーネ様はほら……、素朴な雰囲気ですし?」「辺境のご出身ですから、都会向けのドレスを着慣れていなくても無理はないですわ」「えぇ、リアーネ様にはもっとお似合いになるお召し物があるんでしょうね」
「ドレスもルイ様も、彼女には不相応だわ」
そんな言葉が小さく聞こえて、私は耐えきれなくなって席を立った。
「……すみません、ちょっと」
何とかそれだけを言って、その場を離れる。去り際に視界の端に見えたこの会の主催者――コルディアーニ夫人は、やはり静かに微笑みを浮かべていた。
***
ティーパーティー会場から少し離れた先の木陰で、私は気持ちを鎮めていた。
怒りと悲しみがぐちゃぐちゃになって、私の中で暴れていた。
エドワードとのことを持ち出されても、ルイとの政略結婚を疑われても、そこまで心は乱れなかった。それらは全て事実であったし、彼女たちにどのように受け取られても構わないと思えた。
けれどドレス姿を嘲笑されたのは、耐えられなかった。
それは、このドレスを選んでくれたルイの気持ちや、ドレスを買った時の楽しかった思い出や、可愛いと褒めてくれたアナの言葉、全てを汚される行為だったから。
悔しいし、悲しいし、腹が立つ。
「どうしてあんな意地悪で無礼な人たちとお茶なんてしなくちゃいけないの」
口に出して言ってみると、本当にその通りだと思えた。最初に虐められていた令嬢――ジュリエットの件があった時点で、さっさとこんなところから去るべきだった。長居してしまったせいで、不愉快な気分にさせられた。
「ルイの言う通りだ」
不快な思いをしてまで人と交流する必要なんてない。
体調が悪くなったとか、適当なことを屋敷のメイドに言って、このまま帰ってしまおう。そう思い、その場を離れようとした時だった。
「お姉様、何て顔してるの」
甘い声が、僅かな苦々しさを伴って聞こえてきた。
「だから言って差し上げたのに。都会での遊び方を教えてあげるって」
チェリーレッドのドレスに同じ色の日傘を差して、アンネがそこに立っていた。
続きは明日。