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仲間から見捨てられた白い馬だがその脚力を駆使して世界を巡り深淵を見返すことにした。

 スーホは白い馬じゃなかった。スーホは四つ足で草原を駆け、草を食んだ。雨季が来れば水浴びをした。

気を抜くと集落の子供が背にまたがってきた。子供は許す。しかしおじさんが乗っかってきたとき、スーホはついにキレて後ろ足でおじさんを蹴とばした。頭蓋が弾け脳漿が草を濡らす。

 このままではスーホは捕まってしまうと賢い彼は知っていたから、おじさんを引きずって遠くの川にでも捨てようと思った。そうすれば死体は見つからないし、目撃者もいなければ、ただおじさんが勝手にどこかへ消えただけである。しかし、脳みその飛び出たおじさんを引きずるのはなんだか嫌だった。

 そこでスーホは閃いた。おじさんを行方不明にして解決するなら、スーホが行方不明になっても解決するのだ。

 幸いスーホは草を食み朝露を舐め、草の上で眠れれば満足なコスパの良い性分だった。スーホは走るのも面倒なので歩き、川を渡り、川沿いに歩いた。やがて前方に人影があった。それは見覚えのある、スーホの集落の村民だった。川に浮かべた船に肉を載せて、狩りからの帰りのようだった。スーホはいかにも無関係を装ってすれ違うと村民は言った。

「なんだ馬か」

 スーホは馬ではなかったが、ほっとしてそのままのペースで歩き続けた。疑われているときは平常心を心掛けて決して走ってはいけない。走るのは逃げる理由のある者がすること。疑われたくなければ「逃げる理由などない者」を心から演じる必要があった。

 川を越え、小山を越え、夜を越え、昼を越える。再び日が暮れてきたとき、スーホのいる林の向こうに集落が見えてきた。

 それは石でも槍でも通さないだろう石の壁に囲まれた集落だった。

 スーホは門番もいないその石の壁の途切れた場所から足を踏み入れる。中には石が敷き詰められ、石の家がたくさん建っていた。空気までもが石のように沈黙していた。女の子が一人立っていたが、押し黙ったままだった。スーホはその子に近寄って、大声で挨拶をした。

「しーっ! ここでは小声で話さなければいけないよ」

 女の子は焦りと不安の入り混じる様子で忠告したが、スーホは馬なので言葉が喋れなかった。石の床の隙間から生える草を舐めるように食んでいた。

 すると女の子はすごい勢いで人差し指を何度も口に当てて、

「しーっ! しーっ! しーっ! しーっ! しーっ! しーっ!」

 煩さにスーホが顔をしかめると、目を細めるほど遠くから男の人が駆けてきて、

「黙れ!!」

 女の子の頭を、思いっきり棍棒で殴った。女の子は黙った。スーホは草を食んでいた。

 男の人は言った。

「大きな音を立ててはいけないよ。ここは、そういう町なんだ」

 なるほど。スーホは納得した。守る人にも、守らせる人にも、理由は誰にもわからないが、とにかく守らなければ、みな一様に発狂して潰し合う。それは人間社会によくあることだった。スーホは馬ではないから、人間のことはよく知っていた。なぜならスーホは人間だったからだ。

 スーホは草を食んでいた。

「やあ、君はここの人じゃないね。ようこそ、旅人さん」

 男の人はそよ風にも消えそうな、とても小さな声でスーホを歓迎した。幸い、町を覆う高い石の壁で風は全く吹かなかったから不便はなかった。スーホは「よろしく。柔らかそうな寝床を探したいんだけど……」と言いたかった。でも言えない。理由はおわかりでしょう。

 スーホは大人しく男の人についていくと、石畳の道の行き止まりに丸い石の家があって、そこには長いひげをはやして杖を突いた老人がこちらに正面を向けていた。老人は微笑むと、スーホが近くまで来るのを待った。

「我々の町の、村長ですよ」

 男の人はとても慎重そうに、大事に大事に小声を出した。

「村長は耳が遠いので、町長をやめて村長になったのです。だから、話すときは近づかなければなりません。そうしなければ、町長に逆戻りです」

 足腰の弱い老人がそれでも辛抱強く待っているのは、小声で話すべきだからだ。だから、スーホは石畳を注意深く観察して、隙間から生えている草を見つけると、舐めるように食んだ。スーホは、あの老人には町長のほうが似合うと思ったのだ。

 スーホが三十分かけて草を舐めていると、老人はプルプルと震え出し、ついに勢いよく杖を掲げて怒鳴った。

「こんにちは!!!!」

 すると、ざざ、ざざざざ――。町にある家という家から、いっせいに何十人もの人が出てきた。まっすぐに老人を見据えて、這うように集まっている。その手には一様に棍棒。

 男の人が小声で言った。

「これで村長は二階級特進です」

 スーホは草を食みながら、老人がにこやかに石の家へ引っ込むのをみていた。扉を閉めてしばらくすると、人々は老人の石の家を取り囲み、ためらう仕草をみせ、しかしすぐに棍棒を叩きつけ始めた。しかし石の家はとても頑丈で、石と棍棒は不規則な楽器のように音を立てるだけ。

「「「うるさい!!」」」

 ついに村長の家を取り囲んでいた人々はお互いを殴り、みんなすっかり血と肉になってしまった後、キイ、と扉が開いて村長が出てきた。

「やった! 私はずっと、こうしたかったんだ! ルールはみんなの頭の中で決まるものだ。もうこの町には私と、そこの男しかいない。さあ、お前が静かにしろといっても半分だけの意見だぞ!」

 男の人は肩をすくめた。

「ちょうど私も、騒がしくしたかったところです」

「そうだろう、そうだろう。さあ、そこの馬に乗って、石ばかりでない世界へ行こうじゃないか!」

 スーホは老人と男に乗られるのが嫌だったので、二人を蹴ると、二人の脳漿は石の床に染みとなって広がった。

 数でルールが決まるのは、数が力の強さだからだ。しかし、スーホの殺害力は一人分でも、二人分でもなかった。

スーホはいつのまにか、真っ赤な馬になっていた。草を食んで、次の場所に向かうことにした。

スーホは赤い馬だ。

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