エピローグ
炎上系『正統』悪役令嬢――ここに完結ッッ!!
◇◇◇
優雅に流れるフルートの音が高らかに豊かなリズムを刻む頃。
厳かな雰囲気は一転して、賑やかな祝福ムードを取り戻していた。
満天の星空にも負けない豪奢な輝きが大広間を照らすなか。まるで絵本から飛び出してきたような男女二人が気まずげに壇上に立っていた。
学園祭のみ解放される特別な宮殿施設――ベルサイユ。
喝采と万雷の拍手が鳴りやまぬ大広間は祝福ムードで満ちており、
そのままキリシュタリア陛下の祝辞の下、なし崩しのように上も下も国宝級の調度品に囲まれた立食パーティー形式で行われていた。
わいわいガヤガヤとこの日の喜びを分かち合う貴族出身生徒たちと、
リズミカルに流れる楽器の音色に合わせてたどたどしく踊る平民生徒たちのなんと初々しいことか。
慣れない輪舞を踊りながらも、その顔はどこかしあわせそうで
わたし――ローラ・アリュミナルはその甘ったるい空気に耐え兼ねて、バルコニーの外に退避していた。
むっしゃむっしゃとショートケーキを切り崩しては、甘ったるいじゃりじゃりした感触が口の中に広がり、堪らず大きなため息が零れていく。
ああまったくもうほんと――
「やってらんねぇですわねこんちくしょう」
できるだけ学園祭に影響が出ない程度の出力で事件解決に勤しんでいたのに、ふたを開けてみればリア充を量産しただけとか、呪いの一族が聞いて呆れてしまう。
しかもお家騒動最後のしくじりを学園祭イベントに組み込まれただけでなく、カップル爆誕の起爆剤になったとか屈辱でしかない。
まぁそのおかげでこうして散るはずだったわたしの命が救われる結果となったのだが、
「はぁ、それにしたって『これ』は酷すぎますわね。殿下風に言うならマジおファックってところですわね」
まったく、親和性の高くない一般生徒には見えていないようですけど竜種に精霊まで参列するパーティーっていったいどこぞの夢物語ですの。
これも世間一般に言えば、ハッピーエンドと言う結末なのだろうが、
取り巻きどころか、王侯貴族。果ては『現』国王である陛下まで浮かれる始末なのだから質が悪い。
チラリと背後を振り返れば、そこには人間を超越した超常存在の数々が『とある女子生徒』に紛れるように群がっているではないか。
……ああ、ほんと。視えないって幸せですわね。
あの光景を見たら暢気に輪舞なんて踊っていられないというのに――
(陛下なんて警戒心MAXで思いっきし睨まれてるじゃないですか。
まぁ自分たちを贔屓にしていた一国を滅ぼした王族の末裔なのだから、彼ら? に恨まれても仕方がないんでしょうけど……)
「でもやっぱり、主役を取られたようで正直に面白くないですわね」
「なるほど、貴様にもやはりそういう人間らしい気持ちはあったわけか。これは驚きだな」
そうしてもはや聞きなれた靴音の気配に、ゆっくりと後ろを振り返えれば、
そこにはこじゃれたカクテルグラスを片手に、こちらに歩いてくるグラン殿下の姿があった。
やはり式典と言うこともあって、普段のようなだらけきった服装でいるわけにはいかないらしく、荘厳なまで高い純度の魔力で縫い上げられた白い礼服に深紅のマントは、彼の数少ない高貴な雰囲気を神聖な領域まで高めているよう見えた。
ふむ、なるほど。普段、マントやら王冠やら学生服に似合わない服装も、ちゃんとコーディネートすれば見れたものになるのか。
さすがは『学園内で玉の輿になりたいナンバーワン』
内面の腐った性格はともかく、顔が整っているだけというのも色々便利なものだ。
危うく、わたしも柄にもなく誉め言葉を口にするところだった。
というか――
「殿下。わたくしこれでも十代の乙女でしてよ。いくらわたくしと殿下が敵同士とはいえ、その発言は少々失礼というものではなくて?」
「ははっ、いや許せ。なにぶん今宵は月が良く見えるからな。つい浮かれて口が滑ってしまった。確かに貴様の性分を語る前に口にすべき言葉があったな」
「まったく貴方と言う人は――」
これだからボッチなんですよ、という苛立ちの言葉を飲み込み一人静かに天を仰げば、小さく肩をすくめて苦笑してみせる殿下の姿があった。
まったくどうして殿方と言う生き物はこう鈍感なのでしょう。
レディの前に立ったらまず服装を褒める。これ貴族の社交界では常識中の常識でしょうに。
(いけない。淑女としてレディとして祝いの場で言葉を荒げるのは非常にまずいですわ)
まぁ今更遠慮するような仲でもありませんし? 殿下がわたくしのドレス姿をお褒めになるとは期待していませんでしたから別にいいんですけど……
(やっぱりこう放置されるとイラっと来るものがありますわね)
勘違いしないでもらいたいが、別にわたしは殿下にこの特注のドレス姿を褒めてもらいたいとは思っていない。
これはあくまで同じ上流貴族の令嬢として扱ってもらえない不当な怒りと無神経さに込められた苛立ちと言うだけで、いまこの場でぶつけるべき感情ではない。
そもそも万年ボッチの殿下に月の精霊にも勝るレディのささやかな変化に気づけという方が無理だったのだ。
そう――だからここは大人なわたしが寛容になるべきところで、決して杖を抜き放つ必要はないのだ。
だから――
「今回は貴方が持ってきてくださったこのカクテルで勘弁してあげなくもありませんが、殿下ももういい歳なんですから次からはもっとレディの扱いをですね――」
「よく似合っているよローラ」
「は――?」
堪らず反射的に目を見開けば、そっと猛禽類にも似た目尻が柔らかく尖った視線とかち合った。
本当に、不意打ちだった。
まさかこのタイミングでカミングアウトしてくるとは。そもそも――
「えっと、頭でも打ちましたか殿下? 先ほど変な幻聴が聞こえた気がするのですが……」
「いや普通に心の底からの本心で褒めただけだが、何かおかしかったか?」
いやいやいやいや、おかしいもなにも、え? 殿下がわたしのドレス姿を褒める方がよっぽどおかしいでしょう!!
いつもなら『悪女に相応しい黒ずくめっぷりだな!』とか『借金持ちにしてはずいぶんとマシなドレスだな』とか言って真っ先にわたしの気合の入りようを皮肉な言葉が返ってくるはずなのに。
「え、えっと――こ、今夜の殿下は誰かに洗脳魔法でもかけられているのですか? もしくはキリシュタリア陛下からなにか耐えきらない重圧を掛けられて気が狂ったとか」
「馬鹿言うな。俺は至って正常だ。美しいものを美しいと言って何が悪い」
「うつく――っ!!!?」
殿下の言葉に堪らず喉の奥に出かかった言葉が詰まる。
まさかあのデリカシーの欠片もない殿下が宿敵たるわたしにそんな言葉をかけてくるとは。
完全に予想外だ。
そして『なぜか』沸騰する血液がわたしの身体の中を激しく脈打ち始めたところで、そのやけに真面目ぶった顔の殿下の表情が僅かに緩み、
「ああ、たしか東洋の言葉で『孫にも衣装』と言うんだったか? よく似合っていると思うぞ」
わたしの乙女心は氷点下まで一気に叩きつけられるのであった。
◇◇◇
…………………ああ、なるほど。そういうことですの。
さっきから言動おかしいと思っていましたが、どうやらリアルファイトをご所望のようですわね。
東洋の慣用句を持ち出すぐらいですから『馬子にも衣装』が『どんな身なりでも整えれば一端に見える』と言うことはご存じのはず、そちらがその気ならこちらも徹底抗戦の構えですわよ。
――というわけで感情のままひたすら魔法を放つことしばらく。
わたしはなんだか馬鹿らしくなって『やる気』がなくなっていた。
いや正確には、虚しくなったというべきなのだろうか。
この宮殿の残骸を殿下の墓標にしてみせるとあれほど息巻いていたのに、
わたしの中で感情の歯車がひっかかったみたいに、うまく言語化できない『なにか』がせき止めるようにわたしの行動にエラーを吐き出していた。
いつものアリュミナルの令嬢ならできることなのに……
「今日はなんだかうまくいきませんのね」
自嘲気味に呟くのがいい証拠だ。
メイド長のロザリアが見たら真っ先に「お嬢様らしくない」と断言するだろう。
今までは食って掛かるように、殿下に対する敵愾心が全く湧いてこない。
あるのは空っぽな虚しさだけ。
これもロザリアがわたしに掛けた『因果応報』の呪いの効果なのだろうか。
やけに胸の内側が突き刺すように痛む。
それなのに殿下の困った顔を見るとやけに落ち着く自分自身がいて――それがなおさらわたしの混乱に拍車をかけていた。
「貴様なぁ。せっかく褒めてやったのになんだその態度は!? 祝いの席に杖沙汰はマジでシャレにならんからな。問題起こしたら国が亡ぶどころじゃないんだぞ!? 俺をこの国最後の王にするつもりか!?」
「だったらなおさらこんな国滅んでしまえばよかったんですのに」
「お前が言うとシャレにならないからマジでやめろよ!? ――というか、本当にどうした? 先ほどから何かおかしいぞ。具合が悪いのなら今すぐ医術師を呼んでくるが……」
「ああまったく、貴方と言う人は――」
吐き捨てるように舌打ちを一つ打てば、
そこには対魔法で完璧に極大魔法を相殺しきった殿下の姿が。
本人も咄嗟のことだったようで尋常じゃないくらい疲弊しているくせに、わたしの心配とか。
(どうやらわたしの八つ当たりでずいぶんと困らせてしまったらしいですわね)
いつもならもう一押し困らせて、しっかりと自分の立場と過ちを反省させているところなのに――とそこまで考えて、わたしは初めて自分の明確な異変に気付いた。
「そうですわよね。なんでわたくしはこんなことでムキになっているのでしょうか?」
そうだ。こんなじゃれ合いいつものことじゃないか。
殿下がどういった人間かなど私が一番よく理解している。
数週間、距離が近くなったこともあるが、結局わたし達の関係は変わらなかった。
それなのになんでわたしは彼に対して怒る必要があるのだ?
(もしかして――期待、しているんですの?)
いったい何に?
考えれば考えるだけ胸の内側に霧がかかっていくようで落ち着かない。
すると突然、頬に冷たいものが押し付けられ、
「ひゃっ――」
堪らず飛び退くように顔を上げれば、殿下の端正な顔がドアップで映し出された。
アリュミナル家の令嬢たる者この程度の不意打ちで驚くことはないが、
殿下の一つ一つの挙動に目を奪われるわたし自身に、わたしは初めて自分の中に芽生えていた『感情』を自覚した。
(ああ、なるほど。わたくしは――)
いつか吹き消したはずの感情が胸の内側で燻ぶるように身体の芯をあぶる。
なるほど。これまで散々、呪いの姫君、悪徳令嬢と持て囃されてきたが、どうやらわたしも人の子らしい。
いままで切り捨ててきたと思っていた感情がまさかこのような形で噴き出してこようとは。
そうか、わたしはあの何もかも無自覚に手に入れるあの子に嫉妬していたのだ。
そしてその在り方を羨んでいたのだ。
だとしたら殿下の鈍感さに苛立つのもわかる。
だけどそれはローラ・アリュミナルには必要のない感情で、情動だった。
だから――最後まで間に合わず、こんな悲惨なエンディングを迎える羽目になるのだ。
(ましてや今更、これを自覚するなんて遅すぎましたわね。機会ならそれこそいくらでもありましたのに……)
いっそ気づかねばよかったと思うのはさすがに傲慢だろうか。
そうして胸の内側に灯った火を誰にも気づかれないようにそっと吹き消せば、わたしの顔色を窺うように、眉間にしわを寄せた殿下が唐突に覗き込んできた。
「落ち着いたか?」
「……ええ、おかげさまで」
そう言って押し付けられたグラスを大人しく受け取れば、「あー死ぬかと思った」とぼやいてあからさまに視線を彷徨わせる殿下の姿が。
まるで貧民街の生意気な男の子がケンカの後に見せるような仕草だが、
まったく、殿方と言う生き物はなんでこうも見栄っ張りな方が多いのだろう。
一言「間違えた」と謝れば済むことなのに、会話のきっかけを掴むためにわざわざ『わたしを心配する演技』をして見せるなんて、なんて臆病者なんだ。
「ま、それはわたくしにも言えることですけどね……」
「うん? 何か言ったか?」
「いいえ、なにも」
そうして受け取った琥珀色の液体を流し込めば、突如口の中に広がる柔らかな味わい風味に目を見張る。
どこかで嗅いだことのなる香りだとは思っていたけど、これは――
「ふっ――美味いだろう。東洋の酒をまねて作った果実酒だ。お前も飲んだことあるはずだぞ」
「ああ、通りで何度か飲んだことがあるかと思えば、あの梅ジュースですの。でも……密造は犯罪ですわよ?」
「なぁにバレなければないも同じよ」と無邪気に笑っては、琥珀色の液体を豪快に傾ける殿下。
そうか、どこか懐かしいと感じたのはあのオンボロ別荘で飲んだことがあるからか。
確かに何度か作り置きとして用意されていたけど、アレも全部殿下の手作りだったとは。
つくづく王族とは思えない方だ。
それで――
「わざわざ秘蔵の品を持ち出して、負け犬のわたくしに何の用ですの」
「おいおい、さすがにそれは自虐が過ぎるだろう。顔見知りの女が今にもバルコニーから飛び出すような顔してたんだ。心配になって声をかけても仕方ないだろう? ……王侯貴族へのあいさつ回りはもういいのか?」
「まぁもう意味がなくなりましたからね。そういう殿下も仮にも王族なんですからわたくしのような木っ端貴族に構う前にやることを済ませたんですの?」
「あーいや、俺は貴族間の覇権争いというのはどうも苦手でな。
いたずらに民を混乱させるつもりはないが貴族特有のおべっかが面倒になって、弟に押し付けてきた」
さすがボッチ殿下。
生まれを選べないとうのは本当に残酷ですわね。弟君に同情しますわ。
「そういう貴様も例の研究発表会とやらはどうだったのだ。父上の話ではかなり画期的な発明だったと聞いていたが……」
「だったら事の顛末は全部知ってますでしょう?
せっかくやけ酒でもして忘れようとしていましたのに、なにを思い出させてくれるんですの」
というか人の失敗を掘り返すとかお顔に似合わずなかなかエグイことしますのね殿下は。
いっぺん、死んでみます?
「はははは、許せ。あの悪徳令嬢のお前が珍しくへこんでいるようだったのでな、いつもの意趣返しと言うやつだ」
「だとしたらこのまま第二回戦が勃発しますけど、よろしいんですの?」
「ふっ、そう物騒なことを言うな。もちろん意趣返しと言うのもあるが、聞きそびれたというのと言うのは建前でな……俺が聞きたいのは『精霊の愛し子』のことだ」
「……はぁ、やっぱりそのことですの」
まぁ仮にも王族ならあれだけの事件を巻き起こして、気にならない方が嘘と言うべきだろう。
あれだけ派手な『演出』を決めてみせたのだ。
むしろここで世間話が飛んでくるのなら、わたしは迷わず殿下をここから突き落としているところだが、
「陛下はどのようにおっしゃっていましたの?」
「おそらく本物だと。アリュミナル家の魔法科学はどのようになった」
「……お察しの通り、全滅ですわ」
本格的に調査する必要があるがおそらく本家の魔法科学も機能しないだろう。
つまり――
「わたくしが連日徹夜してまで仕上げた魔法科学の研究は結局全部、徒労に終わったというわけですわね」
「そう、か。それもなかなか悲惨だがやはりあの演目を機に精霊の数が突如増加したという話は本当だったか。……たしかに彼女の周りについた『隣人たち』はすごかったものな」
「すごいなんてものじゃありませんわ。魔法が精霊の力を借りて成り立っている以上、あんなのチートですわチート」
そう言って感情のままに空になったわたしのグラスを突き出してやれば、苦笑気味に顔を歪めてた殿下が恭しくご自慢の果実酒をグラスに継ぎ足してみせた。
王族の、それも今後国を引っ張っていく嫡男にやらせるようなことではないが、もう飲まなきゃやっていられないのだ。
魔法に携わる者にとって精霊と竜種といった超常存在は、魔法と密接に関わってくる。
それはこの世界に魔法が存在する以上避けては通れない常識で、
年々、精霊の数が減少してきた原因をどうにかするのが魔法の発展により今の地位を築いてきたキリシュタリア王国にとっての命題だった。
そして『精霊』との交信方法が途絶えた以上。減衰していく魔法技術をどう発展させるか。
それを解決したのがアリュミナル家に残された秘術『魔導科学』であり、魔法科学技術こそが唯一の解決策となるはずだったのだ。
それを――
「人も人脈も、才能ですら『彼女』の踏み台にされるとは――まったくたまったもんじゃありませんわね」
それこそ精霊と交信できる『聖女』が現れたとあっては、アリュミナル家の面目丸つぶれだ。
そうして星々の明かりのように満天に広がる城下を眺め、梅の香りがする果実酒を一息に傾ければ、内臓がカッと焼けるように熱を発し、フワフワとした感覚が体を覆っていった。
本当にこれだから世界に選ばれた無自覚ヒロインと言うのはムカつくのだ。
素知らぬ顔でわたしの欲しかったものを全部掻っ攫い、これまでの努力を全部無に帰していく。
実際これからのキリシュタリア王国はアリュミナル家の力なしに発展していくだろう。
アリュミナル家が四大貴族として幅を利かさられたのも『魔法科学』の存在があったからだ。
そのお株が失われた以上、他の成果で挽回するしかない。
でもアリュミナル家の本邸は放火によって全焼しており――
「ああもう、飲まずにはいられませんわ!!」
そう言って「おかわり」と再び空のグラスを突き出してやれば、殿下の方から慌てたようにストップの声が掛かった。
「暴れたい気持ちもわかるがそのへんにしておけ。これは見た目以上に飲みやすい酒だがかなり度数高いんだぞ。そんなにグイグイ言っていいような酒じゃ――」
「まだまだ飲めます!! 変にこどもあつかいしないでさっさと注ぎなさいこのボッチ!!」
キッと睨みつけるようにしてグラスを突き出してやれば、ヤレヤレと言った反応が返ってくる。
並々と注がれていく琥珀色の液体を眺め、煽るように一気に胃の中へ落としていく。
そうして支えきれなくなった身体をバルコニーに預ければ、小さく間伸びしたため息が口の中から零れ落ちた。
これも全てはアリュミナル家の発展のため。アリュミナル家の令嬢としての役目だったのに……
すると僅かな沈黙が帳のように静かに降り――、
その沈黙を嫌ったかのような殿下のため息が背後から流れる祝福の音色をかき消した。
「まったく、毎度のことながら今回はずいぶんと面倒なことをしてくれたものだな」
「はてなんのことでしょう」
「今更隠して何になる。俺が上手く後始末に奔走していなければ大問題になっていたところだぞ」
おそらく例の『精霊騒ぎ』のことを言っているのだろう。
殿下も殿下で面倒ごとに巻き込まれたと言っていたし、もしかしたらあの頭お花畑な『彼女』と関わりがあったのかもしれない。
「それにしてもバレンタイン卿に反逆の影ありか。貴様、いつからこうなることを予見していた」
「最初からですわ殿下。あの小娘がわたくしに近づいてきた時からなんだか怪しいと思っていました」
結局、バレンタイン卿の企みは未然に防げたが
どうやら聖王国キリシュタリアの繁栄を羨んだからロザリアを使った復讐劇を企んでいたらしい。
一つは、バレンタイン卿の熱烈な婚約を蹴ったわたしへの復讐。
もう一つは王国の破滅と衰退と言ったところか。
結果的に計画自体を潰せたからよかったものの、彼らの計画が成就していたら王都は屍と炎の渦巻く地獄が誕生していたに違いない。
まぁそれもこうして学園祭のどさくさに紛れて、解決できたのだし――
「終わり良ければ総て良しなのではないですか?」
「……お家騒動で散々学園を引っ掻き回してくれたお前の口からその言葉が出てくるとは。怒ればいいのか呆れればいいのかわからんな」
「王家に仇なす下手人もついでに捕まえたので、そこは大目に見てくださると嬉しいですわね」
結局、庭園は爆裂魔法の余波で半壊。学園の宮殿も一部使い物にならなくなったらしい。
まぁそれでも学園側に得るものがあったようで、今はそのお披露目式としゃれこんでいる訳なのだが
「……いつから自分の身内に裏切者がいると思っていたのだ」
「マリーが、マクメネツ家の次期当主がわたくしに接触してきた時ですわ」
「あの娘が?」
「あら殿下、ご存知でしたの?」
「ご存知も何も俺にお前らの喧嘩を止めるように言ったのは彼女だぞ」
ああそう言えばそうでしたわね。
あの子がわたしと殿下を引き合わせたというのならつくづく『縁』と言うのは皮肉なものだ。
「つまり、あの少女が全ての黒幕だと?」
「正確には彼女の恋心に付け込んだ引きこもりが、ですけどね」
さらっとまとめるように言葉をつけ足してやれば、「なるほど」と言いたげに生徒の輪の中に囲まれ談笑するマリーに視線をやってみせた。
「恋心を利用して他者を操る呪術か。まったく恐ろしい魔法を使うものだな」
「正直、あの娘に他人を害する気概はありませんわ。
嫉妬や反発など可愛らしい反抗心がありましたが、わたくしを殺害する動機も度胸もありませんもの。それはちょっとした『話し合い』で確認済みですわ」
彼女がわたしに近づいてきた時点で誰か別の意図があるのはわかっていた。
まぁ彼らの狙いがわたしである以上、わたしの身近な人間をターゲットにするのは当然だろう。
今回はその刺客の割り出しに時間を食って、先手を打たれてしまった感はあるが、相手の狙いさえわかっていれば対策の仕様などいくらでもある。
「現にマリーの他にわたしの取り巻きも何人かバレンタイン卿の魔法によって洗脳を受けていたようですしね」
「なに!? それは大丈夫なのか!?」
「ええ、その辺は全てつつがなく平和的に処理しましたわ」
どうやら計画遂行の撹乱の為、姉であるマリア殺害のため動いていたらしい。
架空の復讐心を増幅させ、物事を単純化し傀儡にする呪術――マリオネット。
といっても所詮、呪術のスペシャリストのわたしにとってはお遊びにも等しい呪いだったため、忘却魔法で眠らせて呪いを解呪し、ついで自白魔法で計画の全貌をある程度喋らせたのだが……
「まっ、所詮は三流の呪術と言ったところでしょう。呪いに対する後遺症が残るかと心配していましたが、どうやら杞憂のようですわね」
バレンタイン卿のことを覚えていないのでしたら恋心もクソもないだろうし、王室に仇なす心配もないだろう。
まぁ散々怖がらせた手前、わたしに対する苦手意識を持っているかもしれないが、
下級生がわたしに関わること自体稀なことなので、その程度のトラウマは自分で乗り越えてもらいたい。
それに――
「どうやらバレンタイン卿のことを綺麗さっぱり忘れてパーティーを楽しんでいるようですし、
やっぱりお子様は謀略策謀を企てるよりお花畑で戯れているのが似合いですわね」
「そこまで読んでいたとは……相変わらず末恐ろしい奴だな、貴様は」
「ええ、殿下と違ってわたくしは視野も詰めも完璧ですので」
実際は詰めを誤って死にかけたが、まぁそれは言わぬが花と言うやつだろう。
ポツリポツリと談笑を繰り返しては、たわいのない言い合いを繰り返す。
でもその雑談もやがてネタが付きていき――
「ああ、そうそう。この度はマリアとのご結婚おめでとうございます。グラン・キリシュタリア『陛下』」
引き延ばされた会話に終わりを告げるように、生ぬるい夜風が沈黙を攫っていった。
「俺は承服していないぞ」
「救国の聖女が誕生した今、貴方の御父上が婚約破棄を許さないでしょう。それとも自分の我が儘の為に自ら国をお出になりますか?」
苦々しく刻まれら眉間のしわはまさに彼の感情そのものを表しているのか。
実に不愉快そうだった。
マリア・マクメネツの才能の開花。
こればかりはさすがのわたしも予想外だった。
暗殺騒動を演目に組み込み、暗殺者であるロザリアを追い詰めた時、わたしはあの場でロザリアもろとも爆死するはずだった。
とっさに杖を振るおうと解呪魔法のせいで魔法が使えない。
あわやロザリアごと爆発に巻き込まれかけたところで、ペンダントから溢れ出す精霊や竜種の魂が解呪魔法のペンダントごと、大空へ吹き飛ばしたのだ。
おそらくロザリアの宝石に仕込まれていた解呪魔法が、才能開花の鍵となったのだろう。
まさか彼女から預かっていた『深紅のペンダント』に数多の精霊が封印されていたなんて思いもしなかったが、
「殿下のお気持ちもわからないこともありませんが、わがままは言わない事ですわ。
旧ザフト王朝の姫君との婚約。これを蹴ってしまえば今度こそ聖王国キリシュタリアは竜と精霊に呪われてしまいますわよ」
「くっ――!? それは――」
冗談じみた口調で言葉を転がしてやるが冗談じゃない。
今までだって精霊の減少で、聖王国キリシュタリアは国家滅亡の憂き目にあっていたのだ。
そこへ来て精霊からもたらされた『聖女』という存在だ。
国だっておいそれとこの機会を無駄にはしないだろう。
故にこの『宴』なのだ。
自国の王子と精霊の姫君との結び。
彼女との婚約はいわば精霊と人間の契約のようなものなのだ。
それをわからないような人じゃない。
すると、やけに真剣みを帯びた瞳が迫るようにわたしに近づいてきた。
「だったら貴様はこれからどうする気だ」
「さぁ? わたくしはあくまで今まで通り誰かの悪意を正面に生きていくしかありませんわ。
火事で家が没落した今、残された道は奴隷墜ちか修道院行きか、どちらにせよ面倒なことこの上ない人生ですわね」
わたしの十数年間に及ぶ研究成果も彼女がいるせいで片なしになってしまったことだし、
どっちにしろあの子が救国の聖女として台頭した以上、没落するのは確実だ。
三代に渡る家系のツケが今まさにわたしの代で回ってきたということだろう、
まさに『人を呪わば穴二つ』。悪役令嬢に相応しい末路だ。
「家を、アリュミナル家の歴史を継ぐ気はないのか?」
「わたくしに没落した地位に甘んじろと? それこそ冗談じゃありませんわ。わたくしはアリュミナル家の令嬢。敗者が恥知らずにも明け渡された椅子にしがみつく道理などありません」
「だがそれでは――!!」
まっ、お父様たちがどうするかは知りませんが。
お父様たちなら適当な名誉地位でも与えておけば、喜んで賛同するだろう。
それとも――
「このまま王都に残らねば、わたくしはどこかへ幽閉される運命なのでしょうか? グラン・キリシュタリア陛下?」
そう言って小首をかしげてやれば、驚き僅かにたじろいで見せる殿下の姿があった。
でもそれは一瞬のことで、
「……やはりそうなることまで読んでいたか」
「ええ、わたくしはわたくしの持ちうる価値を十分に理解していますので。そして、魔法科学の技術提供の件ならはっきりとお断りさせていただきますわ。あれはわたくしの最後の財産ですもの。薄汚い魔術師に触らせるつもりはありません」
「ふっ、つくづく思い通りにならぬ女だな、お前は」
そうして悲痛に歪む殿下の手には杖が握られていた。
まぁなにも精霊不足に悩む国はこの国だけではないのだ。
精霊に頼らず魔法によって国を発展できたということは、裏を返せば同じように栄えることができるということだ。
それは戦を好み、なおかつ魔法文明の発展していない強国に流出すれば、戦いの火種になりかねないということ。
もしかしたらバレンタイン卿はそうなることを見越してアリュミナル家に火を放ったのかもしれないが、
「なぁ、本当に俺たちは杖を交えるしかできないのか。まだ何か模索できる道があるはずだ」
「いいえ陛下。おそらく周辺諸国は精霊一強になるこの国を許しはしないでしょう。
それは貴方だってわかっているはずです。強者が強すぎる武器を持てば、今まで保っていた均衡は容易く崩れ落ちます。
そうなれば必然的に彼らが狙ってくるのはこの『魔法科学』になるでしょう」
そしていくらわたしがこの国最強の魔導士だとしても、数で包囲されてしまえば無力だ。
それこそ世界にはわたしより強い魔導士などいくらでもいる。
今回のように不意打ちを喰らい、連れ去られてしまえば、――敵はあらゆる手段をもってわたしのもつ『魔法科学』の情報を吸い上げにかかるはずだ。
そうなれば待っている未来は戦火の海だ。
そうなる前に『わたし』という存在そのものを幽閉するか、処刑するしか道はない。
だけど――
「わたしは生きながら死んだように生きるのも、誰かに利用されて生きていくのも御免ですわ。わたくしの生み出した技術が戦乱の道具にされるくらいなら、わたしはいまここで死を選びます」
これは本気だ。
だからこそそれを止めるために『陛下』は杖を抜いたのだ。
それこそ――国を守る王として己の責務を全うするために。
「さぁはやく、好きな時に呪文を放ちなさい。いまの私は酔っていて碌に魔力も練れませんわ。それともこの一月の同居生活で情でも湧きましたの? あのボッチ殿下が?」
「だとしたら、どうする」
まっすぐすぎる殿下の言葉に、胸を掻き毟られる思いが去来する。
いいや、これはただの魔術攻撃だ。
惑わされてはいけない。
「だとしたら……こちらから願い下げですわ。先ほども言いましたが、国の手駒として大事に幽閉されるされるくらいなら死んだ方がマシです」
でも貴方は顔に似合わず純粋なくらい他人思いな方ですから、人を殺すなんて。
ましてや他人の自由を奪うなんて出来っこありませんよね。
だから――
「わたくしの人生の決着はわたし自身が付けることにします」
「なっ――!?」
「さて、そろそろお別れの時間ですわ。主役たるあなたがいませんとはじまりませんわよ。救国の立役者さん?」
そう言って『陛下』の肩を叩き、そのまま陛下の脇を通り過ぎるように進み出れば、不意に手首をぎっちりと掴まれた。
涙は隠せていたつもりだったんですがね。相変わらず勘の鋭い御方ですこと。
でもわたしの心はもう決まっています。
どんなことを言われようとわたしの決心は揺らぐことなんて――
「俺と共に来い。貴様の能力をただ腐らせるのは惜しい。俺の参謀として国を支えろ。退屈などとは言わせない。この国をすばらしいものにしてやる――そう言えばまだ諦めがついたか?」
「え――」
お突然のことで驚き目を見開けば、刃のように鋭い眼光が瞳に映し出され、ガシャンとカクテルグラスが割れる音が響いた。
抱きすくめられる体が熱い。
でもそれ以上にわたしの身体を内側から焦がすこの熱は本物で――
「お前が欲しい。お前と共にいたい。不器用なお前が好きだ。面倒と口で言いながら楽しげに子供たちと戯れ、真剣に俺と口喧嘩してくれるお前が好きだ。お前に多くは望まない。俺はお前が傍にいてくれたのなら――それだけで十分だ」
一息に、捲し立てるように語られる愛の告白。
突然抱きしめて、なにを言うかと思えば勝手なことを。
傍にいてくれたらそれだけで十分?
わたしのような女と一緒にいれば、どうなるかわかっていらしているはずなのに。
「あら、素敵な口説き文句ですけど、いいんですの? わたくしを国の中枢に引き入れることはすなわち戦乱の始まりを意味しますわよ? わたしのために国を亡ぼす覚悟はあるんですの?」
「それを自分で言うやつがあるか馬鹿者。だが――それも一興かもしれんな」
そう言って震える声を必死に堪えて言葉を紡げば、わたしの冗談に応えるように苦笑して見せるグラン殿下の姿が。
ああまったく、これだから殿下は愚かなのだ。
こんな厄介な女、さっさと殺して捨ててしまえばいいのに。
でも、そこには今までのように面倒事を避けては肩書だけ背負って自由人を気取っていた青年の姿はなく。
ある種の一人の女を守ると誓った英雄にも似た輝きで
「もしお前が今後、数多の男たちに狙われるのであれば、俺はそれを退けるために戦う」
低くそれでいて熱のこもった決意が胸に響く。
「貴様といると、自然と心が安らぐ。まったくどうしてくれるんだ」
「……ふふっ悪い女に捕まりましたわね、『殿下』。でも浮気は極刑ですわよ」
「なら婚約する前に契ってしまえばいい」
そう言って手の甲にキスを落とし、誓約の証を終えると二人の視線が絡み合うように見つめ合う。
そして緩やかな輪舞の音色が大広間から聞こえ、殿下の右手が恭しくわたしの左手を持ち上げ、踊るように紡がれる秘密の逢瀬は誰にも知られることなく燃え上がるのであった。
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PS・彼女たちの行く末が気になる方はタイトルの副題を見て察していただけたら嬉しいです(笑)