(15) 恩讐の彼方より――(???視点)
◇◇◇
夕焼けの空に打ち上がる輝かしい火花が咲き乱れる頃。
『私』は『淑女の庭園』と呼ばれる花園に向かうため、もつれる足を必死に動かして大地を掛けていた。
逸る呼吸が、今か今かと『待ち人』との再会を待ち望むかのように急ぐ。
移動の途中、驚いたような顔で『私』を振り返る生徒たちをすれ違ったが、そんなものを気にしている余裕は『私』にはなかった。
ようやく、ようやく『あの人』に会える。
そのことだけで、『私』の頭の中はいっぱいだった。
演劇の最中。チラリとそのご尊顔を垣間見ただけでも、胸が張り裂けそうだった。
屈辱だった長期任務ももうおしまい。
今度は『あの時』のように失敗しなかった。
これで堂々とあの方の下に仕えることができる。
ふと、視線を自分の腰の方に滑らせれば、そこにはべったりと真っ赤な血液の付いたナイフが。
『元』雇い主の血だ。
学園祭のプログラムの最中に巻き起こった暗殺騒動。
耳元ではっきりと聞こえてくる悲鳴は今でもはっきりと覚えている。
その深々と刺さったナイフの感触が標的の胸を突き刺したときなど、思わず興奮してしまったほどだ。
でも――
(ああ、あれが事故として処理されたのが本当に残念です)
あの方の無念を晴らす最高のシチュエーションだったのに。
ターミナル学園、学園祭当日は例年にない盛り上がりを見せていた。
未来のキリシュタリア王国を支える若き、魔導士たちが集う学園だ。
有望な魔導士候補生たちと交流を持ちたがる平民はたくさんいる。
またそう言った人脈作りに暇がない貴族たちにとってもこの催しは絶好の機会だろう。
なにせ機密情報を多く扱っている学園の中枢はあの憎き支配者。キリシュタリア陛下ですら立ち入ることが許されない聖域なのだ。
この学園に足を踏み入れていいのは学生だけ。
だからこそ一般に開放される学園祭に『私』のような暗殺者が紛れることが許されている訳だが、
「これでいいんですよね? バレンタイン様」
握りしめた指令書を片手に、最終目的地である『秘密の花園』へと降り立った。
ここでバレンタイン様と落ち合う手はずになっている。
あとは工房に戻り、王国崩壊の報告を待つだけでいい。
夕焼けに染まる大地の中。
淑女しか立ち入ることの許されない庭園には赤、青、黄色と色とりどりの花々が咲き誇っていた。
最近、野蛮な魔導士たちに荒らされたと聞いていたが、嘘みたいに思えるほど整えられている。
でも『私』の目をくぎ付けにしたのはそんな芸術にまで高められた花々ではなく――
「うそ、でしょ――」
堪らず喉を振るわせれば、陽光をかき消さんばかりの燃えるような真っ赤なドレスに身を包んだ『元』雇い主の姿が視界に飛び込んできた。
そんなまさか。立っていられるような状態じゃないはずだ。
それなのに――
「ローラ様。どうして貴女がここに……」
「あなたに自首を勧めにきました。まぁ最も、もうその必要はないようですけどね」
そうして掠れた喉が僅かに上擦り堪らず一歩後ろに後退れば、ゾッとするような優しげな笑みが返ってきた。
「わたくしの屋敷によくも火を放ってくれましたわね。ねぇロザリア?」
まるで朝の挨拶でもするような自然な声色に、ドキリと心臓が跳ねる。
どうして誰にもバレないように裏工作してきたはずなのに。
そもそも――
「貴女は治療院で緊急治療中のはず。どうして貴女がここにいるんですかローラ様!? 貴女は確かに――」
「ナイフで刺されたはず? そうですわね。貴女もアリュミナル家のメイド長としてわたくしに仕えていたのなら、どうして無事なのか考えてごらんなさいな」
「――ッ!? まさか、防御結界!?」
「ご明察ですわ。さすがバレンタイン卿の懐刀なだけのことはありますわね。わたくしの自動防御術式をご存知でしたか」
そう言ってまるで獲物をいたぶるようにご満悦な表情をしてみせるローラ・アリュミナル。
彼女は雇い主であるバレンタイン卿と同じく闇魔法を得意とする家系だ。
この国では四大貴族に数えられ『ていた』ほど卓越した魔導の担い手。
その地位を押し退けたアリュミナル家の天才魔導士なら、彼と同じことができてもおかしくはないかもしれない。
それでも――
「いやでもそれはあり得ない。私は確かにこの手で貴方にトドメを刺したはずだ。
返り血も、あの時の絶望した表情も本物だった。
カーテン裏から不意を突いてアンチ魔道具を使って、彼女の体表を覆っていた防御結界も強制解除させたはず。それなのにどうして……」
そしてある異変に気付く。
そう言えば衝撃の光景すぎて頭の片隅から消し飛んでいたが、
「バレンタイン様は、――あの方はどこですか!?」
「あの御方? ああ、やっぱりあの陰険魔導士が首謀者なんですの。
貴女の『雇い主』ならこの学園に来ていませんわ。今頃、自らの工房に籠ってもう一人の協力者の報告を心待ちにしているんじゃありませんの?」
そん、な。だったら、この指令書は――
「その指令書は貴女をおびき寄せるためにわたくしが筆跡をまねて作ったものですわ。
依頼内容から筆跡の出来まで完璧でしょう? まぁ暗殺家業の真似事を使って学園祭の演目に組み込むのは少々骨が折れましたが、結果は上々のようですわね」
そう言ってチラリと学園の校舎に視線を走らせるローラ・アリュミナル。
そんな、あれが演目?
まさか、私に復讐するためだけに自分を殺させたというの?
ふらつく身体を必死に堪え、作り上げた仮面も全て取っ払って目の前の敵を睨みつける。
「馬鹿じゃないですか。次期当主自ら危険を冒す必要なんて――」
「ええ、わたくしだってできることならこんなくだらないことに身体を張る趣味はありませんの。でもまぁ売られたケンカではありますし、全力でお返しするのが貴族のやり方なのは貴女も承知の上でしょう?」
そう言って肩をすくめてみせる怨敵。
「まぁ正確には貴方の後ろにいるバレンタイン卿のに、ですが……」と言ってみせるがそんなことはどうでもいい。
彼女が生きているのなら、また殺せばいいだけだ。
(幸いにも、ここに人はいないようだし、目撃者の始末を考えなくてもいいのならあとはどうとでもなる)
あとは――どうお嬢様に申し開きするか、それだけだ。
そうしてすぐさま腰から引き抜いた真っ赤なナイフを構えてみせれば、目の前の怨敵が残念そうに肩をすくめてみせた。
「やっぱりこうなりますのね。せっかく自首する機会を差し上げましたのに」
「ふん。対話など貴様とて最初からこうするつもりだったのだろう。杖さえ離せぬ臆病者め」
「さすが我が家の筆頭メイド長。わたくしのことをよく理解していますのね」
「ぬかせッッ!!」
そして、すかさず呪いを付与したナイフを振りかぶり――暴発するような閃光が瞬いた。