(13) 熱病にうなされて――
◇◇◇
そうしてくっきり赤い手のひらの付いた痣をあからさまに誇示し、腕組して見せる殿下。
まぁ勘違いなど誰しもあること。
この状況であれば勘違いするのも致し方なしというものだが
「それでこの状況は一体なんですの。どうしてわたくしは殿下のベットで横になっていたんですの?」
「覚えていないのか。まぁ無理もないあのゲテモノ料理を食ってぶっ倒れたのだ」
「ゲテモノ料理?」
可愛らしく首を傾げてやれば、重々しく頷いてみせる殿下の姿が。
ああそういえば、そのようなことを戯れにやっていた気がする。
確かに今考えれば、人が食べていいようなものでなかった気がするが、
「なんでわたくしは生まれたままの姿なんですの?」
「それはその――俺だって悪いとは思ったのだ。婚前前の娘の裸体を見るのはさすがに紳士のふるまいではない。だがあのままにしていたら命が危ないと思いやむなくだな」
「へー、ソーナンデスカー」
ややジト目で陛下を睨みつければ、乙女の柔肌を見た負い目があるのか若干しどろもどろに言い訳をしてみせるヘタレやろう。
見た目以上にかなり真面目な性格の繊細な方だ。
寝込みのレディに悪戯するような鬼畜でない事は知っているが、
やっぱり貴族の令嬢としての体裁の問題なのだ。
それに――
(悪徳令嬢と生きる以上、乙女だ純潔だなどと言った子供じみたの感情は切り捨てて生きてきましたがそれなりに羞恥心はあるんですのよ? さすがにこの状況は看過できませんわ)
申し訳程度に掛けられた清潔なシーツを引き寄せ、威嚇するように唸ってやる。
いくら殿下がどうしようもないほどヘタレでボッチでもわたしほどの美貌と女神顔負けのプロポーションを前に我慢できるはずがない。
手元に杖がない以上。わたしができることは限られている。
わたしが寝ていることをいいことに不埒なイタズラ程度なら目をつぶるが、
「強姦は犯罪でしてよ」
「ごごごご、強姦など誰がするか馬鹿者!!」
意外に純情なのか顔を真っ赤にしてみせる姿はかなり気持ち悪いが、話を逸らしてもらっては困る。
そもそも――
「わたくしの杖はどこですの? いつも胸元に仕舞っていたはずなのですが」
「ああそれなら俺がこうして預かっている。いるか?」
当然ですの。というかなんであなたが持っているんですの?
「一度寝ぼけて大魔法をぶっ放しかけたからな。さすがに預けっぱなしと言う訳には――っと。やけに感情的だな」
咄嗟に奪い取るように殿下の手の中から杖を取り返せば、呆れたように肩をすくめてみせる殿下。
しまった。つい感情的になり過ぎた。
殿下はただわたしの暴挙を止めようとしてくれただけなのに――
「よい気にするな。魔導士にとって杖は分身のようなものだしな。その反応も仕方あるまい」
「ですが――
「と・に・か・く。――今は無理をするな。ただでさえ普段の無理に加えて体調不良が重なったのだ。いまは俺の言うことを聞いて大人しく寝ていろ」
そう言って有無言わせない雰囲気で唇を歪めてみせると、
「食えるか?」といってやけに温かい白いドロドロの物体を押し付けてきた。
これはまさか病人食として噂に名高い東方のオートミール――
「まさか――おかゆですの?」
「ああ、病人に刺激物は厳禁だからな。あまりの食材で悪いが、とりあえず腹に入れとけ」
「なんだかすごくドロドロしてますけど、本当に大丈夫なんですの?」
「ふん。少なくとも貴様の料理よりかはマシなはずだ。まずはそれを食って体力をつけろ」
まさに出来立てと言わんばかりに湯気の立つ料理に視線を落とし、そっとスプーンで掬いあげる。
なんだか思い出してはいけないような記憶が一瞬だけ垣間見えるが、
やけに柄にもなくやけにワクワクと瞳を輝かせる殿下の手前、食べないわけにもいかない。
まぁ今のところ異臭らしき異臭はないしこの見た目だ。さすがに死ぬことはないだろう。
ええいままよ、と勢いよく白いドロドロを口に含めば、
柔らかい味わいが口の中に広がり、わずかに緊張していたこわばりが解けていくのがわかる。
そして柔らかい温もりがそっと胸の奥を通過し――
「……やっぱりお料理が上手なんですね殿下」
「昔から暗殺だの謀略だの煩わしくてな。王族のふるまいでないと知りながら勝手に厨房を借りては、よく作ったものだ」
まったく本当に王族にあるまじき振る舞いですね。
「自分で言うのもなんだが粥だけはそれなりに自信があるのだぞ」と言う通り、目の前のおかゆはシンプルな味付けなのによく身体に染み渡った。
「まったく情けないかぎりですわ。当てつけのつもり恩返しに来ておいて慣れない料理で自分が看病される羽目になるとは――ローラ・アリュミナル、一生の不覚ですわね」
「まったくだ。初め、あの性悪女がぶっ倒れたときは何事かと思ったぞ」
「まぁ結局過労とわかって安堵したがな」と小馬鹿にするように鼻をは鳴らしてみせるが、内心わたしが倒れて相当焦っていたのだろう。
完璧に片づけたはずの部屋の布類の散らかりようを見れば一目瞭然だ。
「おおかた学園祭が近いからと言って根を詰めいたのであろう? いったい一人で何をしていたのだ」
「……殿下には関係ないことですわ」
「貴様なぁ。謀略の限りを尽くすのはいいが少しは周りに頼ることも覚えたらどうだ。俺が言えたことではないが生きにくいだろうその性格」
「本当に殿下の言えたことではないですね」
たまらずクスリと笑いが込み上げる。
たしかに殿下の言う通り、ターミナル学園の宿舎に寝泊まりするようになってから面倒事が増えたのは事実だ。
謀略・暗躍がアリュミナル家の信条。
普段できない調べものについ力が入り過ぎて、少々トラブルに巻き込まれたのだが、この方に言っても栓のなき事だろう。
相変わらずボッチの癖に、機微に聡い方だ。
昨年の学園祭の時も、殿下がわたしの体調不良に気づいて監督生権限でわたしを学園祭から下ろしたせいで、学園入学以降の初めての敗北を味わうこととなったのだ
(まぁ所詮は過去の出来事。その時のわたくしが未熟だったというだけの話で今更、悔やんでも仕方ありませんけど……)
今回は少しだけトラブルの質が違う。
なので余計な面倒事が増える前に、曖昧な話題変更で誤魔化してみせた。
「でもたしかにその節は監督生の殿下に迷惑を掛けましたわ。わたくしもまさか自分の手料理にとどめを刺されるのは思いませんでしたし――結局、食材も無駄にしてしまいましたわね」
「うん? そんなことはないぞ。ちゃんと全部平らげた」
「え――」
慌ててちゃぶ台を見れば平らげた料理の数々が、綺麗に空になっている。
あれだけの量を一人で食べた殿下の胃袋の大きさもさることながら――
「まさか――全部、食べたんですの? あの料理を?」
「おう、文字通りこの世の地獄を煮詰めたような味だったが――まぁ食えなくはなかったな」
よくお腹を壊しませんでしたね。ほんと……
というか――
「あれほど散々嫌な顔していらしたのに、よく食べる気になりましたわね。別に残しても構わなかったんですのよ?」
「勘違いするな。俺はただ食材がもったいないと思ったからあれらを食い尽くしたのだ。別にお前が目覚めたときにがっかりすると思ったからとか、そういうあれではないのだからな!!」
そう言って見事に絵に描いたようなツンデレを炸裂して見せる殿下。
まったくわかりやすいんだか、気持ち悪いんだかわかりませんね。
「そんなんじゃ民を率いていけませんよ」と皮肉ってやろうとした時――
わたしの手のひらより一回り大きな手が滑るようにわたしの額に添えられ、驚き思わず手を振り払う自分がいた。
バクバクと心臓が大音量で警告音を発し、パクパクと口を開閉させるが殿下は素知らぬ顔でもう片方の手のひらを自分の額に当てると、その猛禽類に似た目尻が柔らかく垂れさがった。
「な、ななななにをなさるのですか!?」
「うむ、熱も引いたようだな。顔色もだいぶ良くなってきたようだな」
「別に――この程度どうってことありませんわ。ただ慣れない環境で身体が油断しただけのこと、これくらい、いつもの、ことですわ……」
「おいおい、いきなり動く奴があるか。まだ万全じゃないんだろう? 学園には連絡しておいたからもう少し休んでいろ」
忙しく肩に垂れさがった神を触り、ふらつく腰を持ち上げようとすれば、やんわりと手のひらで押し返される。
思いのほか消耗していたのだろう
わたしの体はあっさりと固いベットに沈みこんだ。
「まったく病人が無理するからこうなるのだ。暗躍・謀略は結構だが少しは自分の体をいたわれと何度も忠告しただろうに……これだから貴族主義の○○は○○だから行かんのだ」
「さすが万年ボッチの孤高の王子(笑)。どうに入った自虐ネタですわね」
「こんな状態でも貴様の毒舌は相変わらずのようだな」
ヒクヒクと痙攣する血管を額に浮かべ、大きく深呼吸して見せる殿下。
ここでいつもの言い争いをして、この妙な空気を引き戻してやろうと思ったのだが――
「どこに行くんですの?」
「俺がいては治るものも治らんだろう? 貴様も少しは調子を取り戻したようだし俺は学園に行くことにする。この部屋にある者は好きに使っていいから、お前はもうしばらくこの部屋で休んでから宿舎に帰ると――」
とそこで不自然に言葉を区切られた。
若干困惑したような顔でこちらを見つめているが、
「どうしたんですの? 遅刻しますわよ」
「いや、そのだな――離してもらわねば動けぬのだが」
「え?」
言われた初めてわたしの指先が殿下の裾を掴んでいることに気がついた。
まさかわたしの身体がわたしのこんな叛逆にでるとは、完全に無意識だった。
身体の奥底が羞恥心でカッと熱くなり、慌てて誤魔化せば、本日二度目の大きなため息が聞こえてきた。
「あ、その――ごめんなさい。つい罵りたりなくて、つい――」
「自分を偽る奴があるか。……どうやらまだ本調子でないようだな。待っていろ、いま薬を買ってくるから」
「まさかサボるんですの?」
「当たり前だ! 病人をこのままにしておけるか!!」
ドストレートな言葉に思わず目を見開く。
てっきり馬鹿にされると思ったのに、
「いい気味だとおっしゃらないのですの? 悪女に相応しい天罰だと」
「体調不良や体質を馬鹿にするのは愚か者のすることだ。俺はそこまで落ちぶれるつもりはない。たとえ我が物顔で別荘を荒らす盗人であろうとな」
皮肉気味に唇が歪み、出かける支度を整える殿下の言葉に思わず顔を落とす。
「なぁにそんな顔するな。どうせ学園に居ても俺の居場所などないし、平日に公務をサボると言うのも悪くはないさ」
素が出ていますよ殿下と言う暇なく、「いいか俺が帰ってくるまで大人しくしているんだぞ」と言い残して勢いよく駆け出していく。
慌ただしい気配が消えていく。
あとに残ったのは冷たすぎる静寂な空間。
本来なら学園に登校していなくてはいけない時間だ。
完全な遅刻。きっと今頃、学園ではてんやわんやだろう。
(ほんとなにをやっているでしょうねわたくしは、本当は、恩返しやストレス発散ではなく、ただ何となくここに来ただけなのに――)
宿敵、怨敵たる殿下に気を遣われ、あまつさえ看病させるために薬を買いにパシラせることになろうとは。
まったく、呪いの姫君。悪徳令嬢の肩書が泣いてしまう。
汗ばんだ腕を額に乗せれば、ひんやりとした額がやけに熱い。
「はぁ、これは熱でやられただけですわ」
そう言ってそっと目を瞑れば思い浮かぶ顔がわたしのココロを喧しく騒がせ、意外にも心地よくわたしの凝り固まった胸の内側をほぐしていくのであった。