七十五話 擾乱の街⑳ 直言居士
「どうにかやってやるわよ。最悪、使い潰しちゃうけど、いいわね?」
『構わない。俺とお前の身柄が優先だ』
魔道具での通信を終えた女は、憎々しげに毒づいた。
「なにが『身柄』よ。あいつ、自分も他人も道具だとしか思ってないんじゃないの」
相方の男の無感情さに苛立ちながら、女は外の様子を確認する。
ボロ服の人間たちでごった返している街路では、騎士団が、身動き取れずに立ち尽くしていた。
「忌々しい。さっさとどっかに行っちゃいなさいよ」
だが、人混みが解消される気配はなく、騎士たちも、この炊き出しの開催者であるアイアトン商会の会長と、ずっと押し問答を続けるばかり。
「あの白髪爺い、どんだけ金かけて炊き出ししてんのよ」
歯噛みしながら、消えることない人間の海を睨みつける。
と、女はあることに気がついた。
「アイアトン商会の連中、やけにきょろきょろしてるわね……?」
浮浪者に食事を配りながら、並ぶ人の列を整理しながら、商会員たちの視線は、絶えず色々な方角に動いている。
「誰かを探してる? 誰を? 決まってる、ここに隠れてる私をよ」
女はギリギリと歯ぎしりした。
(あの爺さんは囮なんだわ。騎士団をこの場に留める陽動役を、トップ自らがこなしてる。その隙に部下に私を発見させて、騎士たちに捕獲させようって、そういう腹ね)
女は服の内側から、隠していた袋を取り出した。
「冗談じゃないわ。誰の手のひらの上かは知らないけど、踊り方はこっちで決めさせてもらうから」
袋の中身は、紫色の魔法結晶が全部で7個。
黒衣の男から預かったそれには、すでに男の魔法徴発猟狼によって、魔力と単一命令が篭められている。
「さあ、何とか逃げ切ってみせるわよ」
***
ブライアンは、ある疑問を抱いていた。
目の前で声を荒らげ続けるダニエル会長。
だが、周りの商会の人間たちが止めに来ないのはどういうわけか。
(まるで、会長と騎士団が揉めているこの状況が、予定調和だとでも言うかのように――)
同様の疑問を、隣にいたビアトリスも感じていた。
(妙ね。騎士団をこの場に留めさせて、彼らは何をしたがってるの?)
商会員の様子を観察していたビアトリスは、彼らの視線が一定ではないことに気がついた。
(誰かを探してる? でも誰を?)
2人の疑問は、直後に氷解することになる。
「きゃああああ!」
周囲に悲鳴が響き渡った。
一箇所からではない。
四方から、甲高い悲鳴や罵声が続々と上がっていく。
戸惑うブライアンたちに、騎士のひとりが報告した。
「会場の数カ所で、突然暴れ出した者がおります!」
もはや、街路は混沌としていた。
暴れている人間と、そいつに殴られ反撃する者。
誤って殴られる者。
殴られていないのに参戦する者。
殴られまいと逃げ惑う者。
暴力と恐怖とが、辺りにどんどん波及していく。
そんな状況を尻目に、すぐそこでは、いまだにダニエル会長と騎士が怒鳴りあっていた。
「暴動じゃ! 仕事をせんかヘタレ騎士ども!」
「あなたがこんな連中を掻き集めたからでしょうが!」
「バカモン、よく見んか! 数人は明らかに魔法で誰かに操られとるじゃろうが! この節穴のボンクラ騎士めが!」
そんなもの、傍目にわかるはずもない。
確かに暴れている人間の数人は前後不覚の状態であるのだが、それが魔法の作用によるものか、酒で酩酊しているかなど、知りようもない。
思うところはあるものの、ブライアンはひとまず、騎士たちを取りなすことにた。
「遺憾ながら会長の言うとおりです、まずは、暴動を鎮めましょう」
騎士のリーダーも、不承不承ながら、職務に殉じた。
「各員! 暴漢を取り押さえろ!」
騎士たちが鎮圧行動に移ったのを見て、ブライアンは、小声で会長に囁いた。
「後で、詳しいお話をお聞かせいただけませんか?」
会長は、彼の好意を無碍にした。
「貴族と話なぞあるものか! あの暴動は陽動じゃ! 近くに黒幕が潜んでおるぞ、お前も探さんか!」
歯に衣着せないトップの言に、現場の商会員たちは冷や汗を禁じ得なかった。
その心の隙を突くように、ボロ布を纏った乞食が、彼らの監視網をすり抜けようとして――
「待ちなさい、そこの人」
ビアトリスが、その乞食を呼び止めた。
「あなた、ずいぶん的確に人の流れをすり抜けたわね。暴動まで起きてるっていうのに」
状況を俯瞰していたビアトリスの目は、自然な動きで群集を躱す、不自然な人物を認めていた。
「ちっ、目聡い糞女が」
吐き捨てたのは、汚れた着衣で乞食に扮した、違法薬物売人の女だった。