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六十四話 擾乱の街⑨ 雄叫びの老人 上

 ブライアンは、アイアトン商会の商談室で、白髪白髯(はくはつはつぜん)の老人に面会していた。


 老商ダニエル=アイアトン

 アイアトン商会の6代目会長にして、齢80を数えながらに、いまだに現役の椅子に収まる豪商である。

 その豪商は、伏して目通りを願ったブライアンに、こんな第一声を投げかけた。


「恩義と貸し借りの違いとは、なんだと思う、小童(こわっぱ)?」


 27歳の自分を小童呼ばわりするこの老人に、ブライアンは、伏して沈黙を貫いた。


「つまらん貸し借りは、つまらん尾しか引かぬのだ。貴族社会では、恩義という名が地に墜ちておる!」


(貴族に対するこの嫌悪。事前に聞いてはいましたが、こうまで露骨とは……)


 ダニエル翁の貴族嫌いは、一部ではまことしやかに囁かれていた。

 王室御用達でありながら、また、自らも後ろ盾を得ておきながら、貴族には一切、媚びず、懐かず、へつらわず。

 それでも商会が王家の御用達でいられるのは、ひとえに、扱っている品物が、どれもが高い品質だからだった。


「ご忠言、いたみいります。私は本日――」

「忠言ではない! これは警告じゃ!」


 老人は、激高したように叫びだす。


「これだから貴族は好かんのだ! こちらの声を、耳障りの良い言葉であしらい、自分の利益だけをねじ込みおる!」


(……あるいは、腹に据えかねたものがあるのでしょうか)


 罵詈雑言を聞き流しつつ、老商の背景を考察するブライアン。

 ダニエル翁は世襲の6代目であり、後ろ盾のレッドロック家は、彼が生まれる前から商会の上にいる存在だ。

 優秀な盾には違いない。しかし、翁にとっては、いわば、目の上のたんこぶなのかもしれなかった。


「アーチバーグの(わらべ)の後見と聞いて()うてみれば、結局は利欲まみれの駆け引きを打ちよる。それを恩だの義だのと申すは、人の営みへの冒涜ぞ!」


 流し聞いていたブライアンの耳朶を、聞き捨てならない言葉が打ちつけた。


「失礼ですが、アイアトン様。アーチバーグ家とご縁がおありで?」

「おお、あるとも! あの家の末弟子息が、つい先刻に儂を訪ねてきたばかりじゃ!」

「ダリオ様が?」


 困惑するブライアン。

 どうして彼がここに来たのか。

 なぜこの老商に目通りが叶ったのか。

 いったいどんな話をしたのか。

 怒鳴り続ける狷介(けんかい)な老人の顔からは、内実を汲み取ることができなかった。


 そんなブライアンの様子を見て、ダニエル翁は叫ぶのをやめて、意地悪そうな笑みを作った。


「ほう、どうした、焦った面差しになりよって。あの童がレッドロック家についたのではと、疑心に駆られたか?」


 気遣いもへったくれもない老人の言が、容赦なくブライアンの内心をえぐっていく。


「貸しだの借りだのにばかり拘泥(こうでい)しておるから、いざとなって、誰かを信じることができなくなるのだ、愚か者めが!」


 結局、その後もダニエル翁の態度が和らぐことはなく、ブライアンは、話をできずに商会を後にした。


***


 ブライアンが去った後、ダニエル翁は、自身の従者を呼び寄せた。


「帰ったか?」

「はい。門を抜け、馬車で通りに抜けました」

「あ奴は確かに、アーチバーグの忌み子の動きを知らなんだな」

「そのようです。知っていれば、他に交渉の仕方もあったでしょう」

「忌み子の童……公爵家の動きを潰してまで、儂にこいつを届けようとは」


 皺だらけのダニエル翁の手の中には、小さな小瓶が握られていた。

 小瓶の中には、黄褐色の粉末が入っている。


「あの童は――」


 ・

 ・

 ・


(わっぱ)に構う暇はない! それがたとえ、公爵家の名を使う童であろうとな!」


 明け方、屋敷の庭に突然押しかけてきた少年を、ダニエル翁は一喝した。

 老人は、少年の素性を知っていて、昨日のべラキィ族逮捕の一件も知っていた。

 夜更けに証拠が見つかったことも、それが捏造である可能性も、すべて知っている。

 商人とは、貴族以上に耳が早い者の別称でもあるのだ。


「つまみだせ!」


 ダニエル翁は、少年に背を向け、屋敷の中に入っていく。


「公爵家は公爵家で動いています。たぶん、キースさんが許可を出して、ブライアンさんがこちらにやってくると思います。僕はその前に、あなたに会いたくて」


 翁の足が、静かに止まった。

 振り返った老人の顔には、皮肉げな笑みがあった。


「幼齢の割に、肝が座っておられる童殿(わらべどの)じゃ。公爵家を裏切るおつもりか」

「そのようなつもりはありません」

「ほう、では儂らに政敵を受け入れよと?」

「レッドロック家がバレスタイン公爵家と敵対されているのは存じています。どう取り繕おうと、僕が公爵家の手の者であることも、歪めがたい事実です」

「そのうえで、童殿はどうするおつもりかな?」


 少年は、懐に手を入れ、小さな瓶を取り出した。

 瓶の中には、黄褐色の粉末が入っている。

 ダニエル翁の目は、一瞬だったが、それに釘付けとなった。


「……手土産持参とは、よい心がけじゃな」

「お受け取り、いただけますか?」


 ダニエル翁は、すぐ隣りにいた従者に合図し、瓶を確認に行かせる。

 壮年の従者は、少年から受け取った小瓶をしばらく眺め、ダニエル翁に首を縦に振ってみせた。

 奇蹟の妙薬【エリクシル】。

 かつて、少年が自宅の庭の希少な花より作った貴重な薬。

 少年はそれを、惜しげもなく老商に差し出した。


「よかろう。儂の時間をほんの少しだけ提供しよう。それで、お前さんはどんな情報(しょうひん)を望むのかね?」


 ・

 ・

 ・


 ダニエル翁は、従者に尋ねた。


「あの(わらべ)は、儂の事情を知っていたと思うか?」

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