五十話 夢うつつ
夢を、見ていた。
眠っているのに夢だとわかる、けれど、妙に現実味のある夢だった。
(見たことがある。この光景を、僕は見たことがあるんだ)
これは、僕が何度か遭遇している、ある事件にまつわる夢だ。
以前のやり直しの中で、数回だけど起こったイベント。
発生確率は高くはなく、でも、起きてしまうと危険を伴う。
リスクありきの解決策をとらねばならない、そういう類のイベントだった。
(このイベントに一番最初に遭遇したとき、僕は初めて、リンジーの固有魔法をこの目で見た)
僕は生きるか死ぬかのところで、彼女の魔法に助けられた。
リンジーは、はぐれてしまった僕を探して、必死の思いで駆けつけてくれた。
僕とリンジーは、疲労困憊しながらも、大立ち回りを演じに演じ、苦難を越えて、なんとか事件を丸く収めた。
僕らの絆は深く強まり、それは、仄かな恋に等しい感情に育った。
リンジーの潤んだ瞳が僕を見る。
その目に吸い込まれるように、僕は彼女に顔を近づけた。
彼女が本当は男の子だとか、そんなことは、何の障害にもならなかった。
ゆっくり目を閉じるリンジー。
僕の唇と、リンジーの唇が触れ合った。
柔らかく、そして、温かい。
少し湿った優しい感触が、僕らの時を静かに止めた――
「ナニヲ、シテイルノ?」
――はずだった。
***
ゆさゆさ。
ゆさゆさ。
世界が揺れて、僕は夢から引き戻された。
「……おはよう、リンジー」
目の前には、僕を起こしたリンジーの顔。
僕はとっさに目をそらした。
不自然に顔をそむけた僕のことを、リンジーは不思議そうに見て、そのまま、ずいっと顔を覗きこんできた。
ふわりと揺れた彼女の髪のいい香りが、僕の鼻先をくすぐっていく。
僕は目線を外したまま、正直に弁明した。
「君の夢をみたんだ。気恥ずかしくて、今はちょっと、顔を見れそうにない」
リンジーは一瞬キョトンとして、それからクスリと楽しげに笑って、一礼してから部屋を出て行った。
「……嘘じゃないよ。半分は」
彼女が出て行った扉に向けて、僕はポツリとつぶやいた。
気恥ずかしいのは嘘じゃない。
でも、残りの半分は、真っ赤に潰れたリンジーの顔がフラッシュバックして、どうしても目を合わせられなかったのだ。
***
今日は街には出かけずに、花壇の花の手入れをしている。
毎日毎日外出してたらさすがに不審がられるし、かといって、この公爵家別邸の中では滅多な動きを見せられない。
(下手に変な行動をとると、キースさんたちが深読みしちゃうから……)
彼らの心労は増やしたくない。
なので、花をお手入れしているくらいでちょうどいいのだ。
(花の育成に精を出してるって見られたほうが、花木店に行く口実になるし)
先日届いた花の苗を、その日のうちに植え終えた僕は、それから毎日水やりをして、定期的に雑草の処理などを行っている。
現状でできる手入れはこのくらい。
しかし、それがいい。
与えられた花壇だけでは時間を持て余していることは、いずれリンジーからキースさんたちに伝わるだろう。
そうなれば、僕は新たに花壇を借りて、大手を振って、またあのお店に行く機会を得られるのだ。
***
「まあ、ダリオ。お花を育て始めたのね」
花木店に行く機会より先に、セシリア姉さんが再来した。
この日は週末、世は休日。
学園の授業はお休みで、僕も礼節や勉学の講師が来ない日だ。
姉さんは、先日予告していったとおり、朝からここにやってきて、僕を街へと誘いに来た。
僕は仕立て上がったばかりの余所行きの服に袖を通し、姉さんと一緒に街に出る。
リンジーもこれに同伴した。
「ダリオ、今日はこの子はいなくてもいいんじゃないかしら?」
「いいえ姉さん。公爵家の方々に心配がかかってしまうので」
言葉のトゲを隠そうともしないセシリア姉さん。
姉さんにも専属の従者がついているのだけど、ここに来るときは必ず置いてきている。
僕に女性を接触させたくないのだ、この人は。
「ダリオがそう言うなら。でも、本当に護衛能力は確かなのかしら?」
挑戦的な目でリンジーを見るセシリア姉さん。
リンジーは、僕にちょこんと頭を下げると、止めるまもなく挑発に応じた。
予備動作もなく、一瞬で姉さんの眼前に迫ると、右手で顔を突く――
「っ!?」
――かに見せかけた。
驚いて、両腕で顔を覆った姉さんは、リンジーの姿を見失う。
その隙に、リンジーは背後に回りこみ……
「ちょっと、リンジー!?」
訂正。リンジーは僕の背後に回りこみ、両腕で僕の体をぎゅっと抱きしめた。
「なっ、あなた、何をしてるの!」
不意を突かれて焦った姉さんに、リンジーは、意趣返しとばかり挑戦的な笑顔を向けた。
『あなたの大事な人は確保した』
そんな人質宣言である。
「……やるのね、あなた」
「やるでしょう? リンジーは」
姉さんは、割り合い大人しく引き下がった。
幼いとはいえ、護衛の力はありそうだと認めてくれたのだ。
それに、リンジーが男の子だという認識もあるから、このくらいのスキンシップは許容してくれる。
……今のところは。