三十七話 闇夜のカラス
「あの時の一番の問題って、姉さんが僕を殺しに来るまでの過程なんだよね」
心臓を突き貫かれた9回目。
あの夜、セシリア姉さんは、本当なら王都の学園の寮から出られないはずだった。
貴族の子どもが通う学園。
規則の厳しさは言うまでもなく、警備も殊更に厳重だ。
勝手な外出は許可されず、脱走などは直ちに見つかり、違反者には重い罰が与えられる。
「姉さんの外出が認められたはずはない。つまり、自分を邪魔した人たちを、姉さんは――」
実際に何があったかは知りようがない。
僕は殺されてしまったのだから。
でも、【愛情ステージ:恋愛】になった姉さんは、敵対者には容赦がなくなる。
帰宅を認めなかった教員を、宥めようとした学友を、手にかけていても不思議はない。
「それにたぶん、姉さんは【愛情ステージ】が上がると、魔法の力も強くなる」
学園のある王都から、屋敷は馬車でも3日かかる。
しかし、貴族の令嬢がひとりで馬車など使おうものなら、あっという間に止められる。
だから、セシリア姉さんは、自力でここまで戻っているのだ。
固有魔法重力操作の効力で、自身にかかる重力を減らして、驚異的な運動能力を得ているのだ。
「学生レベルでできることじゃない。【愛情ステージ】の進行が、異常な魔力コントロールを可能にしているんだ」
理屈は一切分からないが、そもそもヤンデレに常識や論理が通用するはずもない。
事実そうなってしまう以上、それを踏まえて対策を考えていくしかないのである。
***
1週間はすぐに経ち、姉さんが王都に出立する日がやってきた。
「お父様、お母様、行ってまいります」
姉さんは、両親に挨拶し、次いで、兄姉たちに挨拶した。
そして、最後に。
「行ってくるわね、ダリオ」
僕の体をぎゅっと抱きしめ、別れを惜しむ。
例によって、本当なら僕はこの場にいないはずだったが、これもセシリア姉さんの【とてつもなく強い要望】で、見送りに参加が認められていた。
「セシリア様、そろそろ……」
姉さんの専属従者を務める女性が、出発の刻限を告げに来た。
馬車には姉さんと、この専属従者が乗り込むことになっていた。
彼女は王都の学園寮にも同伴し、姉さんの身の回りの世話をするのである。
名残惜しそうに姉さんは、僕のもとから離れていく。
馬車はそんな姉さんを乗せると、王都へ向かって動き出した。
そうして、どんどん小さくなっていく。
「さあ、ここからだ」
僕は小さく拳を握る。
姉さんがヤンデレ化してしまう前に、僕を殺しに来る前に。
「打つべき布石は打ち切った。あとはキースさんたちが動いてくれる。それまでに、僕もやることをすべてやりきるんだ」
***
セシリア姉さんが王都の学園に入学してから、ちょうど2ヶ月が経過した。
この日の夜、僕は机で文通の返事を書きながら、ある客人を待っていた。
(いつもだったら、そろそろ来るはず)
待ち人は、おおよそこの日、この時間に現れる。
時には数日遅れて僕の不安を煽るのだけど、そういうケースはたまにしかない。
(これまでが大丈夫だからって、うまくいく保証にはならないんだけどさ)
今回はダメになる、そういう初遭遇のケースだって、ないとは言い切れない。
が、その心配は杞憂だった。
コンコン、と、窓が叩かれる音。
「来たっ!」
僕は急いで窓をあけ、客人を中に招き入れる。
カァッ、と鳴き声。
客人は、黒い翼とクチバシを持った、カラスだった。
「こんばんは。キース様の使いの子だね?」
カラスは、僕の言葉を解したように、ちょこんと跳ねて横を向いた。
右足首につけられた、密書の筒を見せるように。
「お利口さんだね」
この子は渡り烏の一種で、夜目の効くので、王族や軍隊が夜間伝書に用いている鳥だ。
黒い体で闇夜を飛び交い、機密情報を極秘裏に運ぶ。
実は、公には存在を秘匿されている軍事機密のカラスだったりもする。
「そんな軍事機密を、僕のために使ってくれるんだから」
筒の中身。丸められた文書を確認する。
読み終えて、僕はその裏に文字を書き足し、再びカラスの足に戻した。
「ありがとう。行っていいよ。キースさんたちによろしく伝えて」
***
3日後。屋敷に公爵家からの使いが訪ねてきた。
内容は、父上を仰天させるものだった。
「貴殿の息子、ダリオ=アーチバーグを、ただちに王都に向かわせられたし」