九話 淑女セシリア
105回目の転落事故を軽傷でやり過ごした日から(といっても、右腕は粉砕骨折していた)、再び2年が経過した。
「おはよう、ダリオ。お外はいいお天気よ」
「おはよう姉さん。今日も可愛い服ですね」
姉さんではなく、服装を褒める僕。
必要以上に姉さんの愛情を刺激しないためだ。
が、姉さんはどんな曲解をしたのか、満面の笑顔を僕に振りまいてくる。
ここは、僕の自室のベッドの中……ではない。
「挨拶が済んだなら席につけ。朝食が始められん」
不機嫌そうな父上に急かされ、僕は慌てて着席した。
その様子を見計らい、メイドたちが朝食を運んでくる。
僕が和やかな朝の挨拶を交わしたのは、アーチバーグ邸の食堂だった。
かつては針のむしろだったこの場所で、唯一セシリア姉さんは、僕と会話をするようになった。
姉さんはとてもうれしそうに、にこやかな笑みを浮かべている。
が、彼女以外の反応は、昔以上に思わしくない。
父上は険しい目つきで僕を睨みつけ、母上も従前を越えた憎悪の眼差しを向けてくる。
しかし、実の娘のセシリア姉さんがああも喜んでいる手前、無言の圧力だけしか強められない。
他の兄姉も、両親に倣って無言で僕を睨んでいるか、あるいは興味なさげに白けていた。
***
104回目の時とは違って、姉さんが僕のベッドに潜入してくることはなかった。
今のところ、セシリア姉さんはそれなりに節度を弁えている。
【愛情ステージ】が【家族愛】まで進んでいるのは間違いない。けれど、奇行に走ることはなく、かつてのお転婆ぶりも影を潜めている。
これは、2年前に打っておいた布石の成果だ。
前回も、そして今回も、僕は【愛情ステージ①:無関心】の頃の姉さんに【淑女が好き】だと伝えている。
「好みのタイプを教える、っていう愛情を促進しそうな行為なのに、この段階なら抑止の効果を発揮する」
序盤だけに使える荒業、いや、逆転の発想だった。
献身的な介助という親密イベントをこなせなかったセシリア姉さんは、僕との距離を縮めようと、淑女然とした立ち居振る舞いを身につけようとする。
これを僕は【淑女化】なんて呼んでいる。
この【淑女化】は、【愛情ステージ②:家族愛】で起こる突飛なイベントの発現率を、なかなかの頻度で抑えてくれる。
もともとがお転婆なキャラだったのに、無理して真逆になろうとするから、愛情の進行度合いに遅れが生じるのだ。
100回以上も人生を繰り返した中、体当たり的に見出した法則性のひとつである。
「でも、用心だけは怠っちゃだめだ」
この【淑女化】は、あくまで【愛情ステージ】の進行を遅くするだけだ。
姉さんの突飛な行動を抑えこむほどの効力はないし、凶行の発生だって防げない。
酷い時には、学園入学前に【愛情ステージ③:恋愛】にシフトすることさえあった。
運悪く防ぎきれなかったイベントが、よりにもよって、ステージ進行度を大幅に跳ね上げてしまったのだ。
「あの時は、それは酷いものだった……」




