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最近の生活

作者: 晴間あめ

自分が最近ぼんやりと考えていたことを、ようやく言葉にする決心がつきました。そんなに大それたものじゃないですが。

こんにちは、晴間あめです。


今日の天気は晴れ。


リアルタイムで読んでくれている方はこんにちは。


朝、電車の中で移動中に読んでくれている方(主に都会)はおはようございます。


夜、自室で読んでくれている方はこんばんは。


どれにも当てはまらない方も、お久しぶりです。



お元気でしたか。


わたしは普通に過ごしていました。


"普通"というのは、わたしにとっての普通で、朝起きて、顔を洗って、コンタクトをつけて、朝ごはんを食べて、歯磨きして、着替えて、化粧をして、仕事に行って、帰ってきて、夕ごはんを食べて、お風呂に入って、寝る、ということです。


朝にスポットライトを当てすぎた気もしますが、気のせいです。


一日の行動パターンを単純な言葉にできてしまうのが、なんか怖いね。ロボットみたい。


他の人は自分よりもう少し、複雑に生きているんじゃないかなと思うよ。分からないけどね。



最近のわたしは、一日が二倍速に感じます。二倍速どころか、早送りのマークが三個ついてるくらい。朝起きて仕事に行って、気がついたら家のリビングでソファにいて、時計を見たらもう二十三時半、みたいな。


それが、毎日なんです。


そして休みの日になったら、寝る。


二度寝どころか三度寝だってしちゃう。一週間溜めた疲れを気の赴くまま、起きるまで寝て、リセットする。そうすると大体一日の半分は過ぎているから、残りは特に何をするでもなく、ゆったりと過ごす。


そしてまた、元のルーティーンに戻る。その繰り返し。



あ、この生活に不満があったり、嫌なわけじゃないんです。むしろその逆で。


一日があっという間に感じるほど仕事に夢中になれていること、多少疲れてもままの美味しいごはんが自分を待ってくれていること、限られた夜に家族と他愛のない話をすること、休みの日は好きなだけ寝て自分の体を労わってあげられること。


それは決して誰にでも与えられていることではなくて、平凡のようで、確かな幸せ。


それを分かってからは、「何もできていない、充実していない」などとは思わなくなった。人生、幸せか不幸せかを左右させるのは、どんな状況かではなく自分の捉え方なのだと思う。



それならば何を言いたいのかというと、充実してはいるのだけれど、少し前の自分と比べて大分変わったな、と。


考え方や生活、他にも色んなことが。


どちらが良いとかではなく、ただ"変わった"ことに、少し寂しさを感じています。



少し前の自分は、休みの日があれば友達と遊んで、きゃあきゃあして、「友達と遊ぶのが人生の充実、休みの日に家にいるのは少しもったいない」というスタンスだった。可愛い服を着て、髪を巻いて、いつもより素敵な自分になって、友達に会いに行く、というのが最高の至福だった。可愛いカフェに行って、美味しいものを食べて、写真を撮って、インスタにあげて。


今考えても、すごくすごく楽しかった。そんな時間を友達と過ごせたのが、何よりも嬉しくて。思い出してもワクワクするくらい、素敵な思い出です。


また行きたいなって思っているうちに、このご時世で外出することが困難になって、友達とも前みたいに頻繁に会えなくなった。


大好きな服も、一目惚れしてネットで購入したワンピースも、どうせ開けてもどこにも行けないからって、段ボールだけ開けて可愛いラッピングが施されたまま、自室の床に一ヶ月ほど放置してある。



自分の生活は、何もかも変わってしまったのだ。


そしてその選択をしたのは、他の誰でもない自分なのです。


何が寂しいかって、自分が、変わってしまった生活に対して少しも不便さとか、ストレスとか、寂しさとかを感じていないこと。


だから、さっきの言葉には少し語弊がある。


自分は"変わった"ことに寂しさを感じるのではなくて、"変わったことを悲しく思わない自分"に寂しさを感じているんだ。


このニュアンス、分かるかな。


決して友達への愛が薄れたわけでもなく、自分の趣味が変わったわけでもないんだよ。


ただ、価値観というか、「自分の幸せは絶対こう」と思っていたものがそれだけではないことが分かって、それが「休みの日は家にいる」だった。


それでも、友達が電話やLINEで「このご時世で友達と全然会えなくて悲しい」というようなことを話しているのを聞くと、自分は心が冷たいのかな、と思う。


そりゃ寂しいよな。今までは何も気にしないで会えていた友達と会えなくなってしまったんだから。


それに対して、自分は普通に生活している。


友達には、会いたい。会ったら絶対楽しいし、何より嬉しいし、何ヶ月も会えなかったのが嘘みたいに、前と変わない時間を過ごせるだろう。


そう思ってはいるが、現に、自分は不便なく、普通に生活できてしまっているのだ。



それが気持ち悪い。そんな自分に吐き気がする。自分は心が冷たいどころか、もしかしたら感情のないロボットなのではと考える瞬間もあった。


考えてはみたが、普通に人間だった。


これがわたしだったのだ。そう考えると、妙に納得したというか、これが自分か、と腑に落ちる部分もあった。そして今に至る。



この生活にも随分慣れたが、ふとした瞬間に、思い出す。


きらきらしていたあの頃を、無邪気に笑っていたあの頃を。


どんなに愛しくて堪らないあの日々に戻りたいと願っても、きっともう戻ることはできない。


自分は無意識のうちに、何かを手に入れて、何かを手放してしまったんだ。


大人になってしまったのかな。


自分は、これからも大人になっていくのかな。


そう考えると、寂しくてたまらないよ。


それでもきっと、何があっても、何もなくても、生きていくんだよな。



今日の夕ご飯は、なんだろう。

思っていることをそのまますっと言葉にできた気がします。読んでくれた方、ありがとう。嬉しいです。愛。みなさんが今夜も美味しい夕ご飯を食べられますように。

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― 新着の感想 ―
[一言] なるほどですね... 現状を受け入れてそこに幸せを見出せるのは才能だと思いますよ あの頃が幸せで今は不幸と思っていたら、それはそれで自粛を楽しめている人たちを羨ましく思うと思いますし、無い…
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