「何も起きない夜」 ―カルロ村・初めての夜間巡回 —
前書き
村は、出来た。
壁も、門も、櫓も、畑も、家も――形はある。
でも“村”ってのは、形じゃない。
夜を越えられるかで決まる。
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本編
夜のカルロ村は、風の音がよく聞こえる。
ロッペンハイマーの石畳みたいに音が跳ね返らないぶん、草が擦れる音がそのまま耳に入る。
土壁の外周をぐるりと囲む薄い草地、その向こうに黒い森。森までは、歩いて十分もない。
北側には湿地があって、月の光が当たるとそこだけ鈍く光る。近づきたくない光り方だ。
村の配置はこう。
門は街道側――南東。
その門からまっすぐ一本の道が伸びて、中央の広場に繋がる。
広場の端には共同の井戸と、水桶の列。
広場の北寄りに倉庫小屋が一つ。干し草と工具が入ってる。
西側には畑が四区画。まだ小さいけど、ちゃんと畝を切ってある。
住居は広場を囲むように三軒――今夜の時点では、その三軒だけが「人が寝る家」だ。
外周の土壁は、胸の高さくらい。
“よじ登れない高さ”じゃない。
でも「入りにくい」と「見えにくい」を作るには十分。――まずはそれでいい。
櫓は二つ。北東と南西。
猫族が昼間に登って見張る場所だ。夜は基本、無人。必要があれば上がる。それだけ。
そして今夜。初めての夜間巡回。
「……よし」
広場の端で、アタシは手を叩いた。
「当番表の通り。夜はこの二人――いや一人と一体、ね」
火のそばに立つ影。
黒衣の長身。
肩幅が広く、動かないと“柱”みたいに見える。
――アーヴァイン。
その隣で、足取りだけがやけに軽い小柄な影。
黒装束。
顔は外套で隠れていても、動きで分かる。
絶対、楽しんでる。
――ネロ。
「……我は、確認したい」
アーヴァインが低く言った。
「巡回の目的は、敵を討つことではない。
灯り、壁、門、畑の異常。
それと……侵入の兆候、だな?」
「そうよ。ちゃんと分かってるじゃない」
アタシが頷くと、メアリーが小さく息を吐いた。
メアリーは今夜、巡回には出ない。
ここで変に頑張らせると、明日からのルーティンが崩れる。薬屋、工房、晩の稽古。全部繋がってるからね。
「じゃ、お願いします」
メアリーが頭を下げる。
アーヴァインは一度だけ顎を引いた。
「……承知した」
その言い方が、いちいち重い。
夜の空気まで固くなる。
「はいはい、堅い堅い」
アタシは手をひらひら振る。
「で、これ。仕事道具」
アタシが渡したのは三つ。
一つ。
便利屋ギルドの小さな旗。棒に括りつけた簡易のやつ。夜に遠目で見えなくても、近くで見せれば“味方です”って分かる。
二つ。
薄手の巡回マント。黒じゃなくて濃紺。夜の闇に紛れるってより、月明かりでも“輪郭が消えすぎない”色。怖がらせない工夫よ。
三つ。
仮面。
――西洋風の、片目だけ覆う半面の仮面。金属でも革でもない、木製の軽いやつ。表面に淡い白の塗り。笑ってるのか泣いてるのか分からない、劇場の仮面みたいな顔。
「……仮面が必要なのか?」
アーヴァインが嫌そうに言う。
「必要。理由は二つ」
アタシは指を立てた。
「一つ。骸骨の顔そのままだと、村の子が眠れない」
「二つ。夜ってのは、見えないから怖いの。形を“固定”してやると、怖さが減る」
ネロが「ピィ」と鳴いた。
たぶん同意。
「それに――」
アタシは口の端を上げた。
「似合うわよ、アンタ」
「……断る」
「断る権利はあるわ。仕事を受けないならね」
「……」
一拍の沈黙。
アーヴァインは、仮面を受け取った。
「……理不尽だ」
「世の中そんなもん」
メアリーが、少しだけ笑った。
「アーヴァインさん、あの……これ、紐はこうです」
メアリーが結び方を示すと、アーヴァインは不器用に――いや正確には、丁寧に結び直した。
骸骨が仮面をつける。
……はっきり言って、怖い。
でも、“怖さの種類”が変わる。
野良の恐怖じゃなくて、役割のある恐怖になる。
「よし」
アタシは満足して頷いた。
「じゃあ、巡回ルート。復唱」
ネロが先に指を動かす。小柄な体で、やけに手際がいい。
――門(南東)
――外周土壁を北へ
――北東の櫓下
――湿地の縁(近づき過ぎない)
――森との境目を横目
――北西角
――畑の外周
――南西櫓下
――戻って広場、倉庫小屋
――井戸、水桶、家の戸締まり
――最後に門
「異常があれば?」
「報告」
ネロが頷いた。
「村の中で何かあったら?」
「鐘は鳴らさない」
アタシが言うと、メアリーが小さく頷く。
「代わりに、合図」
アタシは指を鳴らして見せた。
「戸を三回、短く。
それで起きるのは当番の犬族だけ。騒ぎを広げない」
アーヴァインが低く言う。
「……合理的だ」
「でしょ?」
――そうやって、村の初めての“仕事としての夜”が始まった。
•
巡回の最初は、門。
門番の犬族二名が、火鉢のそばで丸くなっていた。
眠ってない。目だけ開けて、匂いを嗅いでる。
「交代は?」
ネロが小声で聞く。
犬族の片方が、首を傾けた。
「夜は交代しない。二人で起きてる」
「えらいじゃない」
アタシが褒めると、犬族は尻尾を小さく揺らした。
「でも、怖い」
もう片方が言った。
「森が近い。湿地も嫌な匂い」
「だから今夜は――」
アタシは、アーヴァインを指さした。
「適任者」
「……」
犬族の目が丸くなる。
仮面越しでも分かる。骸骨の圧がある。
「こ、こわ……」
犬族が言いかけた瞬間、アーヴァインが一歩前へ出た。
「……任務だ。恐れる必要はない」
言い方が“任務”なのよ。
犬族は余計に背筋が伸びた。
でも、こういうのが効く子たちもいる。
“役目のある強者”ってのは、安心になる。
「じゃ、行って」
アタシが手を振ると、ネロとアーヴァインが外へ出た。
月明かりの下、二つの影が外周へ向かう。
ネロは軽い。
アーヴァインは重い。
でも歩幅が合っている。妙なコンビ。
•
外周土壁の上には、まだ本格的な柵はない。
けど、ところどころに“目印”を置いてある。
石を積んだだけの小さな塔。縄で結んだ杭。踏めば音が鳴る乾いた枝。
アタシが昼に準備した、地味な罠。
こういうのが一番効く。
「……」
アーヴァインが土壁を指でなぞる。
「乾きが早い。亀裂が出る」
「補修いる?」
ネロが聞く。
「今夜は不要。明日、土を足せ」
「了解」
……ほら、ちゃんと仕事してる。
そのまま北へ。
北東櫓の下で、猫族の影が揺れた。
「まだ起きてたの?」
アタシが声をかけると、猫族がひょいと顔を出した。
「寝る前の癖。上を見たくなる」
「昼の当番だけでいいのよ」
「分かってる。でも……見たい」
猫族は“見張ること”が好きだ。
たぶん性分。悪くない。
「異常は?」
「ない。星がきれい」
「仕事しろ」
アタシが言うと、猫族は尻尾を揺らして引っ込んだ。
•
湿地の縁。
ここだけ空気が冷たい。
足元は固いけど、踏み外すと沈む場所がある。
夜に近づくのは危ない。
「止まれ」
アーヴァインが言った。
「……匂いが変わる」
犬族ほどじゃないけど、アーヴァインも“気配”に敏い。
骨だからかしら。余計なものがないぶん、変化が分かるのかも。
ネロが片手を上げた。
小さな骸骨が二体、地面から“するり”と出てくる。
召喚というより、組み立て。
骨が繋がって立ち上がる。
「数、増やす」
「うわ……」
遠くで見ていた猫族が、思わず声を漏らした。
あんた、昼は平気なくせに夜は怖いのね。
「……臭いの正体、確認」
ネロが骸骨に指示すると、二体は湿地の縁を迂回して進んだ。
数十秒。
戻ってきた。
――何もない。
「獣の通り道。血の匂いは古い」
アーヴァインが結論を言う。
「じゃあ、今日は“何もない”」
アタシが頷くと、メアリーが小さく息を吐いた。
メアリーは村の広場で待機してた。
不安で寝られない顔だ。
でも、こういう夜を一回越えると、人は変わる。
「……何もないのが、一番なんですね」
メアリーが言う。
「そうよ」
アタシは即答した。
「村にとって一番の勝利は、何も起きないこと」
アーヴァインが、仮面の奥で静かに頷いた。
•
畑の外周。
畝の間に置いた小さな札が、風で揺れている。
「畑は荒らされてない」
ネロが言う。
「昼、兎族が守る。夜は……匂いで寄り付かないようにした」
「何の匂い?」
メアリーが聞くと、ネロが肩をすくめた。
「苦い葉。獣が嫌がる」
……そういう知恵はあるのよね、この子。
南西櫓の下。
ここだけ、地面に小石が散らばっている。
昼に誰かが走った跡もある。
「足跡」
アーヴァインが低く言った。
「……新しい」
メアリーが身構えた。
「敵ですか?」
「落ち着け」
アタシはメアリーの肩に手を置いた。
「ここ、今日は昼にアタシが歩いた。石を撒いたのもアタシ」
「えっ」
「足跡が残りやすいようにね。夜、変化が分かる」
メアリーが目を丸くする。
「そんな方法が……」
「あるのよ。地味だけど確実」
アーヴァインが、少しだけ――ほんの少しだけ感心した気配を出した。
「……合理だ」
「でしょ?」
•
最後に広場。
倉庫小屋の鍵。
井戸の蓋。
水桶の列。
家の戸締まり。
ネロが淡々と確認していく。
「ここ、戸が半分開いてる」
「えっ?」
メアリーが焦って駆け寄ろうとした瞬間――
家の中から、小さな声。
「……ごめんなさい」
犬族の子どもが、顔だけ出した。
眠れなくて、水を飲みに出たらしい。
「開けたら閉めなさい」
アタシが言うと、子どもは縮こまって頷いた。
アーヴァインが、静かにしゃがんだ。
骸骨がしゃがむと、子どもはびくっとする。
でも、逃げない。
「……恐れるな」
アーヴァインは低い声で言った。
「門は守られている。
壁もある。
お前は眠れ」
子どもは、少し迷ってから頷いた。
「……うん」
戸が閉まる。
その瞬間、メアリーがぽつりと呟いた。
「……怖いのに、優しいですね」
「本人に言うと面倒だからやめときな」
アタシが言うと、メアリーは小さく笑った。
•
巡回が終わる。
門へ戻ると、犬族の当番が頭を下げた。
「異常なし?」
「異常なし」
ネロが頷く。
アーヴァインは旗を返した。
「……業務完了」
「はい、お疲れ」
アタシは懐から小さな革袋を出した。
「これ。今日の分」
「……」
アーヴァインが受け取る。重さを確かめる。
ネロにも渡す。
「え、ネロも?」
メアリーが驚くと、アタシは肩をすくめた。
「当たり前でしょ。仕事したんだから」
ネロは袋を振って、満足そうに頷いた。
「これで、明日もやる」
「そう。毎日」
アーヴァインが小さく息を吐く。
「……理解した。
これは、戦ではなく――運用だ」
「やっと言葉が出てきたじゃない」
アタシが笑うと、アーヴァインは仮面の奥で黙った。
でも、もう拒否の空気はない。
村の夜が、初めて“回った”。
•
家に戻る途中、メアリーが夜空を見上げた。
「……先生」
「なに」
「今日、何も起きなかったのに……すごく疲れました」
「そうね」
アタシは頷いた。
「何も起きないように、“全部を確認した”からよ」
メアリーはそれを噛みしめるように頷く。
「……村って、
守るんじゃなくて……回すんですね」
「正解」
アタシは、少しだけ声を柔らかくした。
「回せると、人は眠れる。
眠れると、明日ができる」
メアリーは、ようやく安心した顔で笑った。
「……明日も、薬屋と工房、頑張れます」
「えらい」
アタシは言って、軽く頭を撫でた。
その背後で、アーヴァインがぽつり。
「……明日も巡回だ」
「そうよ」
アタシは振り返り、にやりと笑う。
「アンタ、今夜“何もしてない”とは言わせないから」
「……既にしている」
「うるさい」
ネロが小さく鳴いた。
それが、妙に“夜の合図”みたいに聞こえた。
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後書き(作者視点)
村の強さは、壁や武器の厚さではなく、
「何も起きない夜」を積み重ねられるかで決まります。
当番表、巡回、報告――地味な仕組みが、暮らしを守る。
カルロ村は、ようやく“拠点”として動き始めました。




