薬屋へ――静かなる悲鳴と新しい息吹
ワーグハイゼンの一角に佇む薬屋「青い双葉亭」。
扉を開けると、鼻腔をくすぐるのは、何十種類もの乾燥ハーブが混じり合った独特の、どこか懐かしくも鋭い香りだ。
天井の乾燥棚からは、丁寧に束ねられた薬草が鈴なりに吊るされ、表を通り過ぎる馬車の振動でわずかに揺れている。午後の柔らかな陽射しが埃の粒を白く照らし出し、店内は一見、平穏そのものに見えた。
しかし、カウンターの奥から聞こえてきたのは、そんな静寂を打ち消すような重苦しい溜息だった。
「……はぁ。数字が、合わないわね」
店主モーリアは羽根ペンを置き、使い古された帳簿をバタンと閉じた。その目の下には、隠しきれない隈がうっすらと浮き出ている。
「正直に言うわね」
彼女は、カウンターを挟んで向かいに座るメアリーとお魚先生を、縋るような目で見つめた。
「もう一人……いや、贅沢を言わせてもらえるなら、二人は欲しいの」
「そんなに大変なんですか? ここ、いつも静かで落ち着いた雰囲気ですけど……」
メアリーが首を傾げると、モーリアは力なく笑って、店の奥にある作業場を指差した。
「薬屋の仕事は、調合だけじゃないのよ。まずは山のような薬草の採取。それを傷つけないように洗浄して、最適な環境で乾燥させる。その後も気が遠くなるような『刻み』と、種類ごとの細かな『仕分け』が待っている。どれ一つとっても、時間がいくらあっても足りないの」
モーリアは自分の荒れた指先を見つめ、苦笑を深める。
「最近は町の評判も上がって、注文が増える一方なの。私に調合の腕はある。けれど、肝心の『手』が圧倒的に足りないのよ」
お魚先生は、浮遊したまま顎に手を当て、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「……なるほど。職人の専門性を高めるために、周辺作業を切り離したいわけね」
「そうなの。でも、力自慢の冒険者に頼むほど荒っぽい仕事じゃないし、かといって放っておけば店そのものがパンクしてしまう。繊細さと根気、そして何より『ここ』に定住してくれる誰かが必要なのよ」
それは、まさに今の便利屋ギルドが提示できる「最適解」そのものだった。
この数日間、カルロ村で準備を進めてきた成果を出す時が来たのだ。
「分かりました」
メアリーは迷うことなく、はっきりとした声で応じた。その瞳には、かつての「依頼をこなすだけ」の少女ではなく、村という居場所を背負う者としての責任感が宿っている。
「人手、すぐに用意します」
「え……? すぐにって、そんなに簡単に……」
モーリアが驚きに目を見開く。町のギルドへ出向けば、募集を貼り出して、審査をして、と数週間はかかるのが常識だからだ。
「安心してください。カルロ村には、手先の器用な、そして誰よりも『仕事』を求めている人たちがいます。彼らにとって、植物を慈しみ、細かく加工する作業は、これ以上ない適職です」
お魚先生が、満足げに口角を吊り上げた。
「もちろん、情けで雇ってくれなんて言わないわ。これは正式なギルド経由の依頼。そして、彼らにとっても正当な対価を得るための『初仕事』になる。……ふふ、いい商売になりそうじゃない?」
夕暮れの薬屋に、希望という名の新しい香りが、薬草の匂いに混じって静かに広がり始めた。
後書き
今回は、カルロ村の獣人たちが初めて「社会」と繋がる瞬間を描きました。
薬屋の店主モーリアが抱えていたのは、実は現代社会でもよくある「熟練者が雑務に追われて本来の力を発揮できない」というジレンマです。そこに、丁寧な手仕事を得意とする獣人たちの特性をカチリと嵌める。メアリーがそれを単なるボランティアではなく、「正式な仕事」として提案する姿に、彼女の精神的な自立を感じていただければ幸いです。
救い出された人々が、今度はその手で誰かの生活を支え始める。
この「恩返しの連鎖」こそが、カルロ村をただの避難所ではなく、血の通った村へと変えていく原動力になります。
次回、「初めての給料、初めての誇り」。
薬屋へと向かう獣人たちの緊張と、彼らが初めて自力で報酬を手にした時の表情に焦点を当ててみたいと思います。




