幽霊屋敷④ ――終わった怪異とはじめての「やってみたい」――
前書き(リノエ視点)
正直に言えば――困っていた。
ワーグハウゼンで工芸屋をやって長いが、
これほど人が減ったのは初めてだ。
夜に笑い声が聞こえるだの、
幽霊を見ただの、人魂が飛んだだの。
最初は噂話だと思っていた。
だが弟子は怖がり、ひとり、またひとりと辞めていった。
残ったのは、ターニャとエリス。
腕は悪くない。むしろ筋がいい。
だが、二人だけでは手が足りない。
注文は減らない。
いや、むしろ増えている。
丈夫で長持ちする鞄。
修理がきく靴。
旅人向けの革小物。
――作りたい物は山ほどあるのに、
手が足りない。
「新人、来ねえかな……」
つい、独り言が出る。
そんな時に、怪異調査の話だ。
どうせまた、怖い顔した連中が来て、
事情を聞いて、帰っていくんだろう。
そう思っていた。
あの少女が、
作業台をじっと見つめるまでは。
怪異は、確かに終わった。
幽霊屋敷と呼ばれていたあの一軒家は、もう夜に笑わない。
人魂が漂うことも、正体の分からない視線が背中に貼りつくこともない。
朝の光を受けた家は、驚くほど普通だった。
屋根は少し歪み、壁には風雨に晒された跡があるが、それだけだ。
恐怖を煽っていたのは、建物ではなく、そこに集まった“思い”だったのだと、今ならはっきり分かる。
屋敷の前で、一行は足を止めた。
「ここまでだね」
カイラがそう言って、軽く周囲を見回した。
「僕は他の皆を連れて、先に戻るよ。
後始末もあるし、ギルドにも報告しないと」
その言葉に、ヨハンが静かに頷く。
「うむ。こちらはもう問題なかろう。
怪異の芽は断たれた」
「にゃー、久々に“後味の悪くない怪異”だったにゃ」
ボミエは伸びをしながら、尻尾を揺らす。
「怖いのは幽霊じゃなくて、人の気持ちだったにゃ」
アルスは、屋敷をもう一度だけ振り返った。
「……誰も悪くなかった」
それは、感想というより結論だった。
「だからこそ、こういう終わり方でよかった」
カイラは小さく微笑む。
「じゃあ、また後で」
「気をつけてね」
「うん」
短いやり取りの後、カイラはヨハン、ボミエ、アルスを連れて、街道の方へと歩いていった。
その背中が遠ざかるのを見送りながら、私は小さく息を吐く。
これで、本当に一区切りだ。
残ったのは、私とメアリー。
そして――報告を待つ人が、もう一人いる。
*
ワーグハウゼンの町へ戻ると、昼の喧騒が戻ってきた。
革を叩く音。
織機の軋む音。
呼び込みの声と、子どもたちの笑い声。
怪異のあった夜が嘘のように、町は“いつもの顔”をしている。
「ここですね……」
メアリーが足を止めたのは、広場から少し外れた通りにある工芸屋だった。
木の看板には、素朴だが力強い文字で屋号が刻まれている。
扉を開けると、革と油の匂いがふわりと鼻をくすぐった。
店内には、所狭しと商品が並んでいる。
丈夫そうな鞄、使い込むほど味が出そうな財布、装飾の施されたベルト。
どれも実用的で、派手さはないが、手に取ると安心感があった。
「……すごい」
メアリーが、思わず声を漏らす。
指先でそっと鞄の縁をなぞり、縫い目をじっと見つめている。
「全部、ここで作ってるんですか?」
「おう、そうだ」
奥から現れたのは、角刈りで強面の男――リノエだった。
「おう、戻ったか。
どうだ、幽霊どもは片付いたか?」
「ええ。もう大丈夫よ」
「そりゃ良かった」
リノエはそう言って、豪快に笑った。
「じゃあ、改めて礼を言わねえとな」
簡単な報告を済ませると、リノエは「せっかくだ」と言って、作業場の方へ案内してくれた。
店の奥は、住居と工房が一体になっている。
広い作業台の上には、革の切れ端、道具、型紙が整然と並び、無駄がない。
そこにいたのは、二人の女性だった。
「この子たちが弟子のターニャとマーサだ」
「はじめまして!」
「よろしくお願いします」
ターニャは活発そうな雰囲気で、マーサは少し控えめだが目がよく動く。
二人とも、手には道具を持ったままだ。
「今、鞄の仕上げをしてるところだ」
そう言って、リノエは作業を続ける。
革を整え、縫い、叩き、確認する。
一つ一つの動作が無駄なく、しかし雑ではない。
メアリーは、その様子から目を離せずにいた。
まるで、何かを吸収しようとするかのように。
「……あの」
しばらくして、メアリーが小さく手を挙げた。
「それ、どうしてその順番なんですか?」
リノエは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに口の端を上げた。
「いいところに気づいたな。
先に縫っちまうと、後で歪みが出るんだ」
「なるほど……」
ターニャが頷き、マーサが補足する。
「革って、生きてるみたいなところがあるんです」
「……生きてる?」
「はい。引っ張ると伸びますし、湿気でも変わりますから」
メアリーは、真剣な顔で聞いていた。
そして――少し間を置いて、意を決したように言う。
「あの……私も、やってみてもいいですか?」
一瞬、作業場の空気が止まった。
リノエは、じっとメアリーを見る。
年齢、体格、手つき。
職人としての目で。
「……いいぞ」
そう言って、革の端切れを差し出した。
「ただし、遊びじゃねえ。
道具は正直だ」
「はい!」
ターニャとマーサが、メアリーの隣につく。
「まずは、持ち方からですね」
「力、入れすぎないで」
メアリーは、ぎこちなくも真剣に、作業に取り組んだ。
最初は失敗もした。
縫い目がずれ、力加減を誤り、革を傷つけかける。
だが――諦めなかった。
直し、聞き、またやる。
その様子を、私は少し離れたところから見ていた。
(……ああ)
これは、“ただの見学”じゃない。
数時間後。
「……なかなか、筋がいい」
リノエが、そう言った。
「覚えが早い。
手が、ちゃんと考えて動いてる」
メアリーは、驚いたように目を見開く。
「本当ですか?」
「嘘ついてどうする」
私は、そこで口を挟んだ。
「ねえ、リノエ。
この子、時々お手伝いに来るっていうのはどうかしら?」
ターニャが目を輝かせる。
「ぜひ!」
マーサも、少し照れたように頷いた。
「……教えるの、楽しいですし」
リノエは腕を組み、少し考える。
そして――
「来い」
短く、しかしはっきりと言った。
「無理にとは言わねえ。
だが、やる気があるなら、歓迎する」
メアリーは、一瞬言葉を失い――
「はい!」
弾むように答えた。
こうして。
幽霊屋敷の怪異は終わり、
一人の少女の「やってみたい」が、静かに始まった。
それは、小さな一歩だ。
だが確かに、未来へと続く一歩だった。
後書き(作者より)
今回のエピソードは、
「幽霊屋敷」という名前の章でありながら、
実はほとんど戦いの後の話になりました。
怪異そのものよりも、
その後に残った人たち、
そして“次にどうするか”を描きたかった回です。
リノエたちは、腕はあっても人手が足りず、
売れ行きに仕事が追いつかないという、
とても現実的で切実な問題を抱えていました。
幽霊騒ぎはきっかけにすぎず、
本当の困りごとは「一緒に作る仲間がいないこと」だったのだと思います。
そんな中で、
メアリーが口にした「やってみたい」は、
特別な決意でも、大きな覚悟でもありません。
ただ純粋な興味と好奇心から出た一言です。
でも、その一言が、
止まっていた歯車を少しだけ動かしました。
才能があるかどうかよりも、
続けようとする姿勢や、楽しそうに手を動かす姿は、
職人にとって何より嬉しいものです。
だからリノエは「筋がいい」と言い、
ターニャとエリスは自然と隣に立ちました。
この話は、
大きな事件が解決した“エンディング”であると同時に、
メアリーにとっての小さな“スタート”でもあります。
次からは、
作ることの楽しさだけでなく、
うまくいかないこと、失敗すること、
それでも続けることが描かれていく予定です。
幽霊屋敷編は、これで一区切り。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回も、
彼女たちの「やってみたい」の先を、
一緒に見守ってもらえたら嬉しいです。




