幽霊屋敷①— 職人の町と、夜に笑う影 —
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オープニング
――冒険者ギルド・受付カウンター
「……で、結論から言うと」
受付嬢ディジーは、ため息混じりに書類を机に置いた。
「挑戦した冒険者は、全員撤退よ」
「全員?」
隣の受付、ミーアが眉をひそめる。
「ええ。
軽い調査のつもりで入った連中は、入り口で戻ってきた。
奥まで行ったパーティは……」
ディジーは言葉を切り、肩をすくめた。
「二度と行きたくない、って」
「怪我人は?」
「幸い、重傷者はいないわ。
……でも、それが逆に気味が悪い」
机の上の依頼書には、簡潔にこう書かれている。
――旧市街外れ・幽霊屋敷
――夜間、不可解な現象多数
――原因不明、調査要請
「冒険者向けの仕事じゃないわね」
ミーアが静かに言う。
「戦えばいい相手じゃない。
でも放置もできない」
ディジーは一度、視線を伏せ――決意したように顔を上げた。
「……例の“便利屋ギルド”、よね」
「メアリーさんのところ?」
「ええ。
冒険者が嫌がる仕事を、平然と受ける連中」
ミーアは一瞬考え、頷いた。
「筋は通ってるわ。
行きましょう、ディジー」
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――便利屋ギルド・受付
店内は静かだった。
カウンターにはメアリー。
隣に、車椅子の少女――セシリア。
少し離れた位置で、お魚先生が腕を組んでいる。
「……冒険者ギルドから?」
メアリーが書類を受け取り、目を通す。
「幽霊屋敷……」
「正直に言うわ」
ディジーは姿勢を正した。
「冒険者じゃ、手に負えなかった。
戦闘以前の問題だったの」
「……なるほど」
セシリアが小さく息を呑む。
「でも、放置はできない。
だから、あなたたちにお願いしたい」
一瞬、沈黙。
メアリー、セシリア、そしてお魚先生が視線を交わす。
「……先生」
「ん?」
「受けましょう」
メアリーは即答だった。
「便利屋ギルドですから」
ディジーは、ほっと息を吐く。
「ありがとう。
本当に……助かるわ」
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隣町『ワーグハウゼン』
シルヴェニア王国辺境に位置する伯爵領の領都――ワーグハウゼン。
ロッペンハイマーから北西、山脈を越えた先にあるこの街は、皮革と織物を中心とした職人の町として知られている。
人口はおよそ十万。
人族が六割、亜人が三割、獣人が一割。
「……へぇ、そんな内訳なんだ」
隣を歩くカイラの説明に、思わず感心してしまう。
やっぱり貴族の家の子って情報量が違うのよね。物知りで本当に助かるわ。
門で手続きを済ませ、中に入った途端――賑やかな街並みが視界に広がった。
「……人が多いな」
老騎士ヨハンが、周囲を見渡して静かに言った。
背筋は伸び、癖で剣の位置を確かめるように手が動く。
「にゃー、獣人も亜人もごちゃまぜにゃ。
匂いが楽しい町ニャ」
ボミエが、鼻をひくひくさせながら尻尾を揺らす。
「……ここ、血の匂いが薄い」
ダンピールの少年アルスが、小さく呟いた。
「争いが少ないってこと?」
「うん。少なくとも最近はね。
だから逆に、何か起きると目立つ」
カイラが感心したように頷く。
「さすがだね。
ワーグハウゼンは職人の町だ。武具より“作る人”が多い」
「作る……」
メアリーが、通りに並ぶ店々を見つめる。
「ここは、守るより“育てる”町かもしれんな」
ヨハンのその一言に、誰も反論しなかった。
「わぁ……!」
メアリーが、きょろきょろと落ち着きなく周囲を見回し始めた。
無理もない。ロッペンハイマーでは、亜人や獣人の姿はそこまで多くないもの。
「そうか。メアリーにとっては、ここが二つ目の町になるんだな」
「はい。ロッペンハイマーとは、雰囲気が全然違いますね。人も多いですし……いろんな種族の方がいます」
「ワーグハウゼンは職人の町だからね。武具屋だけじゃなくて、仕立て屋、靴屋、本屋、鍵屋、工芸屋……本当に何でも揃ってる」
「私、また今度ゆっくり見に来たいです」
「ちなみに――」
カイラが少しだけ声を落とす。
「前にメアリーが住んでいたカルロー村は、この町とロッペンハイマーの中間にあった。ロッペンハイマー寄りだけどね」
……ってことは、カルロー村を新しく作り直せばいいじゃない。
そうすれば、いつでもここに遊びに来られるのに。
さて、今回の目的は街の見物じゃない。
私たちは、広場で依頼主と落ち合う予定になっている。
依頼主は亜人の女性で、赤いバンダナが目印――と、セシリーは言っていた。
……言ってた、んだけど。
「…………」
角刈りで強面のオッサンが、赤いバンダナをねじって鉢巻みたいに頭に巻いているのが目に入った。
いやいや、違うでしょ。
依頼主は“リノエ・ゲーヴォルド”っていう女性のはずだし。
「見かけねえ顔だな、オイ」
「えっ、あ、えーと……実は人を探してまして。えへへ」
「おう、奇遇だな! オレもなんだよ!」
なぜか妙にテンションが高い。
「隣町から調査に来るって話なんだが、全然来やがらなくてよぉ!」
「……えっと。もしかして、リノエさんの……旦那さん、ですか?」
「おう? このオレ様がリノエだぜ!」
「……はい?」
「お前らが調査に来た連中だな!」
……ちょっと待って。
話が全然合わないんだけど?
「じゃあ、ギルドに依頼を出した女性は……?」
「弟子のターニャだ。オレ様が忙しくて行けなかったから、代わりに行かせたんだよ」
「弟子……?」
「おうよ! ウチの工房は弟子の数がこの辺じゃダントツだぜ!」
……うん、もう深く考えるのはやめよう。
「と、とりあえず……現場へ向かいながら話を聞きましょうか」
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町を出て、畑道を歩くことおよそ四十分。
道中、リノエさんから事情を聞いた。
彼の工芸屋はこの町でも有名で、弟子も多かったらしい。
――“らしい”というのは、最近になって次々と辞めてしまったから。
「夜になるとよぉ……近所の空き家から笑い声が聞こえたり、幽霊や人魂が見えたりするってんで」
「なるほど。それは作業に支障が出ますね」
「オレ様は見たことねえけどな! 幽霊なんていたら説教してやるよ!」
……口だけは立派ね、この角刈りオヤジ。
やがて、畑の向こうに小さな集落が見えてきた。
左右に広がる畑は、明らかに長く手入れされていない。
「オイ、着いたぞ」
――その瞬間。
誰もいないはずなのに、視線を感じる。
湿っぽく、冷たく、空気が重い。
「……夜に、笑い声か」
それまで黙って歩いていたダンピールの少年――アルスが、ぽつりと呟いた。
赤い瞳が、どこか遠くを見ている。
「人のものじゃないね。少なくとも、生きてる人間の“気配”じゃない」
「やっぱりそう思う?」
私が聞き返すと、アルスは小さく頷いた。
「血の匂いが、少し古い。怨念というより……残滓に近いかな」
「ふむ……」
老騎士ヨハンが、顎に手を当てて唸る。
「戦場の亡霊と似た匂いじゃな。
だが“出てくるだけ”というのは妙だ。害を成す意思が薄い」
「にゃあ、それは“呼ばれてる”可能性が高いニャ」
ひょい、と肩に乗っていたボミエが尻尾を揺らした。
「レイスが勝手に湧くのは珍しいニャ。
大抵は、場所か……術式か……未練の核があるにゃ」
「魔法的な要因、ってこと?」
「うむ。
それも“雑”じゃない。
ちゃんと“留められてる感じ”がするにゃ」
ヨハンがゆっくりと頷く。
「つまり、放置された呪いか。
あるいは――誰かが意図して残したもの」
「……嫌な予感しかしないわね」
アルスは再び前を見据え、小さく息を吐いた。
「でも、大丈夫。
本物の悪意なら、もっと濃い」
「うむ。まだ剣を抜く段階ではあるまい」
ボミエは、くあっと欠伸をしてから付け加える。
「とはいえ、油断は禁物ニャ。
こういうのは“踏み込んだ瞬間”に化けるからにゃ」
「ええ。この家から……無数の気配を感じる」
「とりあえず中に入ろうかの」
メアリーが、静かに扉を引いた。
音もなく開く扉。
家の中は掃除が行き届いていて、とても空き家とは思えない。
――けれど。
部屋ごとに漂う、妙な“静けさ”。
肌を撫でるような冷気が、確実に異常を告げている。
次の瞬間。
奥の扉が、ひとりでに開いた。
空気が一変し、不穏な気配が一気に膨れ上がる。
現れたのは――白く揺らめく影。
「……あれは?」
「幽霊だ。銀製の武器じゃないと倒せない」
「行きます……っ!」
メアリーが飛び込む。
――しかし。
「……当たらない?」
「だから言ったろ。物理攻撃は効かないって」
その横で。
「う、うわぁぁぁ! 誰か助けてくれぇぇ!」
柱にしがみつく角刈りオヤジ。
さっきの威勢はどこへやら。
「……この人、戻した方がいいわね」
「あっ、そうだった」
カイラが魔法を展開する。
「転送魔法」
次の瞬間、オヤジの姿は消えた。
「剣技――『瞬速剣』!」
銀のダガーが閃き、レイスを次々と切り裂いていく。
スピード重視の戦い方ね。
「じゃあ、私も――」
「念力!」
宙に浮いた銀の刃が舞い、幽霊たちを薙ぎ払う。
その時。
「……先生」
後方にいたメアリーが、奥の部屋を見つめている。
不気味な光。
床に描かれた、小さな魔法陣。
一歩、踏み出した瞬間――
「あっ! 先生、ちょっと助け――」
ゴロゴロ……ピカッ!
――ドォン!!
空が裂けるような雷鳴。
衝撃が、視界を白く塗り潰す。
そして――
私たちは、そのまま意識を失った。
ワーグハウゼン郊外の空き家で起きていた怪異は、
単なる幽霊騒ぎではなく、明らかに“何かに留められたもの”だった。
魔法陣。
雷鳴。
そして、意識を断ち切るほどの衝撃。
この出来事を境に、彼らは受け身の調査者ではいられなくなる。
とくにメアリーにとって、この町での経験は
「見て学ぶ」だけでは終わらない転機となっていく。
次章では、
彼女が“作り手の世界”に一歩踏み込み、
その資質と覚悟を試されることになるだろう。
――職人の町で始まる、もう一つの挑戦。
その行方を、どうか見届けてほしい。




