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魚と領主とその娘と — 領主ノイエの屋敷にて —



領主ノイエの屋敷 — 庭園


 ロッペンハイマー領主ノイエ・フォン・ヴァイツゼッカーは、色とりどりの薔薇が咲き誇る庭園で、長女ジゼルと共にお茶の時間を過ごしていた。柔らかな日差しと小鳥のさえずり。本来であれば、貴族の休日を象徴するような優雅な光景である。


「そういえばジゼルよ、クランフォール子爵との縁談はどうなったのかな? 彼の領地も豊かだし、家柄も申し分ないのだが」


 ノイエが慎重に言葉を選んで切り出すと、ジゼルはティーカップを置いた。その動作一つをとっても、ドレスの袖越しに上腕二頭筋の逞しいラインが浮き出ている。


「お父様、あのような下心しか無い鼻の下を伸ばした気持ち悪い男を私は好みませぬ。あやつ、私の顔ばかり見て、広背筋の仕上がりには一切目を向けようとしませんでしたわ」


「い、いや、縁談で筋肉を見る男の方が稀だと思うのだが……」


「軟弱な男にこの身を委ねるつもりはありません。しかしジゼルよ、お前ももういい歳だし、そろそろ結婚相手を見つけてだな……」


 ノイエの説得を遮るように、ジゼルは傍らに控えていた執事に目配せした。執事たちが手慣れた様子で、巨大な姿見を彼女の正面に設置する。

 するとジゼルは突然立ち上がり、優雅なフリルのついたドレスの肩を自ら剥き出しにせんばかりの勢いで、ダブルバイセップスのポーズをとった。


「見てくださいお父様、このキレ! 大円筋がまるで叫んでいるようですわ!」


「ああ、なんてことだ……」


 ジゼルは鏡に映る自身の「鋼の肉体」に満足げにウンウンと頷いている。


 ノイエはこめかみを押さえ、深く溜息をついた。幼い頃はお転婆で済んでいたが、騎士団の守備兵になってからの彼女は完全に「強さ」の方向性を履き違えていた。貴族の令嬢としての淑やかさは、プロテインの泡と共に消え去ってしまったらしい。


 その時だった。


 ガシャン!


 静寂を破る鋭い破砕音が響いた。

 見れば、給仕をしていたメイドの一人が、持っていた銀のティーポットを地面に落とし、呆然と立ち尽くしている。


「何だ、どうしたというのだ?」


 ノイエが叱責しようとした言葉は、メイドが震える指で指し示した「空」を見た瞬間に喉の奥へ引っ込んだ。


 突然、空から全裸の男達が気をつけの姿勢でゆっくりとコチラへと近づいて来ている事に領主達は気付いた。


「ハアっ? 肉棒を振り回して空を飛んでいるだと? な……何という卑猥で下賎な行為なのだ!

 コレはクランフォール子爵以上ではないかーっ!

 お父様一体どういうなの事ですかアレはーっ?」


「イヤ……私に聞かれても困るのだが、 そ……それにしてもあの男達はどうして裸なのだろうか?」


「ハァ、質問しているのは私ですよお父様っ!」


 その時、領主ノイエの前に少女を乗せた魚が現れた。ジゼルはその少女の顔を見ると何かに気が付いたのか少女の所へと走って行った。


「おお、君は確か魔物が攻めて来た時に勇者殿と一緒にいた娘ではないか?」


「えっと確か守備兵団の副長さんですよね?」


「うむ、今はこのような格好で申し訳ない」


「そんな事ないです! ドレス姿もすっごい綺麗だと思いますよ。アーリッヒさんにも見せてあげればいいんじゃないですかね?」


「な……何を言うかこの子供は!」


 メアリーの突然の一言でジゼルの顔が真っ赤になってモジモジし出してしまった。


 この会話から察するにどうやら領主の娘はメアリーと顔見知りのようね〜 フーンなるほどねアーリッヒがこのお嬢様にお熱なのかな? まあ別にアタシにとってはどうでもいい事だけどさーっ


「ほほう、どうやら我が愛娘の紹介は必要なさそうだな。…………それよりもこのどう見ても何処かの賊っぽい男達は?」


「領主様、この人達はこの町に潜伏して子供達を拉致していた山賊達です。どうぞ守備兵さん達の事務所まで連行して行って下さい」


「なるほどそういう事か、うむっ良い働きであったぞ子供よ」


  ジゼルは、何も言わずにメアリーの頭へ手を伸ばし、優しく撫でた。

 その手つきには、からかいも試すような意図もなく、ただの労いがあった。


 メアリーを下ろすと、ぷかぷかと浮かぶその魚――先生は、ゆっくりと領主ノイエのそばへと寄っていく。


「あのさーっ。アタシ、ちょっとノイエさんにお願いがあって来たのよね」


「そ……それは一体、どのような……?」


 ノイエ・フォン・ヴァイツゼッカー男爵は、わずかに身構えながら問い返した。


「うん。今は詳しく言えないんだけど、

 この先、ちょっとだけ力を貸してほしいことがあるのよ。

 その時は……“貸し一つ”ってことで、いいかしら?」


 その言葉を聞いた瞬間、ノイエの脳裏に、ありえない光景がよぎる。


(こ……こ、これは……もし断ったら……

 私は……このロッペンハイマーの領主である私が……

 あのような目に……?)


 ぷかぷかと浮かぶ魚。

 穏やかな声。

 しかし、先ほど目にした光景が脳裏をよぎる。


(あり得ない……!

 私が……領主であるこの私が……

 あのような姿になるなど、断じて……!)


 ノイエは、ごくりと喉を鳴らし、姿勢を正した。


「……構わない。

 その時が来たら、話を聞こう。

 う……うむ。好きにするといい」


「よっしゃ! ありがと、ノイエさん!」


 満足そうに声を上げる先生。


 それを見て、メアリーが少しほっとした顔になる。


「ええ先生、領主様からお約束をいただきましたね」


「うんうん。これで一安心ってやつよ」


 ジゼルは腕を組み、豪快に笑った。


「良かったな、子供よ。

 自分のやりたいことに向かって進めるのは、いいことだ」


「はい、ありがとうございます。ジゼルさん」


 ジゼルはそのまま、ぐっと上腕二頭筋に力を入れて見せる。


 するとメアリーも、少し遅れて――

 真似をするように、腕に力を入れた。


 ……ぷる。


 ジゼルが目を丸くし、次いでにやりと笑う。


「お、やるじゃねえか」


 アラ。

 何かしら、この二人……筋肉を見せ合って、身体で会話しているのかしら?


 そういえば、メアリー。

 毎朝黙々と筋トレしていたっけ。


(……もしかして)


 メアリーは、新しい世界の扉を――

 とんでもない方向に、そっと開いてしまったのかもしれない。


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