門兵と副団長と、不器用な市場巡り
鎧を脱いで街を歩くのは、どうにも落ち着かない。
肩に重みがないだけで、自分が自分ではないような、所在ない気分になる。
街は、まだ傷だらけだ。
瓦礫の撤去は追いつかず、風が吹けば埃が舞う。けれど、その埃に混じって、今日は焼き肉や香草の匂いがした。
非番の俺がすべきことは、この街が「どれだけ壊れたか」を確認することではなく、「どれだけ動き出しているか」を肌で知ることだ。……と、自分に言い訳をして、俺は市場へ足を向ける。
ふと、人混みの中に白い日傘を探してしまう。
あり得ないことだ。副団長が、こんな騒がしい場所に、しかも私服で現れるはずがない。
それでも、群衆のどこかに彼女の気高い背筋を幻視しては、勝手に喉が渇く。
「……あ。おい、そこの魚」
そして俺は、見つけてしまった。
この情緒も何もない、市場の真ん中でふんぞり返っている、あの奇妙な「自称・お魚先生」を。
非番の日は、いつもより予測不能だ。
門を閉めていれば済む日常は、もう終わったらしい。
1.生き残った街は、まず腹から
ロッペンハイマーの朝は、復旧の音と、いつもの生活の匂いが混ざっている。
瓦礫の山はまだ残っている。
けれど、その脇で屋台が煙を上げ、果物の籠が並び、布の旗がぱたぱたと揺れている。
――生き残った街は、まず腹から立ち直る。
「メアリーちゃん、目、泳いでるわよ」
「だって……全部、知らないものばかりです!」
笑うと、メアリーの火傷痕がきゅっと持ち上がる。
あの夜、村の暗がりで見た“今にも消えそうな子”は、もういない。
今ここにいるのは、空腹と好奇心に全力の、ちびっこだ。
そして、そんな彼女の足元――じゃなくて、背中の下には、今日もアタシがいる。
お魚先生。
名付け親のメアリーがそう呼ぶから、もうこの街ではそれで通り始めている。
「先生、これ見てください! この服、ふわふわです!」
布屋の前。吊るされた上着を指でつまんで、メアリーは目を輝かせた。
「はいはい。――でもそれ、袖が長すぎるわね。あなた今、袖が手じゃなくて“旗”になっちゃう」
「でも、かわいいです……!」
「かわいさは否定しないけど、裾で転んで顔からいったら、今日のアタシは寝覚めが悪いの。はい、次」
アタシがつい、親みたいなことを言う。
メアリーはむっとするけど、次の瞬間にはもう別の店へ視線が飛んでいる。
靴屋。
果物屋。
串焼きの屋台。
鍋の匂い。香草の匂い。焼けた脂の匂い。
「……あ、あれは……」
メアリーが立ち止まった。
屋台の鉄板の上で、肉が踊ってる。焼けた音が、パチパチと小さく弾ける。
「食べたい?」
「た、食べたいです……! でも、お金……」
「そこは交渉よ。アタシ、元オカ――じゃなくて、元社会人。交渉は仕事だったの」
「先生、さっきから肩書き増えてません?」
「細かいこと気にしないの。――すみませーん、そこの串。試食とか、ないのかしら?」
屋台の店員が、眉を上げた。
「試食? 嬢ちゃん、どこから来たんだい。ここは街の市場だぞ」
「街の市場ならなおさら、宣伝は大事よ。うちの子、食レポするから。ね、メアリーちゃん」
「しょ、食レポ……?」
「噛んで『おいしい』って言うだけでいいのよ」
店員が笑った。
「はは。面白い魚だな。……一本だけだ。ちび、熱いから気をつけろ」
串が差し出される。
メアリーは両手で大事そうに受け取って、ふーふーしてから一口。
「……っ! おいしいです!」
その瞬間、店員が勝った顔をした。
「だろ? うちのは外がカリッとして中がやわらかい。香草もちゃんと合わせてる」
「先生……! ほんとに外がカリッって……」
「でしょ? 言った通り。――ほら、宣伝は成功よ」
メアリーが笑う。
その笑顔の端に、昨日までの痛みの影が、ほんの少しだけ残っている。
それが、なんだか……むず痒い。
アタシは、見ないふりをして前へ進む。
街の喧騒は、見ないふりが許されるくらい、賑やかだった。
通りの向こうでは、革の鞄を叩いて見せる男。
果物屋では、林檎を積み上げる女。
復旧用の木材を運ぶ荷車が、軋む音を立てて通る。
「先生、見てください! あの飴、きらきらです!」
「食べ過ぎたら歯が溶けるわよ」
「溶けません!」
「溶けるのよ、心が。甘さで堕落して」
「先生、こわいこと言わないでください!」
そんなやりとりをしながら、アタシたちは市場の奥へ入っていく。
2.お魚先生と、門番の非番
――そこで。
「……あれ? 君、あの時の……」
声がした。
振り向くと、騎士団の制服じゃない男が立っている。
普段の鎧ではなく、動きやすそうな上着。腰に短剣。手は、仕事慣れした硬さがある。
門兵――アーリッヒ。
「やっぱり。……生きてたんだな」
彼の視線がメアリーの火傷痕を一瞬だけ掠めた。
でも、すぐに目を逸らして、普通の笑顔に戻す。
その“戻し方”が、いかにも不器用で。
「はい! 生きてます!」
メアリーは、いつもの調子で元気に返した。
「……その、さ。市場、危なくないか? まだごろつきも混じってる。護衛とか……」
「護衛なら、アタシがいるわよ」
「……魚が?」
「魚だけど?」
アーリッヒが一瞬、言葉に詰まった。
アタシはにこっと、口の端だけで笑ってやる。
「お魚先生です!」
メアリーが胸を張った。
「……お魚先生。……いや、なんだその呼び名」
「愛称よ。愛称。街ってのはね、名を呼ばれると、その人は“ここにいる”って証明されるの」
アーリッヒは、少しだけ真面目な顔になった。
「……街に、いる。……そうだな」
そして、彼は視線をメアリーの買い物袋――というか、今は串一本と飴の袋――に落とし、照れたように言う。
「非番なんだ。……もしよかったら、案内する。復旧で道が変わってるところもあるし」
「ほんとですか!?」
「もちろん」
「じゃあ、三人で回りましょ。――アーリッヒ、今日は“門の顔”じゃなくて、“街の顔”を見せてちょうだい」
「……何を言ってるのかよく分からないけど、任せてくれ」
アーリッヒはそう言って、歩き出す。
メアリーはその横にぴょこぴょこ付いていく。
アタシはその少し後ろで、二人の背中を眺めながら、ふと思う。
(――この子、こうやって“普通”を積み上げていくのね)
普通の買い物。
普通の雑談。
普通の笑い。
……そして、普通の“出会い”。
それが、いつか命を守る。
アーリッヒは案内が上手かった。
瓦礫が残る通りは避け、騎士団が封鎖した場所は遠回りし、混み合う時間帯を読んで道を変える。
「ここは今朝、清掃が入った。滑りにくい」
「わあ……騎士さんって、戦うだけじゃないんですね」
「戦うのは最後だ。……それまでは、街が転ばないようにする」
「かっこいいです!」
「……やめてくれ。照れる」
3.白い日傘と、不器用な敬礼
その時。
通りの向こうが、ふっと静かになった。
音が消えたわけじゃない。
ただ、人の視線が、同じ方向へ流れたのが分かった。
白い日傘がひとつ。
淡い布のドレスが、歩くたびに揺れる。
メイドが一人、少し後ろ。護衛騎士が二人。
そして、中心にいるのは――
ジゼル・フォン・ヴァイツゼッカー。
鎧ではない。
剣の代わりに、手には小さな手袋。
けれど、歩き方の芯は、騎士のままだ。
その姿を見た瞬間。
アーリッヒの顔が、ほんのわずかに固まった。
――反射だ。
呼吸が、半拍遅れる。
目が、逃げる。
でも、足は止まらない。
そして、アーリッヒは、真面目すぎるほど真面目に、一歩前へ出た。
「副団長……! お、お疲れ様です!」
ジゼルは、足を止める。
視線がアーリッヒに落ちる――一瞬だけ柔らかく、すぐに“副団長の視線”へ戻る。
「アーリッヒ。非番ね。……街の様子は?」
「はっ。市場は、回復の兆しがあります。混乱は収束傾向です」
「よろしい」
短い。無駄がない。
それなのに、アーリッヒは救われた顔をする。
……あー、はいはい。
アタシ、こういうの見たことあるわよ。
“気になる相手の前だと、酸素が薄くなる現象”。
アタシが口を挟む前に、ジゼルの目が、横へ滑った。
メアリーに。
そして――一瞬、彼女の瞳の奥で、何かがはじけた。
「……あの時の少女じゃないか」
メアリーが、目を丸くする。
「……副団長さん……?」
お互いに“知っている”。
けれど、名前までは知らない。
戦場の端で、ほんの一瞬だけ交差した視線。
ジゼルはメイドに何か目配せし、護衛騎士の位置をほんの少し変える。
この場で“会話が起こる”ことを、瞬時に受け入れる動きだ。
「君の顔、覚えている。……瓦礫の方から走ってきて、迷わず前へ出た。普通なら足が竦む状況だった」
メアリーは、照れたように視線を落とした。
「……あの時は……怖かったです。でも……」
「でも?」
「先生が……いました」
メアリーが、アタシを見た。
「お魚先生が、『いい? 走るなら、前よ』って」
「言ってないわよそんな名言」
「言いました!」
アタシは鼻先で、ふん、と笑う。
ジゼルが、その魚を初めて真正面から見て、ほんの少しだけ驚いた顔をした。
「……魚、なのか」
「そうよ。見ての通り、ピチピチよ」
「……そうか。君が、彼女の……」
ジゼルは言葉を選ぶ。
“保護者”とも、“使い魔”とも違う。
関係の名称が、この二人にはまだ無い。
だから彼女は、騎士らしい結論に落とした。
「……同行者だな」
「そういうことにしといて」
ジゼルは小さく頷くと、メアリーへ視線を戻す。
「君の動きは、素人のそれではなかった。誰かに教わったのか?」
「えっと……えっと……」
メアリーが困った顔をする。
教わったと言えば、教わった。
でも、“教えたのが魚”と言うと混乱する。
そこへアーリッヒが、助け舟を出すように言った。
「副団長。あの時、彼女は……とにかく、必死でした。自分より先に、他の人を押し出してました」
ジゼルは一瞬、アーリッヒを見る。
その視線は厳しくも、少しだけ――優しい。
「……そういう目をしていた。だから覚えていた」
メアリーの胸が、ふわっと膨らむのが分かった。
褒められ慣れていない子の反応だ。
「えへへ……」
ジゼルは微笑みかけ、それから、改めて背筋を伸ばした。
「礼を言う。街は、君のような“動ける者”に救われた。騎士団を代表して」
その言葉に、メアリーは慌てて首を振る。
「わ、わたしは……そんな……」
「謙遜しなくていい。事実だ」
そこで、アタシは、わざとらしく咳払いをしてやる。
「ふーん……副団長さん、ちゃんと褒めるのねー」
ジゼルの眉が、ほんの少しだけ上がった。
「……何か不満でも?」
「不満? まさか。――ただ、メアリーちゃん、褒められると顔がゆるみすぎるのよ。ほら、今。ふにゃってなってる」
「なってません!」
「なってるわよ」
メアリーがぷりぷりする。
その様子を見て、ジゼルが小さく笑った。
あ、今笑った。
鎧の時は見せない、ドレスの時の笑い。
アーリッヒが、その笑いに、視線を落としそうになって――慌てて前を向く。
いや、君……分かりやすすぎるでしょ。
ジゼルは、軽く咳払いをし、場を整えるように言った。
「アーリッヒ。今日は案内役か」
「は、はい! 市場の復旧確認を兼ねて……!」
「……そうか。任務意識は立派だ」
「ありがとうございます!」
アーリッヒが、背筋を伸ばす。
胸の内で、花火が上がってる音がしそう。
ジゼルはメイドに目配せし、日傘を少し傾けた。
「私はこの先、布屋に寄る。復旧のために必要な物資の確認だ。……君たちは引き続き街を回るといい」
それは、解散の言葉。
けれど、距離を置くためだけではない。
“それぞれの役割へ戻る”ための、騎士の言葉だ。
メアリーが、ぺこっと頭を下げた。
「副団長さん、ありがとうございました!」
「こちらこそ。……元気でいなさい」
ジゼルが歩き出す。
メイドと護衛騎士が続く。
白い日傘が、通りの光をふわりと跳ね返しながら遠ざかる。
――そして。
アーリッヒは、最後まで目で追ってしまいそうになって、ぎりぎりで堪えた。
アタシは、その横顔を見て、にやりとする。
「……ねぇ、アーリッヒ。あなた、今、息止めてたでしょ」
「と、止めてません!」
「止めてた。顔がそう言ってる」
「……魚に顔ってあるのかよ」
「あるわよ。あなたの顔より表情豊かよ」
メアリーがくすくす笑う。
アーリッヒは耳まで赤くなって、咳払いした。
4.積み上がる「普通」の明日
「……さ、次。配達屋台、あっちだ。甘いのもある」
「行きます!」
メアリーが弾む。
街の喧騒が、また三人を包んだ。
その背中を追いながら、アタシは小さく思う。
(――ふーん……なのねー)
恋だとか、身分だとか、責任だとか。
そんなものは、アタシの知らないところで、勝手に絡まっていく。
でも、たぶん――この街は、それも含めて、立ち直っていく。
串の匂い。
布の匂い。
人の声。
メアリーが笑って、アーリッヒが照れて、ジゼルが遠くで日傘を揺らす。
今日のロッペンハイマーは、ちゃんと“生きていた”。
(つづく)
後がき:魚の独り言
まったく、人間ってのは複雑ね。
お腹が空けば食べて、眠くなれば寝る。それだけでいいはずなのに、わざわざ似合わない服を着て、好きな人の前で息を止めて、不器用な自分を隠そうとする。
瓦礫を片付けるより、自分の心の後始末の方がずっと大変そうじゃない。
門番の彼が、あの副団長をどんな目で追っていたか。
副団長が、メアリーを見てどんな風に鉄の仮面を緩めたか。
……それを見抜けないほど、アタシの目は腐ってないわよ。魚だけど。
街が元通りになるには、まだ時間がかかる。
メアリーの傷が消えるのだって、きっとずっと先の話。
でも、今日の串焼きの味や、誰かに「生きてたんだな」って言われた記憶は、血肉になって残るわ。
さて、明日は何をしようかしら。
とりあえず、あの門番くんには、もう少し酸素の吸い方を教えてあげなきゃいけないわね。
――お魚先生の午後は、まだまだ忙しくなりそうよ。




