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希望、呪縛――そして、ノック

作者: 綿柾澄香

 約束は、希望だ。

 たった一つの約束を心の拠り所にして、困難を乗り越え、前へと進む原動力になるのは珍しい事ではない。


 約束は、呪縛だ。

 たった一つの約束が行動を縛り、そこから動けなくなり、雁字搦めになってしまうのは珍しい事ではない。


「必ず、帰ります」


 と、彼は十中八九叶うはずのない約束を交わした。彼の配属先は最前線。激戦は必至。生き残ることができたのならば、幸運だ。それでも、私は残りのほんのわずかな可能性を信じて、


「お待ちしております」


 と答えた。

 そうして、彼は少し泣きそうな笑顔を浮かべて振り返り、戦地へと向かっていった。


――そして、彼は帰って来なかった。文字通り、遺骨さえも。


 部隊は全滅。十中八九どころか、一つ残らず殲滅させられたのだ。現場は骨も残らないほどの凄惨を極めたらしい。


 そんな現場で私との約束は彼にとっての希望になっていたのだろうか。それとも呪縛となって彼を縛り、判断を鈍らせ、死を招いてしまったのだろうか。今となっては知る由もない。願わくば彼が希望を胸に抱き、なにもわからないままに、苦しまずに逝ってしまってくれていたのなら、どんなにいいか。


……いや、願わくばこの知らせが誤報で、実は彼が生きていてくれればどんなにいいか。


 終戦から二年。

 彼との約束は、希望だ。彼は私に言ってくれた。必ず帰る、と。そして、彼の遺体はまだ見つかっていない。ならば、本当はまだ彼がどこかで生きているのではないか、とも微かに信じることができる。現場は遺体の数さえも正確に把握できていたのかが疑わしいほどだったのだ。ならば、彼の遺体が確かにそこにあったのだと、誰が断言できようか。そして、その可能性を捨てきれないからこそ、私は前へ進めないでいる。両親が彼のことは忘れて別の人と幸せになりなさい、と言って縁談相手を紹介してくれたことも幾度となくある。けれども、私はその全てを断り続けてきた。わかっている。両親は私の幸せを願ってくれている。そして、彼もきっと私が幸せになることを許してくれるだろう。けれどもやっぱり、あの約束が呪縛となって私を苦しめる。


 私にとって、彼との約束は希望であり、呪縛でもあるのだ。

 そして今日も、彼は帰って来なかった。


  *  *  *


 夢を見た。

 とても、幸せな夢を。


 ドアをノックする音が聞こえ、私はそのドアを開く。そこには彼が立っているのだ。少し逞しく、精悍になった細い顔。けれども、面影は残っている。


「ただいま帰りました」


 なぜだか私はそれを当然のように受け止め、微笑む。


「遅かったですね」


「いやぁ、激戦を生き抜いたのはいいのだけれども、その後捕虜として捕まってしまいましてね。連絡を入れたかったのですが、どうしてもできず、こうして突然の帰還となりました。本当にすみませんでした」


 そう言って、彼は深々と頭を下げる。


「そんなことはどうでもいいのです。いま、こうして貴方が約束を守って帰ってきてくれたのだから」


「実は、すごく怖かったのです。君が私のことなど忘れてしまい、別の男と一緒になってしまっているんじゃないか、と。もちろん、そうなってしまっていても仕方はない、と覚悟はしていましたが、やっぱり怖いものは怖い。けれども……」


「ええ、結婚はしていません。だって、私と約束してくれたでしょう?」


「うん、本当に良かった」


 と、そう言って、彼は笑いながら涙を溢す。戦地に赴く直前に見せたあの時とは真逆の表情。


「もう、戦地から帰ってきた屈強な男が涙を流すなんて」


「僕は、とても幸せです」


 私が言いたかったことを先に言われてしまって、少し困る。


――あぁ、うん、でもやっぱり幸せだ。こうして彼の顔を見て、彼と話をすることはこんなにも幸せだ。


 と、そう感じたところで目を覚ました。


  *  *  *


 外を見ると、辺りが橙色に染まっている。

 夕方だ。


 いつの間に眠ってしまっていたのか覚えていない。けれども、こんな時間に眠っていてはいけない、と立とうとして、頬を水滴が滑るのを感じた。


 涙……?


 そうだ、夢を見ていたのだ、と思い出す。とても幸せな夢を。あんな夢を見せられて、彼のことを忘れられるはずがない。


 けれども、それでもいいと思える。私にとって彼との約束は呪縛なのかもしれない。ただ、約束に囚われて動けなくなっているのだとしても、それが不幸であるとは限らない。


 むしろ、彼のことを思っていられるのならば、私は幸せだ。

 ならばやはり、私にとっては約束は希望なのだろう。


 不意に、ドアがノックされる音が聞こえる。

 来客だろうか。

 そのノックの音は、どこかで聞いたことがあったような気がする。その懐かしいような音の響きに、心臓が跳ねるのを感じる。


 私は慌ててドアに向かう。

 ドアを開いたそこに立っていたのは――

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