2/3
『参加者のみなさま。学園全体の見取り図とチェックポイント周辺の地図をまとめた台帳は、お手許に届きましたでしょうか?』
運営係とおぼしき精霊が、拡声器を手に壇上で説明を始めた。ミリィたちが受付で渡されたのは、簡単な学園の見取り図と、チェックポイント周辺の地図を描いた台帳だ。
「王立学園って、こんなに広かったの?」
学園の見取り図を広げて、ミリィが目を丸くした。学園の敷地面積は約五千億平方キロ。これは地球の表面積どころか、月の公転軌道に匹敵する広さだ。見渡す限り広がる樹海も、広大な学園の、ほんの一部にすぎない。
もっとも、その全体を使うほど運営も愚かではない。今、ミリィたちのいる学園の正門。その周辺にある一区画だけで行われるのだ。
その運営係が軽く参加者たちを見渡し、
『どうやら届いているようですので、競技ルールをご説明します』
と言って説明を始めた。
『ルールは至って簡単です。台帳に記されたチェックポイントを、これから六時間以内に巡っていただくだけです。チェックポイントでは係員がお待ちしてますので、みなさまはその係員の捺すスタンプを集めてください』
参加予定者たちは、静かに説明を聞いていた。ミリィもパラパラと台帳をめくりながら、黙って説明に耳を傾けている。
『順位は通ったチェックポイントの数、同数の場合は先にゴールした順番で決まります。もちろん時間内に戻られなかった場合は失格となりますので、ご注意ください』
「要するに早く全部集めたヤツが勝ちだな」
「簡単なお遊びじゃないか」
説明を聞く参加者の中から、そんな声が漏れてくる。
『禁止事項は参加者同士の情報交換だけです。他に制限はございません。社会常識の範囲内であれば、何をしても結構。このルールを最大限にご利用ください』
「何でもあり……ねぇ。とぉ〜っても素敵なルールだわぁ。にゅふふぅ〜」
目を細めたユメミが、不敵な笑みを浮かべた。
その態度に危険なモノを感じて、ミリィがそうっと離れていく。
『それでは、これより競技を始めます』
──バァ〜ン
壇上にいた精霊が、右手を高く挙げて霊光弾を放った。それが上空で炸裂。その轟音を合図に参加者たちがいっせいに動き出した。
「今度こそ一番になってみせるわぁ!」
真っ先に駆け出したユメミが樹海へ飛び込んでいった。その後ろを、何人もの参加者たちが追いかけていく。
空からチェックポイントへ向かう一群も、樹海に向かって飛んでいった。その集団がぱあっと散開し、それぞれ樹海の彼方へと消えていく。
その一方でミリィは、
「どの順序でまわると効率がいいかなぁ?」
台帳を見て考えながら、ゆっくりと歩いていた。
台帳にあるチェックポイント周辺の地図と学園の見取り図を照らし合わせて、場所を一つずつ特定しようとしているのだ。
ミリィの他にも数名の参加者が、行動よりも場所の特定を優先させている。
学園内に点在する修行場をつなぐ小路。その脇にある木陰に、ひっそりと小さな机が置かれている。それがチェックポイントの一つだ。
「お待ちしておりました」
木漏れ日の中で待っていた係員が、やってきた参加者をにこやかに迎える。
「やぁっと見つけたわぁ。ここも見つけにくい場所に置かれてるわねぇ」
やってきたのはユメミだった。その訴えに係員が、
「簡単に見つかったら面白くないでしょう」
と答えて、上空を指差した。そこでは、
『いったいどこにあるんだよ〜っ!』
『まだ一つも見つからないわ〜』
空から探そうとする参加者が、何人も樹海の上を飛びまわっている。チェックポイントはわざと空からは見えない場所に置かれているのだ。
「台帳の一五枚目をお開きください」
石のスタンプを持って、係員がユメミに求めた。それでユメミの差し出した台帳に、ポンと赤いスタンプを捺す。
「よぉ〜しっ。これで三つめよぉ!」
ユメミがパタンと台帳を閉じて、次の場所を目指して駆け出していった。そのユメミを目で追いながら、
「三つか……。まずまず……かな?」
と、係員が笑みを浮かべる。
「遠くから見たことはあったけど、学園の式典会場って近くで見ると大きな建物なのね」
樹海の中に造られた真っ白な壁の建物。その庭に面した長い回廊を歩きながら、ミリィはキョロキョロと首を動かしていた。
回廊には庭の側に太い柱があるだけで、間に壁はない。その回廊を数人の侍女たちが掃除していた。侍女たちとすれ違いざま、ミリィがお辞儀する。それに侍女たちも微笑みながらお辞儀を返してきた。
「地図だと、この南側にあるはずよね……」
式典会場に入る扉を開けて、ミリィが零した。建物の中でも侍女たちが掃除している。会場はとても広く、奥でモップ掛けしている侍女が米粒みたいに小さく見えた。
「地図の見方を……、間違えたのかな?」
静かに扉を閉めて、ミリィがまた回廊に目を向けた。
式典会場を取り巻く回廊。ミリィはその南側に面した廊下を、すでに二往復していた。だが、どこにもチェックポイントらしきものが見当たらない。
「どう考えても、ここで間違いないよね」
ミリィはそんな確信を感じていた。だが、結論づける材料がない。そのため台帳に目を落としたミリィの口から、「う〜ん」と声が漏れた。
「それにしても、どうしてここのチェックポイントだけ、括弧つきで描かれているんだろ?」
チェックポイントの中で、この場所だけ表現が違っている。ミリィはその理由を考えようとした。
そのミリィの様子を、一人の侍女がジッと遠目で見ている。
「……ん?」
ミリィがその視線に気づいた。すぐミリィから視線をそらせた侍女が、何事もなかったように掃除に戻る。その態度が、妙にミリィの心に引っかかった。
「……ひょっとして…………」
ミリィが何かを察した。そのミリィが侍女に向かって歩き始めると、侍女もモップを動かしながらミリィから逃げるように離れようとする。
「ちょっと待ってください!」
侍女の前へまわり込んで、ミリィが待ったをかけた。
「なんでございましょうか?」
ミリィに臆することもなく、侍女がとぼけたように聞き返してくる。
「チェックポイントの場所ですけど……」
「申し訳ございません。それは教えられない決まりになっております」
侍女が頭を下げて、丁重に答えてくる。その侍女の前で台帳を広げて、
「スタンプをください」
ミリィが捺印を求めた。
「わたしに言ってるのですか?」
侍女が柔和な表情で聞いてきた。それにミリィが台帳を広げたままうなずく。
「いいでしょう。見つけたご褒美よ」
チェックポイントの係員は、侍女のフリをしていたのだ。その係員がエプロンのポケットから大理石製のスタンプを取り出して、ミリィの台帳にポンと捺しつける。
「どうして侍女のフリなんか……?」
「あら? すぐ次のチェックポイントへ行くと思ったのに、聞いてくるなんて意外だわ」
スタンプをポケットに隠して、侍女が問いかけるミリィに笑みを返す。だが、
「でも、その答えは自分で考えてね。世の中、何事にも教訓が隠されているのよ」
人差し指を唇に当てて、「その問いには答えない」と暗に示してきた。
──ガサガサガサ……
その時、庭にある茂みから葉のかすれる音が聞こえてきた。そこから、
「次は、このあたりよねぇ」
と言いながら、ユメミが出てくる。
「げっ。ウガイアのお姫さま……」
ミリィが思わず後退った。そのミリィを見つけたユメミが、
「性懲りもなく先に来てたのねぇ」
急に険しい表情になって怒りをぶつけてきた。
「……でぇ、チェックポイントはどこなのぉ?」
ミリィを凝視したまま、ユメミが尋ねてくる。だが、ミリィは答えない。
「むぅ〜っ。どこにあるか言いなさいよぉ!」
「教えるのはルール違反でしょ」
癇癪を起こしかけたユメミに、ミリィが落ち着いた口調で答える。それに、
「……それも……そうだねぇ」
と、ユメミが口をとんがらせつつ納得する。
「ところでぇ、チェックポイントはいくつ見つけたぁ? あたしは七つだよぉ」
不意に話題を変えて、ユメミがこれまで巡ってきた数を尋ねてきた。
「数を教えるのも、違反になるのかな?」
「なによぉ。数を教えたってぇ、それで場所がわかるわけないじゃないのぉ!」
答えを戸惑うミリィに、ユメミが不愉快そうに言ってくる。それで困っているミリィに、係員が軽く肩をすくめて「そのくらいならいいよ」と仕種で伝えた。
「一〇か所……だけど……」
「じゅ、じゅっかしょぉぉぉぉぉ〜っ?」
ミリィの答えを聞いて、ユメミの声が裏返った。
「あ、あんたという精霊はぁ、どぉしてあたしの神経を逆なでるのよぉ〜……」
「逆なでって、それは逆怨みのような……」
「怒り心頭のぉ、三・八×一〇の一七乗ジュ〜〜〜〜〜ルぅ!」
ユメミが問答無用で撃ってきた。それをミリィが避けたため、そのまま直進した霊光弾が背後にある太い柱に当たった。
──どっぐゎ〜〜〜〜〜ん……
「きゃあぁぁぁ〜……」
「いやぁぁぁ〜〜〜ん!」
爆発に係員や侍女たちが巻き込まれた。
その悲鳴を聞いたミリィが、キッとユメミを睨む。
「あんたねえ。場所を考えなさいよ!」
「なによぉ! 庶民の分際で大貴族のあたしに指図する気なのぉ?」
文句を言ってきたミリィに、ユメミが威張った態度で言い返した。
「大貴族なのは、あんたの親でしょ。資格も実績もないうちは、ただの凡人よ!」
「な、な、な……」
ミリィの反論に、ユメミが肩を震わせた。
精霊世界の考えでは実績のない者は、たとえ貴族の子どもであっても庶民扱いだ。その意味でミリィの言葉は正論である。しかし正論は時に相手の逆鱗に触れ、激怒させるものである。
「ウッキィ〜ッ! 誅伐のぉ……」
顔を真っ赤にしたユメミが、手に巨大な光の球を生み出した。それを見たミリィが、
「このわからず屋!」
と怒鳴って、ユメミのドレスをつかんで体重を腰に乗せる。そして、そのまま投げ技を放ち、ユメミの身体に大きな弧を描かせた。
──ぽてん
ユメミが芝生に落ちて仰向けになった。
ミリィがうまく投げたため、ユメミは痛みどころか落ちた衝撃も感じていないようだ。目をパチクリさせ、茫然とした顔で空を見上げている。
ミリィはそのユメミを放っておいて、倒れている係員たちに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「いたたたた……」
ミリィの呼びかけに、係員がゆっくりと身体を起こす。そして、
「あなたにもスタンプを捺してあげるから、建物を壊さないで……」
とユメミに言いながら、エプロンのポケットに手を入れた。
ところが、そのまま係員が表情を凍りつかせて固まる。
「どうしたんですか?」
「そ、それが……」
ミリィに問いかけられた係員が、困ったようにポケットから手を出した。そして、手を開くと、
「……ゔ……。粉々……ですね」
「さっき吹き飛ばされた時に、割れちゃったのね」
スタンプは大理石でできていたため、衝撃で粉々に砕かれていた。
「ス、スタンプが、ない……だってぇ〜?」
話を聞いていたユメミが、ムクッと起き上がった。そのユメミが視点の定まらない表情で、フラフラとミリィたちに近づいてくる。
「じゃぁ、ここのチェックポイントは、どぉなるのかなぁ〜?」
目の据わったユメミが、ミリィの肩をガシッとつかむ。
「永久に消滅……かな?」
「うっうっうっ。ぜぇ〜んぶあんたのせいだぁ……」
目からポロポロと涙を零して、ユメミが不満をぶつけてきた。
「どこからそんな結論が出てくるのよ?」
「もぉ〜赦せないわぁ。怒髪天のぉ、九・六×一〇の一六乗ジュールぅ!」
言い返してくるミリィの態度に、ユメミがプチキレた。
「ちょっとは周りの迷惑を考えなさいよ」
「やかましいわぁのぉ、七・三×一〇の一六乗ジュールぅ。目障りだぁのぉ、二・〇×一〇の一七乗ジュールぅ。……」
文句を言いながら逃げるミリィを、ユメミが霊光弾を乱射しながら追いかけた。ユメミは逆上しているものの、取り敢えず前口上のルールは守っている。
そのユメミの作る爆発が、ミリィを追って建物から離れていった。
「すぐに予備のスタンプを持ってくるから、森を壊さないで……欲しいんだけど……」
爆発を目で追いながら、係員が力なく立ち上がった。
残った係員や侍女たちの目に、穴のあいた壁や崩れた柱など、破壊された光景が飛び込んできた。その建物の破片が、床をころころと転がりながら、元あった場所に戻ろうとしている。