第9話
そこは荒れ果てた大地だった。立ち昇る炎がEXダンジョン中を焦がし、漂う黒い霧は枯れ木を腐らせ、鼻が曲がるほどに臭う鉄の香り。
その風景は、俺が交通事故から続く昏睡状態の中で見た夢の一つと酷似していた。
「ここは……」
「やはり、デブゥが引き当てたEXダンジョンはここですか」
【g:獄炎っっっw】
【g:これには草しかない】
【トウマ:ままま、スキルメモリーの中には使えるものもあるから!】
【g:でも最後に待っているのはアレ】
【g:いやいや、まだ解明されていないだけで、揃えたらメッチャ強いかもしれないし】
【g:海外のトップグループもそう言って最下層からのリスタートになった】
「おぉーっと! 角煮先輩が初めて引き当てたEXダンジョンは〜〜〜獄炎! 残念ながら……EXダンジョンの中では最も不人気なダンジョンになってしまいましたが、頑張ってレアメモリー掘りをしましょう!」
早苗ちゃんが冷えた空気を暖めるかのように元気よく進行させてくれたが、どうやら外れダンジョンを引いたらしい——。
それにしれも、空気を読んでワザとらしくも和ませる実況をする早苗ちゃんには本当に感心する。その心遣いを見れば、早苗ちゃんの性格が手に取るように判る気がする。
早苗ちゃんの言動一つ一つに惹かれていく自分の心を感じながら、仁王立ちでEXダンジョンを見つめる鵺耶ちゃんの横に立った。
「オクト、ここはあまり美味しくないのか?」
「そうね……ドロップするスキルメモリーの中には使えるものもあるけど、このダンジョン限定URの癖が強すぎるのよ」
「癖?」
「私はコレ(ムラマサ)があるから、限定武具は好きなのを選んでいいわ。手に入れてみれば、その癖もよくわかると思うし」
「そ、そう——貰えるなら一応貰っておくけど……」
詳しいことは判らないが、それもこの地獄のようなダンジョンを進めば理解できるだろう。
前を進む鵺耶ちゃんはムラマサを腰の鞘に戻し、背中に回していた樫の弓を手に取ると、矢筒から矢を一本引き抜いて弓に番えた。
「EXダンジョンのエネミーは第一層のエネミーたちよりも強力よ。角煮先輩のスキル熟練度ではまだまだ危険、無理しすぎないようにね」
「了解だ。オクトの後ろでチクチクやらせてもらうよ」
目の前に広がる地獄の荒野には、岩壁に挟まれるようにして道が出来ている。そして道を埋め尽くすほどに気持ちの悪いエネミーが闊歩していた。
その異様な姿は人型を基本としているようだが、強張った赤黒い皮膚には禍々しい刺青に覆われ、頭部は人型とは言い難い花弁のような五枚の花びらで構成され、その一枚一枚の花弁には鋭い牙が並んでいた。
「——ちょっと気持ち悪すぎない?」
思わず溢れた感想だったが、そう思っていたのは俺だけではなかったようだ。
「この気持ち悪さが不人気の一つでもあるの……奥にはもっとキツイのもいるから、覚悟しておいて」
没入型仮想世界が造り出した地獄絵図は、今まで以上にリアルな気持ち悪さを放っていた。
そうしてEXダンジョン攻略は、鵺耶ちゃんの弓で獄炎のエネミー、ディアボリクスを一体ずつ釣るところから始まった。
「釣った!」
集団で彷徨い歩いていたディアボリクスのうち、少し離れて他の個体からも視線が途切れた一体を狙い打つ一矢は、綺麗な弧を描きながらその首元を正確に射抜いた。
物凄い勢いで駆け寄ってくるディアボリクスを前に、 鵺耶ちゃんは樫の弓を背に戻して僅かに腰を落とす。
両足を広げて上半身を捻り構える姿は、太刀スキル《心眼》の発動モーション。射程範囲内に侵入したエネミーを自動補足して居合抜きを放つ、全周囲対応のカウンタースキル。
構えモーション中の時間が経過するほどに居合抜きの攻撃力が上昇していき、最大まで溜めた一振りは大型エネミーすらも一撃で屠るという。
「ハァッ!」
そしてディアボリクスがその射程に侵入した瞬間、神速の一振りがその赤黒い横腹を薙いだ。
「オラァー!」
《心眼》には一つだけ弱点とも言えるデメリットが存在する——それは、ため時間が長ければ長いほど、振り抜いた後に体が硬直して動けなくなる時間が長くなる。
その致命的な隙をカバーするのが、パートナーである俺の役目だ。
鵺耶ちゃんの影から飛び出すと同時にブロンズサイスを旋回させて一薙、流れるように手首を返して反対側からの斬り返し、そして勢いをそのままに体を回転させ、ブロンズサイスの石突をディアボリクスの腹へと突き刺した。
「いい感じね。このままドンドン狩って行くわよ」
石突の一撃で全身が灰となって崩れて行くディアボリクスを踏み越え、再び樫の弓を手に取った鵺耶ちゃんが次の獲物を射抜いた。
それほど奥深くないと聞いていたが、ダンジョンボスが待つ広間までは狩りをしながらでも二時間を要した。
その間にドロップしたアイテムの中には有用なスキルメモリーも多数あり、俺がメイン武器にしている大鎌のスキルメモリーこそ手に入らなかったが、短杖の攻撃系スキルや防具に付ける移動系スキルなど、多種多様なスキルメモリーを入手することができた。
スキルメモリーの殆どは競売所に流すことになるが、それ即ち俺の収入に繋がるので文句はない。
ダンジョンボスを前にし、今はそれぞれの外部オペレーターと共に入手した防具の確認とスキルメモリーの入れ替えを行っている。
「脚防具はそのシルバーレギンスにしましょう。オプションに火耐性が付いていますし、スキルスロットも二つ空いてます」
「おっけぇ〜、スキルメモリーは何か良いのあるかな?」
「ここのボスはとにかく火耐性が重要なので、一つは火耐性スキルにしておきましょう。もう一つの穴には、これをオススメしますッ!」
早苗ちゃんのピクシーアバターが、俺の視界に浮いているインベントリウィンドウの中の一つを指差した。
「《ゴーストステップ》?」
「そうですッ! このスキルは短距離移動スキルの一種なのですが、アバター全体が幽体化して完全無敵になります。それに加えて特定種のエネミー以外からはヘイトが外れて自由に動けるようになりますし、エネミーの背後を取ったり、撤退したりなど、幅広い使い方ができる移動スキルなんです」
ほぅ——《ゴーストステップ》のレアリティーはSRだ。獄炎でしか手に入らないスキルメモリーの一つであり、競売所に流してもすぐに落札されてしまう人気アイテムなのだそうだ。
逆に言えば、獄炎を引き当てた場合の数少ない高額アイテムとも言える——らしい。
他にも胴防具や腕防具を変更し、スキルメモリーを挿せる穴には耐性スキルや攻撃力・防御力UPのスキルメモリーを挿すなどして準備を進めた。
「準備はいい?」
「あぁ、完了だ」
一足先に準備を終えていた鵺耶ちゃんは腰に両手を当てた仁王立ちで俺の準備が完了するのを待ち構えていた。
チャットウィンドウに流れるコメントも、今日の配信のクライマックスが始まるのを今か今かと待ちわびている。
地獄の終着点で俺たちを待っているのは三体のエネミー。ダンジョンボスである獄炎の王——骸骨騎士ルシフェルト、その両翼に控えるのは異形の魔術師アガリアと、ライオンの顔に五本のヤギの足を持つ魔獣ブエルン。
三対二という不利な状態での戦闘を覚悟したが、範囲攻撃に巻き込まない限り、ダンジョンボスであるルシフェルトは気色の悪い肉の玉座から動き出すことはないそうだ。
作戦会議の結果、鵺耶ちゃんがアガリアと戦い、俺がブエルンと戦うことになった。
これはアガリアの魔法攻撃を初見で躱し続けるのは不可能だという、煮卵TVメンバーの総意からだ。
ブエルンも魔法攻撃を放ちはするが、そのほとんどが直線的な息吹攻撃であり、戦闘経験がない俺でも対処できる——いや、「対処してみせろ」。
そう、鵺耶ちゃんは言い放った。
そこまでハッキリと言われては、無理です——という訳にはいかない。一人でブエルンを倒す、そのために早苗ちゃんとスキル構成を再考したのだ。
《ゴーストステップ》という緊急回避手段も用意した。一度使えば再使用までのクールタイムは一二〇秒。安易に使えるスキルではないが、弾幕(シューティングゲーム)の|BOMB(無敵ボム)だと思えば使い所は見えてくる。
決めるところでは決め、落ちる前に放って回避する。それが一二〇秒ごとに再利用できると考えれば、こんなにも頼もしいスキルはない。
「アガリアの魔法範囲には注意して、ブエルンの息吹も直線射程はかなり長いから、それにこちらを巻き込まないように、お互いの距離感を意識して」
「了解——先行する! 《ゴーストステップ》!」
最終確認をしたところで、アガリアとブエルンの認知範囲ギリギリ外側から《ゴーストステップ》を発動——俺の上半身が青白く半透明な気体に変化し、下半身は殆ど形が判らない靄へと変化した。
それでも、スキルを発動した当人である俺には確かに地に足つけた感覚が残っていた。そのまま駆けるように無音で浮遊してブエルンの後方へと回り込むと、獄炎の道中で手に入れた新しい大鎌——ダークサイスを振り下ろした。
「グワァァァァ!」
腕防具に挿した《ハイドアタック》のスキルメモリーにより、真後ろからの奇襲攻撃は攻撃力1.2倍になる。まだまだスキル熟練度が低いのでこの程度だが、育て上げれば倍率はさらに上がり、強力な一撃になることは間違いない。
ブエルンの痛声が号砲となり、EXダンジョン獄炎のダンジョンボス戦が開幕した。