第8話
俺たちのメビウス攻略はまだ第一層のままだ。第七層まで上がったことのある煮卵TVの面々だが、ここ数日は俺のスキル熟練度を上げることを最優先にし、第一層のボス前付近で狩りを続けていた。
メビウスのダンジョンフィールドは潜るたびに新しく生成されるのだが、一度生成されれば一週間はMAPが固定される。
もちろん、生成したプレイヤー本人が死亡すればリセットはされるのだが、この一週間が攻略に費やせるタイムリミットであり、これを過ぎると階層初期位置からのリスタートとなる。
初めてメビウスに潜ってから今日がその一週間目、今日中に第一層を踏破する必要があり、メンバーが揃い次第ボス攻略を始める予定になっていた。
今はそのためのウォーミングアップ中——ここまで踏破して来た薄暗い洞窟ステージである第一層を少し引き返し、自意識とVR世界のアバターとの間で生まれるラグのような誤差を、限りなくゼロに近づけるために大鎌を振り続けている。
「《ストームサイス》!」
銅色の大鎌が俺の手を離れて旋風を巻き起こし、桃色の人型エネミーである豚獣人——グレーターオークの太々しい腹を切り裂いた。
【g:角煮先輩の動きも見れるようになってきたな】
【ゴン座ェ門:豚二匹映すよりもオクトを頼む】
【g:第一層はスキル熟練度をしっかり上げれば問題ないな】
【g:デブがオークを狩ってて草】
【g:早く上にあがって欲しい】
【サキュエル:やっぱ特殊のスキルはカッコいいな】
目まぐるしく流れて行くコメントの荒波にもだいぶ慣れてきた——今では常にチャットウィンドウを表示していても気にならないほどだ。
むしろ、俺と鵺耶ちゃんの一挙手一投足に反応して、様々なコメントが打ち込まれるのは面白い。
中には俺のアバターである角煮先輩を小バカにするコメントも流れるが、鵺耶ちゃんのアバターであるオクトとの対比で俺が下に——世界一深いマリアナ海溝よりも下に見られるのはしょうがない。
むしろ、どんな形であれ孤独を感じていた俺に注目してくれることは嬉しい——そんなことを考えているのは、ドM過ぎるだろうか?
「リポップする前に地底湖前まで戻ろう」
「オーケー。オクト、念のため体力を全開にしておこう——《ヒールサークル》!」
俺のメイン武器は大鎌に即断したわけだが、サブに関してはパートナーである鵺耶ちゃんの構成とバランスを取るため、回復スキルや支援スキルが多い——短杖を選択した。
《ヒールサークル》は短距離位置指定できる小範囲回復スキルだ。その回復量はスキル熟練度に左右されるのだが、第一層で狩りをする程度なら低熟練度の回復スキルでも十分だった。
「さぁ、オクトと角煮先輩の二人はボス戦前のウォーミングアップ中ですが、ここで第一層のボスであるオークキングについて解説していきたいと思いますッ!」
ブロンズサイスを軽やかに回転させ、曲線刃を煌めかせてオークキングの配下である小型エネミー、コボルトアーミーの首を刈りとる。
俺の横では鵺耶ちゃんのアバターであるオクトがURの太刀、ムラマサを振ってコボルトアーミーを真っ二つに切り裂いていた。
その様子を一瀬副会長が操作する外部オペレーターの小天使が撮影しているが、その模様を視聴している視聴者のモニターには、早苗ちゃんが作成した対オークキングの攻略動画が流れていることだろう。
俺も事前に見せられ、オークキングが放つ数々のエネミースキルに対する対処法を事細かに教え込まれた。
その一つ一つは、いま対峙しているグレーターオークも使用してくる。
桃色の肌が真っ赤に染まり、エネミースキルを使ってくる前兆が全身に現れ——そして次の瞬間、グレーターオークの前方に赤く半透明なスキル攻撃範囲が立体的に表示された。
《アサルトチャージ》か——発動の瞬間が見えていれば、高速の突撃タックルを回避することはそう難しくはない。しかし、俺の後方では別のグレーターオークを相手に、鵺耶ちゃんが鍔迫り合いを繰り広げていた。
このエネミースキル攻撃を避ければ、鵺耶ちゃんが背後からの奇襲攻撃——ハイドアタック判定を受けて大ダメージを負ってしまう。
ならば、俺が取るべき選択は回避ではなく防御。
腰に差している短杖——シルバーメイスを引き抜き、即座に《ヒールサークル》の横にセットしたもう一つのスキル——。
「《ディバインシールド》!」
スキルの使用を宣言すると同時にシルバーメイスを床板に突き立てると、シルバーメイスは溢れ出る光とともに光の粒子に姿を変え——同時に、その上部に白銀に輝く大盾が出現した。
このスキルはエネミーの攻撃を一定ダメージ量まで防御してくれる設置型の防御スキルだ。使用中はシルバーメイスを使うことが不可能になるが、一定時間経過か破壊されると俺の腰元に再び戻ってくる。
《アサルトチャージ》の攻撃範囲を遮断するように《ディバインシールド》を展開すると、その直後にけたたましい程の破砕音と共にグレーターオークが激突し、弾き返されるようにして尻餅をついた。
「オラァー!」
これがオークキングのエネミースキル対策の一つ。体勢を崩した時に生じる隙を逃さず、人型エネミー共通の弱点部位である首元を狙ってブロンズサイスを振り抜き、その勢いに乗せて膝蹴りを顔面に叩き込んだ。
大鎌の攻撃モーションは単純に曲線刃で切り裂くものだけではない。柄部分の石突による打撃攻撃や、主に脚による体術で構成されている。
特に一八〇を超える長身に、大台一歩手前九十九kgの巨漢デブが放つ膝蹴りの迫力と威力は目を見張るものがある。
血と似ていながらも鮮血とは違うデジタルな体液を吐き出しながらグレーターオークは仰向けに倒れ、その口腔奥深くに石突を突き刺してHPゲージをゼロにまで消し飛ばした。
【特殊スキルが0.1上がりました】
【格闘スキルが0.1上がりました】
スキル熟練度が上昇したことを視界の隅で確認しつつ、グレーターオークを難なく排除する様子に沸くコメントに少しだけ気をよくすると、俺の背後でまだ戦闘を続けている鵺耶ちゃんを観戦することにした。
鵺耶ちゃんもオークキングとの戦闘に備え、エネミースキルの発動タイミングの確認や、それを太刀一本で受け流す練習を実戦で行なっていた。
心なしか、対峙する感情を持たないAIであるはずのグレーターオークが、鵺耶ちゃんに弄ばれていることに激怒しているようにも見えた。
フゴフゴと鼻息を荒々しく鳴らし、口角からは体液を飛び散らせて大斧を振り回している。
スキル攻撃範囲が赤く表示される通常エネミーのエネミースキルと違い、階層BOSSであるオークキングのエネミースキルにはスキル攻撃範囲が表示されることはない。
あくまでもゲームであるが故のサポートシステムを数多く採用しているメビウスだが、ゲームクリアをさせるつもりは全くない——とでも声高らかに宣言するが如く、階層BOSS戦では容赦がない。
一度戦闘エリアに侵入すれば撤退することはできず、勝利するか所持品ロストを伴う死に戻りしか脱出の手段はない。
第七層にまで上がった経験を持つ鵺耶ちゃんたち煮卵TVの面々でも、第一層のBOSSを甘く見てはいなかった。もちろん、まだまだ初心者である俺がパートナーだというのも大きな理由だろうが、それを差し引いても油断の一つも彼女たちにはなかった。
そんな最終確認の様子を観戦し、攻守の切り替えタイミングを学ぼうと考えたのだが——ブロンズサイスを抱くように抱え、通路の壁にもたれ掛かるように背を預けようとした瞬間——。
「うぉ——?」
そこにあるはずの壁が透き通り、俺の巨体は壁の内側へと何の抵抗もなく倒れ込んだ。
「イテッ——何だここ?」
【g:あ!】
【みさえ:角煮先輩でかした!】
【g:あっ(察し)】
【g:EXダンジョンきたー!】
【g:第一層から見つけるとか、運良すぎ】
【総司:でも、問題はどのエリアか? でしょ】
【g:黄金郷だったらヤバイ】
【g:龍宮も美味しい】
【g:あー、これで豚王は延期だな】
俺が倒れこむ様子が配信画面に映ったのか、コメントが即座に反応していた。仰向けのまま周囲を見渡すと、そこは第一層の洞窟とは明らかに造詣が違う石造りの通路だった。
「このタイミングでEXダンジョンを見つけるなんて……」
声がした足元の方へ視線を回すと、第一層との境界線である闇色の靄の中に鵺耶ちゃんの頭部だけが生首のように浮いていた。
「ちょっと怖いよ、オクト……」
俺の言葉を気にしたのか、鵺耶ちゃんは眉をひそめながら中に入ってきた。
「オクト、ここは隠し部屋か何かなのか?」
「ここはEXダンジョンよ。各階層のどこかに見えない進入路があって、その先に階層とは違う別のダンジョンが広がっているの」
「そ〜なんですッ!」
鵺耶ちゃんが差し出した手を取って立ち上がると、早苗ちゃんと一瀬副会長も隠し通路の中に飛び込んで来た。早苗ちゃんが操作する桃色のピクシーが俺と鵺耶ちゃんの周囲を飛び回り、一瀬副会長のカメラは俺と鵺耶ちゃんを捉えながら通路の先を撮っていた。
「さぁ、EXダンジョンが発見されたことで本日の予定を変更しますッ! これより、EXダンジョン奥深くにまで潜り、レアアイテム掘りを行います!」
レアアイテム……そう聞いてはオークキング討伐の予定を変更せざるをえない。だが、いまいちEXダンジョンとやらが理解しきれていない。
チャットウィンドウに流れるコメントの波はまだ騒ついたままだ——いや、むしろこの通路の先に待っている隠しエリアへの期待感で溢れている。
コメントの流れを読み取れば、このEXダンジョンは複数種類存在し、黄金郷や龍宮といった名称もついているようだ。
そして、どうやら格式らしきものもあるようで、単にEXダンジョンだからと言って良いレアアイテムが手に入るわけでもないらしい。
この先に広がるエリアがどこなのか、それによって入手可能なアイテムも変わるのだろう。
「角煮先輩は私の後ろに、この先のエリアはそれほど深くはないけれど、エネミーの密集具合は通常階層の比ではないの。弓で少しずつ釣るから、確実に倒して行きましょ」
「了解。他に何か気をつけることは?」
先頭を鵺耶ちゃんに譲り、人間離れした薄紫色の後ろ髪を見ながらEXダンジョンの注意事項などを聞いた。
まず、このEXダンジョンは一度侵入したら二度と同じ場所から侵入することはできない。
再奥にはエリアボスが待ち構えており、それを倒すことで踏破判定が下される。だが、ボスと言ってもエネミースキルにはスキル攻撃範囲が表示されるらしい。
そして、エリアボスを倒すと一定確率で宝箱の鍵をドロップし、再奥の部屋に置かれている箱を開ければ、URのEXダンジョン限定武具を入手することができるそうだ。
EXダンジョンの種類は五つあり、一度クリアしたEXダンジョンは二度と出現することはない。その判定は最初に侵入したプレイヤーアカウントに紐付いており、今回は俺が侵入判定を出しているわけだ。
メビウスのシステムと違うところもあり、このEXダンジョンでは死亡しても所持品ロストは発生せず、ダンジョンの外へ追い出されるだけで済む。
ここはあくまでもボーナスステージなのだ。エリアボスだけでなく、通常エネミーにも特殊ドロップが設定されており、ここでしか手に入らないスキルメモリーが数多く報告されている。
そのドロップテーブルもダンジョンの種類によって固定されている——それが上位プレイヤーや攻略サイトなどに集められた情報の結果だ。
鵺耶ちゃんからそんな説明を聞きながら細長い通路を進むと、エリアが切り替わったのを感じた。
同時に、鵺耶ちゃんの歩みが止まり——俺の方へと振り返る。
「準備はいい? 貴方の運、見せてもらうわよ?」
「おぅ!」
そう言って微笑む鵺耶ちゃんに、俺も渾身のイケメンスマイルで応える。
「そのキモメンスマイルは角煮先輩のキメ顔か何かですか? 視聴者が去ってしまいます。二度としないように」
「あ……はい、すいません」
俺を後ろから追い越す一瀬副会長の一言に、反射的に謝ってしまった。キツイ言動ではあるが、言われると心の奥底からゾクゾクしてきて、あぁ……生きてるって感じるんだよな……。
そして通路の先に出た瞬間、俺の眼前に広がった隠しエリアは——。
「——地獄だ」