第7話
「おはしゃーっす、角田先輩。ホームルームの直前にご登校とは、随分な重役出勤っすね」
セットしたはずの目覚まし時計の音は全く聞こえず、再び目が覚めたのは家を出る予定時刻
の二分前。
寝袋の中からロケットスタートを切って制服に着替え、歯と顔を洗ってカバンを掴み取り、病み上がりの細足にムチ打ってバス停へと走った——それでも健康な高校生の小走り程度の速さしかでないのが悲しいところだが、それでもなんとかホームルーム前に教室へ滑り込むことが出来た。
「おはよう、御崎。先輩はやめろって言っただろ……」
席に着いて早々に声をかけて来たのは、一つ前の席に座る人類の敵の御崎竜吾だ。
「しかしだな先輩。文武両道を以等にしている二田万高に置いて、上級生——すなわち年上に対する礼儀を失する行為は非常にまずい」
「た、確かに……」
二田万高校の大学進学率はかなり高い。それも日本の最上位を占める複数の大学に何名もの卒業生を進学させ、同時に多数の運動部が全国大会で優勝し、世界選抜にも選ばれる選手を大勢育成している。
そんな学校の気風が、生徒同士の上下関係や教師に対する姿勢などに厳しくないはずがない。
「それより、昨日のアレ見たか? 紫乃倉鵺耶の初期装備姿が見られるなんて幸運、そうそうあるものじゃないぞ!」
「えっ? 御崎も煮卵TV見ていたのか?」
「あっ、当たり前だろ! 煮卵TVといえば、日本の攻略グループの中でも最上位の配信チャンネルだし、そのプレイヤーの一人が同じ学校に通っているとなれば、チェックしないわけにはいかないだろ」
昨日の下校時、俺が角煮先輩として鵺耶ちゃんの新パートナーになったことは内緒にしておくように言われていた。
二田万高が複数機の大型筐体を預かっていることは全校生徒が知るところであり、そのプレイヤーの半数は全校生徒の知るところとなっている。
生徒会の紫乃倉鵺耶、文化連代表の東條彩芽、体育連代表の西条焔。
それぞれのトップがプレイヤーとしてメビウスに潜り、収益の四〇%を運営費として各連絡協議会に収めている。
生徒会は少人数のため、配信担当の一瀬副会長や早苗ちゃんの名前も知れ渡っているが、後の二つ——文化連の“メビウス究極攻略”と体育連の“JKリフレとコブラツイスト”に関しては、パートナーや配信担当者が誰なのかはそれぞれのグループが秘密にしている。
これはお互いの攻略情報や装備品、スキルの組み合わせによるシナジー効果を秘匿するためもあるのだが、現実に電子マネーを稼いでいる生徒に対して怨嫉の目が行かないための配慮でもある。
文化連と体育連に関しては複数のグループがローテーションでプレイしているため、プレイヤーの正体を明かしては自分の番が来ることがなくなるペナルティーを受けるのは間違いない。
それに三組織とは別の風紀委員会の目も厳しく、陰湿ないじめが発生しようものなら、メビウスをプレイするどころか二田万高校を退学になってしまう。
そんな背景から、二田万高校の生徒たちは各々が属する組織の中でメビウスのプレイヤーになることを目指すか、アミューズメントパークに通ってプレイするか、もしくは一視聴者となって楽しむか——そして我関せずと、無関心を貫くかだった。
腹黒そうなイケメンスマイルを浮かべる御崎竜吾は、一視聴者としてメビウスを楽しんでいるようだった。
「や——紫乃倉会長の新パートナーはどう思う?」
俺としては鵺耶ちゃんの初期装備姿よりも、俺の——角煮先輩の評価が気になるところ……。
「角煮先輩か? メビウスは初心者のようだからまだ未知数だな……だけど」
「だけど?」
「オレならあのアバターは初期化して作り直すレベル、あれじゃモテねぇぜ」
「モ、モテ——?」
ちょっと待て、メビウスのプレイヤーって……もしかしてモテるのか?
その真偽を御崎に問いただそうとした瞬間——。
「席につけー。ホームルームを始めるぞー」
担任の寺島先生が教室に入って来た。御崎は話を切り上げてすぐさま前の席に座り直し、その丁寧にセットされたイケメンヘアーの後ろ髪を見せつけ始めた。
寺島先生による出席確認や連絡事項を聞き流しながら、メビウスが俺に何をもたらしてくれるのかをもう一度よく考え直してみた。
まずは生活費——俺の体調を考えれば、仮想世界で働くことでお金を稼げるのは最高の条件と言える。
次に第二学年への編入——鵺耶ちゃんの手伝いという名目でこの学年へ編入したが、長い昏睡状態期間で失った俺の青春、それを再び手に入れられるチャンスでもある。
そして——青春といえば恋! 何を隠そうこの角田二郎、仲の良い女体は数いれど、恋仲にまで発展したことは一度もない!
メビウスでモテるということは、俺にも初めての恋人が——いや、結婚!
事故で家族を失い、独りぼっちの夜をこれから何日、何年、何十年と過ごしていくよりも——愛し愛される女体と結婚して新たな家族を作る方がいいに決まっている。
メビウスでどれほど稼げるのかはまだ判らないが、もしも最速完全踏破に成功すれば——。
捕らぬ狸の皮算用とはよく言ったものである。同じようなことを考えたプレイヤーが一体どれほどいたことか——たかがゲーム、同時にダイブできるプレイヤー数は少数でも、配信を見ながらサポートやデータ収集をすることはできる。
世界中で大小様々な攻略グループが生まれたが、メビウスのサービス開始より一年近く経っても、最終BOSSがいると思われる最上層にまで辿り着いたグループはいない。
国内トップグループの一つだった煮卵TVでも第七層、海外のトップグループでも第九層しか上がっておらず、その難易度の高さから第一〇層こそが最上層なのではないかと、もっぱらの噂だ。
そんな攻略事情も知らずにホームルームが終わって一限目の授業が始まった後も、頬杖をつきながらニヤける口元を隠し、授業を上の空で聞きながら放課後を待った。
そんな愛の戦士に転職してから数日後の放課後、俺はいつものように生徒会室に来たわけだが——。
「すいません、角田先輩。会長と副会長は文化祭の実行委員会立ち上げの会議に出ているので、遅くなると言っていました」
「会議か……もう時間ないのに」
——しかし、生徒会長なら会議の一つや二つあっても不思議じゃないか。俺と違って放課後が毎日フリーなわけじゃないし。
生徒会室にいたのは書記の小桜早苗ちゃんだけだった。彼女はメビウスの大型筐体の横に設置された外部オペレーター用のPC前に座り、なにやらメビウスの公式HPらしきサイトを閲覧していた。
「メビウスには鵺——紫乃倉会長と一緒じゃないと潜れないんだよね?」
「はい、そうです。基本的に二人同時に潜らないと、事故死して一人だけ最下層行きになるかもしれませんし……」
いつもは一瀬副会長が座る席に腰掛け、早苗ちゃんが操作するPC画面を覘くと、映し出されているのは公式HPから競売所の商品一覧へと変わっていた。
「これが競売所?」
「はい、そうです! 前回のダイブで手にいれた強化用の魔石やいらないレアを売りに出して、上層へ上がるのに必要な耐性防具や回復薬を買っておきます」
そう言いながら早苗ちゃんは小さな指をキーボードの上で踊らせ、マウスを小刻みに動かしながらテンポよくクリックしていく。
どうやら、検索キーワードを入力して出て来た出品アイテム一覧の中から、一定の価格以下のアイテムを軒並み落札しているようだ。
その様子を黙って見つめながらも、一瀬副会長の担当PCを弄って公式HP内のニュースや攻略動画、配信リンクなどをクリックして時間を潰し始めた。
ちなみに、このPCはメビウスの公式HPと配信サイトのJustice.TV以外のサイトには厳しい接続規制がなされている。また、校内からのインターネット接続も同様に厳しく規制されており、携帯電話の使用も当たり前のように禁止されている。
とはいえ、俺は生活費を少しでも低く抑えたいので携帯電話自体を持っていないが——。
最速踏破で10億ドルの賞金を謳うメビウスは、公式HPに設置されたコミュニティー掲示板での情報交換が活発に行われていた。
世界各国の言語が入り混じり、自動翻訳機能によって設定された言語へと違和感のない翻訳文が表示されている。
掲示板に纏められているスレッドは多種多様なもので溢れていた。“最強武器議論”、“最強プレイヤー”、“最強配信チャンネル”と定番とも言える最強系が並び、その次に目立つのは嫌いなプレイヤーや配信チャンネルを晒しあげるスレッドだ。他愛もない話題で溢れる総合スレ、初心者用、質問用等々、どこを流し見しても時間潰しに困らない。
特に晒し系のスレッドは醜い怨讐と嫉妬で溢れ、その汚らしさを見るだけで自分が聖人君主になったような気さえしてくる。
現実に電子マネーという形で金銭を稼ぐことが可能なだけに、見ず知らずのプレイヤーと一緒にダイブすることになるアミューズメント施設でのプレイでは、様々な不満や諍いが巻き起こるのは避けようがない。
その他にもアイテムの出品価格を議論する“価格スレ”や、メビウスの没入型VR技術自体を話し合うスレッドに、現実に習得して意味のある格闘術やスポーツなどのバイオブーストを議論するスレッドなどを、開いては少し読んで閉じるのを繰り返しながら、チラチラと早苗ちゃんの様子を窺っていた。
カチャカチャ——カチッカチッ——。
早苗ちゃんが叩くマウスとキーボードの操作音が心地よく鳴り響く生徒会室の中で、鵺耶ちゃん以外の女子と隣同士の席で二人きり——。
このような機会が以前あったのは、果たして何年前だっただろうか?
俺も競売所のアイテムを検索するフリをして、検索枠の中で記憶を辿った数字を打ち込む。
一年前——は病院のベッドの上、記憶ないけど。
二年前——もベッドの上、記憶ないけど。
三年……四年……五年——。
そこで俺は、打つのをやめた。
「おぉ——これはいいオプション付き……しかもこのお値段……明らかに価格の設定ミスですね」
チャリーン。
「今後の攻略を考えると、この属性も押さえておきたいところ——しかし、お手頃価格のアイテムがありませんねぇ」
横では早苗ちゃんがフンフンと鼻を鳴らしながら次々にアイテムを落札していた。
ふと視線を下に向けると、その小さな手が操作するマウスの形が一瀬副会長のマウスとは違い、淡く点滅する流曲線のデザインに、サイドには小さなボタンが二桁はあろうかと付いていた。
あんなに数が必要なのだろうか——?
「そ、そのマウスは——」
思わず溢れた一言に、即座に早苗ちゃんが反応した。
「判りますか先輩?! レイジ社の新製品、ナルガですよッ!」
いや、ナルガとか言われても判らないけど——。
早苗ちゃんは目をキラキラと輝かせ、黄門様の印籠を見せつけるかのようにマウスを持ち上げると、頬ずりでも始めそうなウットリとした表情でマウスを撫でまわし始めた。
この感じ——早苗ちゃんはPCオタクの類だろうか?
俺が若干引いていることを気にも止めずに、早苗ちゃんはナルガとやらのマウスの機能や性能を事細かに列挙していくが、その文言が段々と宣伝布教に変わり始めた。
「角田先輩は何かガジェットを使っていますか? モバイルPCとかスマホとか」
「い、いや……ネット検索もしたいし携帯くらいは持ちたいと思うんだけど、現状はFAX付きの固定電話しかなくて……何かオススメの奴とかある?」
デキる男である俺は早苗ちゃんが最も求めていたであろう言葉を瞬時に察し、必要性も感じていたネット接続できるガジェットのオススメを聞くことにした。
「おすすめですかッ! それなら断然一番人気のスマートウォッチですね! 腕時計型のベースガジェットと、無線接続の小型イヤホンリングで、自分だけが見れるAR(拡張現実)ウィンドウが目の前に浮きあがるんですよッ!」
どうやら、早苗ちゃんのスイッチを思いっきり押し込むことに成功したようだ——矢継ぎ早にアレやコレやと説明をしだし、PCが載る机の横に掛けてあったバッグから自分のガジェットを取り出してさらに熱く語り出した。
「コレがスマートウォッチで、コッチがイヤホンリングなんですッ!」
「イヤホンリングって……普通のアクセサリーにしか見えないのな」
「イヤホンリングのデザインも様々で、動物型にクロスライン、それに髑髏型とかもあるんですよ」
早苗ちゃんが取り出したのはハート型のシルバーリング。どこからどう見ても普通のアクセサリーにしか見えないのだが、1カラットにも満たない小さく光る宝石は、よくよく見るとレンズのようにも見える。
「そこからAR(拡張現実)ウィンドウが映し出されるんですよッ! 他の人からは見えないし、操作するのも直感的な操作で手を使う必要がないんですッ」
「凄いな……いつの間にそんな技術が……」
「ここ数年の技術革新は本当に凄いんです。メビウスを開発したチームが次々に新技術を公開して、様々な分野への応用で多大な利益を上げているんです。それが10億ドルという賞金にも繋がっているのですけど、何よりも実現不可能とも言われていた没入型VR世界を完全構築した技術は、公開された今でも他の企業が模倣できないほどなんですッ!」
「へ、へぇ——」
身を乗り出すほどの勢いに若干引き気味になる俺だったが、このスマートウォッチには興味が湧いた。それに、コレは一つのチャンスかもしれない。
「——なら今週末に買いに行きたいから、早苗ちゃん一緒に選ぶの手伝ってくれない?」
よし! これは至極自然な誘い! ここまで熱くガジェットについて語るのなら、新しく買おうとしている先輩の頼みを無下に断る事はないだろう。
「——えッ?」
「え?」
だが、早苗ちゃんが見せた表情と零した言葉は、俺が期待していたものとは違っていた。
まさかそのような事を言われるとは思ってもいなかった——そう言いたげに目を見開き、小さな口を半開きにして固まっている。
「——あっ、だっ、大丈夫です! いけま——行きますよッ! ど、土曜日の午後で構いませんか?」
「も、もちろん!」
人形のように固まっていた早苗ちゃんが再び意識を取り戻し、いつもの満面の笑みを浮かべてokを出してくれた。
やったぞ——やってやったぞ! スマートウォッチを買いに行くなんていうのは口実に過ぎない。これは紛れもなくデート。高校生活という一度しかない青春の1ページを、一欠片の思い出も意識もなく過ごしてしまった。
それを取り戻すには、積極的な行動こそが一番なのだ。
椅子の背もたれに隠しながら、早苗ちゃんに見られないように小さなガッツポーズを決めたのと、生徒会室の扉が開く音が聞こえたのは同時だった。
「あ、会長たちが来たようですねッ」
「やっとか、待ちくたびれたよ」
早苗ちゃんと二人、執務机が置かれている部屋の方へ視線を向けると、鵺耶ちゃんと一瀬副会長が手を振りながら入って来た。
「お待たせ」
「お待たせいたしました」
「お疲れ様です、会長、副会長」
「お疲れ〜」
その手に応えるように俺も手を挙げ、メビウスへと潜る準備をするため、椅子から立ち上がって一瀬副会長と入れ替わるように席を譲った。
「それじゃ着替えてくるから、準備できたら呼んで」
「一緒に着替えればいいのに」
「いいわけないだろ……」
鵺耶ちゃんは俺の前でも平気で制服を脱ぎ出すのだが、俺は鵺耶ちゃんに見られるならまだしも、一瀬副会長や早苗ちゃんにまで見られるのは抵抗があり過ぎる。
特に鵺耶ちゃんに勝るとも劣らない美少女である一瀬副会長の視線には、全くもって頭が上がらない。背中がゾクゾクするのに加え、腐ってやがる——としか言いようのない言葉攻めに、心臓の鼓動が一層大きく高鳴る。
鵺耶ちゃんのボヤキを即座に却下し、俺は初日以来の定位置となった執務室の一角で制服を脱ぎ始めた。