第18話
「ついに陸豚王三世撃破ッ! 最後は七罪スキルの《暴食》と、オクトの弓による有効射程範囲外からの最低ダメージ攻撃による劇・的・結・末ッ!」
「地形変化の広さを見れば、あの状況で挽回するのは不可能かと思われました。ですが、オクトの連れてきた角煮先輩は私たちの期待以上のプレイを見せてくれました」
「本当にそうですねッ! さて、本来ならば陸豚王三世のドロップを確認しつつ、第二層への転移を行いたいのですが、角煮先輩の身体情報にイエローシグナルが出ていますので、本日の煮卵TVはここまでにしたいと思います。それではみなさままた次回、バイバイッ!」
急いで配信を〆る早苗ちゃんの最後の声がしっかりと聞き取れていたのは、その話の途中までだった。
視界が朦朧とし、メビウスの世界では感じることがないはずの強烈な吐き気を覚え、フラつきながらも陸豚王三世を撃破したことで開いた第二層へ続く鉄門へと歩き出した。
「ジロウ君、大丈夫?」
鉄格子の炎が収まったことで、自由に行動できるようになった鵺耶ちゃんが俺の横につき、フラつく体を支えるように手を差し出してくれた。
「あ、あぁ、ものすごく気分が悪いけど、何故か意識はクリアだ——」
「それはきっと、覚醒しようとしているの。気を楽にして、意識が戻りたい場所へ、本当の体がある場所へ帰るの」
「あ、あぁ——」
鉄門をくぐれば、正常にログアウトすることができる安全地帯がある。そこまでなんとか歩いて行き、意識が途切れるようにしてメビウスからログアウトした。
「生体情報モニタの様子は」
「血圧、脈拍、呼吸速度、体温ともに正常値です」
「脳波モニタはどうか」
再び意識を取り戻すと、どこか遠くの方で誰かが話し合っているのが微かに聞こえた。だが、視界は真っ暗で何も見えない——かと思えば、突然眩いばかりの光が現れて右へ左へと小刻みに動き、また真っ暗に戻る。
「——を5mm投与」
「先生、ジロウ君はどうなんですか?」
「まだ判りません。ですが、間違いなく覚醒しようとしています」
「——! ジロウ君、ジロウ君聞こえる!」
誰かが俺のことを呼んでいる——だが、それよりも俺の体がふわふわと水に浮いているような感覚が気持ち悪い。
いや、水というより冷んやりとしたゼリー? 首から下がゼリーの中に埋まっているような感覚だ。
「せ、先生! いま指が——」
聞こえていた声がだんだんと聞き取りにくくなっていく——昔から知っている声だが、誰の声だったかは思い出せれない。
でも一つだけ判る。いつも夢に出ていた短い黒髪の子がそこにいる——そう感じる。
つまり、これは夢か。しかし、今日のはやけに音が聞こえてくるな——それに、メビウスの攻略はどうなった? 陸豚王三世を《暴食》で捕食したまでは覚えているが、そこから先が思い出せない——。
とりあえず、起きるか。
水色のゼリーの中から上半身を起こすと——。
「え?! せ、先生ッ! 患者が起き——」
「すぐに検査キットを! あなたは外に出ていてください!」
白い靄たちが慌ただしく動きだし、誰かが遠くへ連れ出されたのを感じる。だが何かがおかしい——夢から覚めて起きるつもりだったのに、いつまでたっても夢が終わらない。
「君、自分の名前を言えるかい? ここがどこか判る?」
誰かが俺の前に立って光を当ててくる——眩しい。
「お、おれ? かくた——じろう、こ、ここがどこって、ゆめのなかだろ?」
口が思うように動かず、声も掠れてしっかり喋れない。
「それじゃぁ、6+3はいくつ?」
「は? 9だろ。さらにばいにして18にしようか?」
「なるほど、何か覚えていることは? 我々の声は聞こえていた? それともメビウスのことやこれまでの生活について何か覚えているかい?」
「な、なにかって……こえはきこえてない。2ねんぶりにめをさまして、こうこうにふくがくして、めびうすはだいいっそうをこうりゃくした」
「これは驚いた……実験は成功していたのか……」
「——じっけん?」
眩い光と白色しか見えていなかった視界から靄が晴れはじめ、周囲の様子が段々と見え始めてきた。
まず気づいたのは俺の体だ。昏睡状態から目を覚ました頃と同じ細い腕に薄い胸板、あらゆるところにカテーテルが刺さり、ベッドだと思っていた医療用ポッドに繋がっていた。
「おいおい、これはいったい——」
「私は君の主治医をしている冴島だ。一つ一つ説明していくから、ゆっくりと回復していこう」
どうやら、ここは俺の夢の中ではないらしい——だとすれば、目を覚ましてからの日々は一体——。
早く答えを知りたくて、その手がかりの一つでもないかと視線が周囲を彷徨うと、病室らしきこの部屋と廊下を繋ぐガラス窓の向こうに、短い黒髪の少女が立っていた。
今はもう、それが誰なのかハッキリと判る——鵺耶ちゃんだ。
昨日までの姿よりも随分と幼く見えるが、むしろ俺の記憶に強く残る鵺耶ちゃんはこっちだ。
「先生、早く状況を教えてくれ——」
「あぁ、そうしよう。状況の理解を進めなければ、記憶と意識の混濁が解けなくなってしまうからね」
一体何が起こったのか——何が起こっていたのか。それを俺が完全に理解したのは、医療用ポッドと計測器だらけの病室から移動し、静かな個室の病室へと移った数日後の事だった。