第16話
「ここからが本番よ。エネミースキルと地形変化に注意して」
「了解だ」
鋼鉄のメイスを振りまわし、砂地に叩きつけて大暴れする陸豚王三世の攻撃を躱しながら、鵺耶ちゃんと攻めを何度も入れ替わり斬り刻んでいく。
ラケロスを捕食したことで手に入れた【身体能力向上(大)】の効果は抜群だった。攻撃力自体が単純に強化されるだけでなく、振り下ろされる鋼鉄のメイスをカラミティーの柄で受け止めても押し込まれることがない。
それに加えて、強化された跳躍力で容易く陸豚王三世の巨躯を飛び越えて頭上を取ることができた。
「強酸いくよ!」
ラケロスを捕食した結果はすぐに外部オペレーターの二人を介して鵺耶ちゃんに伝わっている——あとは使うタイミングを宣言するだけだ。
陸豚王三世の頭上でカラミティーを消火ホースのように脇に抱え、石突に顎門を載せる蛇の頭部を噴射口として差し向ける。
「喰らえ!」
視界の右下には装備に挿しているスキルとは別に、《暴食》によって一時的に追加されたスキル——【強酸ブレス】のウィンドウがポップしていた。
それに視線を集中させて瞬きで発動させると、開いた顎門から勢いよく強酸が噴射し、その勢いは中空にあった俺の体が後方へ吹き飛ぶほどだった。
「ギャァァァァ——」
噴射は一瞬に近い短さだったが、頭上から降り注ぐ強酸の雨に陸豚王三世は絶叫を上げ、直撃を受けた頭部からは表情が見えなくなるほどの酸煙が立ち昇り、左手で顔を覆いながらフラフラとよろけて尻餅をついた。
「ラッシュ!」
完全に戦意を失ったように見える陸豚王三世の状態は、通常のスタンよりも行動不能時間が長い”ノックダウン”と呼ばれる状態異常だ。
プレイヤーたちからは省略されて“ダウン”とだけ呼ばれることも多いが、一方的に攻撃を仕掛けられるこの瞬間は、エネミーのHPを消し飛ばす絶好のチャンスなのだ。
強酸ブレスの噴射に吹き飛ばれて距離が離れたが、着地と同時に砂地を蹴るように駆け出し、一気に距離を詰めて陸豚王三世の首裏を狙ってもう一つの七罪スキルを放った。
「《傲慢》!!」
正面からは鵺耶ちゃんが斬り刻んでいる——太刀スキル最大級の大技《秘剣・天流乱星》は使用後に各スキルが長いクールタイムに入る。
ダウンしたからといって放てるような大技ではない。《風花雪月》を再度放ち、大きな腹に鮮血の華を咲かせている。
俺は没収した身体能力を自身に上乗せし、逆に攻撃力や防御力を奪われた陸豚王三世の背中をメッタ斬りにした。
「動きだすわ!」
ノックダウン状態の長さを熟知している鵺耶ちゃんが警告を発し、距離をとるのに合わせて俺も一気に飛び退る。
着地と同時に《傲慢》の効果をオフにして、攻撃力ゼロの罰を受けないようにする。
それでも《傲慢》を再使用するためには五分という長いクールタイムがあり、太刀スキルの《風花雪月》と同じクールタイムともなれば、七罪スキルの根本的なレアリティーレベルがどこに置かれているのかがよくわかる。
【g:七罪スキルも使いこなしてて草】
【g:こう見ると強く見えるけど、自分で使うと弱くなるスキルの筆頭】
【g:そろそろ落ちるな】
「陸豚王三世のHPを順調に削っていますが、二〇%ごとに闘技場の地形が変化していきますッ」
コメントと早苗ちゃんの実況が言う通り、砂地の一部が闘技場の地下へと落ちて行き、そこに残るのは赤く焼け爛れた格子状の鉄板だった。
格子の隙間から見え隠れする炎は、その勢いを増して噴き荒れ、炎柱となって闘技場の天井高くを焼き焦がした。
「ここからが真の本番と言えます。陸豚王三世の《アサルトチャージ》は止まることを知らぬ暴走特急、闘技場の壁面に激突しても跳ね返るようにして向きを変えます」
「特に要注意なのが鉄格子の上を通過したときですねッ。火炎を身にまとい、《アサルトチャージ》に火属性が追加されます。この状態は武具で攻撃を受け止めてもスリップダメージを負うので、要注意なのですッ!」
ノックダウンから回復し、激昂して目が血走る陸豚王三世が立ち上がり、鼻息を荒くしてこちらを睨む。
——その瞬間、陸豚王三世の巨躯は俺の眼前にあった。まるでスローモーションのように迫る陸豚王三世の巨腕が振られ、見えていることに——見えすぎていることに理解が追いつかず、体が動かない。
「がはッ——」
この衝撃——《暴食》の身体能力強化で跳んだのとは意味が違う。陸豚王三世の巨腕に弾き飛ばされ、体の制御が効かない状態で壁面に激突し、HPがかなり消し飛んでしまった。
俺を《アサルトチャージ》で弾き飛ばした陸豚王三世は壁面まで駆け抜けた後に跳ね返り、燃え盛る鉄格子の上を通過して炎の暴走特急となって再び俺を標的にして走り出した。
「角煮先輩!」
だが——その進路上に鵺耶ちゃんが踊り出ると、背に廻していた弓を構え——。
「《三連・爆裂矢》!」
鵺耶ちゃんは弦に三本の赤い鏃の矢を番え、一気に撃ち放った。
「ブホォォォォ」
一度走り出した陸豚王三世の《アサルトチャージ》を停止させるには、強力な一撃で強制的に止めるしかない。
カウンタースキルとなった《三連・爆裂矢》の直撃を喰らった陸豚王三世は転げながら俺の真横を通過し、壁面に豚鼻から突っ込んで止まった。
「立ち上がって! 壁に挟まれたら一瞬でHP持っていかれるわよ!」
「お、おぅ——」
鵺耶ちゃんが差し出す手を取って立ち上がり、陸豚王三世の動きを警戒しながら回復薬を取り出して飲み干す。
シルバーメイスの《ヒールサークル》を使ってもよかったが、壁に鼻を擦り付けながら立ち上がる陸豚王三世の怒気はゲームのエネミーとは思えない凄みを感じる。
とてもではないが、真横にいる状態でカラミティージャッジメントからシルバーメイスに一瞬でも持ち替える余裕はなかった。
「角煮先輩は初プレイの頃に比べて格段に被弾が減っていましたが、これほどのダメージは久しぶりかもしれませんッ!」
「デブゥの目の良さは話に聞く以上です。一体何が見えているのでしょうか?」
陸豚王三世は通常の階層BOSSであるオークキングよりもHP総量が多い。ユニークエネミーなのだからステータス上で強化されているのは当たり前なのだが、そうなれば自然と交戦時間は長くなる。
それでもHPの七割を削り取り、闘技場の半分は燃え盛る鉄格子へと姿を変えていた。もう少し削り取れば、最後の砂地が落ちて階層BOSS戦は終盤戦を迎える。
だが、用意した回復薬の残りは少なく、俺も鵺耶ちゃんも鉄格子を避けながら慎重な立ち回りを余儀なくされていた。
「オクト下がって、サークルを張る!」
「今いく!」
HP減少で落下する鉄格子の位置は完全なランダムだ。討伐配信の録画をいくつも見たが、パターン化されている様子はなく、見るたびに落ちる箇所や広さが違った。
実に厄介なシステムだ——そこが世界的な人気の秘密であり、同時にゲームクリアを妨げる要因の一つになっている。
討伐失敗の録画動画では、闘技場の九割が落ちてスリップダメージで焼け死ぬパターンすらあった。 そして、それに近い範囲がこのBOSS戦でも落下している——しかも更にもう一回の落下が確定していると思えば、俺たちの未来も焼け死ぬのが落ち——。
【g:これは運がないな】
【雄三:残り三割くらい? ランダムとは言え、これきっついな】
【g:もう一回くらい攻めれば結果が見えるから待て】
【g:諦めるのはまだ早い】
鵺耶ちゃんが陸豚王三世を斬りつけ、後方へ大きく跳んで鉄格子を避けて着地——それに合わせて《ヒールサークル》を展開し、残りわずかな回復薬を温存する。
鵺耶ちゃんは着地の勢いで足を滑らせながらも、そのまま膝立ちの体勢をとって樫の弓を構えて静止した。
「盾は?」
「あと三秒——二——」
痛覚などない癖に、大きな腹から吹き出す鮮血のグラフィックを手で押さえつけ、真っ赤に染まる狂気の眼でこちらを睨んで唸り声をあげる陸豚王三世は、すでに正気の状態とは思えないほどに暴れまわっていた。
「《ディバインシールド》!」
陸豚王三世が一歩こちらへ踏み出した瞬間——《アサルトチャージ》の兆候を読み取って《ディバインシールド》を設置範囲ギリギリのポイントに展開。
「《アローレイン》!」
《ディバインシールド》の展開ポイントを視認すると同時に、鵺耶ちゃんが待機させていたスキルを発動し、闘技場の天井めがけて一本の矢を撃ち上げる。
白い閃光となって撃ち上がっていく矢の軌跡に目を奪われそうになるが、直後に鳴り響いた激突音にカラミティーを握る手に力が入る。
《ディバインシールド》に陸豚王三世の《アサルトチャージ》が直撃した音だ。
ボロボロに崩壊して消えていく白銀の《ディバインシールド》の正面には、《アサルトチャージ》を強制的に停止させられた陸豚王三世が仰向けに倒れていた——そこへ、闘技場の天井近くで破裂した閃光の矢が、無数の鏃へと姿を変えて降り注いだ。
「角煮先輩とオクトのスキル連携が決まりましたッ!」
「防壁系スキルは味方のスキルも攻撃も貫通させません。防壁越しの一方的な攻撃を不可能にするための仕様ですが、実際には様々な方法で防壁の向こう側へ攻撃を当てる方法はあります」
「オクトのメイン武器は太刀ですが、サブで使用している弓は連携に合わせて使うことが多いですねッ!」
「角煮先輩のサブが回復と防御、オクトは牽制と連携を主として運用し、高いシナジーを発揮しています」
【g:オクト・Δ(デルタ)ドライブ組の頃よりも連携取れてる気がする】
【g:禿同】
【g:あれはΔ(デルタ)ドライブが身勝手すぎた】
【ミツル:いや、オクトもサポの意識かなり高くなったよ】
【g:そりゃ角煮は初心者だったんだから、カバーしなきゃすぐに全滅するし】
「陸豚王三世のHPは残り二〇%ほど、あと一ドットか二ドット程度ですッ! そこで最後のギミックが発動すれば、闘技場の移動可能範囲がさらに狭まりますッ!」
「そこが勝負の分かれ目……こちらで用意した回復薬はオークキングを想定しての量でしたが、仮に大目に見ていたとしても、この可動面積では難しかったかもしれません」
「あッ、危ないッ!」
陸豚王三世は《アサルトチャージ》の他にも何種類かのエネミースキルを放ってくる。これもその一つ——鋼鉄のメイスを両手で握り、上段から一気に振り下ろす《クエイクボム》。
振り下ろしの一撃を鼻先で躱し、カウンターを狙ってムラマサを腰に構えた鵺耶ちゃんだったが、砂地を激震させる《クエイクボム》の一撃は俺たちの予想を上回る効果を発揮していた。
「え——?」
震源地に立っていた鵺耶ちゃんの体が浮き上がり、無防備な体勢を陸豚王三世の眼前に晒け出してしまった。
「オクトォー!」
豚陸王三世の腰がわずかに沈み、重心が僅かに前方へ傾く——ゆっくりとスローモーションのように中空で回転する鵺耶ちゃんを狙う、《アサルトチャージ》を繰り出す前兆なのは明らかだった。
鵺耶ちゃんの後方には闘技場の端付近まで燃え盛る鉄格子が広がり、そこを《アサルトチャージ》で押し運ばれれば、直撃の被弾ダメージと強力なスリップダメージの合わせ技で即死は免れない——。
どうする?! 状況判断の正解を導き出すより早く、体が無意識に反応して動く——カラミティージャッジメントを旋回させ、陸豚王三世の前に飛び込みながら石突の付け根で鵺耶ちゃんの体を掬い上げると、視界の隅に見える砂地へと投げ飛ばす。
「ジ——」
その瞬間——陸豚王三世の巨躯が加速して《アサルトチャージ》が放たれた。
「く、くそがぁー!」
オクトの体を射程範囲から脱出させたとしても、俺とて直撃とスリップダメージを喰らえば即死しかねない。
まるで水中を突き進んでくるような遅さに見えた陸豚王三世の顔に左手を伸ばし、大口を開けて突き出す豚鼻に指を突っ込み、太々しい大腹に足を掛けて被弾ではなく——張り付くような体勢で闘技場の端にまで運ばれて行く。
「——角煮先輩ィ!!」
陸豚王三世の後方に見える鵺耶ちゃんの叫びと姿がどんどん小さくなっていき、鉄格子から噴き出る炎の揺らめきに掻き消されて見えなくなった。