第15話
早苗ちゃんとのデートから明けた次の週、俺たちは再びメビウス第一層のボス部屋前にまで来ていた。前回同様、VR世界のアバターをスムーズに動かせるように意思と挙動のラグを確認し、修正しながらエネミー狩りをしていた。
「サナちゃん、左手の感度を少しあげて貰えるかな? 手首の捻りに違和感があって若干気持ち悪い」
「判りました、0.2ほど上げて見ます」
土曜日の告白なんてまるでなかったかのように、週明けに会った早苗ちゃんはいつも通りの笑顔を見せてくれた。俺もマウスに負けたことは綺麗サッパリ忘れ、今は第一層のBOSS戦に集中している。
それは別に、早苗ちゃんとのことを諦めたってことじゃぁない。ただ今は、二人の距離を縮めることよりも早苗ちゃんにとってマウス以上に気になる存在になる事が先決だと判断したのだ。
そしてその手段は一つしかない——このメビウスを最速踏破する。その時初めて、俺は早苗ちゃんにとってPCのマウス以上の存在になれる! そんな気がしている。
カラミティージャッジメントを左手だけで旋回させ、その回転速度を全く落とすことなく右手に渡らせる。
そして腰裏に回して再び左手に渡し——右へ左へ上へ下へ——あらかじめ用意されているベーシックモーションの動作補正を受けず、自分の意思だけでカラミティーを回せているのかを確かめる。
【g:まるで曲芸師だな】
【g:でも大鎌を扱うならできなきゃダメなテクだよ】
【ダイチ:戦闘で使えるわけ?】
【g:ヒットすれば動きの軽い重いは無関係だからな、自在に操って狙った場所にヒットさせることが重要】
【ダイチ:そんなもんか】
【g:そんなのもん】
【g:そんなものだな】
【ゴン左ェ門:見るならオクトの生足がいい】
「うん、いい感じだ」
「では、この設定値を記録しておきます」
外部オペレーターである早苗ちゃんとの最終調整が終わったところで、鵺耶ちゃんと一瀬副会長が近づいて来た。
「角煮先輩の準備は完了?」
「オーケーだ、そっちは?」
「こちらも準備完了よ」
【g:いよいよか】
【g:待ちくたびれた】
【山さん:腹減った】
【g:見ているこっちが緊張してきた】
【g:豚と美少女による豚王狩り】
【g:今北 間に合った?】
【g:これからだよ】
【g:中々進めないから別配信見てたわ】
【g:二窓余裕】
コメントもいよいよの階層BOSS戦を前に、緊張感が漂い始めた——かと思ったが、それは俺の気のせいだった。
煮卵TVの配信に限らないが、早苗ちゃんの実況も常にメビウスや俺たちの動きについて喋っているわけではない。
今人気の音楽やスポーツの話題、グッズやフェチズムを感じさせる機器の話、アイドルやバラエティー番組の話など、メビウスとは無関係のコメントに乗って実況から遠くかけ離れた雑談配信となる事も少なくない。
それはそうだろう。H&SはKiLL&Pickの連続だ。
敵を倒し、ドロップしたアイテムを拾い、自分に必要なもの以外は全て処分する。ひたすらに倒して倒して倒して、画面一杯に落ちたアイテムの中からたった一つの当たりアイテムを探す。
その行為はゲーム機が何世代進化しようと、何億万本ものゲームタイトルが発売されようとも、決してなくなる事のなかった作業プレイの一つだ。
その行為一つ一つを実況する方も、また聞かされる方も拷問でしかない。むしろ、そんな作業プレイの間をどれだけ雑談で埋められるか、常に視聴者の意識を向けさせ、コメントを打ちたくなるような話題や間を提供し、不意のハプニングをしっかり拾って視聴者を飽きさせない実況が出来るか。
それが近年の実況配信に求められる技術であり、煮卵TVが万越えの視聴者を抱える人気配信チャンネルである理由だった。
「さぁ、今日こそ階層ボスであるオークキングを倒したいと思いますッ! 角煮先輩は通路の中央に! また壁を触ってEXダンジョンを見つけられても困りますッ!」
「はいはい、触らないよ」
もはや俺が壁やオブジェクトを触ってトラップを発動させたり、エネミーの大群を呼び寄せる号笛を鳴らすのは定番のハプニングとなっていた。
「スキルのクールタイムは完了、インベントリのアイテムも十分——行きましょ」
最後の広場を越え、階層BOSSが待つ最後の扉前までやってきた。聳え立つのは洞窟の天井にまで届く大きな扉。
堅く重そうな扉だったが、鵺耶ちゃんと二人で押し開くように両扉を押し込めば、錆びた蝶番が軋む大きな音を鳴らしながら勝手に開いていく。
扉の向こうには闇しか広がっていなかった。明かり一つない暗さではなく、明らかにその先のエリアと第一層の洞窟エリアを区切る闇色の壁だ。
この先に進めば、階層BOSSであるオークキングを倒すか、もしくは俺たちが死に戻りするしか脱出手段はない。
ためらう事なく闇の中へ進んで行く鵺耶ちゃんを追い、俺も闇の中へと体を埋め込むように進み出した。
闇色の壁には何一つ抵抗はなかった。霞のように、溶けるように闇色の中を進むと、すぐに突き抜けて第一層の洞窟エリアとは雰囲気の違う場所へ出た。
そこは古城らしき石造りの建物内に造られた闘技場らしき場所だった。自分が突き抜けてきた闇色の壁を振り返ると、そこには入場ゲートらしき鉄柵で閉じられた門があった。これで戻ることは不可能。オークキングを倒すまでは出られない。
正面に視線を戻せば巨大な漆黒の鉄門——何本もの鉄の閂が掛けられて固く閉じられている所を見ると、明らかに階層BOSSが出てくる場所なのだろう。
地面は硬い砂地、周囲は石積みの壁に覆われ、その上は観客席になっているようだが誰もいない。さらに上を見上げると、闘技場内を照らす燭台が吊るされ、炎が燃え盛っていた。
「BOSS戦の後半では足場の一部が落ちて行動範囲が狭張るから注意ね」
「もう何度も討伐動画を見て確認してる。HPが二割減少するごとに一箇所落ちる。そこが火を吹く鉄格子に変わり、プレイヤーだけは侵入不可になる」
「スリップダメージはかなり強力だから、弾き飛ばされて踏まないようにね」
「了解——どうやら、お出ましのようだ」
漆黒の鉄門を閉じる閂が次々に外され、ガラガラと大きな音を鳴らしながら門が開かれた。
「お待たせしましたッ! 第一層洞窟エリアの階層BOSS、オークキングの入場ですッ!!」
【g:待ってました!】
【g:いよいよか】
【千鶴:豚王vs剣姫vsデブ、前後からのクッころ展開ktkr!】
【g:いやいや、片方は仲間だからwww】
【g:草】
【g:おい、誰か芝刈り機もってこい!】
「ブォォォォォォォォ!」
鉄門が完全に開ききる、その奥から大きく鼻息を鳴らせる大咆哮が響き渡った。
「来るわよ!」
「おぅ!」
大咆哮の次に聞こえて来るのは大重量の歩く音と、何かを引きずる音だった。その姿はまだ見えないが、聞こえて来る荒い鼻息が二種類ある——そう聞き取ると同時に、早苗ちゃんの実況とコメント欄が急速に盛り上がり始めた。
「聞こえますか皆さんッ! この足音、この鼻息! あぁまさか、角煮先輩の引きが良すぎるのか悪すぎるのかッ!」
【g:あ……】
【g:あっ(察し)】
【スパシー:まwさwかw】
【g:先週に引き続きこれとか、草生えるわwwwwwwwwww】
【g:三世キター!】
「横に飛んで!」
鉄扉の向こうにうっすらとその姿が見えた瞬間、鵺耶ちゃんが警告を発して横へ飛んだ。
俺もその警告に反応して大きく転げるように鉄門の正面から飛び退ると、鉄門の中から二足歩行の大型恐竜にまたがったオークキングらしき階層BOSSの《アサルトチャージ》が通過していった。
「やはり出ました〜! 陸豚王三世こと“グランドオークキング ザ サード”!」
「本来の階層BOSSであるオークキングは、一定の確率……と言っても僅か1%ですが、通常の形態とは違うユニークエネミーが出現します」
なにやら本来出てくるべきオークキングとは別の階層BOSSが出て来たようだが、入場時の《アサルトチャージ》後には大きな隙が生まれる。
俺の真横を通過して行った陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)を追って走り出し、闘技場を囲む石壁に激突して騎乗している二足歩行の恐竜がスタン状態になっている隙を逃さずカラミティーを振った。
「この陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)の特徴を、まずはリンに解説してもらいますッ!」
「先ほども申し上げた通り、陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)はユニークエネミーであり、通常のオークキングよりも遥かに強力です。正直申し上げれば、階層BOSS戦を初めて行う角煮先輩には難易度がさらに上がったと言えます」
「煮卵TVとしても、陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)は初遭遇なんですッ!」
鵺耶ちゃんも俺が斬りつけた足とは反対側の足へ居合斬りを放ち、まずは陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)が乗る二足歩行の恐竜から倒すことにした。
「陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)が騎乗するのは第三層以降に出現するエネミーで、名称はラケロス。目と耳を持たず、赤色の鱗に鼻と大きな口だけを持つ恐竜みたいなエネミーです」
「あれに騎乗することにより、陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)の《アサルトチャージ》は通常の三倍のスピードで駆け抜けますッ!」
「その通りです。オクトと角煮先輩がすでに始めているように、まずはラケロスの足を狙って移動速度低下の状態異常を起こし、その機動力を削がなくてはなりません」
と、一瀬副会長は簡単そうに解説しているが——体高は俺の頭よりも高く、鞭のようにしなる長い尻尾と、ヨダレを撒き散らしながら噛み付いて来る長い首の頭部を避けながらダメージを与えていくのは、中々に難しい。
「《峰打ち》!」
鵺耶ちゃんが太刀スキルでラケロスをスタンさせ、頭部と尻尾の二重攻撃が止まった瞬間に懐へ滑り込む。
「オラァ!」
右脚、左脚、そして下腹部に尻尾の付け根と、カラミティーを縦横無尽に振り回し、騎乗する陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)がラケロスのスタンをカバーするように振り下ろす巨大な鋼鉄のメイスを躱し——スタンが解けたラケロスの口が大きく開き、エネミースキルを繰り出さんとするモーションを見て——。
「《ゴーストステップ》」
シルバーレギンスに挿したスキルを発動、ラケロスの巨躯を透過するように突き進んで背後に回り、尻尾に足を掛けて乗り上げ、陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)の無防備な背中へとカラミティーを振り下ろした。
同時に、ラケロスがエネミースキル《強酸ブレス》を吐いた直後には俺と入れ替わるように陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)の正面に躍り出た鵺耶ちゃんが、ラケロスの長い首を下から斬り上げながら飛び上り、降下しながら陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)の肩口からラケロスの胴体までを斬り裂いた。
「ブォォォォォ!」
「ギャァァァァ!」
陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)とラケロスが共に痛声をあげ、よろめきながら踏鞴を踏む右脚を狙い、カラミティージャッジメントの柄に巻きつく蛇へと命令を出す。
「喰らいつけ!」
石突に顎門を乗せて眠るように固まっていた蛇の目が開き、瞬く間に中空を蛇行してラケロスの右脚に絡みつき、その太く大きな腿へと噛み付いた。
【g:あの蛇ってあんな使い方できたのか】
【g:スゲェー】
【g:何気に使いこなしてて草】
「はいッ! カラミティージャッジメントに巻きつく蛇は七罪スキルの使用時だけ動く訳ではありません! 使用者の意思を汲み取り、伸縮自在の鎖鎌のように使うことも出来るのですッ!」
「これは特殊カテゴリーの大鎌だからこそ。他のカテゴリーのジャッジメントシリーズではこのようなサブウエポンは存在しません」
【ヨイチ:これで普通のスキルさえ使えればな】
【g:それな】
【g:ほんとそれ】
「転けろっ!」
蛇の牙が腿に食い込み、ラケロスの動きを完全に封じたところで力一杯に引いた——。
しかし、ラケロスも簡単には転倒しない。騎乗する陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)の手綱がラケロスの動きを制御し、ギリギリのバランスを保ちながら踏ん張っていた。
だが、それこそが大きな隙を生むことになる。
「あなたも地に這い蹲りなさい——《風花雪月》!」
一瞬の無防備に再び鵺耶ちゃんが肉薄し、闘技場突入前に入れ替えていた太刀スキルの大技を放った。
ラケロスの長い首ごと陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)の胸部を斬り刻む。URのムラマサを一振りするごとに飛び散る鮮血が舞い散る赤い花びらへと変わり、一振りするごとに光の尾を引きながら加速していく剣閃は幾重にも重なり、鮮血を凍らせ、血の氷華を咲かせた。
その猛攻でラケロスのHPの大半が消し飛ぶのと同時に、踏ん張る力が抜けたラケロスの右脚を引っこ抜き、砂地に引きずり倒して陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)と引き離した。
「《暴食》!」
捕食できるところまでHPが減少したところで、七罪スキルの一つを発動した。腿に噛み付いていた蛇の頭部が巨大化し、ジタバタするラケロスを一飲みにした。
蛇身を伝って俺の体に流れ込む熱さを感じながら、僅かに減少していたHPが急速に回復し、ステータスを確認すると【身体能力向上(大)】と【火耐性(大)】、それに【強酸ブレス】の三つが追加されていた。
この日までに何種類ものエネミーを捕食してきたが、攻撃系の能力を追加できることはそれほど多くはなかった。それだけ第三層以降のエネミーが強力であり、七罪スキルが活きてくる証拠でもあった。
「まずはラケロスを撃破、これで残りは陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)だけですッ!」
「ここまでは順調、角煮先輩もラケロスを捕食し、その能力を一時的に手に入れたようです」
「追加されたのは……【身体能力向上(大)】、【火耐性(大)】、【強酸ブレス】の三つですねッ!」
【g:強酸ブレスはいいな】
【g:角煮先輩は攻撃スキル持ってないからな、いいアクセントになると思う】
【小夜:身体能力向上も悪くない、火耐性は第一層の必須スキルだし、ラケロスをうまく捕食できたのは大きい】
【g:あとは《傲慢》の使い所だな】
【g:攻撃力ゼロのデメリットを考えると、そう易々とは使えないよな】
転落した陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)は頭を振りながらゆっくりと立ち上がり、ラケロスに再び騎乗するためにその姿を探すが、カラミティーで捕食したのでもちろん見つかるわけがない。
「ブォォォォォォォォ!!」
陸豚王三世(グランドオークキング ザ サード)もすぐにそれを察したのか、大きな鋼鉄のメイスを握り直して肩に担ぐと、闘技場の遥か上を見上げて更に大きな雄叫びを上げた。