タドルpart4 迷宮の怪物―Ⅱ
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その怪物の様相は、確かに巨大なネズミだった。
黒い毛皮、クリクリの瞳、鋭く大きな前歯。形状的には、辿が先程想像していたような物々しい姿とは程遠い、どちらかと言えばテンジクネズミに近い姿をしている。
有り体に言えば、巨大な黒いモルモットである。
「グルルル……」
つぶらな瞳を向けながら、獰猛に唸るブラックマウス。
モルモットと違う点を上げるとするなら、口の形状くらいだろうか。
そのまるでワニのような巨大な顎は、それが唸る度に唇がブルブルと揺れて、鋭い牙がむき出しになる。
全くもって可愛げがない。それどころかキモいという感想すら覚えてしまう。
さすがネズミ。
愛されているのか嫌われているのか分からない生き物だ。
「……」
ナイフを構えて、俺は一瞬だけ考える。
熟慮している暇はない。
さっさと作戦を立てねば。
辿は切っ先を向けて、目を細めた。
無意識に、彼の瞳が淡く赤い燐光に彩られる。
――あの咆哮は危険だ。どうにかアレを食らわずに、的確に仕留めるにはどうすればいい?
全長六メートルの巨体を迂回するか?
いや、無理だ。
咆哮の影響を受けないようにしたいなら、最速で背後に回る必要がある。
「……一か八か」
辿は呟くと、重心を低く取って突進の構えを取った。
ブラックマウスはそれを攻撃開始の合図ととったのか、息を大きく吸い込み始める。
あのような予備動作の時は、大概ブレスか咆哮が来ると相場が決まっている。
辿は意を決すると、大きくその足を踏み出し、雄叫びを上げて突進する。
「うおおおおおおおおお!!!」
「グルアァァァ!!」
ブラックマウスが咆哮するその瞬間、辿はヤツの股下にスライディングし、その咆撃を間一髪で躱した。
「っ!」
滑り込みざまに、突き上げたナイフの切っ先をモルモットの腹に突き立て、切り傷をつけた。
「グルアァァァ!!」
赤くぬめり気のある生暖かな液体が顔に付着する。
どうやら腹の皮は薄い様だ。
「っせい!」
流石に数メートルもの距離をスライディングする事はできないため、脇から抜ける。
「はあ……はあ……はあ…………うっぷ」
顔に付着したした血液を腕で拭い去る。
嗅いだことのない生臭さに吐き気を催しながら、次に狙うべき箇所を考える。
(次は、振り向かれないように足の腱を――)
吐き気を押し留めながら、近くに見える短い足に向けて走り始める。
しかし。
「グルアァァァ!!」
「っ……!?」
激痛に暴走したブラックマウスが乱暴にこちらへ振り向きながら、その長い尾を振り回し辿の腹に打ち付けた。
――スパァン!
空気を切り裂く鋭い音が、鼓膜を劈いた。
「っは……ぁ!?」
強制的に肺から空気を吐き出され、更に商店街の煉瓦塀へと背中が叩きつけられる。
「――!?」
声にならない悲鳴が漏れ、意識が途切れかける。
明滅する意識。
口の中に広がる、鉄錆の臭い。
頭の奥に響く、何かが割れる音。
これはきっと、骨が砕けた音だ。
――ばたり。
顔面から、硬い地面の上へと倒れ込む辿。
(俺……死ぬ、のか……?)
痛いのか熱いのかわからない感覚の中、俺は死を意識する。
これが魔物。
しかも、その中でも弱い部類に入るレベル。
俺が挑もうと叫んだ迷宮には、こんなのがうじゃうじゃいるのか……。
(……)
体中を這い回る悪寒に身震いすることも出来ないほどの激痛が、脳を刺激して、落ちそうになる意識を寸での所で引き上げてくる。
――まるで、地獄にでもいるかのような気分だ。
(……短い人生だったな……)
まだ二十歳にすらなっていない。
せめてもう後数年でいいから長生きしたかった。
……しかし、果たして死ぬ時期がわかっていれば、俺は後悔のない人生を生きていけたのだろうか。
頬に感じる、生ぬるい血の温度を感じながら、ふとそんな雑念に囚われる。
(そういえばそもそも、どうして俺はこんな事になっているんだ……?)
血が抜けすぎて、正気を失ったのか。
辿は今まさに殺されかけているというのに、すでに逃げることを、抗うことを諦めていた。
……そうだ、教授の研究に付き合ったからだ。
それさえなければ、俺の人生はここで終わりではなかった。
(……だけど)
そんなのは全く面白くないじゃないか。
普通の人生、普通の日常。
変わることのない通学路、未来、景色。
誰もが普通に経験する、まったくもってありふれすぎた日常。
あの実験は、そんな檻から俺を連れ出してくれた。
(……死ねない)
気がつけば辿はそんな事を心の中でつぶやいていた。
(死んでたまるものか……!)
脳裏にあの、人をからかう時にする可愛らしい後輩の笑顔がうかんだ。
(それに、後輩を異世界に置き去りにして逝くわけにもいかない……!)
ギリッ、とまだかろうじて動く手を握った。
(……連れて、帰らないと)
そこには奇跡的に地面に落とすことのなかった一本のナイフが握られていた。
それを見て、辿の心は決まった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
周囲の人間からは、どう見えているだろうか。
きっと彼はさっきの一撃で死んだのだと、誰もが思ったかもしれない。
「潮時か」
アードルフ・アルベルソンは、そんな彼の姿を見てそろそろ助けてやるかと腰に穿いた剣の柄に手をかけた。
しかし――。
「……?」
スッと彼の目が細められ、虹彩の色が変わる。
その視界に映し出されるのは、わずかに波打つ魔力の波動。
「あれは……」
騒いでいた住民は、もう、近くにはいない。
静かになった世界で、わずかに砂を握る音だけが鼓膜に届く。
「あの魔眼、もしや……」
ブラックマウスが、そんな辿を警戒して、大きく息を吸い込みはじめた。
⚪⚫○●⚪⚫○●
(……やってやる)
ブラックマウスが唸る声を聞きながら、月詠辿は呟いた。
朦朧とする意識の中。
聴覚と視覚だけは未だ健在に働く意識の中。
辿は自分の心の奥底から湧き上がる何かを捉えていた。
(絶対に死んでやるものか……っ!)
ギラリと輝く瞳が、生への執念の塊となって、減り削げた生命力に、無理矢理に力を与え始めた。
それは、殆ど直感に近い何か。
それさえ掴むことができれば、この窮地を脱することができるという、確信。
――ギリッ、という砂を噛む音が、静かな喧騒の世界に小さく響く。
その響きを、足掻きをアードルフは聞き逃さなかった。
「すぅ……」
熱く熱を発するがごとく痛む気管支に、冷たい空気を注ぎ込む。
そして、俺は目の前でまさにあの咆哮を放とうとしている鰐面に向かって、そしてこの世界に向かって宣戦布告をする。
「こんな所で終わってたまるかあああああああ!!!!」
悲鳴を揚げて、軋む骨身に鞭を打つ。
腹の中を這い回る悪寒、気持ち悪さを意思の力でねじ伏せる。
腹の傷が開いて、決壊しそうなダムのように血液が漏れ出す。
四肢と背中が悲鳴を上げている。きっと骨が折れているせいだ。
「ぅあああああああああああ!!!!」
――ダン!
強く足を踏み込んだ辿の雄叫びが、激痛を気力でねじ伏せて、狭い商店街に木霊する。
それは確かな力を持って、魔力を乗せた一つのスキルへと昇華する。
「グルアァァァ!!!!」
辿の咆哮とほぼ同時に、ブラックマウスの咆哮が重なり合った。
「ぁぁぁあああああああああああああ!!!!」
「グルアァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
重なる魔力の波動が互いに共鳴しあい、凄まじい暴風を呼び起こす。
「ああああああああああああああああああ!!!!」
「ァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
青年と怪物の雄叫びが、窓ガラスを割り、扉を吹き飛ばし、煉瓦を砕く。
そしてそれは拮抗するかのように、彼らの間で音を消し合い始める。
「ああああああああああああああああああ!!!!」
「ァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
辿の声に血が混じり始めた。
しかしそれでもお構いなしにと彼は叫び続ける。
そしてその拮抗は、片方が上回ったことによって、一瞬で決壊する。
「あああああああああああああ!!!!」
――ズガァァァ!!
衝撃で大気が割れる。
それはもはや咆哮と言うよりも、音の弾丸と称するに及ぶものであった。
そう。
辿はこの数秒にも満たない咆哮合戦の間にも更に進化を遂げて、スキルへと昇華したその咆哮を、更に別のスキルへと派生させたのである。
「ルアァァァン!!!!」
ブラックマウスが甲高い悲鳴を揚げて、その脳天を仰いだ。
それによって完全にヤツの意識は刈り取られる。
「せやぁぁぁぁぁ!!」
それを、その一瞬を見逃さなかった辿は、その両足に最大限の力を込めてヤツの喉笛へと突進する。
そして――。
「俺の、勝ちだぁぁぁぁ!!!!」
その手に持っていたナイフは見事にその首を切り落とすことに成功したのだった。
青年の勝鬨の声が、血だらけの商店街に木霊した。
やっぱり魔物との戦闘シーンの描写は難しいですね……精進しなければ。
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